『pink film』


今日の空は変だった。

「うわ。スタン、見て外!」
「む?ルカ、どうした、…!」

夕方、いつものように台所で、夕食のしたくをしたり洗いものをしていて、
ふと何の気なしに外を見たら、すごいことになっていて。

思わず大きな声を出した僕に、
リビングのほうから時折新聞をめくる音をたてていたスタンが、
怪訝そうに問い返し、次の瞬間息を飲む。

いつからか、窓から差し込んできていたのは猛烈なピンク色の光で、
サーカスで使われるフィルムをかぶせたスポットライトのような、
ほとんどつくりものめいた色あい。

今、それが窓の外の景色全てを覆っている。
空も地面も木々も家々も、
鮮やかすぎる一色に染め変えられて、逆にモノトーンに沈んで見えた。
まるで、日常の風景ごと自分たちが、
ピンクと黒だけで描かれた絵の中にまぎれこんでしまったかのような、不思議な感覚。


「…、すっごい…」
「…ああ…」
おたまを持ったままぽかん、と口を開ける僕の方に、スタンが歩み寄りながら同意する。
彼もこの光景に目をうばわれているのか、すぐそばで深いため息をひとつもらした。

「奇妙なものだが…なかなか美しいな」
「そうだね…ねえ、これってさ、夕焼けかなあ?」
「うむ、おそらくは…雲に西日が行き渡ってこうなったのだろう」
そういえば今日は、朝から薄い雲に覆われて涼しい天候だった。
僕はスタンの言葉に納得してうなずく。

背の高い彼を仰ぎ見ると、一心に景色に向けられた黄金の瞳も褐色の肌も、
窓から差し込む光に染まって赤みがかっていて、なんだかいつもと違って見える。

思わずまじまじと観察していると、スタンの口元がふとほころんで、
鋭い牙をのぞかせてにやりとしたのが分かった。
それさえ、今はピンク色。

「しかし、いかにも魔物が出そうな夕暮れだなこれは。…なんとなく血が騒ぐ」
「ふふっ、スタン、似合いそうだよね」
そう軽口を叩いてみたら、こっちを見たスタンがかるく目を細め、くくっ、と低く笑った。
ああ、上機嫌だ、とわかる。僕までつられてなんだかわくわくしてきた。

「…出てみるか?これほど見事な光景もなかなかあるまい」
「あ、待って待って。お鍋の火、落とすから」
ぱたぱたとスリッパを鳴らしてこんろに向かい、おたまを置いて、エプロンの紐をほどいてから。
「こら、慌てるな…転ぶぞ?」
苦笑まじりに差し出されたスタンの手をぎゅっと握って、僕は歩き出した。

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「、うわぁ…!」
玄関から外に出たとたん、ルカが押さえ切れずに歓声をもらした。
傍らで、大きく見開いた瞳を輝かせる恋人を微笑ましく思いながら、
しばし、赤インクをまぜた水に潜ったような感覚にとらわれる。

屋内から眺めたときは絵画を観賞するような気分でいた、
赤く染まる景色が全身をあますところなく取り囲み。
その狂おしい色の中に呑み込まれ、同化し、
いつのまにか自分達もモノクロームの世界の住人となっていた。

上空を見れば、きょう一日をどんよりとした灰色で覆っていた雲が、
うってかわって最後を飾らんとするかのように、
全天をあかあかと染め、燃え上がっている。

(うむ、…これは見事だ)

そう感嘆していると、先ほどからいささか興奮気味の恋人が大きく手を広げたのが目に入った。
なにをしているのか、と観察対象を彼にうつすと、
ルカは自分の腕、指、爪先までも光にかざし、すべてが染まっているのを確認しているらしい。
目線をさまよわせてはすごい、すごい、と何度もつぶやき無邪気に笑い、
しまいにはちいさい子どもがするように、はしゃいだ仕種でくるりと回る。

赤く透明な空気に包まれ舞う青年の、
白い肌は寝所でさんざん煽った時のように上気して見え、
赤茶の髪はことさら明るく輝いて、目にあざやかな残像の尾を引いた。
翠の瞳はというと色の関係かいつもより黒っぽく深い色に見えて、
どことなく蟲惑的な印象を受ける。

紅をはらんだ光の非日常性が、目の前の恋人をひどく艶やかに見せていて、
気がつけば蜃気楼を追うようにかすかに目をすがめていた。

そして、美しい光景を目に焼きつけようとするあまり、
長いのか短いのかよく分からないひとときを過ごし。

「あ…」
ルカの唇から小さくつぶやきがもれるのを聞いて我に返る。

「…、どうした?」
「消えちゃう」

つぶやいて、光をとどめようというのか、彼は手のひらを、つっと天へと伸ばす。
その指先はまだほんのりと赤みをおびているが、
ついさっきまでの燃えるような色彩は失われていた。

「…」
おそらく、雲の向こうで太陽が地平線に没したのだろう。
見上げれば全天に行き渡っていた赤い光も徐々に失われ、
景色が少しづつ日常を取り戻していく。
なにか、特別な時間が終わろうとしているのが分かった。
そういうものは、得てして短く儚いものだ。

(…こんな空を、あと何回)

ふとそんな考えが脳裏をよぎり、思わず顔をしかめる。
あと何回。こんな景色をこの子と共有することができるだろうか、と。

人の時間の流れから遠く離れた己が、
定命の存在と共に生きるということは、
いずれ訪れる終わりを覚悟しなければならないということで。
そんなことは重々承知の上でこれを傍に置いているつもりだが、
稀なる自然現象にあてられたのか何やら感傷的になっているらしい。

(…構うものか)
声に出さずつぶやいた。
あと何回であろうと、1回であろうと。
遠く離れた未来であっても、今日と同じように、
ふたりで子どもじみた感情とともにはしゃいで笑って、共にいよう。
恋人の声が鮮やかな色と共に、記憶に刻まれるならばそれでいい。

望むものは永遠ではない。
そんな確証などなくとも、
自分はこれを、ルカを、未来永劫愛し続けていくのだから、それでいい。


すこしづつ青く、暗く沈む空から駆逐されていく、暖かな色の光を見送って。
「…戻るか」
「…うん」
抑えた声をかけ、ルカに手を差し出すと、
彼は視線を空に向けたまま、少しもためらいなくちいさな手のひらをあずけてきた。
さきほどまでの過剰な赤い光の反動か、どこか色を失って見える細い指先を手の中でなぞるように動かすと、
温かくなめらかな感触と、握り返してくる力が確かに返ってきて安心する。

そして、なおも名残惜しげに西の空を眺めるルカを再度促そうとして、
すこし考えて。

無言のまま、いきなり力ずくで抱え上げたので、
腕の中で小さく悲鳴が上がった。

[end]



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昨日の夕方、空がこんな感じだったんですよね。薄い雲に夕日が乱反射。
黄色バージョン(セピア写真っぽい)とか赤黒いバージョン(ホラーっぽい)とか、
いろいろ経験あるんですが、昨日はものの見事に真ッピンクでして(笑)
思わずつっかけのまま飛び出して、しっかり堪能したうえネタにしてしまいましたー。
タイトルは直感でつけたのですが、あとで調べてみたらムフフな意味が判明…(汗)
ま、スタンパートだとそんなに間違ってない(!?)からいいか。


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