『ムボウビ』


くいくいっと。
目が合ったら無言で手招きをされた。
「…?」
なんだろう。
素直に、彼がどっかりと腰掛けたソファの前まで歩いていって、
「…」
何も言われない。
じーっと注がれる彼の目線だけを感じながら、
なんだかよくわからないままの僕は突っ立ってぼんやりする。
「…」
相手の眉がかすかにひそめられる。
なに?
と言うかわりに小首をかしげると、
くいくいっと。
また手招き。

だって、もう来てるのに。
反対側に首をかしげてみせたら、
彼はさらにむっと眉をしかめて。
今度は、ぽんぽんっ、と。
黒いスラックスの膝を叩いてみせる。
ああ、そゆこと…
納得して、ひとつうなずくと、彼は膝にのせた手をどける。
そのままかるく開かれた腕に迎えられながら、向い合せで。
「…」
もぞもぞ、と。
膝のうえにお尻をのっけて、さっきまで見下ろしていた顔を今度は見上げるポジション。
ヘの字になった口許が見えた。
でも、目もとはゆるんでる。
なんて観察してたら今度は手をとられた。
「?」
かるく引っ張られるままにまかせていると、彼の肩に指をかけるように促される。続いてもう片方の手も。
うん。キスでもしそうな体勢。
また動きがとまって、じっと見つめあう。
どうしたいの?
もういちど首をかたむけると、ふ、と。スタンは目をほそめる。
「!」
あせった。
だって、急に動くから。
前に向かって倒れる動きに、あわててぎゅっと首にしがみつく。
そして、彼はソファにぱたんとあおむけになった状態に。
僕は、その上にうつぶせになってのっかった状態に、なる。
「…」
反射的にばたついてはねあがった足をそろそろと下ろし。
どきどきしながらしがみついたままでいると、ふいに頭をかき回された。
そうして、くしゃくしゃにした髪の流れを、今度は長い指で整え、梳きはじめる。
どうやらこれで落ち着いたらしい。
僕はびっくりして固まっていた肩から力をぬいて。
あごをぽてん、と胸板の上に置いた。
あったかくて、しなやかで、力強い感触。
ふう。
ひと安心。
「…お前な」
「?」
沈黙をやぶる一言。
なんだろう?と思って、見上げる。
いつもと変わらないむっつりとした表情。
…あれ。そういえばかすかに、耳が赤いような。
「…猫か、お前は」
「へ?」
別に、にゃーとか言ってないけど。
「いくらなんでも無警戒すぎると言っとるのだ。
 何でもほいほい言う事を聞きおって…」


むろん、嬉しいことは嬉しいのだ。
呼べばすぐに寄ってきてくれるのは。
しかし、あまりにやすやすと自分に従うので呆れるというのか。
どうもこの子分には、すすんで罠にかかりに来るようなところがある。
いったい何回このパターンでベッドに引っぱりこんだことか。
こうして呼びよせられた後、何をされるかわかっているのだから、
そろそろ懲りてもいいはずだろうに。

いつも無防備なこの子を捕まえて美味しく頂きながらも、
…魔王である自分が覚える感情としてはあまりにも馬鹿馬鹿しいのだが…
罪悪感、というものが胸のうちに巣食ってどうにも苦しくなることがある。
まるで、いたいけな子供を食いものにしているような。
まっさらの心につけこんでいるような。

「え…だって…」
きょとんとした表情に苦笑いする。
だからといって警戒してほしいわけでは、むろんないのだけれど。

そして、己の胸中を不安に陥れていることがさらにひとつ。

「まさかとは思うが…お前、ほかの人間に対してもこんな風ではあるまいな?」
こんな状態が日常では、いつ誰にさらわれてもおかしくはないではないか。
もし、自分の留守中にあやしい者がやってきて、甘言をささやきでもしたら。
想像しただけでそら恐ろしくなり、ぐっと小さな肩をつかむ手に力をこめる。

「…そんな」
白い頬がぷうっとふくれた。かるく睨んでくるその目線さえ愛らしい。
「…いくらなんでも。それはないよ」
「どうかな。お前は流されやすい」
その頬をぷにぷにとつつきたくなるのを抑えつつ、うそぶく。
と、ルカが目線をおとした。小さな声が、哀しげに、
「信じてくれないの…?」
「あ、いや、それはその」
まずい。
まずい!
泣かせてしまったか!?
「し、信じておらんわけではないぞ無論その、
つ、つまりはお前が心配だというそれもひとつの余の愛情であってだな、
べつに余に応えんとすること自体は嫌ではなくて、だからその、ええと、…泣くな」
うろたえまくった挙げ句結局何を言いたいのかわからなくなってしまった。
無言で伏せた少年の背中をそろそろと撫でることしかできない。
そのままで、永遠のような数分間。

「…だって」
ようやく返ってきた返事はかすかにしめっていた。
「だって、僕が…こんなふうなの、君だけ…なのに」
せつなく訴える声、しがみつく指、
むき出しの胸板にすりすりと頬を擦り寄せられる感触。
…くう、
声を出さず呻いて、目をかたくつぶって。
熱のこもった息を吐く。
「うむ…分かっておる。…すまん、つまらんことを言った」
できるかぎり優しくそう言って、ルカの体をぎゅうっと包み込んだ。

その体からまた、ゆっくりと力が抜けていくのを感じる。
あとはそれこそ日なたの猫のように、甘えてくる可愛らしさが残るだけ。

(まあ、良いか…)
うっかりすると眠ってしまいそうな心地よさのなか、
ふぬけた頭で考える。
お前が望むならいくらでも。
食べてほしいというならそのままに。
甘やかしてほしいというならそのままに。
余は魔王だからな、多少の罪悪感など何ということはないわ。
胸の内だけでそんなことを呟きながら、人肌の幸福に浸る。
結局のところ、自分にこのぬくもりを手放せるはずもないのだ。


********************************************************
前半の無言で会話、なところが我ながらツボに☆
猫以外のなにものでもないですよルカ君。


いらすと+てきすとにもどる
めにゅーにもどる