第二十四話〜証明〜

第二十四話〜証明〜


生きているから不幸を感じられる。生きているから絶望を味わえる。
 生きていくのなら、この不幸さえ愛せる。

 

 「神楽坂明日菜か?」

 聞き覚えの在る声に疑問を懐きつつ、神楽坂明日菜は振り返った。月並みではあるが、そうするのが正しいと判断したのだろう。
 振り返れば、学園都市から真っ直ぐに伸びる図書館島へ続く橋は紅く染まっている。
オレンジに近い赤。その赤に良く栄えた、小柄ながらも厚顔不適な顔立ちの少女とエメラルドグリーンの無表情の少女が、神楽坂明日菜の背後から声をかけたのだ。

「エヴァちゃん。珍しいわね、図書館島に用事があるなんて」
「私とて本を読む事はある。と言うよりも私はここに縛り付けられているのだ。
本を読む、ゲームをやる、新刊の品定め以外でやる事などないわ。
それに、珍しいのはこっちの台詞だ、神楽坂明日菜。お前こそ図書館島へ何の用事だ? 至らぬ頭で本など読んでも理解できる知識などあるまい。いや、それとも、その知識を得る為に来たのか?」
「言うわねぇ。生憎だけど用事があるのは図書館島じゃなくて夕映ちゃんの方よ。ちょっと聞きたい事があったから」

 苦笑しながらも神楽坂明日菜はエヴァンジェリン、絡繰茶々丸と共に図書館島を目指した。
エヴァンジェリンの言い草に反論しなかったのは、まったくの事実だったからである。
神楽坂明日菜はお世辞にも頭が良い部類には属さない。低脳と呼ばれても、怒り心頭はしても反論は出来ないのだ。
暫くはその傾向も改善には向かっていたとは言え、最近では何かと忙しかった所為か、また元に戻りつつあるのも事実だ。
 だが神楽坂明日菜にとって、それは今考える事ではなかった。
今彼女が気になっている事はたった一つ。
妙見の菩薩。機能得限止からそう告げられた神楽坂明日菜は、それだけが気になった。
彼女は仏門になど関心はない。そも、宗教にも関心はないだろう。
だからこそ気になった。機能得限止と言う人間。彼は神楽坂明日菜が知り得る三年間の間で不謹慎な行動も、不可解な発言も取ったことはない。
だからこそ、神楽坂明日菜は、機能得限止と呼ばれる男の言葉には何か意味があると思ったのだ。
 そうして図書館島へ。
仏門になど興味も関心もない神楽坂明日菜は単独で妙見の菩薩、などを調べる知識はない。知識はないが、知識の在る友人は知っていた。
綾瀬夕映。修学旅行の際に知った。彼女は神社仏閣仏像に幅広い知識を備えていると。
だが、その事を聞くより前に、綾瀬夕映は図書館島に部活で行ってしまった。神楽坂明日菜が図書館島へ、向かっているのは、つまりはそう言うことだ。だが、その前に。

「エヴァちゃん、妙見の菩薩って知っている?」
「あん? 私が仏門に詳しい人間に見えるのか? 知るわけ無いだろう。知っていても、精々キリスト教が関の山だ」

 でしょうね、と軽く告げ、三者は図書館島正面入り口から、その内へと食われていった。


 深く、暗い虚のような空間だった。
否、どちらかと言えば井戸か。明かりは用意されてはいるが、蛍火程度の明かりでしかない。
神楽坂明日菜らの足元を辛うじて照らす明かり。彼女はくん、と鼻をならす。
本の匂いだ。初めて図書館島に入った時の事を思い出す。
紙の乾いた、しかし、どこか木々の香を感じさせる匂い。
元々本の紙は木が原料だ。時間が経てば、木は腐り、ソレと同時に、ここまで大量の本の紙があれば、林並みの香にはなるようだ。
 神楽坂明日菜は思考する。
何時だったか、頭の良くなる本だとかを探して、友人ら、担任とここの奥深くへ潜った時。
あの時のように今回は奥深くまで行く必要はない。ないにはないが、相変わらず足場は悪かった。
本棚の上に掲げられた板の上を渡って、奥へ。中等部の生徒が入れる最深部へ行く。
それでも、この図書館時までは浅い方だろう。だがしかし、既に入り口から此処までで十五分は経過していた。
 本の匂いに巻かれ、三者は中等部の生徒が入れる最深部まで到達した。
声を上げるまでもなく、軽く大きな声を出すだけで反響し、図書館全体へと響いていく。
神楽坂明日菜の、綾瀬夕映を初め、図書館島探検部を呼ぶ声だけが響く中。綾瀬夕映と思われる返答が突如として響く。

「―――明日菜さんですか? こっちです―――」

 反響の様な声のした方へ五分ほど歩く。
妙に近く感じた筈の声であったが、五分も歩かなければたどり着けない場所である事に、図書館島の大きさ、反響の良さに驚きつつも神楽坂明日菜はエヴァンジェリンらを従えるように進む。

「明日菜さん。上です」

 見上げた先に、綾瀬夕映が居た。
異様に大きな三脚の真上。推定五メートルはあろうかと言う高さで、綾瀬夕映は本棚に幾つかの本を戻している最中であった。

「綾瀬夕映。借りていた本を返しに来たぞ」
「エヴァンジェリンさん? そうですか、ではここをもう少し先に行けばそこにのどかが居ると思うです。
私はここの整理で忙しいので、のどかの方に頼めば本の返却手続きを取ってくれるでしょう。それと、また面白い本を貸してもらえるかもしれないです」

 絡繰茶々丸と共に、エヴァンジェリンは奥を目指した。
彼女の目的本の返却だけだ。それを成すならば、仕事中の綾瀬夕映よりも学園総合図書委員である宮崎のどかの方が対処には効率が良い。そして、それを進言する綾瀬夕映の発言も当然であった。
 その場に神楽坂明日菜と綾瀬夕映だけが残る。
本を棚へ戻し続ける綾瀬夕映を見上げつつ、神楽坂明日菜はしばらく黙ったままであった。
 だが、その沈黙に耐えかねたかのように口を開いたのは、以外にも仕事中の綾瀬夕映であった。

「明日菜さんは? 本を借りに来た、と言う訳ではないようですね。私に用事ですか?」
「うん。でもなんだかお仕事中みたいだし。終わるまで待ってるわ」
「そうも行かないです。見上げられているとどうにもやり辛いですので。先に明日菜さんのご用件からどうぞです」
「そう? じゃあ夕映ちゃん、聞くけど妙見の菩薩って知ってる?」

 綾瀬夕映はやや目を丸くした。
彼女が知りうる限り、神楽坂明日菜と言うクラスメイトは仏閣仏像などには興味を懐かない人間であった筈だからだ。それ故驚きは大きく、しかし興味を引く質問であったのだ。
 しばし顎に手を沿え、彼女は自らの脳内からその情報を引っ張り出す。
妙見の菩薩。確かに彼女の脳内にはその情報が存在していた。
何故神楽坂明日菜がその事を知りたがるのかはこの際問い詰めないとして、綾瀬夕映は提示された菩薩の説明をつらつらと開始した。

「明日菜さんの言う妙見の菩薩、とは恐らく"妙見菩薩"の事であると思うです。
妙見大士、北辰菩薩、尊星王などの呼び名を持ち、星宿の中でも中心的存在で北極星の神格化した道教の道教の思想が仏教に入り込んだものとも言われているです。
天台宗では吉祥天と同一視されており、これを本尊として護国・除災の為秘法の尊星法を修するです。
また、息災、特に眼病に霊験が高いとも呼ばれているです。それで、外見には二臂と四臂が存在するですけど、二臂像の場合大きく書かれた月輪の中に北斗七星を置いた蓮華を左手に、右手には説法印を組んだ菩薩形として、雲の上に結跏趺坐する形で描かれるです。
そして四臂像の方ですが眉を潜めた慈悲と憤怒の入り混じった表情をたたえた容貌で描かれ、右手に筆と月輪、左手に紀籍と日輪を持ち、竜の背の上に立って、左右に童子と鬼を従えている菩薩です」
「あ、そうなんだ…」

 綾瀬夕映が仏閣仏像に対して幅広い知識を持っているとは聞いていたが、まさかここまで、とは神楽坂明日菜は思わなかった。それよりももっと不可解な事を思考していたからだ。
機能得限止には、神楽坂明日菜はその内に妙見の菩薩が居ると進言された。
だが、今の綾瀬夕映の話しを聞く限りでは、一体どこに何が妙見菩薩を内在しているのかなど判断が出来なかったからだ。
綾瀬夕映の説明に驚愕するよりも、神楽坂明日なの思考はそちらの方に捉われてしまっていた。

「…明日菜さん? しかし、その妙見菩薩が何か? 良ければ『日本の神仏百科』お貸しするですが」
「あ、いや別にいいわ。本当にちょっと気になって聞いてみただけだから。それじゃ。邪魔してごめんね」

 ラフに片手を掲げ、手を振る。それだけで済ませて、神楽坂明日菜は外へと向かって歩き出した。
もはや彼女はここに居る必要もないからだ。エヴァンジェリンと絡繰茶々丸はまだ本を探しているだろうし、元々一緒に来たのは偶然出会っただけであり、一緒に帰る様な約束も交わしてはいなかった。
よって、彼女は最早此処に残っている必要はなく、一度も振り返ることなく下ってきた階段を再び上がっていった。
 その様子を綾瀬夕映は不思議そう、と言うよりは何処か親しそうな顔立ちで眺めていた。
彼女が知る神楽坂明日菜と言うクラスメイトは、何処か他のクラスメイトと違い年上っぽく、何時も周辺を明るくしてくれるムードメーカー的な存在である事を知っていた。
ある意味で、綾瀬夕映は自分とは真逆の彼女に、憧れのようなものを抱いていたかもしれない。
何時も皮肉めいた事しか言えず、胸の奥に隠した本心も言えない。
そんな自分とは違い、言いたい事をハッキリいう事の言える神楽坂明日菜を、綾瀬夕映は憧れたかのように、いや、憧れとは違うだろう。
だがまったく憧れではないと言えば、それも嘘だ。
彼女は彼女なりに明るくなりたいと言う理想を懐いていた。
だが、その理想を叶えるのは自分だ。故に、彼女は声はかけず、背中だけ見送り、再び本棚へと向かって仕事を続行した。
何故、そんな神楽坂明日菜が菩薩などに興味を持ったかなどは深く考えなかった。考えても、そこで答えを出せるのは神楽坂砂だけなのだから。
 図書館島の地下三階は静かだった。
綾瀬夕映だけしかいない、と言うわけではないが静かな環境であり、図書館の中であるというのに、滝の落ちる音しか響いていない。
その静けさは、水を打ったかのように、ではなく、棺の中のように静謐だった。綾瀬夕映は、自分が死体になったかのような錯覚を覚えた。

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 機能得限止と言う男は、兎に角過去を語るのも聞くのも嫌悪する人間であった。
彼の言い分ではあるが、彼は過去の柵に捉えられ、その過去にあった出来事に対して今何かをする行為を"逃げ"と判断する。
 過去に立ち向かっていく事などできないと言うのが彼の持論だ。
過去は過ぎ去っていった遠い遠い物語であり、手の加える事のできない、他の人間の描いた絵の様なものだと機能得限止は言う。
それが真実であるか否かはわからないが、少なくとも、過去に手を加える事は出来ないと言うのは現実的に真理だ。
 彼は今生きる事を優先する人間であった。
教師をやっているのも、彼が成長過程で手にしてきた知識が偶然にも教師となりうるだけの知識だっただけの話だ。
他の道はなく、教師としての道を歩む以外にも機能得限止が取るべき道は在ったが、人間として生きていく以上、収入がなければいけなかった。
その収入を得る為には仕事が必要であり、その仕事が偶然教師であっただけの話だ。
 そんな彼だからこそ、過去の柵に囚われる人間、過去をやたらと語りたがる人間、過去を語らずとも、本心では知ってもらいたいと思っている人間を嫌悪した。
過去の事を語るのも、過去に対して何かをするのも、それは全て過去からの逃げでしかないと断定していたからだ。
 彼にとっては全てが逃げであった。
過去にあった事に相対する為に力を求める人間は逃げだった。
過去に立ち向かう為に力を求めたのではなく、単に、過去になかったものを自ら身につけることによって、過去に対峙しようとしている振りをしているのだと断定する事もあれば、過去を語るのは自分ではどうしようもない事を誰かにどうにかしてほしいと言う陰影願望の裏返しに他ならないと言う。
 それが正しいのかは、個々の判断によって異なる。
だが一つだけ確かなのは、彼は過去と言うものに対してたいした興味も感慨も、意外性も求めてはいなかったという事だ。
彼は過去になど興味はなく、興味を割いているような余裕などなかった。
そう、神楽坂明日菜に告げたとおり、彼は、今を生きる事に全力を尽くす男であった。
彼にとっては――そも、本来、生物にとっては――過去など、蚊の屍骸程の価値もなければ、ソレに誰かが何かを言っても、それには一ミリの価値もない。言った方も。言う方も。
 彼は生き物が何時かは死ぬと言う事を前提に生きていた。
その何時かは誰にも判断できない。
次の瞬間には死ぬかもしれない。
明日死ぬかもしれない。
一年後死ぬかもしれない。
ひょっとしたらずっとずっと死なないかもしれないが、それでも何時かは死ぬかもしれない。
 彼はそれを自覚しながら生きてきた。
明日死ぬかもしれないと言うのに、今生きていかなくてどうしろと言うのだ。
今しか生きていられないのならば、今を全力で生き抜くまでだ。
それが彼の持論であり、人間と言う生き物以外の持つ、純粋な生存に対する向き方であると悟った。
否、正確には逆だ。
彼は、人間以外の動物は、何時来るかも解らない"死"を何時でも迎えられるよう、常に一瞬一瞬を全力で生きている事に気付いたからこそ、彼はこのような考え方になったのかもしれなかった。
 だから過去には拘らなかった。
過去など、時が過ぎ去れば、何れは忘れられていくものであると機能得限止は知っていた。
過去は刻み込むものではなく、誰からも忘れられていくためだけに存在している、生きて行こうと言う意思の前では、何の価値もない品物であると言う事が、彼の持論であり、しかし、ある意味では正しく、ある意味では間違えた思考だった。
 故か、機能得限止は新任のネギ・スプリングフィールドに対しては良い印象と言うもの以前に、興味を懐かなかった。
彼は自分が嫌うものの放つ匂いには敏感な人間であった。
機能得限止は、過去の柵を持ち続け、それに向かおうとしているネギ・スプリングフィールドの存在を完全に頭の中から消去した。
本当に。ネギ・スプリングフィールドと言う少年の生涯には、一ミリの価値もないと断定するかのように。
彼は、少年の存在そのものを自己の認知範囲から除外対象とした。
 ネギ・スプリングフィールドと言う少年は過去に何かを持っているのは事実だ。
だが、機能得限止に取っては一ミリの、否、機能得限止以外の人間にとっても、そんな過去を話されたからといって別段どうでも良い事には変わりない。
過去は過去であり、変化のないものの事を言う。
変化のないものを語られたところで、どうにかなるものではない。
どうにかするのは過去を知る本人だけだ。本人だけでどうにかすればよいだけの話だ。
ネギ・スプリングフィールドはその過去を語りはしたが、協力してほしいとは告げていなかった。
協力したのはその事実を知るAクラスの極少数の人間の独断だ。
機能得限止は、それに何処となく感づいた。
Aクラスの生徒の数名が、ネギ・スプリングフィールドと言う少年と一緒に『何か』をしようとし、その『何か』は過去から来ているものだと。
 それを知って尚、機能得限止は彼女らをはじめ少年には興味を懐かなかった、懐かなかったが興味を抱けるような対称にならなくなったのは事実だった。
自分の過去でもないものに挑むと言う行為は酔狂であり、好き勝手すれば良い。
だが、その結果、手を貸した人間には何も与えられず、結局はその過去に挑むなどと言う優美な言葉を以って行く少年の一人勝ちだ。
他の人間には何も与えられず、何一つ残せない。機能得限止は、それが堪らなく嫌だった。
 今生きずして過去に向かうなど滑稽だ。
今を生きているからこその全てであると言う事を、彼は教師なりとしては生徒らに伝えようとしていた。
気付いた人間は数人は居ただろうが、大抵の人間は教師の言葉など聞き流してしまう。
機能得限止もそれは自覚していた。結局その生物の行方を決めるのはその生物であり、何時死のうが、何を言い合おうが、それに関係しない生物にとっては極論、どうでも良い事には間違えない。
 それが機能得限止の"生物"としての持論であり、しかし、"人間"としての持論ではなかった。
極端に言えば、彼は極端な二面性の持ち主であり、生き物を常に二面性からでしか見ない。
人間で言えば"人間"と"生物"。
 ある"人間"を見た際、機能得限止は、その"人間"を一面では"人間"としてみて、人間的な判断を促すが、ある一面からでは彼にとってその"人間"は個性を持った単一的な"人間"ではなく、ただの、何処にでも居る、居ても居なくても、生まれても生まれなくても同じな、一個の"生物"でしかないのだ。
そうして、"生物"としてみた"人間"に彼は、全力で生きることを求めていた。
常に全力で。生きることだけが守られるべき約束であり、それ以外の人間的な要素など全て放棄しても構わない。それが、機能得限止の全貌であった。
 何故彼がこのような思考になったのか。それは彼の過去にやはり秘密がある。
否、秘密と言うほどのものではない。
彼の過去は、一般人の過去そのものだ。語るほどでもないほど平凡な過去。
普通の家庭の長男として生まれ、限止、と言う名前を与えられ、親の教え、教師の教えを是として生きてきた少年。それが、機能得限止であった。
 意味などない。価値などない。特別なものなど何もない。
物語の主人公のように、誰もが感受するかのような暗く重い過去など負っていない。
物心付いた頃から親はなく、一人身で生きてきた、などと言う過去でもない。
現在の機能得限止からすれば、そんな過去になど興味はないだろう。
過去の柵に囚われる人間も、過去を話したがり、本心ながらで過去を知らせたがっている人間など、彼から見ればくだらない存在に過ぎない、まさしく"それがどうした"で済まされるような無意味なものに過ぎない。
暗く思い過去になど誰も眼中にない。そも辛く苦しい過去を何故語りたがるのか。それが理解出来ない。面白くも無いと言うのに。
だが一つだけ過去に対して持っても良い感情があると思っている。それは思い出すということだ。
過去を思い出すならば良い。
自分の裡だけで解き放ち。自分だけで眺める。自分だけが知りえて、自分だけが、その過去に向き合える。
そして、誰にも告げず、ひっそりと今から変えていこうとする。それならば良いのだ。
過去とは思い出す程度のもので良く、思い出す程度のものでしかない。
それが過去だ。今から過去にあった事に対し、何かをするのも、何かを告げるのも、何かを知らせるのもフェアではない。
誰でも持っている。過去の悲惨さに上下はない。誰でも、その人間にとって、忘れ去りたい傷跡は在るのだ。
それを自分で見つめるのであれば良い。そして忘れてしまえばよい。あるいは、一つずつ変えてしまえばよい。
過去の為に何かをするのではなく、今から何かを始めるのだ。
そう、出来るならば過去と同じではないように。
そうして、過去など忘れてしまえば、知っているのは自分だけとなり、結果、最終的にそんな過去はなかったものになる。
そう、過去は柵ではなく、立ち向かっていくものではない。
過去は変えていこうという意思の前では意味のないものでしかないのだ。
変わるならば今からだろう。
今から変わっていけばよいのだから。
それが機能得限止の、"人間的"な、あくまでも"人間的"矛盾を孕んだかのような思考であった。
 だが"生物的"な機能得限止は違う。
生物的な思考を持つ機能得限止は過去も何も関係ない。ただ生きていくだけにしか拘らない。
彼には、未来に対して希望も夢も、目的も目標も懐いていない。
同時に、全ての人間も同じであれば良いと、本気でそう思考している。
彼の目的はたった一つ。"生きる"事。"生き続ける"事。
それが、生物的機能得限止、と言う名の"生物"の思考回路であり、ある日を境から持ち続けた、機能得限止の全てであり、機能得限止の二面性の一面、"生物的機能得限止"の全てであった。
それは機能得限止の全てでもあった。
彼は覚えており、そして生涯それを誓いとしてしまった。
誰一人気付けなかった。否、彼は語らなかったのだ。
幼少の頃から、既に機能得限止の骨組みは形成されていた。
その頃から、彼は自らを他人に語る事を一切の是とはせず、生涯封じ込め続けた。
それは、彼が幼い頃見たある映像であった。
生き物、特に人間は、物心付いたときに見たものが一番の心のよりどころになる事が多い。
インプリティング。刷り込み、と言うヤツだ。
潜在的な、遺伝子的な刷り込み。無意識下に書き加えられる、その人間を突き動かすモノ。
彼が見た映像。それは、ある広原の光景であった。
一匹の肉食動物、それが何であったのかなど、最早機能得限止は完全に忘れてしまっているが、その肉食動物が、一匹の、こっちも覚えてなどいないが、一匹の草食動物を追っている姿。
追って、その牙と爪を突き立て、喉笛を一撃で噛み砕き、窒息死させ、そうして喰らう。
その光景が、機能得限止、と言う名の"人間"が、一番最初に見てしまった、物心と言うものが付いた瞬間に見た、壮絶な光景であった。
それを見た今の人間はなんと言うだろうか。
草食動物に情をかけるだろうか。それとも、弱肉強食を語るだろうか。
だが、その光景を見たときの機能得限止の思考は違った。
機能得限止は泣いていた。
機能得限止と言う名の人間が、まだ"生物"と"人間"の二面性を持ち合わせていなかった、純粋な人間であった頃。
機能得限止は、その映像を延々を見続け、そうして、今現在、機能得限止と言う男が二度と泣く事がないほど、その当時の機能得限止は泣き続けたと言う。
何故泣いていたのか。
食い殺される草食動物への情か。
慈悲なく食い殺す肉食動物への感動か。
その何れでもない。機能得限止が観て泣いていたのは、ただ、その在り方であった。
生き残る為に、全力で生きようとする為に肉食動物から逃れようとする、草食動物。
生き残る為に、全力で生きようとする為に草食動物を喰らおうとする、肉食動物。
ただ全力。
そこには、人間の感情など矮小に見えるほど全力で生きていこうとする、純粋で純然で純朴なる"生きよう"とする"意志"だけがあった。
機能得限止が感動したのは、他ならぬソレだ。
観れば、草食動物を喰らおうとする肉食動物の身体は痩せ細っていた。
どれほど食事にありついていないのだろうか。
自然界に生きる動物は、好き気ままな時に何かを食べる事など出来ない。人間のように、食べたいときに食べられるような生命体ではないのだ。
だが、それ故に全力。何よりも生きようと、誰よりも生きようとする意志が見受けられる、その存在。
同様、観れば、喰らいかかってくる肉食動物から逃げようとする草食動物もまた、生きようとして逃げていた。
肉食動物の様に牙も爪もない草食動物は子孫繁栄の為に生きようとする。故に、草食動物は肉食動物から逃げていたのだ。生き残る為に。生きながらえる為に。
それ故の全力。なんとしても生きようと、誰よりも生きたいと願う意志が見受けられる、その存在。
機能得限止はそれを誓いとした。
自然界に生きる生命体と、人間の絶対的な隔たりに感動したのだ。
故に涙したのだ。生きるということの壮絶さ。生きていくということの凄まじさを思い知らされた。
生きていくとは、ここまで凄まじい事なのか、と言う事を思い知らされ、それに生きると誓った。そうして生きて行くことこそが、何よりも正しいのだと。
幼少の彼はその映像を保管し、テープが擦り切れるまで見続けた。
擦り切れるまで見続けて、枯れ果てるほど泣いた。
それこそ、母が死に、父が死んだ葬式の場で涙を流さないほど。
誰もが涙するような場面。如何なる人間でも涙するような悲しみでも、泣く事はなかった。
そこから機能得限止は二面性を持つようになった。
"人間"として生きていこうとする機能得限止。
"生物"として生きていこうとする機能得限止。
大極図のような二面性。
相反する同士でありながら、何よりも生きようとする意志を重視する生命体。
誰も理解する事の出来ぬ領域の話であった。
だが、機能得限止にとっては違っていた。彼が生きることを優先した理由は此処に在る。
生きている、と言う時点で幸福なのだ。
生きているだけで良い。夢も願いも、目標も目的も何の意味すらない。
生きようとする意志。生きていきたいと思うだけが、生命体として最も是となるべき意思。
それが他の誰にも理解されない事を、機能得限止は"人間的"に知っていた。
だからこそ、教師と言う役割において、機能得限止は生徒らにその証を立てようとしたのかもしれない。
生きていくということの難しさ。生きようとする事の壮絶さ。生きていくという行為は、これほどまでに難しい事だったのかと言う事実。
それが機能得限止の全てであった。
二面性。"人間"と"生物"。まったく同じでありながら、まったく違うモノを持つ存在。
機能得限止。麻帆良学園中等部現3-A副担任兼中等部全学年生物学専門教師。
裏の顔は、魔法少女の補佐役。だが、それすらどうでもいいと言う、生きる事を誰よりも最優先する、生物。


――――――――――


「くぁ…」

 エヴァンジェリンは大き目の欠伸をした。
周囲を見渡してみると、他にも何人か目を潤ませている人間が居る。
別に何かに感動したから目を潤ませているというわけではない。単純に、朝だから眠いと思っている人間が多いだけのことだ。
 エヴァンジェリンもまた、その内の一人であるという事に変わりはない。
中学生とは思えないような体型。軽く見積もっても、130cm台が関の山。
どう見ても小学生にしか見えないような彼女ではあったが、それには理由があった。
彼女は人間ではないのだ。吸血鬼。真祖と呼ばれる、魔法の力で吸血鬼化した人間であった。
機能得限止の言葉を借りるとすれば、桜咲刹那とは違う意味での、非人間。
 この事実を知る人間は、Aクラスでは比較的多い。
先ず担任であるネギ・スプリングフィールド。
その従者・神楽坂明日菜。桜咲刹那に、近衛木乃香。正面に座っている彼女の従者である絡繰茶々丸も、勿論その事実を知っている。
少なくとも、31人居るクラスで13人以上のクラスメイトは彼女が吸血鬼であり、熟練の魔法使いである事を知っている。
 そんな熟練の魔法使いでもあり、不死身の吸血鬼でもある彼女がなんの理由でこの様な場所にいるのか。
その事実を知る人間も比較的多い。13人は触り程度で知っているだろう。
エヴァンジェリンはその気になれば腕一振りで大群を薙ぎ払える力を持っていた魔法使いであった。
過去形ではあるが、基本骨子としては変わっていない。
ただ、その力が内から外へ潤滑に引き出せれば、の話ではある。
現状のエヴァンジェリンに、それは出来ない。何故か。彼女は此処に封じられている身なのだ。
完結に説明すると、彼女は十数年前にこの学園にネギ・スプリングフィールドの父の手によって呪いをかけられ、今日まで警備員として過ごしていた。
今日まで、とは言っても十数年間ずっと。
その間、何度か呪いを解こうという試行錯誤はこなしてきたが、全てが失敗に終わっている為、仕方なく警備員としての役割は続けている身であった。
彼女にかけられた呪いとは、強制的な登校であった。即ち、学生として学校へと向かう事。
授業を受ける必要はなくとも、登校はしなければいけない。
また、警備員としての仕事として、不審な侵入者には気を払わなければいけない。
本人にとっては至極傍迷惑な呪いであったが、この呪いのお陰でこの学園の騒ぎの三割程度は発生していないとも言える。
深遠な知識を持つ彼女は、本来授業など必要ない。
勿論、ここに呪いをかけられてから始めて学んだ学問などもあった。基本的に、それらは従順にこなしてきてもいた。日本史や、古語など。
ただし、それ以外の授業には基本的に出席はしていなかった。
否、比較的興味を懐いていたであろう、日本史や古語、などの授業もお世辞には出席率は高いとはいえなかった。
それがネギ・スプリングフィールドと言う少年が来るまでのエヴァンジェリン。
彼が来た後、彼女の行動パターンは少々変化した。やや性格が丸くなった、とでも言うのか。教師相手にも突っぱねたような態度を持っていた彼女だが、近頃ではその態度も幾分柔らかくなった。
相変わらずの厚顔不敵な顔立ちには変化はないが、それが彼女の売りなのだからこればかりは誰も問おうとはしなかった。ともあれ、少なくとも授業に対する出席率は飛躍的に上昇したと言えるだろう。
だが、それ以前から彼女の出席率が高い教科はあった。ネギ・スプリングフィールドが来る前からである。
ずはタカミチ・T・高畑の英語の授業。
彼女にとって、彼は天敵のような間柄であった。出席しなければ何かと小言を言われる為、仕方なく出席をしていた授業だ。
そうしてもう一つ。機能得限止の生物の授業。
これは彼女が機能得限止に対して何らかの感情を懐いていたから、とかそういった理由ではない。
単純な、今まで習得したことのなかった知識だからこそ受けていたのだ。
機能得限止と言う人物の授業は聞きやすかったし、何より、居眠りをしていても咎められるような事はなかった。
要するに、授業に出ていてもサボっていると同じ行為が取れたからこそ、出席していたようなものだ。
尤も、そんなエヴァンジェリンが機能得限止担当の生物学の授業で居眠りをした回数は、機能得限止が数えた回数では三回半。半と言うのは半居眠り、と言う事だ。
ネギ・スプリングフィールドが来てからと言うもの、彼女は彼に敗北した事で授業に出ざる得なかった。
吸血鬼として、魔法使いとしてのプライドがそうさせたのだ。
敗者に語る口などない。それがエヴァンジェリンの定義だ。
彼女は少年に敗北した。故に、彼女は約束どおりに授業に頻繁に出るようになったのだ。
その結果、日中でも行動範囲が大きくなった点は否めない。
彼女は吸血鬼ではあるが、通常の吸血鬼とは異なる点も多い。
先ず、吸血鬼の弱点と言うモノの大半は通用しない。
日光、十字架、マグロの頭、流水。その辺りは通用しない。
大蒜系には効果はあるが、致命傷とまでは行かない。
精々彼女に致命傷を加えられる弱点を突いたモノと言えば、心臓に白木の杭を叩き込む事程度か。
それでも、それは全体が万全であれば、彼女には通用しないと言った程度だ。
今現在の彼女は、一中学生と同程度の力しか奮えない。
魔力が学園に充満していれば、Aクラスでも上位に食い込む力は発揮できるが、その魔力が充満していた時期も当に過ぎてしまった。したがって、今現在の彼女の力は、それこそ、小柄な少女のソレでしかない。
それでいて吸血鬼としての特性を持ってしまっているが故、彼女は直に日光などの影響を受けやすくなってしまっている。唯でさえ少ない体力が、吸血鬼属性の所為で更に削られてしまっているのだ。
そんな状態で授業に出ると、彼女は眠くてしょうがないのだ。
大抵は半眠の状態であり、授業中その所為で起こされる事も多かった。
勿論、起こされた時は相変わらず厚顔不敵な表情で睨みつけてくるのだが。
そんな彼女の状態で、眠ってもまったくもって注意もされない機能得限止の授業は貴重な体力回復の時間帯でもあった。
だが、彼女は不思議とその授業だけは眠る確立が少なかったのだ。
やっている授業の大半は、十数年間学んできたモノとさほど変わりない。だが、時折、昨日の様な、十数年間の間でも受けた事もない授業を行う可能性があり、また授業授業の間で吸血鬼である彼女ですら興味を引かせるような話をする事もあったのだ。
エヴァンジェリンはそれに興味を持っていた。
機能得限止と言う生物教師の授業。それは吸血鬼であり、長年生き永らえてきた彼女から見ても興味深い内容が多かったのだ。
これは吸血鬼と言うモノの性ではなく、深く、より深い知識を探求する"魔法使い"としての性でもあったのかもしれない。
兎も角、エヴァンジェリンは機能得限止の授業では眠る時間をほぼ無意識に、自分自身で奪ってしまっていたのだ。

「……んむ…」

 今日は一時限目からその機能得限止の授業だった。
先に告げた機能得限止の授業で眠った三回半。その三回半の全ては一時限目の授業中に発生した出来事だ。
吸血鬼は夜に生きるもの。彼女の体調が万全になるのは、吸血鬼の根源。月の光。月の魔力を余すことなく受けられる夜の時間なのだ。
 だからこそ、朝の活動は彼女にとって酷であった。
他の生徒から比べると、明らかに眠たげである。
男子生徒が見れば、男子生徒でなくとも、愛らしい、などと彼女が聞けば顔を紅くしながら激昂するであろう発言を吐く様な様相だ。
 うっすらと目を辛うじて開いているかの様な状況。授業に興味が向けば、眠気も何とか吹き飛ばす事は出来る。
だが、もし興味を引くような内容の授業であれば必ず寝てしまうだろう。
エヴァンジェリンは決めていた。ありきたりな授業、ありきたりな話ならば眠る。
意外性の在る話、意外性の在る授業ならば寝ない、と。
彼女の世界は彼女を中心に回っている。誰も抗えない。抗ったところで、迷惑など誰にもかからない。
エヴァンジェリンはそれを頭の中で反復しながら、教室を入ってくるだろう機能得限止の姿を待っていた。

第二十三話 / 第二十五話


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