『セナカ』
〈2〉
「…おい」
わずかに動揺したような声をわざと無視し、ルカはうつぶせにその広い褥に身を伏せた。
まだ水滴の残ったなめらかな背中を魔王の前にさらして、横目で振り返りながら、
「…どうぞ?」
と。
(…!)
スタンは息を飲む。
ルカにしては珍しいほどの積極性と、差し出された肌のあまりの美しさと。
そして極め付けは、こちらに向けられた流し目の、えもいわれぬ色っぽさ。
頭がくらりと揺らぎ、鼻の奥がかあっと熱くなり、
「…っ」
魔王はあえいだ。
ベッドのうえの美しい生き物に、本能のまま襲いかかってしまいそうになるのを根性で押しとどめる。
せっかく据え膳の前にいるのだ。がっつきすぎて嫌がられたくはない。
とはいえ興奮しすぎてとっさに言葉が出てこず、スタンは生唾を呑みこんだ。
ごくりと喉の鳴る音を聞いて、ルカは一瞬ふきだしそうになる。
(…わかりやすいなあ)
「お、おいルカ?」
顔をふせて肩を震わせていたら、何か勘違いを招いたらしい。
金縛りにあっていたかのように身動きひとつしなかった魔王は、どたどたとベッドに駆け寄る。
すべらかな肩をつかみ、そこでやっと相手が笑いをこらえているのに気付き、
「なっ…こ、この…子分のくせに主をからかいおってっ…!」
スタンは羞恥に顔を染め、憤然となった。
破廉恥な要求をすることで、子分が真っ赤になって恥ずかしがり、困惑するさまが見たかったというのに。
青年の色香にすっかり翻弄され、惑わされているのは自分のほうだ。
手強くなったな、と内心唸る。やはり同棲2年目ともなるとこういった事態に慣れてきたのだろうか。
しかし、だからといってこの種の行為においての主導権はゆずれない。
自分はこれでも魔王なのだ。性的な意味でも子分を支配してなんぼ。
「…ずいぶん生意気になりおって…。たっぷり後悔させてやるぞコラ」
するどい牙を見せつけるように唸り、声を低めて脅してやると、
ルカはようやく笑いをおさめ、おとなしくなった。
手を顎の前で組み、そこに顔を埋め、ベッドに身をあずける。かすかに頬を染め、ちいさく一息。
「…」
反則だ、とスタンは思う。
さっきまで蝶のようにひらひらとこちらの手をかいくぐり、さんざん振り回してくれたくせに。
急にそんなふうに従順に受け入れられると心臓がおかしくなりそうだ。
まったくただでさえ燃え上がった欲望にどばとばと油をそそぐような真似ばかりしおって。
(思い知らせてやらねばな)
せめてこういうところくらい魔王らしくあらねばと思い、いかにも邪悪な感じでぺろりと舌なめずりをして。
スタンはまず目の前の白い背中をじっくりと見つめた。
背中というものはそもそも起伏がすくなく、特徴的なものもない場所だ。
だから、スタンの目に映るのはただ肌の色、そして、凹凸としてはなだらかな背筋のカーブと逆三角の肩甲骨、
そしてかろうじて肋骨の走る筋がうっすらと伺える程度。
そんな、なにもないと言っていい場所。
それを色っぽいと感じてしまうのは、自分が心底この子に惚れているせいだろうか。
肌の浅くくぼんだところに流れ落ちる透明なしずくと、しっとりと湿った髪が文句無しでしどけない。
スタンは荒くなってしまいそうな息を深呼吸でどうにか落ち着けると。
おもむろに手をのばした。
「っ!」
びくりとする背中にはまだ指一本たりとも触れていない。
すこし伸びた後ろ髪をかき分け、秘されていた白いうなじを晒し、そこに唇を当てただけ。
「ん!…ちょ、そこっ、背中じゃなっ…」
焦った声とともに、ほそい手足がばたつく。
身をよじらせて、こちらを振り向きながら抗議してくるルカを見て、
スタンはしてやったり、とほくそ笑んだ。
相手が背中に来る、と身構えているのだから、わざと外してやったのだ。
「…細かい事を気にするな」
恨めしげな視線にしれっと応えて、今度こそ掌を片側の肩甲骨にのせる。
「…ふ」
温もりが伝わったのか、少し緊張していた青年の背筋がやわらいだ。
「…おまえは黙って、感じていればよい」
言いながら、さらに乗せた手をゆっくり動かしてさするようにしてやれば、
反っていた身体が徐々に伸び、最後にはくたりとシーツのうえに落ちる。
「んん…」
恋人の、リラックスした猫のように弛緩した姿にスタンは思わず笑みをうかべる。
さっきのようにじたばたしているのも可愛らしいが、やはりこの安堵した様子に優るものではない。
なぜならそれは、自分に全てをゆだねきっている証拠だから。
魔王は幸せな思考を頭の中で転がしながら、手を動かし、時折舌で触れてゆく。
鼻孔をくすぐる水の匂い、ほのかに石鹸、そして肌の香り。
ひたひたとした感触が、肩甲骨の輪郭をなぞっていく。
「ん。…ふ、ぅ、んんっ…」
ルカが目をつぶってそれに耐えていると、ふいに舌先でつっと骨の先端にあたる部分を刺激され、
さらに軽く歯を立てられる。
「!っ」
青年の意志とは関係のないところで身が跳ねた。
「こら、じっとしてろ…」
「…んっ、む、無理…だよぉ」
ぴちゃり、と水音を立てて、背骨の凹凸をなぞりながら下りていく感触にぞくぞくと震えながら、
ルカは縋り付くようにぎゅっとシーツを握りしめ、顔を伏せた。
背中にしか触れられていないはずなのに、徐々に身体の奥に熱が溜まりはじめ、
すこしづつすこしずつ理性の箍が外されてゆく。
「あぅ…っ!」
時折、手のひらが脇腹や腰を掠めるたびに、反応してしまうのを止められない。
熱と甘味を帯びた吐息が自然とこぼれてしまう。
「ん、ん、んっ…!あ…ぁっ…」
そんな、すっかり自分の手の内に落ちた青年を見下ろし、魔王は喜悦そのものの表情を浮かべながら、
ちょうど心臓の裏あたり、敏感な部分に唇を触れるか触れないかのところで止めて。
「…どうだ。参ったか?」
意地悪くささやき、ふうっと息を吹き掛けた。
「んんっ!…はあ、う…」
びくん、とひときわ大きく仰け反った後、ぱたりと伏せた状態のままで、
「…降参」
ルカはくぐもった声で敗北をみとめる。
魔王の、よし、と言う声がやたらと嬉しそうに背中に降ってきて、
こういう時に勝ち目がないのをわかっていながらもすこし口惜しく思った。
〈続く〉
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7/24 文章掲載+ページを分割。
エート。つっこみどころを1つ。
絵を先に描いてしまったせいで文章とあってないところがあります。
…「まだ」脱いでないはずなのにハダカですよ。ふたりとも。(汗)
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