●「坂の下の焼肉の店/片岡義男」分析  <講座1-2に戻る>
1層=演出

なんでもない台詞が大半で、するっと水のように飲み込めるのに、時間という大きなテーマが一緒に染みこんでくることが驚き。これで1万字未満なのがすごい。
なぜ、タイトルが「母と絵とルーツ」でなく「坂の下の焼肉の店」なのか?→主人公はなぜ、焼肉屋という提案に「そういうものが食べたかった」と言ったのか?
→ああ……「場所でおぼえているお店」、だ。あの風景画の景色のようにアタリマエでいずれ失われるもの。日常感と、だからこその約束された、いつかの喪失。
◆シーン演出としてはやっぱりここ。
イラストレーターの主人公が、3歳で喪った母が絵を描く人と知った瞬間。 見知らぬ母の親友がその事実を伝える→
本文引用
「短い返答は、次の瞬間、鋭い閃光のようなものへと、かたちを変えた。目には見えないその閃光は、彼の五感のぜんたいを射し貫いて走り抜けた。そのあとに残った自分は、生まれ変わったような自分だ、と彼は思った。」
この鮮烈なイメージが好き。主人公のなかを駆け抜けていった輝きが目に浮かぶよう。ルーツを持つってのは強いからね。反面、主人公にとっての絵は無自覚にどこかフロータル(地に足が着いていない状態)だったのではないかと思わせる。それがリアライズして(はっきりとした根拠となって)自分を塗り替える瞬間。これぞエウレカ、我解に至れり、そうだったのか! と膝を叩く、ってやつだ。熱いね。


2層=シナリオ

1.見知らぬ、だが向こうは主人公を良く知る、母の親友からの電話。一声目に直感めいたもの。雨。

2.24年後の得心。どこから来たのかわからなかった絵へ向かう気持ち、そのつながりを知る。
3.不可視の母を知る人は、母の一部を内包して目の前に存在する。

4.母の故郷へ。母の親友を描いた筆の中に十八歳の母もいる。たしかにその時、そこにいた。今の自分よりも年下の彼女が。
5.風景画のなかの世界。現実にはあとかたもないその景色。

6.自宅で父にかくかくじかじか。二人は焼肉屋へ。母の、あっけないほど突然の死のエピソード。父には今、恋人がいるが結婚していない。入籍しないのかとたずねる息子に、自分たちのペースでやるからとこたえる、絶対者でなくどこか対等な父。 7.主人公には気になるひとはいないのかとたずねる父。隣の店のバーのホステスがいいなと思った(母の親友を送った際見かけた、かつ、この焼肉屋の隣のバー。因縁めいたものを感じる)息子。じゃあがっつり食べていこう、飲むのはそのバーで飲もうと話す男同士。


3層=世界観、作品の意図、テーマ
・世界観
→日本かつ現代劇であることで「あるある」→「自分もそういう目でまわりを見てみようかな?」という身近感があっていい。本命テーマのスケールが大きいので、この日常感が大事。
・作品の意図
→「大きな時間の中の自我」を実感させる、かな?
・テーマ
→やはり私は親子関係にひかれるのだなー。ルーツの物語。
主人公が自分の絵のルーツを知らなかったことが肝ですな。これはどこから来るんだろう?と不思議に思っていたところに、得心が24年遅れてやって来るのがいい。 そして母からそれを受け継いだ自分はこれからどこへ行き、どこへ消えていくのか。大きな時間を感じる。その中にアタリマエの日常が埋め込まれていて、ある日前触れもなく途切れる不思議。消えた風景のせつなさとあたたかさ。焼肉食いながら父=もはや絶対者でなくひとりの社会人でありひとりの男である彼=としみじみそんな話をする不思議。ふしぎ。じかんのなかでいきるってふしぎ。

●総合
あまりにもなめらかに整えてあり、水のようで逆に「とっかかりを掴みにくかった」が、塔の興味のある「親子関係」「絵」にかかわる部分でピンと来た。タイトルが秀逸。読む前は「メシテロ?」とか思ったのに、読後に印象ががらりと変わる。しれっとした文体のセンスに独自性を感じた。


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