『旅が終わる』
「では、ここまでだな、ルカ」
できる限りさりげなくそう言って、スタンは身を離した。
長いような短いような、旅の間。常に側にあった小さな身体がはじかれたように振り返る。
「え、え?」
少年は何を言われたのかとっさに判らないようで、頼り無げな顔でこちらを見上げ、首をかたむけた。
そのさまを見ているだけで、魔王の胸中には何だかどうしようもないものがこみあげてきてしまう。
苦いような、甘いような。
その感情に、威圧的なまでに整った己の容貌が軽く崩れるのを自覚しながらも、
馬鹿め、と小さく笑ってつぶやいて。
「…何だ、その情けない顔は?お前を自由の身にしてやろうと言っておるのだ、素直に喜ばんか」
尊大な言い方をしながら頭を撫でる。いつものように。
ついにとりもどした、魔王としての強靱な肉体。しっかりと大きな掌で包む子分の髪の感触は、ぺらりとした影の手で触れていた時よりずっと心地よく感じられた。
「だ、だって…」
ルカはまだ目を大きく見開いたまま硬直している。
まあ、突然そう言われても信じられないのも無理はあるまい、スタンはかすかにため息を吐く。
彼に対して『キサマは一生、余の下僕、奴隷、子分なのだ!!』と居丈高に言い続けていきたのは他ならぬ自分なのだから。
旅が終わる、しばらく前から魔王がずっと考えていたこと。
それは子分、ルカについてのことだった。
この目立たない少年は、ひどく強引に旅に連れ出したにも関わらず、健気に自分に尽くしてくれている、と思う。自分の演説におとなしくつきあい、我が儘を言えば困った顔をしながらもそれを叶えようと努力するし、戦闘では、協力技で生命力を削りながらも敵を一掃したりで、危ない局面を何度も乗り切ってきた。
だから、その労に報いてやりたい、と思うのだ。搾取するだけの無慈悲な主人ではないつもりだし。
だが、どうしたらこの子は喜ぶのだろう?
そう考えはじめたのだが、これが意外と難題だった。
そのいち、何かプレゼントをする。
…何を買ってやれば相手が喜ぶか皆目不明で、結局本人に訊ねてみたところあたらしい鍋が欲しいということだった。しかしこれはパーティ共通で使うものだったから、個人的なプレゼントとは言いがたい。
そのに、1日暇をやる。
いつも忙しく立ち回っているから、ということで1日休日だ、好きなことをしてよいぞと言い渡してみたのだが、子分にしては特にやることもなく当惑したようだ。結局日がな買い物をしたり昼寝をしたりと少しのんびりできた程度で、本人には感謝されたもののいまいちねぎらってやった、という実感がもてなかった。
とにかく相手が無欲で、自己主張を全くと言っていいほどしない性格だけに、具体的な願望がつかめない。
さんざん頭をひねって考え抜いたあげく、スタンはある日、ひとつの結論にいきついたのだった。
自分はこの子を手放すべきではないだろうか、と。
ルカは自分に親しみをもって接してくれる。
最近特にそうだ。
だから忘れていた。
この子を家族から、いるべき場所から、無理やりに引き離したのは自分だ。
そして今も、妹をオバケの呪いから解放した事を楯にとり、その身を拘束し続けている。
平穏な暮らしを望む少年にとって、魔王である自分と共にあること、それがすなわち“不幸”なことではないのか。
そこから解放してやることこそ、この少年に対しての真の報いとなるのではないか、と。
自分のはじきだした答えながら、それはいささかショッキングなものだった。
思えば、この自分の色をもたない少年は、かなり適応力が高かった。
自分に驚き、びくついていたのも最初のころだけで、
すぐに影の中に“魔王”という異形のものが宿っていることに慣れてしまっていた。
だから、怖い。
たいがいの者が不本意と感じられる状況でも、それを「しかたのないこと」とすぐに諦め、受け入れてしまうから。例え辛いと思ったり、苦しんでいたとしても、黙ってその痛みを呑み込んでしまうから。
自分はずっとそのことに気付かず、あるいは、気にとめようとも思わなかった。
だから、ただ思うままに少年を振り回し、そのたびに右往左往して困り果てる姿を見ようとも何とも思わなかった。
けれど今は、ルカの悲しみを分かってやれないことが、ひどく辛い。
どうして自分の心がこんなふうになってしまったのかはわからない。
しかし、全てはあの時からだ。
あのトリステとかいう、人気のないくせに妙に人の気配だけはある辛気くさい街で、ルカと再開を果たした時から。
* * * * * * * * * *
ひくひくとしゃくりあげるままに、小さな肩が揺れている。
スタンは目の前の光景に頭をかかえたくなった。
とにかく、何がなんだかよくわからない。
認識できたのは、唐突に周囲の景色が切り替わったとたん、
久しく見ていなかった子分の顔が目の前にあった、ということだけだ。
他にも、丸ッこいサーカスオヤジや、いかれた茄子紺アイメイクの幻影魔王とやらが登場し、
何やら意味深なことをくっちゃべって去っていったのだが、
それを確かめる前に突発事態が起こってしまった。
ルカが突然に泣き出したのだ。
それも、もう、本当に幼い子供のように声をあげて。
「スタン…、スタン…っ!!」
自分の名前を連呼しながら、影の体に爪をたてんばかりにしがみつき、苦しげに泣き叫ぶ。
「僕、僕、さびしかった…ひとりで、こわくて、こわくて…っ!!」
あとは、もう言葉にならず。むせび泣くあまり息をつまらせ、
小さな体をひきつるようにふるわせて、少年はただただ泣き続ける。
「お…おろろーっ!?」
スタンははげしく動揺した。こんな子分は初めて見たのだ。
自己主張というものをからきししない、いや、できないと言ってもいいだろう少年の内面に、
こんな感情が隠されていたとは。
最初の驚きが去ったあとも動揺を隠せないまま、
そのあとのスタンはまるっきり七面相状態であった。
「泣いとらんと理由を説明せんか!」と怒り、
「なあ…どうしたのだ一体…」と困惑し、
「ほれ、余はここにいるぞ。寂しくなどないだろう、うん?」と必死に機嫌をとってみようとし、
「わかった、わかったから、泣くなよ、おい…」そして途方にくれた。
何を言っても、どうしても泣き止んでくれないのだ。
「ルカ…」
わけもわからず、言葉もリアクションもつきてしまい、
嵐のようにはげしく泣きじゃくる子供を前にどうしようもなく。
えんえん困り果てたあげく、ただ頭を軽くぽん、と叩き、
「…泣くな…」
と呟くことしかできなくて。
どれほどの時間、ひたすらそうして少年をなだめていたのだろう。
しばらくして、泣き声が徐々に波がひくようにおさまっていった。
スタンは、心底ほっとして少年の顔をのぞきこむ。
彼は顔を手で覆い、まだかすかにしゃくりあげていたが、どうにか落ち着いたようだ。
「…った」
「ん、なんだ、どうした?」
つぶやいた、小さな声を聞き逃すまいと影の体をちぢめて目線をあわせる。
細い肩に触れ、できる限り優しく撫でさすりながら、言ってみろ、とうながす。
「…会いたかった」
「…あん?」
てのひらが開き、真っ赤になってしまった顔がはずかしそうにあらわれ、こちらを見た。
「僕は、君に…いちばん、君に、会いたかった…!」
涙に濡れた緑の瞳にまっすぐ射抜かれた瞬間、
確かに心のどこかで、とくりと何かが動いたのを感じていた。
確かに子分はおとなしく、従順で、忍耐強い。
だが、それはいつも我慢していて、鬱屈したものを溜め込んでいるだけではないのか?
そしてあの時、それが爆発したのではないのか。
小さな体にそれだけの感情が押し込められていたことに驚き、魔王は愕然とした。
どれだけ自分が子分について無知であり、その心中に注意をはらわずにきたのか。
あれほど側にいて、全てを見、支配してきたつもりでいたのに。
一体、自分はこの子の何を分かっていたのだろう、と。
それから。
魔王は少しずつ、ルカを気づかうようになった。
「あー、その…あまり無理はするなよ?子分」
「え」
戦闘後、削り取られた生命力を案じたりすると、きまって子分は驚いたように目を見開き、
一拍をおいてふわっとこぼれるように笑ったものだ。
「…ありがとう。大丈夫だよ、スタン」
「…。ふ、ふん!お前に倒れられでもしたら、余が迷惑を被るのだからな!」
最後に照れ隠しのような威嚇をつけくわえることは、
癖になってしまっていてどうしようもなかったが。
それでも、うん、と微笑んでうなずいてくれる少年の声が、表情が、
なんだかくすぐったかったのを覚えている。
そして、旅の終わりに。
はてしなく長い間、世界を拘束し、支配し続けた神が、追い詰められた咆哮をあげる中。
「ルカ」
いつものように呼びかけた声に反応し、
少年は己の存在を抹殺せんとする神に背を向けるようにして、くるりと振り向いた。
目もとをぎゅっとこぶしでぬぐい、
「…おかえり、スタン」
かすかに、震えた声で、こちらを見る。
(泣いていたのか?)
目もとがきらりと光った気がする。けれど、それはあまりにも一瞬でわからなかった。
「今一度…おまえの影を借りるぞ」
静かに告げた言葉にうん、と大きくうなずき、笑顔をみせ、
「行こう、スタン…!」
さしのべられた腕の中へ、少年の内側へとすべりこんでいく瞬間、
あたたかな充足感と喜びが、確かに魔王の心を満たしていた。
「ねえ、スタン…」
「どうしよう、スタン?」
判断に困ったとき、いつも心細そうに見上げてきた瞳。
それを情けないやつめ、と罵っていたくせに、
その視線に心地よさを覚えはじめたのはいつからだっただろう。
ずっと、頼りない少年を庇護してやっているつもりでいた。
しかし、もしかしたら。
この子にすがっていたのは自分のほうだったのかもしれない。
だとしたら、いま、自分が少年のためにしてやれることはただひとつ。
この子を自由にしてあげよう。
* * * * * * * * * *
「…お前が余を訪ねたなら、また遊んでやらんこともないぞ?」
「…う、うん」
大魔王としてふさわしいであろう、禍々しくも貫禄ある表情をつくりあげ、にやりと笑ってみせると、
戸惑いながらも、ルカはうなずいてくれた。
そのことに心のどこかがほっと安堵する。
もし、もう一度この子が自分を望んでくれたのなら、その時は…
何の負い目も、引け目もなく向かい合うことができるだろうか。
「では、な!」
わざと、あっさりと背を向け、邪悪な高笑いを響かせながら歩き出す。
スタンは、振り向かなかった。
けして、振り向くことができなかった。
一度でも振り向けば、ルカの顔を見てしまえば、
離れがたくなってしまうだろうとわかっていたから。
* * * * * * * * * *
「うむ。この街道の情報もだいたい収集できたな。では一気に制圧にかかるぞ、ルカ!」
そう格好良く決めたつもりでくるりと振り向きざまに叫んでから、スタンは、はっとした。
何かが違う。
視線の先にいる見飽きたはずの執事は、困ったように瞳を光らせながら、小さく首を振った。
「…あのー、ぼっちゃま。ワタクシはルカ殿ではありませんが…」
「…むっ…、わ、わかっとるわ!!今までのクセでついだ、つい!」
「…あのご一行と別れてから、もう5日目になりますがねー…」
「…でぇい、やっかましいッ!いちいち突っ込むな!
なにかと多忙なので疲れとるだけだ、黙っとれ、ジェームス!」
一日に何回も、ここにいるはずのない人物の呼んでしまう己に、一番苛立っているのは魔王自身だ。
執事と二人だけの旅は、言うなれば300年前の封印以前の生活に戻っただけであって。
ずっと待ち望んでいた、邪悪なる目標を達成できる最高のシチュエーションのはずなのに。
なぜか寂しいようなもの足りないような、何となく空虚な気持ちが拭えない。
(何と皮肉な)
あの影の体だった時よりも、心身ともに万全のはずの今のほうが薄っぺらく感じる、などとは。
「ぼっちゃま…、ぼっちゃま?」
ふと気付くと何度も呼ばれていた。
理不尽な雷を落され困惑気味だったはずの執事が、じっとこちらを見つめている。
「あ、あぁ、何だ?」
生返事をしながら頭のなかの霞をふりはらう。
そんな主に目線を向け、しばらくためらった後、ジェームスはゆっくりと口を開いた。
「ぼっちゃま…。差し出がましいやもしれませんが、今日という今日はひとこと言わせていただきますぞ」
「な、なんだ一体?急に改まって」
日頃は慇懃無礼というか、実に軽薄な性格であるはずのジェームスが、
かつてないほどに真剣な口調でぽつりと、
「…いい加減素直になられたほうがよろしいのではないですかな?」
「!…な、なんのことだ。余は別に何も…ええい、何のことかわからんな!」
ずばりと胸のうちに探りを入れられたせいで、思いっきりうろたえてしまった表情を隠すため、
魔王は顔をわざとらしくそらし、草むらにごろりと寝転んでしまう。
それはもう何も聞きたくない、聞かれたくないという、いかにも子どもっぽい意志表示だ。
「あーあーあー何かどっと疲れたぞ今日はもはや何もやる気が起きんわい!」
(まあ、この方に真正面から進言さしあげても、こうなりますわな…)
主の性格を知り抜いている執事は軽く溜め息をつき、
しばらく間をおいてから、なにげなさを装って口を開いた。
「そうそう、そういえば久々にルカ殿の母君の作るオムレツが食べたくなりましてな。
つい昨日、立ち寄ってみたのですがねー?」
そっぽをむいたままの魔王だが、
長くとがった耳だけがぴくり、と反応したのを、付き合いの長い執事は見逃さない。
そしらぬ顔で大きなひとりごとを続ける。
「ルカ殿が、せっかくの食欲の秋だというのに…まるで元気がない様子でしてな。
母君も心配しておりましたぞ?」
まあ、奥さんのその憂い顔もまた素敵なのですがねえ!
などとのんきな声でわざといらぬことを付け加えながら反応を見る。
褐色の耳の先っぽがぴくぴくと揺れている。かなり気になってはいるようだ。
(…もうひと押しですな)
確信をもったジェームスはとどめの一撃を舌にのせる。
「ルカ殿には、ワタクシとおなじくぼっちゃまの配下となったよしみがございますので。
ちょこっとばかり様子を見てきたのですがね?」
「…どうしておった。…あれは」
ついにぼそりとした声が背中越しにかえってきた。
食い付きましたな、内心快哉の声をあげながらも、ここで浮かれた気配を察されるわけにはいかない。
執事は淡々と事実のみをならべていく。
「家の門のそばの階段に腰掛けて、なにやらボケ−ッとされておりましたな。まるで魂でもぬけてしまったかのように」
しゃべりながらジェームス自身も思いかえす。それは綺麗だけれど寂しいような、印象的な光景だったのだ。
はらはらと赤やら黄色やらの落ち葉が何枚も何枚も少年にふりそそぐ。
頭や肩にのっかってしまったそれを払い除けるでもなく、
少年はぼんやりとはるか彼方に目線を向けたままで。
筆の進んでいない日記帳とペンを握りながら、
ぽつり、と呟いたのだった。
『スタン、どうしてるかな…』
と、執事のかたわらの長身が唐突にがばりと跳ね起きた。
その高価な布地を使った黒衣に雑草の葉っぱがくっついているのを気にもとめず、
魔王はいきなりわめきだす。
「うむ。ジェームスよ、余は手下が欲しくなったぞ!
やはり、世界征服には手となり足となり馬車馬のように働く子分がいなくては、
余はどーにもしんどくて落ち着かなくてつまらなくて仕方が無いのだ!
そうと決まればさっさと行くぞ!!」
執事の肩を力任せにばんばんと叩きながら、そうわざとらしく叫び終わったとたん、
彼はそのまま街道をいま来た方向へとすっとんでいく。
いったいどれだけのスピードで移動しているのか。
あとには盛大な土埃だけが残された。
「…やれやれ。やっと火がつきましたな」
ひとりぽつんと置いていかれた執事は、世話の焼けるお方ですなあ、と、
こぼしながらさんざん叩かれた肩をぐるぐると回し。少しだけ笑う。
「わたくし、嬉しいような寂しいような…複雑な気分でございますよ、ぼっちゃま…」
呟いて空を見上げる。
薄い筋雲がたなびいているだけのすばらしく晴れた天は、
今まで認識していた「『青空』という存在よりも、はるかに高く、澄んで見える。
主の好きすればいい、と思うのだ。
もはやこの世界は、既製概念にとらわれた、書き割りの舞台ではないのだから。
(…まあ、たまには執事らしいことをして差し上げませんとね)
「さて、と。行きますか」
執事は、がに股でのんびりと歩きはじめる。
それにこれでワタクシも、
またオムレツと奥さんとアニ−ちゃんとジュリアちゃんに会える口実ができましたな、
とひそかにほくそ笑みながら。
* * * * * * * * * *
まったくなにを女々しいことをごちゃごちゃと考えていたのか。
スタンは己に毒づきながら笑った。久しぶりの、心の底からの笑みだった。
余は、魔王だ。誰が何と言おうと。
ならば自分が成したいことをするのに何を遠慮することがある。
あれを側に置きたい。
あれの困った顔や泣き顔を…笑った顔や間のぬけた寝顔も、できれば。
毎日側で眺めていたいのだ。
その理由なぞ知った事か。
魔力をフルに使って飛べば、他愛のない短かな時間で、見なれた古めかしい家のシルエットが目に入った。
「ぬお!」
あまりのスピードに、玄関前を勢い余って通り過ぎそうになり、慌てて急ブレーキ。
いつの間にやら実体をたもてないほどに力をつかいはたしていたらしい。影のすがたでぜえぜえと息をつく。
「ククククク、ハハハハハ…!」
しかし、わきあがってくる笑みをどうにも抑えられそうにない。
どうしても、今すぐ子分の驚く顔が見たくてしかたがなく、ドアを力のかぎり叩きまくった。
「オラ、開けろ!開けんか!!」
まるで借金の取り立てにでも来たような剣幕の魔王だったが、いいことを思いついてはたと手を止める。
このまま普通に再会するのもおもしろくない。
余から解放されたと、すっかり油断しきっているであろう子分をおどかしてやろうではないか!
ぱたぱたと中から軽い足音が近づいてくるのに気付き、
魔王はさっと扉のわきの木陰にかくれた。こういうときひらぺったい体は役に立つ。
「はあーい…あれ?」
…なんだ、小生意気な妹か。
ツインテールの頭を振り、きょろきょろと左右を見渡してから、
おっかしいなー、だれもいないよ?と中に声をかけつつ戻ってゆく。
「…ちっ。…ふふん、まあいいわ。運のいいやつめ…」
いきなり余に出くわして仰天するハメにならなかったのだからな、と魔王は余裕の表情で再び扉の前に立ち、
今度はコンコンとノッカーを叩く。これ以上力まかせにぶんなぐっては、さすがに古めかしい扉が壊れそうだったからだ。
またも、ぱたぱたと軽い足音。スタンは今度こそ、と期待に胸を踊らせながらひょいと隠れる。
「はいはいはい。あらぁ?」
のんきな声とともに扉をあけたのは子分の母親だ。
おかしいわねえ、と家のなかにひっこんでいく様子を見ながら、スタンは再び舌打ちをした。
「ちいっ、またハズレか!全くいいかげんに出てこんかい、なーにをモタモタしとるのだ子分の分際で!」
かなり理不尽な言い種で腹をたてながらもう一度ノッカーを叩いた瞬間。
「ええい、しつっこい!誰じゃ、姑息な真似をするやからはーッ!!」
怒声とともにどばんとすごい勢いで扉が開いた。
「ぐおおっ!?」
ぺらい体はあっけなく吹っ飛ばされる。
勢いのあまり丸まりながらころんころんと数回転してしまったせいで、ぐらぐらする頭を振りながら起き上がって、
「…!?」
おのれ何をするか貴様と反射的にわめきだそうとした瞬間、驚愕のあまり声が喉にひっかかった。
切れのいいタンカとともに飛び出してきた娘を、スタンはまじまじと見る。
「な、なにい!?キサマまさか…!?」
あの派手な赤いドレスではなく、いささか地味な色の服をまとっているが、間違い無い。
猫のようにつりあがった目尻に、燃えるような真紅の瞳。
この傲岸不遜きわまりないしゃべり方と甲高い声。
「…人形王女ではないか!!」
「な!なぜそちがこんなところにおるのじゃ!」
相手のほうもこの唐突な望まざる再会に驚いているらしい。
「それはこっちのセリフだ!!」
叫びかえしながら、スタンは己の読みの甘さを呪った。
まさか、まさか自分のいないうちに、こんなことになっていようとは!
余が去ってから子分がこやつに再会したとすれば、
それからいままでずっと、この小娘による子分の独占を許していたということか!
日和っていたこの5日間を猛烈に後悔する。
「いまさらのこのこと現れおって、何をしに来おったのじゃ!
…よもやまた、ルカにちょっかいを出そうというつもりではあるまいな!?」
怒り狂った猫のようなうなり声を上げながら、少女はくるり、とホウキの柄を器用に回して、
槍か何かであるよう構え、魔王に突き付ける。
「そんなことは、このわらわがさせぬ!今度はわらわが、ルカを守るのじゃ!」
「かーッ、ぃやっかましいわ!!ルカは余の子分だ、子分を好きに扱って何が悪い!?」
スタンは腹の底から吠えた。こんな小娘と関わりあっている暇はない。
…一刻もはやく、あの少年の顔が見たいというのに。
ひたすら抑圧され続けた、『会いたい』という気持ちがスタンに暴言を吐かせていた。
しかし、そんなことはつゆ知らぬ元王女は、きりきりとさらに眉をつりあげる。
「なにぃ…!?」
「いつぞやの所有権の配分は無効だぞ、もはや王女でも何でも無い貴様に、ルカを所有する権利なぞないのだ!おとなしく引っ込んどれ、さもなくばここで引導をわたしてくれるぞ!?」
凶悪な形相で、するどい爪を見せつけるようにバキリと指を鳴らす屈強な男を、
ルカとさほど変わらないほどの背しかない娘は、ぎりりと気丈な瞳でにらみかえす。
「…自分勝手に消えておいてなにをぬけぬけとッ。そちこそもはやルカにまとわりつく理由なぞ無かろう!
さっさとどこぞに行ってしまうがいい!」
両者とも一歩も退かず、今度こそ雌雄を決しようと、稲妻を飛ばしながら向かい合ったその時。
「え?あれ…スタン?」
ぴくり、と体が硬直したのがわかった。
やさしく穏やかな、なつかしい声。
いつのまにか、側にいるのがあたりまえになっていた存在。
目の前の小娘の存在が一瞬で頭から消えた。
振り向くと、夕日の差すなか、ほそながいパンが飛び出した買い物袋を手に、
見なれた少年がぼーぜんと立っている。その姿は、別れる前となにひとつ変わっていなかった。
「…なんで?」
まるっきり気のぬけた、反応。
それに、不覚にも心が動かされてしまう。
ああ。この頼り無い声だ。このぼんやりした顔だ。ちいさな体だ、薄い気配だ、儚げな存在だ。
会いたかったのだ。こんなにも。
すまん、ルカ。魔王はそっと心の中だけで詫びる。
おまえに自由はやれない。
おまえの最も傍らにある存在であり続けること。
それは自分にとって、どうしても、だれにも譲れない、譲りたくない権利であるようだ。
「うぉっほん。よいか、子分…心して聞け」
「は、はい?」
少年は首をかしげる。眉尻を下げて、不安げな表情。ほんとになにもかも元通りだ。自分の心以外は。
ルカの困惑の表情にすら、はげしい歓喜を感じながら、それを胸の奥底に押しとどめつつ。
「余は、悟ったのだ。たとえ実体を取り戻そうとも、お前が余の子分であり、下僕であり、奴隷であることに変わりはないのだと!…というわけでこれからも余に付き従い敬い崇め奉るのだ、さすれば甘美なる恐怖と畏怖と邪悪なる幸福をお前に授けてやらんでもないぞ!!余の寛大さに感謝するがいい!!!」
ふんぞり返って、魔王はちからいっぱい宣言する。
いつかのように。
「貴様、またそんなことを…!!」
小娘が背後で逆上した声をあげたのは分かったが、その内容はほとんど魔王の耳に入ってこなかった。
ただ息をのんでルカの反応を待つ。
嫌な顔をするだろうか。諦めたようにため息をつくだろうか。困惑しきって目線をさまよわせるだろうか。それとも。
「…」
少年は、ただただ呆然としていた。そのまま、スタンにとっては永遠とも思えるほどの時間が過ぎて。
「…ここにいるんだ?」
聞こえるか聞こえないかの声を、たしかに拾った気がした。
そして、その目尻に何かかきらりと光った気も。
(…泣いていたのか?)
オレンジ色の西日が逆光になっていてよく判らない。
ルカは、うつむき。かるく首をふって、すぐ顔をあげて。
そのときにはもう、こぼれるような笑顔で。
「…おかえり、スタン!」
「…う、うむ…」
鼓動ががとくとくと波打ち、止まらない。
心の片隅、無意識にちかい領域…もっとも根幹的な部分で、何かが動きだそうとしていた。
魔王自身、まだはっきりと認識できないことではあったが。
しかし、これだけは分かったのだ。
この子分無しでは、自分はきっと、もうどこにも行けないのだ、と。
スタンの、魔王の、旅が終わる。
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あの、あっさりしたお別れのしかたの裏側を書いてみようと思い立ち。
スタン様が徐々にルカ君にほだされてく様子もからめるつもりで。
タイトルと流れは早々に決まったのですが。
いやー実際書きだしたら長かった…!!書いても書いてもおわんないし!
きっと回想を入れまくったせいですねー。
しかし魔王様、これじゃあルカ君にベタ惚れすぎだよ!(笑)
いらすと+てきすとにもどる
めにゅーにもどる