第一話〜帰郷〜

 


 稲光じみた月の銀光が瞬く夜のお話でした。

 月に照らされ聳え立つ世界樹の影を上回り、季節外れの暴風を覆すかのような轟音。

 それは悪夢のように、あまりにも突拍子も無く現れた巨大すぎる残影。

 それは夕日のように、あまりにも華奢でそれでいて鮮烈すぎる虚影。

 突然すぎた二つの怪影。その光景は、いつか本の中の、いつか教科書の中で読んだ神話の一場面の如く、現実離れした神々しさで、私の目線を完全に覆いつくしてしまっていた。

 だから、その光景が夢か現か幻かさえも理解に至れないぐらい混乱していて――――いえ、混乱する間もなく、私はその光景に魅入っていた。

 夜だと言うのにその影の二つは、黒くはなかった。いえ、黒と言う色が滲み込む事が出来ないまでに眩い輝きを放って、巨大すぎる影と、それに拮抗出来るほどに歪で如何わしいまでの巨影を構えた、小柄な影は月光に照らされて輝いている。

 巨大な影は銀光を弾き、その姿を目視させてはくれないけれど、その巨大な影に相対していた小さな、巨大すぎる影を構えた小さな影だけは、月の光と、巨大すぎる影の弾く銀の輝きに照らされて、

 まるで、下と上の両方からスポットライトを一身に浴びた、世界に一人の踊り子の様に――――

 

 刹那、銀の髪を靡かせた、黒と赤に染まった女の子。

 場違いなまでに短いスカートと、フリルを大きく巻き上げているその姿は、だけど、いつか夢見た、そんな格好で戦う“魔法少女”のソレとは、あまりにもかけ離れていた光景――――

 

 

 

 

 

 我、魔法少女也。

 鋼の性を貫いて、刺突く刃は楯となる。

 命守りて鋼を散らす。華と散りても憐憫なし、芥に還りて悔恨なし。

 突貫(つらぬく)べきは唯一無二。

 宿命(さだめ)に潰され、運命(きまりごと)に崩され尚、帰結(終末)の時に我、憂否

 月の日の夜。突貫魔法少女が往く――――

 

 ――魔法少女よ、鋼を纏て、鋼を散らせ――

 

 

 一 撃 抹 殺 

 突貫魔法少女―ホライゾン―

 

 CHAPTER:01〜飛来〜

 

 

 音が、聞こえている。

 かたんかたんと断続的、けれども一定のリズムを以って前へ進むその様相は、何故、内でこうして窓の外を眺めているだけなのに、異常とも思えるぐらいにこの擦れ違っていく風景となんと見事なコントラストを奏でているんだろう。

 カバンの中から懐かしの故郷の味に一番近いパンを引っ張り出して、一齧り。

 お世辞にも美味しいとは言えない、でも、懐かしさで胸が一杯になるパンの味を噛み締めて、今一度、短い夏の終わりが近い彼方の故郷を顧みるように、外の風景を眺めていた――――

 それは突然、でもないか。うん、突然でもない。まぁはっきり言っちゃうと突然なんてものは何処にも無い。

 突然って言うのは“突発的に自然的な事象が発生する”事を意味するのよね。

 つまりは事前に何かしらの反応とか情報とかが入ってくればそれは突然なんかじゃなくて、“報告や何かが起こる事をなんとなーく予想していたけど、準備してなかったのでどうしようもなかった”と言うのが正しいわけなのよね。

 つまる処は突然ではなくて不注意。事前処理を怠って事後処理に渡ってしまったと言う事なのね。

 勿論これは誰にだって当て嵌まる。

 だってねぇ、誰だって“明日、誰々が来ますよ”って言われたら“突然”って言うけど、そうやって報告が入った時点で報告は“突然”だけど、その報告の実行は“突然”じゃなくなる訳だ。明日って言ってんだし。

 んで、いざその誰々さんが来て“突然来るなんて〜”とは言っても来ること知ってたんだから対処は幾らだって出来たわけでしょ。それはしなかった人の不注意。即ち事後処理に済ませてしまった人の注意力散漫していたってコト。

 そう言うわけで、私は突然に魔法学校の方へ戻って、こうして今、空港へ向う列車に揺られているのでありました。

 

「お嬢ちゃん、一人旅かい?」

 

 正面に座っていたお婆さんに声をかけられ、にっこりと、心からの笑顔で是を応じる。

 だけど一人旅だと言うのはちょーっと語弊がある。

 一人旅と言うものは何処とも知れず始まりから終わりまで一人っきりで頑張っていく旅の事。

 その旅の中で自分を見つめなおし、多くの人とのお付き合いで自分の何たるかを再認識させるから一人旅。

 言語もルールも異なる地で、頼れるものは自分だけ。けど、決して一人きりで解決しようとするわけじゃなくて、その国で頼れ、頼られる人を作っていくのが一人旅の本質なのワケで。

 でだ、今から私が向う場所には弟分と言うかバカと言うか猪突猛進と言うか。とにかく誰かが情事見張ってなくっちゃいけないような愚図で鈍間なヤツが居るのです。

 そいつの所へ行くのだからこれは一人旅と言うのには語弊がある。これは一人旅ではなく、単純な遠出。弟分を監視しに、と言うか、弟分を見極めに行く修行旅でもあるのだ。

 ソレにあながち一人でもない。一人と一匹。一人一匹連れ出旅なのですよ。

「まぁまぁ、一人で心寂しいだろうねぇ。これでも食べてゆっくり行きなさい…」

 

 お婆さんから紅い果実を手渡され、軽く会釈して一齧り。瑞々しい味わいは口の中に広がると同時に、数日前の苦々しさを思い出させてくれた――――

 

 ――――――

 

「たっだいまー!!」

 

 キャスターの付いた鞄をパンパンにしながら、私は長いように思えて実際はそんなに長くもなかったロンドンでの修行を終えてこうして、元の古巣。つまりはメルディアナ魔法学校へと飛び込んできた。

 もーここに来たときから気分は晴れ晴れ。

 空気は美味しいは、視覚効果に訴えかけるような煩わしい看板もネオンサインもないし、何より静かで、自分の鼓動の音が走っていても聞こえてくるぐらいに静謐とした雰囲気だ。

 私はこの雰囲気が好きだった。

 靴音やざわめきだけの世界は騒がしいとは一切何も感じない。

 ゆーめーな故人曰く、『静寂とは最高の音楽である』って言う言葉はまさに的を得ていると思う。

 静寂の中で聞こえる音はどれも澄み切って聞こえて、全然雑音とか、まぁそんなものとは比べものにならないぐらい良い鈴の音みたいに聞こえるわけでして。

 それが心を研ぎ澄まし、静かな集中力を養わせてくれる。ここが魔法学校だって言うのもなんとなーく解った気がする。

 それはこの環境。声を張り上げればどこまでも反響しそうな静寂と、大気に満ちている魔力濃度の清らかさが皆の魔力を高めてくれるというワケね。

 

「あれ!? いつ帰ったの!!」

 

 懐かしい古巣の友人の一人と擦れ違って、軽く手でけで挨拶を交えて、どんどん奥の方を目指して走っていく。

 勿論、友人といっぱい話したいことはあるし、積もる話もあるんだけど今は誰より先に帰ってきた事を伝えたい人が居るからね。

 

「またあとでねー!! 所業の成果、たっぷり見せてやるからねー!!」

 

 がっ、とガッツポーズをとるのは自信の現れ。うーんひょっとしたらあのバカネギなんかよりも今の私強いんじゃないのかしら。

 ネギは結構規則違反とかして攻撃魔法をたっぷり学んで行ったけど、私はそんな事しないで清く正しい学校生活を送ってきた。

 一先ずは勉強上々、体力まぁまぁ、魔法授業ではバカネギと互角を張っていたんだから。

 にも拘らず、卒業式では主席卒業はネギで、私は次席卒業だったと言うのだからもぉ堪らない。

 規則違反で書庫から勝手に攻撃魔法修得なんて言う暴挙をやっていたくせにその他の魔法についても技術、応用力が優れていると言うのはずるい。

 そんなんだから私は、魔法試験の時、回復魔法以外ではネギに勝てなかったんだ。

 

「あーもうっ!!」

 

 なんか腹立ってきた。ネギにと言うか、かつての自分に腹が立つ。

 どうして勝てなかったからじゃない。勝てなかった理由は判っているって言うか、何となく知ってる。

 ネギの父親は魔法界でもゆーめーな大魔法使いで、今でも伝説として語り継がれている人だ。

 千の魔法を扱って、多くの人々を救ったと言う“千術の覇者”。今でも、その人を目指して“マギステルマギ”を目指す人は少なくない。

 まぁ現にネギってヤツもそれを目指してマギステルを目指したわけなんだけどね。

 ネギはそんな凄い人を父親に持ったもんだからまーた張り切っちゃっているわけだ。

 私達魔法使いがただ漠然と魔法使いを目指す理由ではない。ちゃんとした理由をネギは持ってマギステルって言うものを目指していたんだ。

 かく言う私がマギステルを目指す理由は少々違う。

 多くの人を救ったり、魔法の力で人知れず誰かを救うって言うのは悪いことじゃないけど、正直ガラじゃないと思うのだ。

 魔法でしか出来ないコトだってあるのだから、私は魔法使いで皆に夢を与えられるようなコトをマギステルになったらしたいのだ。

 いや、一般人に魔法使いであることを知られるのは拙い。すっごく拙いことで、一歩間違えるとオコジョにされたり、ひどい時は魂抜かれて別の物に定着させられてしまうと言う重罪さえも存在しているぐらい。

 事実、オコジョにされた人は誰かの魔法使いの腰ぎんちゃくになったり、別のものにされちゃった人は倉庫で永遠時を刻み続けなくちゃいけないなんて事もあったり。

 でも、そんなにも重罪なのはそれぐらい魔法使いが一般社会に与える影響は大きくて、同時に占めるウェイトを知られない為には隠蔽活動を強いらざる得ないのだ。

 それは知っている。魔法使いだって言う事を知られてはいけないのは知っている。

 だからこそ、そのやってはいけない事に挑戦したくなるのが師匠受け売りの“挑戦心と好奇心”と言うのかも。

 要するに、私は一般マギステルとは違って、また違う方向性から皆に何かを与えて上げられるようなそんな仕事、と言うかコトを成し遂げていきたい。

 多くの人が前へ進んでいけるような、そんなありふれた事を魔法の力で後押ししてあげる。それが私の魔法使い。私としての魔法使いのあり方。

 魔法は誰かを救うためではなくて、誰かの背中を軽く押してあげる程度が一番ちょうどいいってこと。

 その為だったらちょーっとぐらいは魔法見られたり、魔法使いだって知られてもしょうがないかなって思うんですよ、私。

 皆の為、誰かの為に役立ってるんなら、別に顔見られても良いだろうし、見られて拙いなら仮面とか顔隠して魔法使いやれば問題ないと思うですよ、私。

 

「まっ、今更私がどう言ったって変わる事でもないか」

 

 軽くステップを踏みつつ、花弁の舞う長い長い廊下を進んでいく。

 ずーっと昔から取り決められていた事に今更口出しするつもりなんて毛頭ない。

 私達は私達で今を頑張り、今を担う魔法使いになっていくのみ。昔のコトは昔のコトで流しちゃうのが一番。

 そう思うと、小さく駆けていた足がますます速まる。

 深く悩むのは後回しにして、今は久々の帰郷を大切にして、先ずはネカネおねえちゃんに報告しないとね。

 柱が立ち並び、正午の日の光がそれでも余す事無く差し込んでくる中。

 長い長い、何時かの旅立ちの場所が、私の修行の終わりと、旅立ちの始まりを告げる場所になった――――

 

 

 

「たっだいまー!!」

「あ、アーニャちゃん!?」

 

 シスターの格好をしたネカネおねえちゃんが振り向き様に驚いたかのような声を張り上げる。

 でもまぁそれもしょうがない事かもね。

 だって、マギステルになる為の修行って言うのは魔法学校卒業から普通は一年とか二年とか長め長めで見られるのが常。私みたいに一年も経たずに切り上げて帰ってくる子はかーなり少ない。

 まぁ帰ってくるとすればそれは修行の失敗か、もしくは、そう私のように優秀な魔法使い候補だけってワケなの。

 まぁ、優秀だからって私みたいに早く修行が終わる人って言うのはかーなり少ない。

 向こうで良い師か誰かに出会えて、師事を受ける事が出来ればまぁ辛うじて半年程度で並みのマギステル以上の魔力と技能は詰められる訳でして。

 あとの経験と言う名の絶対的なスキルは、本当にもう実際マギステルとして最前線で活躍している人同様に実体験で経験値を貯えていくしかない。

 そういう事で、私はロンドンで占い師兼魔法使い見習いとして修行してきたわけだけども。

 この度、向こうのお偉いさんが私の修行の成果を見たところ、あっさりOK。マギステル・マギとしての資格を出しても良いと、トントン拍子で話が進んで、あれよあれよと言う間にここへ帰って来たと言うわけ。

 ……が、どうにもネカネおねえちゃんの眼差しが痛い。いや、あれは痛いって言うか哀れむって言うか。

 

「あ、アーニャちゃん…修行…その…」

「うん!! ばっちり!!」

 

 精一杯明るく言った筈なのに、どう言う訳かネカネおねえちゃんはぼぅっと窓の外を眺め出してしまう。

 そうしているネカネおねえちゃんは本当に美人。

 お昼下がりの日の光を金の髪の毛が弾いて、何だか部屋の中までキラキラしているんじゃないのかなって気分に、いつもはさせてくれる。

 そう、いつもは、今まではそうやって見惚れて、大抵はネギの乱入とかでその荘厳な風景が台無しにされてはバカネギを罵ったり頬を引っ張ったりして苛めていたわけ。

 が、今はどの卒業生の子も修行中だし、学校だって今は授業時間中だから数人の生徒とすれ違う事はあっても、今日ここにバカネギのようにこのネカネおねえちゃんの荘厳の風景を邪魔する奴はだーれも居ないわけだ。が、残念ながら、本日は私がその風景に水を差さなくちゃいけないみたい――――

 

「えーとっネカネおねえちゃん?」

「…大丈夫よ、アーニャちゃん。“立派な魔法使い”になる修行は厳しいけれど、まだまだチャンスはあるわ」

 

 やや涙目、と言うか嗚咽混じりの声でそう告げるネカネおねえちゃんだけど。

 ああ、そうか。そういう事ね。

 つまりはこう言う事。ネカネおねえちゃんは私が修行に失敗して戻ってきて、

 

「さっ、今日は久々の故郷なんだから。今日だけは本当のお姉ちゃんみたいに思いきり甘えていいのよ」

 

 私が、無理して笑顔してたりテンション高くしていたりと思っているわけですか――――

 

 

 

「ふぅ」

「ご、ごめんなさいね。アーニャちゃん、私ったら早とちりしちゃって」

 

 やや頬を赤らめたネカネおねえちゃんの入れてくれた紅茶を軽く啜る。

 程よい苦味と、僅かな酸味はネカネおねえちゃんにしか出す事が出来ない上品な味わいです。

 これを飲みに帰ってきただけでもこの帰郷は十分価値のあるものとあいなったわけね。

 暖かい木漏れ日の差すテラスでのアフタヌーンティーほど心地よいものはないってわけ。

 ましてやそれが昔っから変わらない味わいの紅茶だって言うのならこれほどいい気分に慣れる瞬間は他には絶対に味わえないって断言できる。

 

「はい、クッキーも焼いてみたの。誤解のお礼にどうぞ」

「わー! ネカネおねえちゃんまた腕を上げたんだね。ど〜れも美味しそう〜」

 

 お菓子作りもネカネおねえちゃんの18番。

 はっきり言うけど、ネカネおねえちゃんの作るお菓子の味は、町で売っている一袋1.6ポンドで売っている味なしクッキーとは比べものにならない味わい。

 いや、比べることさえもおこがましいって言うもんね。

 何しろネカネおねえちゃんのクッキーは正真正銘の手作りで、値段なんてつけられないぐらいのこの世でたった一品の名品なんだから。

 

「はむっ」

 

 コゲの無い綺麗な狐色。

 甘さ控えめ、けれども、胸のうちがほっとするようなさくさくした歯ごたえ。

 これにアフタヌーンティーを一緒に味わえる私ってば、きっと今この故郷で一番の幸せ者ね。

 椅子に深く腰掛け、両目を閉じる。

 視覚と言う最大の情報供給源を断っても、私の周囲に渦巻く穏やかで心地良い気配が変わるコトはありえない。

 私の故郷であるこの場所は、世界に誇っても良いぐらいの、でもあんまり沢山の人には教えたくはない小さな小さな理想郷だもの。

 自然と人の調和。ありのままの世界は広く、健やかで、物静かで、時に荒々しく、厳しく、それでも大きく全てを包み込める世界なのだ。

 それを直に感じ取る事が出来る場所なんて言うのは、今の時代では本当に少ない。

 自然破壊や環境汚染。

 新しいものが生まれてきたり、作られたりするのは一向に構わない。

 人間と言う生き物が持つ本能的な能力は間違えなく生み出す行為だもの。

 歌を書き、絵を画き、心に残るものを沢山沢山残していくのがやっぱり人間って言う生き物の本質じゃないかなと思っている。

 けれど、その一方で人間とはどうしようもなく救いようが無い生き物だと感じてしまうこともある。

 新しい物は何も輝かしいものばかりじゃない。他のものを犠牲にしてしまう、犠牲しか生まないで何も残さないものさえ人間は作ってしまう。

 武器や殺し合いの道具や技術。生み出されたものは何かを壊すだけに特化した、私としてはなんともいけ好かない、いや、多くの生き物は受け付けないであろうものばかり。

 自然環境は蝕まれている。

 その原因を作っているのは間違えなく人間の作ったモノだ。

 人間そのものが悪いわけじゃない。でも、人間はソレを解っていても繰り返そうとする。

 そんなんだから竜巻は起こるわ、地震で島一つは沈みかけるわ、台風の連続異常発生するわ。もう地球じゃなくってもカンカンになるっていうものよね。

 でも、そこで思考を一端切り落とす。

 私にはあんまり関係の無い事だ。

 起きてしまった事、自然と言う人知、そうそれこそ魔法の力でもどうすることもできない事は確実に存在しているのは、魔法学校時代に耳にホントたこができるぐらい聞かされてきた。

 魔法使いが出来るコトは、他の誰かを助けようとする人達のソレとあまりに変わらない。

 困っている人を助けて、傷ついた人を癒す。壊れたものを直して、でも、戻ってこないものの為に祈りを捧げる。そんなところかな。

 でもそれで十分なんじゃないかな。

 特別な力を持っているからと言って、それをこれ見よがしに乱用するのはフェアじゃない。

 持っているなら使うべきときに使うだけで良し。出すぎた真似は自分の首を絞める破目になるのです。

 

「? アーニャちゃん…ちょっと大人っぽくなったかしら」

「えー!? ネカネおねえちゃんそれは酷いよー。私はずぅっと前から大人っぽいのっ!!」

 

 そう、あのバカネギなんかとは違って、ちゃーんと昔っから節度も理も法則だって理解している。情緒ある大人の女性。それが私、マギステルマギ、アーニャなんだから。

 それからどれほどのお話をしたのかは、実のところあんまりよく覚えてなかったりする。

 積もる話ばかりだったような気もしたし、あ、でも実際は向こうであんまり苦労とかはなかったから、本当に他愛も無いことばかり話してしまっていた気がする。

 で、一段落着いたところでもう一回深く、より深く椅子へ腰かけて両の瞳を閉じ、風を感じた後に思いっきり体を伸ばしてみる。

 

「―――――あーいい気分っ!!」

 

 程よい味わいの紅茶にサクサクのクッキー。加えて空気は穏やかで、時折頬を撫でる風の肌触りはまるで長旅してきた私を労わるように。

 でもまぁ、そんな和やかで穏やかな時間と言うものはいともあっさり過ぎ去っていってしまうわけでありまして――――

 

「アーニャ君が帰っていると言う話を聞いたのじゃが」

「こ、校長先生!! ご、ごめんなさい!! 先報を打っておいたのに先にネカネお姉ちゃんの方へ来てしまってっ」

 

 突然、まさに突然に私の背後に現れた白髭が荘厳な雰囲気を醸し出してくれているこの人。

 何を隠そうこの人が私や他の皆が卒業したメルディアナ魔法学校の校長先生その人。

 卒業試験を終えたら校長先生に一報いれなきゃいけないのが原則なんだけれど。まぁ、いかに優秀な人間でもミスってものは必ず存在するってことね。

 

「いや、畏まる必要はない、が少々気が流行りすぎなのは誉められぬな。一報いれているのだ、来てくれねばこちらも心配してしまう」

「は、はいっ」

 

 この時ばかりは私も緊張した面持ちにならざるえない。

 校長先生だって、こうして学校の校長先生をやってはいても、現役のマギステルに匹敵するぐらいの魔力を誇る魔法使いなんだから。

 まだまだ駆け出しマギステルになったばっかりの私じゃ到底及ばない程、強大な魔力に満ち溢れた人なのよ。

 

「いやいや、そう畏まる必要は無いと言っておろうに。じゃがアーニャ君。修行ご苦労であった。

 他の誰よりも早く、それでいて優秀かつ有意義な経験をしてきたのは君の体から溢れる魔力と、その顔を見れば解る。

 アーニャ君、卒業試験ご苦労じゃった」

 

 その言葉に、胸のうちにあったものが、今度こそ本当に解き放たれたような気分になる。

 卒業の終了。立派な魔法使いを目指していた日々から、立派な魔法使いになったと言う新しい事実。

 誰もが目指し、魔法界に生まれた子なら誰もがその頂点に目指す、一つの役割。

 その地点に一歩近づけたと言うだけでも大躍進。

 そう、立派な魔法使いと言う役割は決して辿り着けない地平線の向こう側の存在なんかじゃない。

 私やネギなんかでも十分に辿り着ける、目指して走り続ければ、絶対にたどり着く事が出来る、その地平線の上の存在。

 

「はいっ!! アーニャ、これからもますますの精進を以って“立派な魔法使い”目指していきます!!」

 

 びしり、と卒業式でさえも取る事の無かったぐらい整った直立姿勢で、大袈裟に頭を下げる。いや、これは大袈裟なんてものじゃなくて、私本心からの一礼。

 立派な魔法使いに近づけたと言う事実。

 それに、ちょっとだけその地点へと目指して走り続けている皆よりも前へ出れたことが、不謹慎だけれど、僅かな優越感を感じさせてくれている。

 

「しかしのぉ、まさかここまで早く修行を終えるとは思っておらなんだ」

 

 校長先生の言う事も尤もと言うのは知っている。まぁこれは私が優秀なコトと、良い師匠さまから向こうで師事してもらえたってコトも相成ったからこそ叶った事ね。

 だからちょーっといい気になって、いわなくてもいい事を言ってしまうのは、やっぱり、私がまだまだ若くて、やり取りと言うものに慣れていないせいもあるっていうのかな――――

 

「なんなら私、まだ修行をしている子達の所へ行って修行進行の中間報告者となりましょうか?」

 

 ふふん、と鼻を鳴らして笑ったのが悪かったのか、それとも、心の中で一瞬だけ浮かんだネギの顔を思い返したら、急に様子を知りたくなって表情に陰りが刺したのに気付かれちゃったのかは解らない。

 あ、ちなみに“中間報告者”って言うのは普通は正規の魔法使いの人が、それぞれ、修行中の魔法使い見習いのところへ行って、それまでの自分の修行の成果などを発表するって言う役割のこと。

 正規の魔法使いの人が送られてくる時期は殆ど不定期で、一種の抜き打ちテストみたいな事をやらされる、とだけ私は聞いている。

 どーして聞いているだけかって言うと、私はその中間試験を受ける前に全行程を終えてそれまでの成果を魔法学校へ送って承認を受けちゃったもんだから、試験内容とかどんな人が来る予定だったのかとかは全然解らないってワケ。

 まぁ実際私ならどんな中間試験を受けたって余裕でクリアするぐらいの自信は備わっているし、条件にもよるけれど私の魔法力なら全然大丈夫だって断言したっても構わないぐらいだもの。

 …でもこの後、すぐ私は増長は貧乏籤の前引きだと言う事に気付く破目になる。だって、ねぇ。

 

「うむ。では今期で最も早くマギステルマギへ近づいた君への最初の任として――――ネギ・スプリングフィールド君の修行進行状況の査察にでも行ってもらうとするかの」

「「――――――はっ?」」

 

 ネカネおねえちゃんと私の声が重なる。

 タイミングに始まり、発音、思い浮かんだ言葉まで一緒なんて、これは喜んでいい事なのか、それとも驚くべき事なのかも解らないけれど。

 でも一つだけ解っている事があるのよね・いや、あるって言うか今校長先生から鼻頭に突きつけられたんだけども。

 

「これほど早く立派な魔法使いとしての修行を終えると言う事は真に優秀であろう?

 ならば、栄えある今期卒業生の内で最も早く立派な魔法使いとして確立した者として、今尚立派な魔法使い目指して修行中の者達を励ますと言うのも一興ではないかのぉ」

 

 あっさり言ってはのけちゃってるけれど、それがどんだけの例外かなんて思案するまでも無いぐらいの例外、と言うかこれはもう存外と言うよりも校長先生の大盤振る舞いとしか言いようがない。

 

「そ、そんなっ! アーニャちゃんは今日修行を終えて帰郷したばかりなのですよ!? それなのにいきなりこんな…!!」

 

 ネカネおねえちゃんの狼狽も尤もだし、当然私だって校長先生の提案には吃驚仰天もしてる。

 けれど、この程度で吃驚仰天して口も何も出来なくなるようなんじゃあ、駆け出しマギステルとは言えど情けないわよね。

 

「――――解りました!! アーニャ、メルディアナ魔法学校校長先生の御命を在り難く頂戴し、これより東方の地で修行中のネギ・スプリングフィールドの中間報告者として出立いたします!!」

「あ、アーニャちゃん!?」

「大丈夫よネカネおねえちゃん。私はネギみたいにとろくて頼りなくないのはネカネおねえちゃんだって知ってるでしょ?

 それに駆け出しマギステルの最初の仕事としては可もなく不可もなくの一仕事。

 まっかせておいて! ネギのヤツがばっちりマギステルになれるようにこってり絞ってきてやるんだから!!」

 

 引きとめようとするネカネおねえちゃんの手を掻い潜って、一路に私の家を目指して走り出す。

 先ずお母さんに伝えて、その後旅立ちの準備をして、ええっと、ああ、あの子、私の使い魔のレッケルも連れて行かなくちゃ。

 本当にやらなくちゃいけない事が一気に増えた。

 でも、それを苦痛だとか煩わしいだとかは全然感じないのはとても不思議な、でも感じるわけなんてないってちゃーんと解っていたりもする。

 

「よぉっし!! 待っていなさいよ〜〜ネギ〜〜〜!!」

 

 久しぶりの帰郷に胸躍らせるわけでもなく、帰って来てそうそうに言い渡された任務の方に心躍らせる私は、正直者と言うかやっぱり面倒見たがりのよう。

 ああ、前々から気付いてはいたけど、やっぱり私は常に“何か”をしてなくっちゃ気がすまない性分みたい。

 だから、誰かの面倒を見たり焼いたりする事も苦じゃないし、こうして言い渡された魔法使いとしての役割にも嫌悪感なんて全然、むしろ高揚感すら沸いてくるんだから、これはもう決定的よね。

 優しく風が吹き込む長く続く廊下を駆けて、新しい任務に胸躍らせながら私は一路、懐かしの、けれど直に飛び立たねばならない我が家への家路を急いだ――――

 

 ―――――

 

「レッケル!!」

「ふぶわぁ!?」

 

 ドアを勢いよく開くと同時に、部屋の中から素っ頓狂な声が上がる。あ、でも素っ頓狂って言い方はちと古いから、やっぱり可愛げな悲鳴と言うのに訂正ね。

 我が家のマイルームの部屋の位置は二階のちょっと突き出した場所にある。

 西側にも東側にも窓があるものだから、火なんか焚かずたってかーなり暖かい空気に満ち溢れ、陽光がベッドや机の上の魔道書などを淡く染め上げてくれている。

 んで、今の可愛げな悲鳴を上げた奴はどこかなって言いますと――――

 

「あ、アーニャさん〜毎回言っているのですけれども自分の部屋でもドアを思いっきり開いて私を吹き飛ばすのは正直どうなのかとも思うのですです〜〜」

 

 するすると私の足を伝って耳元まで上ってくる白い蛇。

 この子が私の使い魔、ロンドンで修行中、ぐーぜん公園で出会って、水の関係深い蛇の精霊だと知りそのまま私の使い魔にしてあげたのだ。

 元々水系の魔力関係との相性はあんまりよろしくない私だけれど、治癒の魔法って言うのは少なからず水の魔力系統に通ずるところが在ると言うのが、魔法学校と師の教え。

 人の体、生き物の体の大半は水で構築されていると言う。確か人間で60%、海月は、あ、海月は別にどうでもいいか。

 兎も角、生き物の体がそうやって大半水で構築されている以上、治癒の魔法はその体内水分の調節とかも行わなくちゃいけない。その方面で水系統の魔力精通は必要なの。

 んが、かく言う私の属性は水属性との相性が極めて悪い。

 そんなんで治癒魔法に長けていると言うのだからこれは極めて効率が悪いことなのよね。

 事実、魔法学校での治癒魔法授業でトップを取り続けられていた時も、私は結構時間をかけて治癒の魔法を成功させている。

 他の人から見れば上手く慎重にやっていたように見えて、実際は時間をかけて魔力を通しただけで、治癒自体はすんなーり終わっていたんだけど。

 そんな私が治癒をよりよく効率よく成功させる為には、水系統に精通した精霊の助けか、魔術品の補助があればもっと上手くいくと師は言っていたっけ。

 その精霊が、この子、レッケルなの。

 私が学校へ報告へ行っている間部屋で待っていてもらったのだけれど成る程、どうにも熱かったから為るだけ風通りの言いドア前に居たわけですか。

 でも水の精霊なら、体温調節ぐらいはお手の物かとも思ってたんだけど。

 

「何言ってるの。ここは私の部屋だから私が何をどうしようが勝手でしょ?

 そもそもレッケルがドアのまん前に陣取っているから私だっていちいち確認なんかしてられないの。寝たいんだったらベッドに潜っていれば良いじゃないの」

「ベッドの中はこの時期熱いですです〜それにアーニャさんのお部屋は西日も東日も取り込んでしまって低温動物である私には辛いのですです〜〜」

 

 まぁ、言っていることも尤もかもね。

 白蛇で人語が解せる精霊でも、水の精霊と言う事は極めて熱さや炎に対しての耐性は低いってコトに他ならない。

 でも、そのお蔭でもあって今の私の治癒魔法の魔力通しは目を見張るぐらいバージョンアップした。

 蛇って言うのはどっかの国じゃ水の守り神って言われているけど、私の国でだってそれは間違えじゃない。

 遠い昔から蛇は水を司る大いなる生き物なの。

 その姿を継いだ蛇は、水の精霊として言うなら一番高位に属している精霊。いや、ああして出会えた事はなにかと偶然とかじゃなくて、結構必然なのかもしれない。

 兎も角、小言は言うけど、この子は私にとってはかけがえの無いパートナー。

 こういったやり取りだって、出会った直後ならまだしも最近ではそんなに珍しい事でもなくなってしまった。

 

「はいはい。それはともかく、レッケル。旅立ちの準備よ!」

 

 コートをベッドの上に投げ捨てて、それどころか着ていたものもどんどん脱いでいく。

 見ている人は誰もいないわけだし、見ていても使い魔のレッケルだけなワケだし。

 そもそもこんなつるぺたな体系見て喜ぶようなやつには容赦無用の一撃を食らわせてやるだけだけど。

 

「あ、アーニャさん〜〜帰ってきたばかりなのに今度はどちらへ行くのですです〜〜??」

 

 真新しいシャツに袖を通して、床にいるレッケルの小言に耳を澄ます。

 が、こうは聞いていてもこの子は何となく私がコレから何処へ行くのかなんて理解している筈。私の使い魔はそうそう鈍な子じゃないんだから。

 

「決まってるでしょ? 新たなるマギステルとして重要な使命よ!!」

 

 そう、その通り。

 今までの私は修行中の身で誰かから何かを学ばなくちゃいけない立場だったけれど、正式に校長先生からマギステルとして認められたからには、いつまでも故郷に留まりっぱなしとはいかない。

 新しいマギステルと言う事は、私は新しい私として新しい任務に就かなくちゃいけない。

 だから、同じ場所には留まらず、新しい世界へ向けて旅たっていくんだから。

 そう、全てが初めて付くしときたもんですよ。でも、それは心地良い緊張感と、旅立ちと言う名の成長のきっかけを与えてくれるとてもとても楽しいこと。

 旅立ちは成長のきっかけ。世界の大きさを知り、己の小ささを知れ。子の教えよね。やっぱ年長者の言う事は貫禄あるわ。

 

「ふぅ…解りましたですです〜レッケルも準備するですです〜〜」

 

 特には問わず、レッケルも私のベッドの下へと潜っていく。

 あそこがあの子の縄張りって言うか、乙女空間だ。

 ベッドの下って言うと年頃の男の子はいかがわしいものを潜めていそうなイメージだけれど、乙女空間にはそんないかがわしいものは存在しないの。

 乙女空間に入り込めるのは乙女だけ。つまり、乙女空間が構築される場所は乙女だけしか入り込めない場所のみ。つまりは私の部屋って事。

 て言うか、レッケルは女の子なのよ。

 

「さ〜って、綺麗にもなって、腕前も上げた私の実力を見たときのネギの驚愕した表情が目に浮かぶわ〜〜」

 

 あ、綺麗になった私を見てもネギはあんまり驚かないか。うん。

 そう、私がネギを驚かせたいのは純粋に魔法の面でだけ。魔法力の違いってものを見せ付けて、一刻も早くネギにも立派な魔法使いとしての自覚を持ってもらう事が、私の中間報告者としての役割。

 真新しい服装に身を包み、大きめの鞄には、魔法使いとしての必需品を沢山詰めて愛用の魔道書を小脇に抱える。

 魔法の発動媒体って言うのは人それぞれで、杖で魔法を発動させる人もいれば、こうやって魔力の多く籠った魔道書を媒体にする魔法使いって言うのも、実はあんまり珍しくないの。

 まぁ相性さえ合えば、結局魔法使いの魔法媒体っているのは何でも良いワケなんだけど。

 にしても、私専用の魔杖は相変わらず長い。私の身長の1,5倍はある。コレ背負っては、やっぱ飛行機は乗れないわよね。

 

「っと…これはちょっと重かったかも…」

 

 大き目の鞄を背負って僅かによたるぐらいなのは、これから向うべき場所は見ず知らずの遠い地なのだから、どうにも心配性の性が前に出てしまっているみたい。

 

「私も準備が整いましたですです〜〜」

 

 ベッドの下からするすると出てきて、私の肩まで昇ってきたレッケルの首周りには、白い風呂敷、と言うかなんか小さめの布が巻かれて、その後ろがぽこっと膨れてる。

 まぁ蛇でも女の子なのだから、身だしなみやお化粧用の何かを持っていくのは何となく解るけどね。でも、一つだけ疑問があるのは、問うべきか問わざるべきなのかね。

 その、白風呂敷、どやって巻いたのよ――――

 

 

 軽いステップで階段を下りつつ、お母さんには気付かれないように玄関を目指していく。いや、この光景傍から見たらかなり異様だわ。

 階段の陰に隠れ、お台所で作業中のお母さんの目線を確認。

 右よーし、左よーしで玄関から外へと駆け出していく。

 まぁ、置手紙置いておいたわけだから別に平気よね。うん、いきなり家を飛び出したりするのもこれが初めてってワケでもないし。

 子供って言うのは昔っから何処でもいいから色んなところに行きたがる。

 ネギと一緒だったときもそうだったけど、ワケわかんないトコロに迷い込んだ事もあるぐらい、子供の頃って言うは様々な場所へ迷い込む性質を持っているのだ。

 そう言うわけで、私やネギも色々な場所へ行っては大人にはよく怒られたりしていたもんでして。

 まぁそれも今となってはいい思い出よね。ひょっとしたら、まだネギは色んなところへ言っては誰かに叱られたりしているんでしょうけど。

 そんな詰まらなくも、けれど思い出すと妙に楽しい思い出を振り返りつつ、背には大きめの荷物を、腕には大きな手提げ鞄下げ、まだ太陽が昇っている中で再びメルディアナの魔法学校を目指す。

 でも、コレひょっとしたらロンドン出立の時より荷物量多いんじゃないのかしら。

 いやいや、備え在れば憂否。

 今から向う土地、日本って国は私からしてみれば未知もいいところの国だ。そんな場所へ何の下準備も無しに行くって言うのは私の性分には反するわけよ。

 ならせめて十分な準備を重ねて予測不可能な事態に備えるって言うのがマギステルの役目じゃなかって思うわけよ、私は。

 まっ、ネギとかはきっと今でも前準備が足りなくてひーひー泣いたりしているのが目に浮かぶわ。

 アイツほんとにバカでとろいから前準備なんて言う単語そのものが脳から除外されているに違いないわ。

 

「アーニャさん〜お母様へ言わなくても宜しかったんですか〜お母様喜んでいらしてましたのに〜」

「いいのよっ、お母さんったら私が帰ってくるや否やパーティだって張り切っちゃってまぁ。帰って来て数日経っているって言うのにいい加減毎日パーティじゃ胃も凭れるの」

 

 レッケルの言うとおり、私が無事修行を終えてここに帰って来た時のお母さんの喜びようといったら、それはもうありえないってぐらいだった。

 危うく窒息するぐらい抱きしめられるのはまだ良かった。いや良くはないんだけど。

 ともあれ、帰って来た日にお帰りなさいのパーティで、次の日は修行終了おめでとうのパーティ、とどめに今日のはアーニャちゃんマギステル昇進お祝いパーティだって、ホント、なによソレって感じ。

 毎日毎日お母さんの喜ぶ顔が見れたコトは別にして、生憎胃の中に詰められる量は決められている。

 私アーニャはあんまり背も大きくはないし、外見はまるっきり子供だけど、あ、先に言っておくけど見かけで判断する奴は嫌いなのであしからず。私は外見は子供でも内はバッチリ大人なのよ。

 まぁ、それでも見た目が子供である以上、お母さんの目から見ても十分私は子供なワケで。

 お母さんの作ってくれる美味しい料理を全部食べきるのは流石に酷なのよね。

 でも、お母さんの悲しむ顔は見たくないし、何より食べたくても食べられない人達が一杯いる世の中で、出された料理を食べきらないなんて言う罰当たりが居ていいわけが無い。

 結局私は毎回毎回出された料理は全部食べきって、お母さんが寝静まれば外出して食べた分の魔力変換分を放出しなくちゃいけないって事。

 だってそうもしなくちゃ、私だって女の子なのだから、太ってしまったら、それはもう絶望的って言うか。

 ともかく、これ以上お母さんの喜びには付き合えないといいますか、可愛い子ほど旅をさせよと言う諺もあるんだから、いい加減お母さんにも子離れして欲しいものよ、ホント。

 

「でもお母様のお料理は本当に美味しかったですです〜〜お離れするのは心苦しいともうしますますが〜〜」

「ならレッケルだけ残ってれば? 私は一人でも大丈夫だけどね」

 

 そんなぁ〜と言う悲鳴を無視し、暖かい陽だまりの中を遠く歩いていく。

 

 ――――

 

 どれぐらい歩いただろう。

 距離にしたら、本当に数百メートル、一キロに満ちるにはあともうちょっと歩かなくちゃいけない距離で、私は一度振り返って、青色の草原の中、数件佇む家々の中の、私の家を見つめていた。

 ……平気。悲しいわけじゃない。

 こうやって離れていくのはもう何度もあったことだもの。

 ガキんちょだった頃には、何度も何度も遠くを目指して走って、こうして何度だって離れていく、遠くまで来てしまったとか感じさせる距離を眺めては、自分の家へと帰っていき、お母さんに叩かれた後ちゃんと抱きしめられていた。

 そう、決して悲しいとか、今生の別れの感じさせるようなわけじゃない。

 ロンドンに遠征へ行くってお母さんに伝えた後、見送りはいらないって突っぱねたのも、この風景が好きだったから。

 遠くにある一軒の家。

 風が騒げば草花を巻き上げて、そこに栄える、私が育ってきた小さな村。

 その風景が、私は何処の、どんな風景よりも大好きだった。

 他の国のどんな場所でも見れない、私のいるこの場所でしか見えないこの風景だけが、私をいつだって後押しして、いつだって引き戻してくれていた。

 

「…アーニャさん?」

 

 風を頬に受け、レッケルの冷たい体温も気にならないぐらいの日を浴びて――――

 今にも涙してしまいそうなぐらいの、相変わらず離れていくときにいつだって感じ続けてきた空虚に耐える。

 苦しくはない。

 ロンドンへ旅立った時だってこの空虚さは感じていた。ううん、自分がロンドンへ飛び立つ時だけじゃなかった。

 私が比較的この故郷から近いロンドンへ旅立ったのは、他の卒業生の皆が旅立ってからの後、一番最後の旅立ちだった。

 それまでは、仲の良かった卒業生の皆の旅立ちは、一人も見過ごす筈もなく、必ず見送っていってあげていた。

 まぁ、同じ時期の卒業生なんだから、それぐらいはしなくちゃ同期卒業生の中でも一際大人びていた私としての面子が立たなかったからって事もあるんだけど。

 その度に感じていた空虚さがあった。

 二度と会えないわけじゃない。暫くは、親も故郷も離れて見知らぬ地で一人、もしくは新たな人達と共に新しい自分を見つけていくんだから、不安も心配も一入だったからだとは思っていたけれど。

 でも、それに空虚を感じていたわけじゃない。

 空虚さの正体は、感じていた胸の裡の喪失感は、今までの日々と、仲の良かった皆が、少しずつ、元居た筈のこの場所から少しずつ離れていくんだなって言うのが、痛いほど感じ取れてしまったから。

 一人一人が目指していく場所は違う。それはまるで、何処へ行っても必ず存在する地平線の向こう側を夢想するような曖昧さ。

 遠い昔、多くの人があの水平線と地平線の向こう側に何かを、自分たちでは判別もつかない何かを夢想してきたように。

 私達だって、今も、未来と言う名の地平線の向こう側に立つ日を夢見ながらも、確かな実感を持てずに、前をふらつきながら歩いて行っている。

 辿り着ける日が来るのはきっと遠い未来のお話なのだと判っていても、それでも向かっていくのは、それが確実ではないから。

 だからここから離れていくんだろう。

 ここに居ては、地平線の向こう側を夢見るコトは出来ても、向こう側を見たり、向こう側に立つことなんて叶わないから、皆、ここに居た皆は少しずつ、ここから離れていくんだろうって事を、ずっとずっと、確かな時間で感じ取れていたんだもの。

 

「アーニャさん?」

 

 吹く風が、濡れそぼっていた目蓋を包む。

 今にも泣き出しそうな空虚さに耐えて、何時かは離れて、ここではないどこかで生きて、死んでいく事が悲しい事だとは思わないように、しっかりと向き直る。

 進むべき先は長く、まだ、ここで立ち止まっていい訳じゃないのなら、私はずっと進んでいく道を選ぼう。

 

「行きましょ。さぁ、今日からまた忙しいわよ〜」

 

 涙を拭う素振りも見せず、目に溜まった涙は風に舞って、ビー球のように輝き消えていった。それはソレで構わないことで、やっぱり私もまだまだ子供なんだって気付いて。

 えいえいおーと片手を思い切りよく振り上げて、その空虚に変わらないさよならを告げよう――――

 

 

第二話〜出立〜 


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