第二十話〜逢引〜


帽子のつばをくいっと上げて、お天道様を見上げてみる。
やや東に傾いている大きな太陽。まだ頂点までは登りきっていないので、それほどあっつくはない。
さてと、足元に立てられた木の棒を見てみる。
影が指す方向から算出して、唯今時刻は10時半ごろと推定。なるほど、つまり私は約束の時間まであと30分は待ちぼうけと言うわけだ。
いや、別に文句を言っているわけじゃない。
早く来るのは約束した側としての最低限のポリシーと言うもの。
それに早起きとかも慣れたものだから、別に早く来て待っている分には苦心はない。待たされるのも待ちわびるのも嫌いではないからね。

「みゅっ、にしたってアーニャさん、今日は何時もと違う感じがするですですっ」

レッケルの声が妙に明るい。
胸元からしたのは声だけで、そこにレッケルは姿を見せてはいない。
伊達に休みじゃないのかしらね。人通りが多いので、迂闊に姿を見せて噂話されるのも億劫なワケ。
そうなると、声だけで姿を見せない方がなにかとやりやすいと言う事だ。
で、なんでレッケルの声が明るいのかといいますと、それはやっぱり私の格好を見てでしょう。
デートするとは言ったものの、私は今回の来日に対してそんな娯楽用の服なんて持ってきていない。
ある服といえば、あの紫紺のマントの予備数着に加えて同じ服が五,六着と言った程度。
別に私はそれで出て行っても構わないとも思ったんだけれど、レッケルがそれが許さなかったのだ。
最近色でも付いてきたのか、レッケルは明朝嶺峰さん宅で目覚めた私に対し、そんなのはダメダメですですぅー、なんて蛇のくせに吼えて、嶺峰さんに服の見繕いをお願いしたのだ。
で、嶺峰さんが選出した数着の服をお借りして一旦帰宅。テントの中でお着替えと言う事になったんだけど、その用意されていた服がなんとも。
なんと言うか、綺麗は綺麗で、背丈格好も丁度良い大きさなんだけれど、なんて言うのかな、私の雰囲気とは表裏逆なわけだ。
普段は紫紺のマントに中は真紅の上下、んでもって動き易いように短いスカートなんだけれど、嶺峰さんの貸してくれた服装はまったくそれの真逆。
長めのスカートに、色は淡目。まさに嶺峰さんのような人が着るのが一番似合う、深窓の令嬢御用達の服の数々。
相当悩んだわよ。でも正直どの服も私の雰囲気とは真逆の一品だ。どう考えたって似合わないものだから、仕方ないからマントなしで何時もの格好で行こうとも思ったら、レッケルがそれじゃあダメですですー、とか叫んで行かせてくれない。
そんな睨み合いが朝っぱらから続いて、打開策なしと早々に切り上げたのが、結局私だったわけ。
妥協したとか言わないように。私だって不本意だったんだからね。長いスカートなんて慣れてないもん。
仕方無しに選んだのが、今のこの格好だ。
恥ずかしくはないわよ。ええ、恥ずかしくなんてないものさ。
慣れればいいわけよ、様は慣れ。
そんな事を引きつった顔で考えてみる。勿論、それを胸元から見上げているであろうレッケルの明るい含み笑いを聞きつつ、そう考えて自分を押し留める。
真っ白い肩掛けカバン。
つばの長い白の円形帽子。
上着は肩が大きく膨らんだ、袖なしのフリル満載スリーブ。襟周りにまでフリル付だから、似合わない事この上ないでしょうね。
で、スカートなんだけど、これがまた見繕っただけあってベストマッチ、と言うか、私から見ればミスマッチ。ちょっとふわっと膨らんだシルクのロングスカートなのだ。
そんな真っ白い、目立ちに目立つだろう格好で待っているものだから、視線が痛いということはないにせよ、流石に私も恥ずかしいわけですよ。
顔が赤らんでいないのは日々の鍛錬の賜物。きっと嶺峰さんにほめられれば真っ赤になるでしょうけど。

「みゅっ、アーニャさん、とっても似合っているですです。すごく新鮮ですです〜」

そりゃ新鮮でしょうとも。
生まれて十年ちょっと、私はこんな格好した事もない。
着る服と言えば、お母さんの黒っぽい御下がりとかだったから、こんな真っ白い外行き用の服に袖を通したのは今回が初。それも初デートで、初もの尽くし。おめでたいったりゃありゃしないわね、ホント。
ふっと自嘲気味に目を閉じ、口端だけ笑ってみる。
深窓の令嬢みたいな格好で魔女の笑み。
旗から見て相当不釣合いなものだとは思うけれど、幸い帽子のお陰で口元しか見えない筈。まぁ、ソレはソレで相当怪しい事この上ないんですけどね。

「アーニャ様っ」

呼び声に顔を上げた。正確には、顔は正面を向いていたから帽子をくいっと持ち上げたと言うのが正しい。
なお、この帽子は嶺峰さんが日差しが強かったときの為に、と言って授けてくれたものだ。幸い日はあんまり強くはなかったからダイジョウブだったけどね。
ととっ、と駆け寄ってくる私と似たような姿の女の人。
純白のノースリーブのワンピースに、真っ白い、私と同じの円形帽子。
まるでペアルックのような格好で駆け寄ってくる嶺峰さん。
多分、今この状況を見ている人がいたなら、それはしまいの待ち合わせとかに見られすでしょうね。

「お待たせしてしまいました。遅れて申し訳ありません、この様に誰かと外出する事など今まで一度もありませんでしたので...少々着替えに手間取ってしまいましたわ。お許しを」

そっけなく答えるも、実は結構嬉しく、楽しい。
だって待ち合わせの時間まで本当なら後30分以上もある。それなのに遅れて申し訳ない、なんて言うのは余分な事だ。
それなのにしっかり答える嶺峰さんの真面目さに微笑み、それなら大丈夫かなとも想って微笑んだ。

「平気よ、嶺峰さん。待ち合わせの時間までまだ充分余裕があるじゃないの。遅れて申し訳ないって謝るならこっちなんか早く来て申し訳ないって感じよ。今日はそんなのは無し無し。お互い楽しみましょ?」

嶺峰さんとしっかり顔をあわせようと帽子を取って、リボンで纏めていない髪がふわりと風に乗ったのを感じる。
嶺峰さんは笑顔。私の言葉に良くしたのか、それとも、私の格好を見て微笑んでいるのかは解らないけど、気恥ずかしくも悪くはないと思う。

「はいっ。あの、それでアーニャ様、今日は一体どちらまで?」
「此処に移動遊園地が来たって話、知ってる?前情報で仕入れたんだけどさ。なんか此処の生徒さん方も何かしらで参加しているらしいの。それ、行って見ましょ」
「みゅーん、お祭りは好きですです〜、みゅぎゅ」

思わず大きな声を出したレッケルを胸元へ入れたまま片手で制す。
ソレと同時に上がる花火。前情報といっても、実はこの情報、本当に前情報。待っている最中にでも見知らぬ誰かさんが話していたのを聞き耳立てて盗み聞きしたものなのだ。
本当ならカフェとかぐるぐる回ってのんびーり過ごす程度え済ます予定だったけど、そんな楽しい事が起きるというのなら利用しない手はないってね。
手を握る。身長差が相当あるから、甘えん坊な妹とも思われちゃうかもしれないけれど、そうはいかない。
嶺峰さんの右手を握り締め、静かに駆け出す。
日差しは高く、けれど、優しくも仄かに涼しい風が頬と握った手の間をすり抜けていく。
今日はきっと楽しくなる。そんな確信があった。
何故って、だって、もう二度とこんな風にははしゃげない。
私は魔法使いとしての役割を果たさなくちゃいけないから、はしゃいで、魔法使いじゃなくて、アーニャ=トランシルヴァニアとして明るく振舞えるのはきっと今日だけだからと言う確信もあるから。
だから、今日は楽しくないわけは絶対無い。
だって、今日だけというのなら、その今日に全力を尽くさないわけはないんだから。
きっと楽しい。忘れられないほどに、忘れてしまうのが、悲しいぐらいに。

 

案内書きを見やりつつ、人ごみと言うほどではなくとも、ヒトの波の中を掻き分けていく。
流石はニッポン、行列大好きの国。
右往左往を見やれば、アトラクションと言いますか、遊具の前には人だかり。
家族連れだったり、友達付き合いだったり、色々な関係が渦巻く中を、魔法使いと魔法少女が歩いているなんて、知っている人はきっと極数人でしょうね。
あえて誰も知らないとは言わないのは、その可能性も割り切れないからなのです。
さて、と立ち止まって右往左往。
案内書きを嶺峰さんと二人で見る。尤も、嶺峰さんは背丈が高いから腰をかがめて、やや猫背になって覗き込むようにしてくる。
その顔があんまりにも近いものだから、ちょっとドギマギ。落ち着きなさいよ、私。

「で、嶺峰さん何か乗りたいのある?」

とは言うも、移動遊園地なのでそんなに大げさな乗り物とかはない。
ジェットコースターはないし、回るカップもありはしません。
精々ビックリハウスやお化け屋敷、メリーゴーランドとか小さな空中ブランコ程度なものだ。
中にはサーカステントとかもあるんだけど、残念ながら時間が合わない。
勿論行こうとは思っているけど、開幕時間に合わせるには、何かして待ってなくっちゃいけないのだ。
でもその中で異彩を放つのが、何でかある巨大な観覧車。一際大きく、分解しなくちゃ移動遊園地としちゃダメでしょってぐらいの大きさのソレがあるのだ。
勿論そんなのだから人は多い。多分、この移動遊園地では一番のメインとなるものなんでしょうね。
まっ、老夫婦でもないんだからアレに乗る事はないでしょ。
まだまだ若い二人組。可愛い女の子同士、乙女チックにメリーゴーランドからでもと言おうとした時の事だったかな。
きゅううう、とレッケルみたいな、でもどこか可愛らしいと言うような鳴き声が聞こえたのは。
はて、と周囲を見渡してみる。立ち止まっている人も居なければ、私たちの方を見ている人も居ない。
魔力系の探査力を使って背後も確認するけど、やっぱりそんな節は感じられない。
さてはと思い胸元をちょっと開いてレッケルを見るも、不思議そうな顔で見上げてくるだけだ。
はて、何時ものレッケルならば何か言ってくるものだけど、こう言う表情をするということはレッケルじゃないのかな。そんな風に思考をめぐらせて、ちらと、背後を見る。
何だか嶺峰さんの様子がおかしい。
口元を隠すように片手が添えられ、その真紅の目はどうにも困った様相を見せている。
その様子はあんまり見た事がない。困った表情と言うもの自体、見た事はないのだけど、こう言う反応はある意味で初めてだ。
何か厭な事でもされたのかとも考える。
人ごみはおかしな輩が多いとも聞くのだ。人ごみに乗じて嶺峰さんへ如何わしい真似をしたヤツがいないとも言えない。
もしそうなら、私が黙っちゃいないわけですよ。火砲の射手をぶっ放してでも謝罪させてやるわよ。

「あの、アーニャ様」

その声に振り返って、もう一回、きゅううう、と可愛らしい音が鳴った。目の前の、丁度私が見下ろす程度の高さから。
嶺峰さんの顔が仄かに、本当に仄かに赤い。
ああ、つまりはそう言うことねと、苦笑しながら納得してみた。
つまりは、お腹の音だ。お腹が減ったぞーという表示。
他の生き物はどうかは知らないけど、人間だったら誰でも一生に一回ぐらいは鳴らす空腹反応。

「嶺峰さん、朝ごはん食べたの?」
「いえっ。その、言い難いことなのですが、アーニャ様と外出すると聞き及んでいたので、朝から何を着て行こうものか迷っておりました。
迷いに迷い、結局は何時もと差ほども変わらぬこの様な容姿で来てしまったのですが、その、朝食を頂く事、失念しておりましたわ。申し訳ありません」

嶺峰さんがぺこりと軽く頭を下げたのと同時。きゅううう、ともう一回鳴ったお腹の音。まるでお腹まで嶺峰さんと一緒に謝っている、そんな音だった。
その状況は私しか確認していない。
お腹の音は直ぐ近くに居る私にしか聞こえないような小さな音だったし、結構ざわついているから周辺の人の耳に入る前にかき消されてしまったんでしょうね。ソレはソレで助かるんだけど。
そんな様相を、苦笑しながら見つめている私。いや、別にお腹がなった事に苦笑しているわけじゃないのよ。考えている事が以外にも一致してしまったからの苦笑い。
つまりは、私も何かを食べたいなーなんて事を企み、もといは思考していたということなのよね。
だって、よくよく考えてみれば私だって今日は朝食を頂いていないわけですよ。朝にお別れして、とっとと自分の城に帰ったわけですから。
でも何より、お互いに今日のデートに上ずっていたらしいと言う事実。上ずっていたが故、朝食を食べる事さえも頭に浮かばなかったと言う事実に苦笑だわね。

「えっと、じゃあ、何か食べる?あんまりいっぱい食べちゃうと動けなくなっちゃうから、適度に」
「はい。申し訳ありません。そうして頂くと、その、嬉しいですわ」

帽子で顔の半分を隠して、けど顔が赤らんでいるのがよっく解る困った表情の嶺峰さんは可愛い。普通に。私が霞んでしまうほどに可愛い。
私は別にいいけれどね。この雰囲気ばっかりはどうしようもないかもしれないけど、まぁ大きな一歩といえば大きな一歩。
だって、嶺峰さんは今までこうやって話したことも、一緒に誰かと出かけた事もないと言った。それなら、こうして一緒に居れるだけで大分違うと思うのだ。
そう考えて、あははと微笑んだ瞬間。ぐるるるっ、と獣の唸り声のような私のお腹の虫が唸った。

 

お腹ぐうぐう。空腹姉妹のお通りですよ。
いやね、嶺峰さんの方は五歩に一回きゅううと鳴く程度なんだけど、私の方がどう言う不始末か、ぎゅるるなんて飢えた狼の低い唸り声にも似た腹の音しかしやがられない。
この差は何なのかと考えるよりも先に、まるでモーゼの十戒の如く私を避けていく人の群れが気に食わない。
原因はきっと、この腹の虫と、完全に座っているだろう私の目であろうと思うわけですよ。
さっきから食事場を求めつつ彷徨い歩いているわけですが、これがどうした事か、会場内に食事所がまったく以って見当たらない。
いや、軽食、ポップコーンとかフランクフルトとかの出店は在るわよ。でもね、私達はお互いに立ち食いなんて似合わない優雅な出で立ちなのよ。
嶺峰さんはそれでも構わないとか言いそうだけど、私はそうはいかせられない。
それなりの格好をしているのだもの、それなりの場所とは言わなくても、せめて座って落ち着ける食事所が良いのだけど。
っと、視線の端に路面電車が止まっているのが見える。
ただの路面電車じゃない。周辺には程よい程度で人が集まり、楽しそうな笑い声も聞こえている。
ソレと同時に香るのが、独特の香辛料の香り。欧州方面ではあまり嗅がないその匂いを、どこか私は知っている。
いや、知っていると言えばきっと、ここに居る人たち全員が一度は嗅いだ事のある香りでしょうね。

「...点心かぁ...どうする?」
「私(わたくし)は構いませんわ。でも、正直に仰りますと初めてですわ。点心と言うのを食べるのは」

それはこっちも初めてだったりするわけですよ。
実際、私は食事に対してはあんまり関心がない。作るのもそうだけど、とりあえずお腹の中へ収められれば蟲の丸焼きでも食べてもいいと思っている。
お腹の中に入って、活動源になってくれるものに文句は言いませんってトコね。
それは兎も角として、さっき言ったとおり、あんまりお腹がいっぱいにならない程度で食べると言うのなら、ここは丁度良いかもしれない。
幸いお財布の中身も今日はちょっと多めに持ってきていますし、いや、明日からはちょっと押さえ気味で生活していかなくちゃいけないって言うのが心苦しいと申しますか。
でも、私のお腹はもう限界で、嶺峰さんのお腹の音もちょっと断続的になりつつある。即ち、お互いにそろそろお腹の皮と背骨がくっつくぐらい、と言う事だ。
しかし上手い喩えだわね。お腹と背中がくっつくぞ。これほどお腹が空いているのだと簡潔に認識させるお言葉も珍しい。日本語って、実はちょっとすごい。
一先ずそれはどうでも良し。今は自分らのお腹の中身を満たすのが一番であります。
実は胸元のレッケルもみゅーみゅー唸っている。
さっきからの腹の虫、ひょっとしたらレッケルが出しているんじゃないのかってぐらいの唸りようだけど、結局は私が何も食べていないって言う事は、レッケルも何も食べていないと言う事ですからそりゃ唸らずにはいられないかもね。
よしっと勢いづいて路面電車のお店へ。
一際強くなる美味しそうな香りに、私の腹の虫が今世紀最大級で鳴り響いた。


「ええっと」

エメラルドグリーンの、なんか不思議な耳飾をつけた、見覚えがあるようなないような人から受け取ったメニューを睨んでむむっと唸る。
本当は何でも良い。お腹に入れば何でも同じだとはよく言ったもの。
問題は、そのお腹にたどり着く間にある味覚と言う名のハードルだけど、これを乗り越える為には、やっぱり味が決め手となる。
で、メニューの方だけど、どれがどういいのかが解らない。
肉まんとかは解るわよ、皮包みのアレでしょ。でもね、ここまで来たって言うのに、そう言うので済ますのもどうにもと言った感じだ。
折角二人そろって外行き用の服に袖を通しているんだもの。そりゃ、それっぽくは振舞いたくないわけがないと言うもの。
ん、どうやら私、言っているほどこの服のこと嫌いじゃないみたいね。
まぁ滅多にない行楽用の服だし。何より、今日はアーニャ=トランシルヴァニアなんだもの。ちょっとは乙女らしく、と言う事なのかもね。

「嶺峰さんは、どうするの?」
「私(わたくし)はアーニャ様のお決めになられたものであれば」

それは、ちょっと困る。
食事所へ言ったときに困る発言は幾つもあるけど、嶺峰さんの言葉も結構困る。
私が知りえる限りで困る発言ベスト3は、"お任せします""何でもいいよ""好きにして"の三つだと思うのだ。
嶺峰さんの発言は三番目のソレに近い。
これは困った。困るには困るんだけど、嶺峰さんらしいかなとも思う。
彼女にとって是は他者なのだ。誰かを是とする事が彼女の特性なんでしょうね。
だから、彼女は私が何を選んで運ばれてきても、きっとそれを良しとするでしょうね。文句はなく、一言の言い分もなく。
そう言うところが嶺峰さんの良い所であり、悪いところでもあると思う。
自分の意思を持っているのは解る。でも、あの独特の雰囲気で人が自分に近寄れないを理解出来ない嶺峰さんは、少しでも近づいてもらえるようにと思って自分を蔑ろにしがちなんだ。
だから何時だって自分の意見は奥へ奥へ、誰かの意見を前に前にとしてしまいがち。
悪い事じゃないかもしれないけど、良い事ともいえない。もう少し自分の意思を前面に持ってくれれば言う事ないんだけど。
とは言うけれど、ここで嶺峰さんに譲っちゃあきっと話が進展しない。押し問答になっちゃって、きっとメニューを持ってきてくれたこのエメラルドグリーン髪の人も困っちゃう。
目立つような事は避けなくちゃいけないから、なるべく問題の起こらないように日々過ごしていくのが大事なのよね。

「それじゃあ、ここで一番安くて人気のあるのを軽めに持ってきてもらうわね。あ、二人分」
「かしこまりました」

エメラルドグリーンの髪の人が礼儀正しく頭を下げ、メニューを持って去っていく。
......はて後姿を見れば見るほどどこぞで見たような既視感を覚えるのだけど、私の内側が必死こいて忘れてしまえ忘れてしまえって言ってる。
そんなに悪い記憶なのかなとも考えたけど、思い出すなといっているなら思い出さないほうが良い。
忘れていた方が、と言うか、封じ込めていた方が良い記憶と言うものはあるものだ。
思い出して気分が滅入るなんて事になったら、折角のデートなのに嫌な気分になっちゃうもんね。
さて、と肩の力を抜いたところで、はたと気付き、背中に冷や汗が走った。
まずっ、私、こうやって待っているときとかが一番辛いんだ。行動している時や、一人で何かを考えているときは別段気にもならないくせに、こうやって人と二人っきりだと口下手になるわけなのだ。
風に黒髪をなびかせながら、優しく小さくこっちみ見つめて微笑む嶺峰さんに対し、私といえば、やや目線を逸らして周辺を見やるのみ。
ああ、もう。何でもっと対人関係ってものを鍛えておかなかったのかしら。
いやいや、対人関係を鍛えたところで、きっと嶺峰さんにの前では役に立たない。
彼女との会話と言うのは普通の人とお話するのと大きく違うのだ。したがって会話ができない事は悪い事じゃなくってって何を言っているのかしら。

「あの、嶺峰さん?」
「はい、何で御座いましょうか。アーニャ様」

タイミングのずれは少なかった。私が言えば、嶺峰さんは即答にも近い形で私の声に反応する。
その態度は、どちらかと言えば、機械的とも言える。
正確無比。でも彼女は機械じゃない。人間、普通とは遠く離れた場所に立ってはいるかもしれないけど、普通の人間なのよね。
それを間違えてはいけない。そう、私だけではなく、私以外の人間もそれを間違えてはいけない。
彼女は人間なの、どれだけ周辺を霞ませる、今も、きっと私の気配を薄めているだろう気配を放っていると自覚できる。それでも彼女は人間なの。
そんな彼女と対等に付き合えるであろう普通の人は、どんな人が居るだろう。
自己意識の強い人や弱い人はダメだと思う。自分を存在感で自分として証明したい人では嶺峰さんと一緒にいる事はきっと出来ない。
彼女の存在感と言うものはソレほどに濃い。コーヒーにミルクを流し込むと言うのに近いかな。いや、それよりももっと濃い。
人の存在感を絵の具にして考えてみればいい。
どんな絵の具にも色がある。人、生き物である以上、真っ白い絵の具を持つ生き物はありえない。
彼女は白じゃない、黒だ。だからどんな色も飲み込まれる。それが、彼女の存在感と言うものだと思う。
嶺峰さんは微笑みながらこちらを見ている。
応じて、しかし思考回路の接続は断ち切らずに笑顔で応じる。
彼女が何を考えているのかを気になるのかと問われて、気にはならないと答えればきっとそれは嘘になる。
私は彼女の事をもっとよく知りたいと思っているし、そうでなくては、彼女を他の皆と一緒に居させてあげるなんて事は出来ないと考えるから。
彼女が他の人と一緒に、何の隔たりもなく、普通の学生として生活していくと言うのなら、私は彼女の事をもっともっと知らなくてはいけない。それが、彼女と他の人との隔たりを解く鍵にもなると思う。

「ハイ!お待ちどうネ!超包子特製小龍包と期間限定スープ二名様ネ〜」

考えが纏まるよりも先に、纏めようとしたわけではなく、勝手に自分なりの結論を勝手に考えて出そうとして口に出そうとしていただけなのだけれど、それより先に目の前にいい香りの中華点心が並び、そっちの方へ意識が無理矢理に引き戻される。
髪を両サイドシニヨンで纏めた中華風の格好の人の手で目の前に運ばれてきた料理の数々。
安めで人気がある、とは言ったつもりだったけれど、運ばれてきたものを見る限りではどうにも安そうには見えない。
小龍包と言う包みが三つずつに、淡い肌色にも近く、透明にも近いスープ二つが、私と嶺峰さんの前に。

「本当は私のところで一番安く人気があるのは超包子特製小龍包セットだけど今日はオーナーの日ごろお客様に良くしてもらてるお礼にスープ付ネ。
勿論御代はセット分だけで結構ヨ。今日はコレを食べて精力つけて楽しんでもらいたいネ!」

これからもご贔屓にネ、と言う商売人の文句をつけて、中華人は笑顔で去っていった。
思いやり、と言う発言に裏があるとは思えない。現に置かれた料金書にはセット分と思われる金額しか提示されていない。さっき見たメニューに載っていた人気のセットと同じ値段。
だと言うのならば、このスープは紛れもなく彼女の心遣いと言うものだろう。
それらをありがたく頂くとして、嶺峰さんと顔を見合し、お互いに両手を合わせて一礼。
頂きますと、少々遅い朝食兼昼食に箸をつけていく。


「アーニャ様」
「ん?何?」

食事中に会話するのはマナー違反とよく言う。
もしそれがこの場でも当てはまると言うのなら、この場合は声を出した嶺峰さんが咎められるべきなのか、それとも、ソレに応じた私も共犯として扱われるのかどうかを思考した。
けど、こう言う場での食事にマナーと言うのは逆に無作法とも言える。
この様な場での食事とは即ち紳士淑女の会合の場ではなく、一般生活における交流の場である節の方が強い。
会合、あるいは会食と言うのなら不必要な発言は避けるべきかもしれない。だけど、今のこの場ではそれは必要ないでしょう。ここは交流の場なのだから。
スープを掬っていたレンゲをスープ皿に置いて、声をかけてきた嶺峰さんの方をしっかりと見る。
そうして嶺峰さんの右手が私の頬に添えられたのに気が付いた。
でも頬が感じる感触は温かくも人肌の温かさではないぬくもり。
頬に当たるのは布の感触。退いていくお絞りを持った嶺峰さんの手を見て、ほっぺたに付いていたであろう汚れを落とされた事に気が付いた。

「ん、有難う」
「いいえ、華美なお顔が汚れてしまいますのは耐えられませんでしたので。お食事の手を滞らせてしまい、申し訳ありません」

手を置き、しっかりとこちらを、しかし何時ものように細められた眼差しで見つめたまま微笑む嶺峰さん。
私が食べ始めなきゃきっとずっとこのままであろうと判断するから、こっちもにこりと微笑んだ後でまたレンゲを持ち上げて食を進めていく。それに応じて、嶺峰さんも同じように食事を再開する。
レンゲを進めながらも、頭の片隅では考えを張り巡らせていた。
彼女は、嶺峰さんは今、私の頬を拭う為だけに声をかけたわけじゃない。
もし、純粋に拭うだけだと言うのならそもしっかりとソレを発言として口に出す。
彼女は別の用事で私を呼んだ。その結果、私の頬の汚れを見つけて拭っただけに過ぎない。本来は別の目的があったのだろう。
それは口に出す真似はしなかった。
しない方が良いと思った。
彼女は彼女の意思で話しかけてきてくれたのだ。それならもう一度話しかけてきてくれるまで待つのも悪くはない。
それに、私が促すような事を口にしては、もしそれが嶺峰さんにとって話すに話せない事柄であったら言いよどんで会話がそこで停止してしまう可能性も考慮できない。
従って、待つ。彼女の方からもう一度口に出てくるのを静かに待つ事とする。
時折胸元を軽く突付いて顔だけ出すレッケルに食事を与えながら、待つ。
けれども、結局は口が開く事はなく、けれど、物静かながらも時折頬を拭われるなんて言う、姉と妹のような食事は過ぎていった。

 

食事を終えてその場から去るときも、どうにも私と嶺峰さんはお互いに会話を続ける事はなかった。
時折お互いに声を出すものの、お互いに言いよどんだりする事はなく、共に即答。
名前を呼ばれれば、何、と応ずるのだけれど、その後は続かない。
それで何かなと思い、お互いに顔を見合わせるのだけど結局はお互いに微笑みあってそれで終わり。先は続かない。
何を話したいのか、どうしたいのか、何を会話の種にすればいいのかで模索しているような状況だとも思う。彼女も私も。
さっき私は嶺峰さんに声をかけた、結局そのあと纏めた考えを口にするよりも先に店員さんが来てしまって口にする事は出来なかったけれど、何かを口にしようとしていたのは間違えない。
私は、嶺峰さんに対して、何かを告げようとしていたのは間違えのない事で、嶺峰さんも、その話の続きを気になってさっきから私の名前を呼んでいるんじゃないかなとも考えている。
でも、それは予測の範囲内を出ない。
本当は違うかもしれない。かも知れないばかりと言うけど、本当にそうだ。かもしれないばかり。
だから、お互いに会話へ繋げていく事が出来ない。相手が何を考えているのかが解らないんだ。
私は私自身、他の人から見ればかなりわかりやすい性格をしているとも思うのだけれど、実際、人の思考や感情を他人が理解して上げられるというのは難しい。
それを模索しあって、結局、私も、きっと嶺峰さんも言い出せないでいる。そう考えてる。
そのまま黙りっぱなしで進んでいく。
言うべき事もなく、語るべき事も、触れ合うべき事すらなく進むだけ。
折角楽しい一日にしようと思っていたのに、これじゃあ何時もと変わりない。
私が精々何時もとは違う格好で、私が立っている場所とは見当違いもいいところを歩いているようなものだ。
楽しくないわけではない。
一緒に居れば居るで、それなりに嶺峰さんは楽しんでいる、ようにも見える。
彼女からしてみれば、こうして一緒に居るだけでも充分なんだろう。
楽しくすると誓ったのだから、楽しくしなければいけない。
けど、その明確な楽しませ方が解らない。ああ、よく考えてみると、私はこう言う事にはてんで慣れてなんていなかった。
よくよく考えてみると、楽しんで何かをやる、なんて事を私は考えた事がなかったんだ。
楽しさなんて私は求めてはいなかった。
何時だって自分に与えられて、自分にできる事を自分なりにこなしてきた。
物心付いたときから魔法使いになると決まっていた以上、物心付いたときには既に何かを楽しんでやると言うのは忘れていたと思う。
だから、何かを楽しんでいたと言うのなら、それはきっと、もう思い出の中でしか思い出せない、物心付く前の幼心の頃だけ。
悲しさとかは湧き上がっては来ない。寧ろ、湧き上がらせない。
気持ちが沈んでは、彼女に察せられてしまう。
そうなったら悲しい顔をするだろうし、それじゃあ楽しくもなくなっちゃう。だから勤めて、彼女の横に並び、時折見上げては笑いかけている。
彼女はソレに応じてくれる。お互いに笑いあいながら進む姿は他の人から見るとどう写るでしょうね。
ああ、でもきっと私の姿は映っていない。周辺の目線が向くのは、常に私の傍らの彼女だもの。
私は隣に居るだけ。それだけで、私の気配も存在も、彼女によって掻き消されるだけのお話。
それはあまり苦ではない。彼女のことは前々から知っているから、自分が横に居ても、誰一人私になんて気を割かないであろう事は知っている事だ。
問題なのは、彼女は気を割かれるだけで、誰一人彼女に対してコンタクトのようなものをとる人間がいないということだけ―――

「アーニャ様、あそこをご覧下さい」

はっと意識が戻ってきた。
立ち止まり、嶺峰さんが指す先を見ると、サーカステントの前で褐色の肌をした女の人、いや、まだ女の子と言うぐらいの人が、ピエロのメイクで軽業を披露している。
中空へスティックを五本放ると同時にバック転し、丁度降りたと同時に落下してきたスティック五本を両手で掴んで再びジャグリングをするの繰り返し。
いつの間にか近づいて、その様相を見ていた。
隣に顔を上げれば、にこやかに微笑みながらその様相をしっかりと見つめ、でも時折、初めて見たものを喜ぶ少女のような笑顔になって、拍手をする嶺峰さん。
楽しんでもらえたのなら、嬉しかった。
私が楽しくしたわけじゃないけど、こうやって楽しんでいる姿を見ているだけで連れてきた甲斐があるというものだもの。
普段の彼女と比べて見ると、何とはなく違って見える。
普段の彼女は、どうにも余裕がないようにも見える。
どんな風に余裕が無いのかといわれると、どんな具合に余裕がないのかは解らない。
だけど、あえて言うのなら、自分へ対する余裕のなさが窺える。
誰かを是とする余りに、自分で何かの感情を露にしたりするような余裕がない、そんな風にも見える。
だから、こうして笑っていてくれると嬉しい。
いつか彼女は私に言った。私には笑っていて欲しい、と。
私も同じ。嶺峰湖華と言う女(ひと)は、笑顔が一番にあっていると思うのだ。
多くの人に向けられる笑顔。それに拒絶する人も多いけど、それでも、彼女の笑顔は狂気の様な笑顔だとしても、そうであっても、彼女にはやっぱり、笑顔が一番似合っているんだから。
手芸を披露していたピエロの子が帽子を取り出す。
手品師ご用達、黒一色で統一されたシルクハットの帽子。
その帽子をピエロの人が二,三度さっきまでのジャグリングで使っていたスティックで叩く。
それだけの行為を終えたと同時に、盛大な、クラッカーが鳴るような音と共に色とりどりの花と、数匹の鳥が空に高く栄える。
周辺から上がる感嘆の声。
魔法使いの私から見るとさほど驚くような事でもないんだけど、周辺の人たちに合わせて素直に拍手を送る。
と、空を行っていた鳥の数匹が踵を返したかのようにこっちへと舞い戻ってくる。
真っ青な空に舞う、真っ白い鳥の群れ。私と嶺峰さんの真上で一回上昇気流に乗るかのように回ると、そのまま翼を羽ばたかせながら嶺峰さんの周辺をホバリングのように戯れる。

「あ、ふふっ。アーニャ様っ」

鳥を引き連れるように嶺峰さんが数歩駆け、仄かな笑顔を見せているピエロさんの前に。
太陽の光が、真っ白い姿の嶺峰さんと鳥たちを一層栄えたてさせる。
周辺の人たちも見入っているのか、不思議と声がない。
周辺の目を集めるように、白い鳥たちを引き連れるように、嶺峰さんがくるり、と舞うように回る。
周辺の人が笑っていた。幸せそうに、晴れ晴れとして笑っている。
ああ、こういうのが彼女には似合っているんだと確信できる。彼女はこうやっているのが一番だって思える。
何が間違えであんな雰囲気を発する人になってしまったのか。
何が間違えで、普通の人として歩める筈の道が閉ざされてしまったのか。
それを考える。理不尽で仕方なく、でも、その理不尽さがあってこそ彼女なのだとも思う。
嶺峰さんの周辺を舞っていた鳥たちがピエロさんの元に帰っていく。
嶺峰さんの周辺で飛んでいたときも相当人馴れしている様だったけれど、ピエロさんの元に返るとますます人馴れしているようにも見える。
けれど、ピエロさんの元に戻った鳥たち、あれは人馴れしていると言うよりはピエロさん馴れ、ピエロさんの意思に従うようにも見えた。

「.....................」

嶺峰さんの前まで歩いてきたピエロさんがその手に華を手渡す。
小さな微笑。心から浮かべられるであろう笑顔のピエロさんからその華を一輪受け取って、嶺峰さんもにこやかに笑っていた。
その光景を、どこか遠い場所から遠方の、霞むほど遠方から眺めているような気分になっていた。
でも、それは当然だとも言える。
ここは気持ちの良い日向。
私たち魔法使いが行くのは、日向も夕暮れも関係のない、一般人では立ち入る事の許されない地平線の向こう側。
それなら、そうなのかも。
地平線の向こうから日向を眺めても、決して日向人になれるわけじゃない。
眺めるだけならただかもしれないけれど、それは思い馳せるだけで、どうにもならない。

「アーニャ様、お花を頂いてしまいました」

ピエロさんから貰った一輪の花を真っ黒い髪に挿して、嶺峰さんが微笑みながら戻ってくる。
誰かから何かをもらった事がないのか、その笑顔は赤らんで、時折しきりに髪に留められた華を気にして、その花弁に触れる度に赤ら顔をして微笑むの繰り返し。

「うん、似合ってる」

それは似合っていたから、そう言った。
できる事なら、いつまでもそう微笑んで欲しい。
二度と私がその笑顔を見れなくなる日は近くとも、もう二度と会う事がない、会ってもお互いに擦れ違うだけの日々が近いとしても、そう思った。それが、私に出来る唯一だったから。
ピエロさんに拍手が響く中、二人で人ごみの中を行く。傍らの女(ひと)の笑顔を見ながら。僅かながらの幸せをかみ締めるように。

第十九話〜浴槽〜 / 第二十一話〜二人〜


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