第四十七話〜真祖〜

 

生き方を変えることは、悪い事じゃない
 そうやって生きてきた だから 今度は

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「い、いいんちょうさーん」

 緊張した声だったか。何ももう二年も同じクラスだからそんなに緊張などしなくてもいいのだけれどな。
 振り返って、その少女を見る。私のクラスでも一際人見知りの多い、あの出席番号二十二番、穂凪くのぎだった。
 どことなく五年前の宮崎のどかにも似た、でも、宮崎のどかよりももっと恥ずかしがり屋の、愛すべきマスコットの様な女の子だ。

「―――何か?」

 努めていつも通りに振り返ったつもり。五年前の人間にはとても見せられない姿だと思っていたのは最初の一年目だけだ。
 総合委員長になっての二年目は、さほど恥ずかしくはない。ただ、普段の自分を曝け出せる機会は少なくなってしまったけれど。
 わたしが見上げるほど身長の大きな子。彼女が穂凪くのぎだ。身長は何時かの長瀬楓と同じか、それよりも更にやや大きい。
 傍目から見れば完全に立場は逆転だろうが、彼女は至って普通の、成績も悪ければ体力も無い、ドジで気弱で、ああ、でも。なんかほおっておけない、私の大切なクラスメイトの一人――

「こ、これっ。カカ、カバンから落ちちゃってましたですますよぅぅ」

 そうとうテンパっているのか。呂律は殆ど廻らず、彼女はわたしの目の前でぐるぐる眼のまま、私にめがねケースを差し出してきた。
 ピンク色のめがねケース。別に、眼が悪くなったワケでじゃない。
 眼鏡は委員長としての風格を出す為。
 なまじ、背の小さな私だ。高等部の連中に舐められていたんではたまらない。故に、この眼鏡は四年前からかけ出した。
なお、ピンクのめがねケースと言うのは単純にちょっとまわりの人間に合わせてみた結果だ。
 もっと正しく言うとだな、コレは、私が選んだものではない。
 クラスメイトと一緒に出かけ、ちょっとした小物屋で買わされたものだ。それまで使っていたモダンな雰囲気のめがねケースからこっちに変更したわけだ。

「ありがとう。今度一緒に皆で出掛けるようか? くのぎとは今までそう言うのはなかっただろう? きっと、楽しいから―――」

 それを受け取り、笑いかける。出てくる言葉は私ではないみたいだ。
 だが、仮令私らしくなかろうとも今の私はこれが気に入っている。何も昔のように振舞わなくともいいだろう。
 もし、昔の私に戻ったら彼女たちを怖がらせてしまうだろうな。
 昔の私は本当に愚か者で、突っ張っていれば、自分は一人で、悪い魔法使いだと言うのを証明できていると思っていた。
 今は、これでいい。これで構わない。どちみち私はもう永生きの出来ない定命の生命体。
 吸血鬼などではない、その呪いと特性が若干残った、ただの人間。その程度だものな。

「こここ、今度ですかぁ!? はわっ、はわわぁ」
「わぁー!! くのぎがエヴァっちの色目に負けたーーー!!」

 くのぎがくるくる回りながら倒れこむ。ふふ、本当に可愛らしいクラスメイトだ。
 五年前、一緒でなくて良かった。五年前一緒では、きっと、彼女とは一生話せない仲になっていただろうからな。
 その場を他のクラスメイトらに任せ、私は職員室へと向かっていく。
 仕事は仕事。仕事の時は凛とした態度であれと言うのが雪広あやかの言い分だったか。
 それを律儀に守っている私も、まぁ、多少なりとはヤツに肖れたかもな。

「あ、アタナシアさん。お疲れ様でーす」
「うん。お疲れ様」
「キティせんぱーい!! 今度会計の方に顔出して下さぁい!! 先輩の計算力がないとダメですぅ!!」
「ふふ、私も会計計算は苦手だけれど。まぁ、いいよ。行く」
「マクダウエル。今度三年生の定例会議にも顔出してほしいんだけど……」
「私で良いのかな。それでもいいのなら、うん、行かせてもらう」
「エヴァンジェリンちゃーん!! じゃねー!!」
「ああ、あまり寄り道などはしてはいかんぞー!! 真っ直ぐ家に帰る事をなー!!」

 先輩も後輩も同級生も。皆、わたしの名前を様々な呼び方で呼んでくる。
 エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル。私の本名。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。もう、ミドルネームを隠す必要も無いだろう。
 結果この様に多種の呼ばれ方をするが、それを一度も鬱陶しいとは思っていない。
 私は、この安堵に身を任せて生きていくだろう。多くを奪った吸血鬼。
 その私は死んだ。五年前のあの日、全ての魔力を使い切って、私は死んだんだ。

 だから、これでいいんだ。迎えになど着てもらえなくても構わない。
 私はここで、この安堵に包まれて生き、何時か必ず来るようになってしまった確実な死。
 それが私を包むまで、彼女たちを向かえ、見守り、見送っていこう。それが、あの五年前の炎に焼かれながらも生き残ってしまった私の、最初で最後の仕事だ。
 サウザンドマスター、ナギ。忘れたわけではない、忘れてなど居ない。
 今でも、私の想っている男には違いないが、もう、いいんだ。私は此処で充分だ。
 ナギを自分のものにしようと追い掛け回した日々も、それはもう良い思い出だ。
 私は今を生きよう。遅いか早いかは解らない。解らないが、何れ必ず訪れる自らの滅び去る日を夢見続けながら、此処で暮らしていこう。
 彼女たちと共に。かつての、仲間達との思い出と共に。

「失礼。2-F学年総合委員長、エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェルです。
 本日の生徒会日誌の記入が終わったので、誰か教員に見てもらいたいと訪問した」

 なれない敬語を巧みに駆使する。こればかりはどうしようもないか。
 なまじ他人を見下し続けてきたのが仇だ。年上にもまるで敬語をとっさに使う事が出来ん。せいぜい、ちょっと柔らかい言い方にする程度が限界か。
 自分の不器用さに自嘲しかけた時、背の高い男が私の手から日誌を取って眺めていく。
 高畑・T・タカミチ。七年前まで、私のクラスの担任を務めていた男。
 すっかり傷も良くなったのだろう。タカミチは日誌を一通り見渡すと、そのまま自分の机へと置く。

「ご苦労様、エヴァ。どうだい? 委員長の仕事は?」
「まぁ、やりごたえはあるかもしれない、ね。だが楽しい。それが一番か。では、これで」

 一礼降ろして、職員室の扉を閉めようとする。その刹那に。

「エヴァちゃーん!」

 思わず、すごい勢いで引き返してしまった。
 結局呼んだのは私の今のクラスの担任である女性教員あったのだが。まったく、慣れない。本当に、その呼ばれ方は―――

「ど、どうかしたの??」

 無言に首を横に振る。そうだ、この程度で即時反応していてどうすると言うのだ。だけど、本当に慣れないものだな。
 あの呼ばれ方は。エヴァ。そう呼ばれるまではいい。だけど、その呼ばれ方だけは慣れない。
 呼ばれ慣れているのはきっと一人。あの、臙脂の髪の彼女。私に幸福になれる権利はあるといってくれた、あの―――

「用件は?」
「あ、うん。明日今年の学園祭のお話するから、ちょっと手伝ってねって」
「解っ、りました。では、明日。ああ、先生。なるべくなら“エヴァちゃん”はやめて貰いたい。
 出来れば“ちゃん付け”は省略につけて欲しくないから、フルネームのちゃん付けにしてくれた方が、嬉しい」

 エヴァちゃん。そう呼んでくれた人間を、アイツだけにしておきたいと。
 そう呼んでくれた思いでは、あの時だけだと想いたいから。だから、エヴァでいい。エヴァンジェリンは、エヴァちゃんと呼ばれるほど上等じゃないんだ。
 エヴァちゃん。そう呼んでくれた友。一足先にいってしまった私の、―――たかった、アイツ。
 なぁ、明日菜。お前は、何処で、何をしているだろうかな―――

 大勢の生徒に声をかけられながら生徒玄関を出て行く。
 やや長めで厚底のブーツもクラスメイトと行った靴屋で買わされたものだ。
 上履きは規則のものを履かなければ他の生徒に示しがつかんし、しかしどもおしゃれもしないと私が際立たないとか。そんなこんなで買わされた皮製のブーツを履いて、外へ。
 見上げてみれば天まで届くような鋼の塔。そして、その外周を廻る鋼性種の群れ。
 赤い夕暮れ時の光を弾く鋼塔は美しく。何処か、自然界特有の美を髣髴とさせた。

『え、エヴァンジェリンさぁ〜ん……』

 肩口から聞こえた声。朝倉和美は卒業し、確か新聞社に勤めているとか言っていたか。
 従って、コイツは朝倉和美には取り憑いてはいられない。あんまりにもぐすぐす泣き喚くものだし、新校舎になると言う事で自分が地縛霊化の要因になっていた出席番号一番の席が壊されるんじゃないかと大泣き状態になっていたコイツ。相坂さよを、私は私自身に取り憑かせたのだ。
 伊達でも元吸血鬼。今はただの人間であったとしても、魔力なれした肉体は霊的な要素も引き付けるには充分だったらしく、今では私の背後霊と言うわけだ。

 もちろん、じじいにはちゃんと言って中等部A組の最前列窓際の席をそのままこっちの新校舎に移転させた。
 万が一私に何か在っても相坂さよがちゃんと存在していられるように。
 尤も、コイツを私に取り憑かせたとは言えど好きな時に喋って良いとは教えていない。
 私だって委員長だ。それも、普通の人間には見えない幽霊。
 それと喋っていては、他の生徒に示しがつかないだけでなく、独り言の多いイタイヤツと思われてしまう。

『も、もう喋っても大丈夫でしょうか〜?』
「いいよ。お疲れ様だな、相坂さよ」

 故に、喋って良いのは私と二人きりの時だけ。そして、学園中では話しかけない事。
 この二つを規則とし、私はコイツを取り憑かせてやった。
 結果として良好。偶に不満そうな顔のコイツを見るのが、最近の楽しみだ。
 口調は僅かに元に戻る。五年前の相手とだけは、私はこうして話すことが出来るのだ。
 これは一種の反応のようなものなのだろうな。五年前の私と、今の安堵に身を任せる私。
 二つの私は、お互いに使い分けではなく、両立した自分を確立させて存在していっているのだ。
 数百年の年月を歩んできた吸血鬼とは思えない心境の変化。それに、正直に驚いている私が居る。

 そう。私は、変わったんだ。漸く安堵に身を任せる事の出来る立場に立つ事が出来た。
 長い、本当に永い時間だったが、やっと辿り着けたんだ。
 許されない罪を犯した。許されざる屍の道を踏みしだいて、五年前のあの日まで歩いてきた。
 多くを奪い、多くを傷つけ、多くを失い、多くを得た。
 ありえない安堵が私を包み込み、わたしの前に現れた男は、そんな安堵を私に与えようとした。
 結局は失敗で、私はここでも相変わらず。想った男の息子が来るまで、安堵に身を任せる事も無く、日々を徒然と過ごし続けてきた。

 ぼーやが来て、いい加減待つのも閉じ込められるのも鬱陶しくなり脱出を画策した。
 ぼーやの血を吸い。かって、“闇の福音”と恐れられた頃の魔力を取り戻そうともしたか。
 当時、まだバカで子供だった私はあっさり負けた。今は素直に負けを認められる。
 まったく、なんて心境の変化だろうか。まだまだ子供の証拠かもしれんな。
 断罪の日は来た。私が犯した罪。私が奪った多くのもの。二度と返す事は出来まい、数多くを返す日が来た。
 私の従者、絡繰茶々丸は鋼化現象により鋼性種化。続き、機能得限止と言う男もソレを行い。私の居た日溜りは終わった。

 そうして気付いた。私は、今の今まで日溜りの中で生きていて、私はソレを、何時か桜咲刹那に話した時の様に“ソレも悪くない”。そう、想っていたんだ。
 私は裁かれなければいけなかった。そうでなければならなかった。
 特別な存在など無い。罪は、死んでも償われることは無い。
 私が奪った多くのもの。ソレらに、彼らに、全てに省みるには、最大級の地獄でなければいけなかったのだろう。
 私の日溜りは終わり、私の吸血鬼も終わった。

 魔力を失い、普通の女になって一人。
 色々考え、クラスメイトたちがそれぞれの道を見定めて行く中で、私は許された体を見つめている。
 最後の一瞬。私の従者は、私もろとも自爆の道を選ぶ事は無かった。私の胸に穿たれた杭だけを焼き尽くし、従者は、一人の道を選んだ。
 そうして残された兆し。人間的で、変に、私に構ってきたあの従者の最後の言葉を、私は実行する。

 ―――マスター、生きてください―――

 それが、私の最後の赦し。
 生きて苦しめと言う証。私が奪ってしまった多くの未来。私が紡げなくなった未来。
 それは同価値だと、やっと認められ、私は一人。従者の言葉に従うように、もう一度初めから。
 中等部に戻った。そこで精力的な活動を行う。二度と、あの様な事が起こらぬ様に。
 それが私に出来る事。多くの道を失った者を見てきた私にしか出来ない、最初で最後の一欠片。
 私は彼女たちを導いてく。正しい道。五年前とは違う。多くの道を彼女達に与えてみせる。

 再び中等部の一年生に戻り、初めの半年、私は学力の向上を努めた。
 上に立つものが下より劣っていては成らない。上に立つが故、誰よりも有能で、優しくなければ。だから、必死になった。優しくも、なった。
 中等部の一年生後期。私は学園中等部総合委員長の座まで上り詰める。
 そうして始めたのが、精力的な活動。生真面目な生徒など作らず、しかし、出来る限りの自由を持たせた学園作り。それが、私の理想だった。
 必死になったさ。必死にもなる。彼女達に用意された道は多くなければいけない。
 それが、私の最後の役割。私が担う、最初で最後。故に、諦める真似はしなかった。多くが支えてくれたのを力とし。

 そして、幾度目かの中等部の卒業式。今までに無い数の人間が、多くの道を目指して旅立って行った。
 皆、私に泣きつき。皆、私を慕ってくれた。そして私も、みんなを、愛していた―――
 私の役目は終わらない。再び一年生をやり直し、私は活動する。
 吸血鬼ではなくなったが、幸い登校地獄の呪いは継続中。故に、もっともっと頑張れる。それが、素直に嬉しかった。

 そうして、二年生に進学した。春。桜の散るまであと僅か。皆が私を慕い、私も、彼女たちを慕っている。
 この安堵。私は、ここに居たい。ここで、彼女たちを数知れず見送っていくのだ。
 覚えている。皆、覚えている。私が改革した新規則の元に旅立って行った748名の生徒。
 私を慕ってくれたものも、私を子供とバカにしたものも、私に最後まで突っかかっていたヤツも。皆、巣立ち、新しい世界へと旅立って行った。
 それを見送る。それを、永劫に繰り返そう。
 それが私の酬い。私が得ているこの安堵。このありえぬ安堵に対する、私、精一杯のお礼だ。

『…………? エヴァンジェリンさん? 何か……良い事でもあったんですか?』

 肩口からした小さな独白。それに、微笑んで応じた。

「ああ、とても良い事だ。此処は―――温かいな」

 心底にそう想う。五年前とはもう違う。私は、悪の魔法使いなんかではないのだ。私は、もう吸血鬼などではないのだ。
 私は、人間。ただの、何も知らなかった、力なんて必要も無い、生きて、彼女たちを導いていく。
 それが、私の残された命の灯火を使い切るに相応しい所行だろう。
 『深き死』が私を塗りつぶすその日まで。此処で、名多き花々に、永久の水を与え続けよう―――

 それが、私の在るべき道だ―――

「さて、帰るか。相坂さよ。今日も私の家に来い。
 それともあの鋼塔に密集している校舎の中で一夜を過ごすか?」
『はうぅっ! エヴァンジェリンさぁん、それは酷いですぅ。あんまりですぅ。今日もお伺い致しますよぅ』
「ハハハ。それじゃあ帰ろう。良い香料が手に入ったんだ。
 何も食べられないお前だが、香を楽しんでいってくれ。お腹一杯になる香りだ。きっと、気に入るよ」

 嬉しそうに両手を挙げて万歳する白い少女を肩に憑け、私は階段を降りていく。
 遠くには大図書館が聳える湖と、真紅の光を弾き続ける銀色の命が今日も空を行っていた。
 頭の中で今晩の献立を立てる。私とてもう立派なレディだ。
 何時までも従者に任せっぱなしの毎日ではイカンと思い、五年前から料理や家事を積極的に行っている。
 意外と相性は良かったのが幸いだった。一年で程ほど。
 二年目で、サツキから及第点をもらえる程度のものが作れるようになった。

 今では時折サツキの方から声がかかるぐらいだったか。
 まったく、私なんかよりもサツキの方が万倍も美味い料理を作れるだろうに。
 とは言っても私がメインではない。勿論、私はサツキのサポート程度だ。
 その程度のお呼びがかかるようになったのは、まぁ、喜ぶべき事なのだろうな。
 食事を取るべき人間が私以外、あの家には居ない事が心底に残念だ。

 折角の料理も、今までクーフェイ、龍宮真名、明石裕奈、綾瀬夕映、宮崎のどか程度らにしか振舞った事が無い。
 もっと早くに学ぶべきだとは想っていたが、あの頃ではとても無理だろうな。あの頃の私と今の私では、あまりに違いすぎる。
 そう考えるとますます誰かを誘いたくなるのが人の性か。
 はてさて。如何様にすべきか。首を傾げながら歩いていた時だったか。

「やぁ、総合委員長殿。本日のお勤めはおしまいかい?」

 ライダースーツに身を包んだ、褐色の肌の元クラスメイトがそこに居た。
 五年も経っているというのに、ちっとも変わってなどいないその姿。
 尤も、五年前の時点が異常だったのだろう。今の状態こそ、龍宮真名が19歳と呼ばれても充分通じる状態だ。五年前で14歳を名乗るのは無理がありすぎる。
 かつては敵意の眼差しで私を見ていた頃の龍宮真名とは違い、今の彼女の眼差しはとても穏やかだ。
 あの拳銃を構え、常に警戒心と言うものを明確としていた頃とは違う。普通の人間と同じ眼差しの、龍宮真名。
 普通の人間張りであるからか、今の龍宮真名は巫女兼配達員と言う仕事についていた。
 ……配達員にしては少々派手過ぎる様なバイクに跨っているが、バイクの事など良く知らない私にとってはどうでも良いだろう。

「お勤め終了とはいかないさ。今日は偶然居残りの作業が無いだけ。
 明日からはまた忙しくなりそうだ。と、言う訳で疲労困憊の私だ。勿論家の前まで運んでくれるんだろう?
 どうせその様子だ。暇をもてあましていたのだろう」

 強かな表情でそう告げる。が、実際は少々異なっている。
 龍宮真名は此処の所よく私の所へ来ている。
 仕事と言っても、まだ人類科学の生んだ機械的な要因は使用可能なご時世だ。
 手紙などの配達などは、意外と少ないのだろう。従って、仕事が速くなれば彼女は龍宮神社に戻るか、そうして最近は私の元によく訪れると言うワケだ。
 彼女は、苦笑混じりに溜息をつき、明らかにわざとらしく肩を竦めてはいはいと言って自らが座っていた座席の後ろを若干空けた。

「よっこいしょっと。しかしバイクなどに乗っていていいのか? 石油はもう使えんのだろう?」
「決まっている。鋼性種が化石燃料採掘場の大半を翠で埋めてしまったからね。最新の光合成電池製で動くタイプさ。
 排気ガスゼロ。一回の交換で34万キロ走行が可能と言う超と葉加瀬の折り紙付きの一品だよ。
 振り落とされないように、しっかり捉まっていてな? っと、その前に」

 大き目のヘルメットが手渡された。私には少々大きすぎるタイプだが、被らなければ道路交通法にひっかかってしまう。
 総合委員長であるものが日本の法律に反しては示しもつかないだろうし、何より顔など見られれば堪ったものではない。
 ヘルメットを見、この大きさなら顔も隠れるかと思い、被る。
 案の定予想通りだ。目の前が殆ど見えない。それどころか、相坂さよと龍宮真名の笑い声まで聞こえる始末。おのれ、後で見ていろ幽霊。

 スロットルが回される音。そうして響く振動はバイクのもので、しかし、なるほど、確かに騒音は殆ど無く、とても静かだった。
 今までの乗用車は、既に地球上では殆どと言っていいほどに使われていない。
 何しろ石油と言うものが殆ど使用不可能になってしまった。
 鋼性種が、地球の採掘燃料である石油の採掘地を強制的に封印。二度と、人の踏み入れない翠の底に沈めてしまった。
 地球環境が良くなったのはその要因もあるだろうが。石油が使えなくなった事で今まで使用されていた乗用車等は一切使えなくなり、今では燃料電池だとか、クリーンなエネルギー資源が次々と試みられている。

 太陽光エネルギーの逐電。落雷の活用。最近では、原子力も確か使えなくなりつつあるとか聞いた話だから、何れ麻帆良の様に光合成電池の開発が進められ、殆どの電気はソレでまかなわれるだろう。
 光合成電池と言うのは超と葉加瀬の開発した最新の蓄電要因の一つ。
 ココまで自然の多くなってしまった世界だから共存関係をしっかりさせようと言う試みで作られたモノだ。
 自然界の植物が光合成を行う際に発生させるエネルギー。その変換の際に発生させる僅かなエネルギーを一気に収束し発電するというアイディアだ。
 確かに並みに森林程度では僅かな電量しか生めまい。だが、此処まで世界が自然に包まれてしまうと、何処もかしこも自然界まみれだ。
 このアイディアは見事に実現。鋼性種の防衛機構も働かなかった為に、今では日本中の主要都市殆どにこの発電所が設けられている。まったく、あの二人も強かなものだな。

「ああ、そういえば相坂さよも一緒だったか。龍宮。なるべくスピードは押さえ気味で頼む。こいつが追いつけない」
「ふむ、仕方ないか。では行くぞ」
『れっつごーでーす』

 陽気な幽霊の合図と共に、バイクはゆっくりと。しかし、着実に速度を挙げていく。
 それでも安全運転なのは、今の龍宮真名らしいと言うか。
 今日は帰りが少し早くなりそうな事。それに胸躍らせつつ、大型のバイクの後部座席。
 ぶかぶかのヘルメットを被り、龍宮真名の腰を抱くようにして、挙がっていく速度に耐えていく。
 温かい日差し。綺麗な綺麗な日溜りの下で、私は、ゆっくりと眼を閉じて行った―――

「――――先日、京都の関西呪術協会から通達を小耳に挟んだ」

 眼を開く。風に金髪と銀髪が靡く中、龍宮真名の声だけが静かに、私の耳に届いていた。
 背中に頭を預けたまま、湖の方を見る。
 赤い、夕焼けに赤い水と、天を行く、真紅色の銀色が在った。

「未確認の情報だが、鋼化現象を達成した二種が日本へ上陸。現在麻帆良方面に向けて進行中との事らしい。
 尤も、先日の話である以上、もうついていても可笑しくないだろう。
 相手はかの鋼性種化した正体不明の要素。太平洋を一瞬で渡りきる、私達の想定を外れた真生命体だ」

 龍宮真名の言う鋼化現象の話は本当に久々に聞いた気がする。
 そう、確か最後に聞いたのは、TVでタカミチが機能得限止の鋼性種生体報告書を読み上げた時以来か。
 鋼化現象。それは、鋼性種の一部細胞が何らかの要因で別意識共有生命体。
 あるいは無機でありながらも生命他としてのファクターを取り揃えている対象……即ち『記憶』『精神』『人格』『感情』。
 以上四つのいずれか一つにでも該当する存在が、鋼性種の一部―――単一性元素肥大式で構築されていると言うのに一部と言う表現もおかしいのだが、兎に角一部を継承して『鋼性自工回路』なるネットワークを構築。鋼性種と言う『限りなく第二世代に近い第一世代』として『転醒』する、と言う理論の事だった。

 鋼性種の肉体は単一性の元素で構築されている。
 つまり、あれだけの巨体でありながら、鋼性種はその場には単独元素一個程度でしか存在していないと言う事である。
 機能得限止はこれに目を付け、鋼性種には記憶の記録媒体、即ち、命令中枢である『脳』は存在しないと結論付けた。
 単独性の元素構築された鋼性種にその系統が存在していることは矛盾であると言う事からだ。
 ならば、鋼性種は如何様にして駆動しているのか。機能得限止はとんでもない仮設をたたき出した。
 即ち、鋼性種と言う生命体は自工生命体であると言うこと。
 自然界の単独元素において、自らの元となるデータ的な、魂的な要素を装填。それを基として単一性元素肥大式により、かの大きさにまでなるという事だった。

 そのデータ的な何かこそ、鋼性種の魂と言える要素なのだろう。
 そうして、機能得限止はある結論に至った。鋼性種は命令中枢からの行動パターンの転送によって行動しているのではなく、肉体そのものを構築しているそのデータ的なものこそが鋼性種の命令中枢であり、鋼性種とは『生体活動要因の全てを取り揃えた、単独の命令中枢生命体』であると。
 つまり、あの銀色に輝いている単一性元素肥大式なるもので構築された外装こそ、連中の命令中枢であると言う事だった。

 勿論、単一性の元素で構築されているものが崩壊しては元素崩壊により、そこには何も残らない筈だ。
 だが鋼性種は私たちには想定出来ない何かしらの要素を用い、その自らの存在定義であるデータ的な何かを一部に残す事がある。
 そして、別の生命体要因を持った何かしらに寄生…………『ある物体』の指示、あるいは手引きで覚醒、転醒行為を行い、鋼性種化すると言うものこれが、機能得限止の鋼化現象だった。

「五年前の機能得限止。絡繰茶々丸と同系か。そいつは難儀だな」

 鋼化現象は極めて特殊な環境条件が取り揃っていなければ発生しない事柄だ。
 事実として、五年間の間で確認された鋼化生命体はたったの五体。その五体は、一度として駆逐されたことなく、今日も遠く遠くを歩み続けている。
 その記念すべき一体こそが、かの鋼性種と言う存在をこの世に知らしめた文章発表者である機能得限止であるなどと、誰が気付こう。

「もし此処に来たとしても何も出来んぞ。鋼化生命体の特殊性は知っているだろう?
 アレは生命体の定義としては大きく外れた仮定義性生命体の一種だ。私達の定義から外れた生命体。それが鋼化生命体だ。
 ましてや魔眼持ちでもない今のお前では手も足もでんぞ? 台風が過ぎ去るのを待つだけだな」

 くぐもった笑い声が聞こえる。妙に明るい、吹っ切れた雰囲気の笑い声だったか。
 あの冷静沈着で常時に渡って無表情で無愛想を振りまいていた龍宮真名とは到底思えない程に清々しい笑い。
 彼女は、背中の私にそんな声を挙げて、笑っていた。

「勿論まともにやりあう気なんて無いさ。五年前で散々思い知らされている。
 まぁ、鋼性種も鋼化現象も知れ渡っている世の中だ。既に外出危険区画指定は受けているよ。
 鋼化生命体は鋼性種と比べるとベースとなった生命体の精神状態が反映されがちだ。
 肉食生物などが鋼化すれば早急の対応が必要だが、今日の今日まで鋼化生命体による大規模破壊が確認されて居るのはここ、麻帆良だけ。
 それも、鋼化生命体と戦闘になって発生したものだ。敵意を持たなければ、鋼化生命体も素通りしていくだろうよ。まぁ、危険回避報告は出しておくがね」

 それに、アレの姿も確認されていない。そう告げて、龍宮真名は若干速度を上げた。
 あれと言うのは、きっと、『未来完了』の事だろう。
 全鋼性種発生の要因となり、通常生命体が鋼性種データを継承した時、それを解き放つ要因。
 機能得限止の言葉を借りると言うのならば、まさに『第二世代』。
 生存する要素以外の全ての条件を廃し、生命体として純朴なまでに『生きようとする』要因のみを持ちえた生命体。それが、あの漆黒の菱形立体結晶体、未来完了だった。

 この『未来の完了』と言う名称を名づけたのはやはり機能得限止である。
 よりよい進化を望み、さらなる高みと完全性を求める『第零世代』。
 それがその領域に至るべく生み出されてきた、数々の『第一世代』。
 全ての生存要因を満たすべく、あらゆる死亡要因を打ち消すべく、生命体として、もっとも純粋な『生存』に特化するように誕生した存在。それが、未来完了と言う生命体だった。

 『完全なる第二世代』とでも言うのか。
 鋼性種とて第一世代。第二世代には近いとは言えど、その本質はやはり第一世代としてのソレなのだ。
 だが、未来完了は違う。完璧な、完全な第二世代。
 遂にぞ完了した未来予想図。生命体としての形状など、生命体としての精神的な要因など微塵も無くとも、アレは、完全なる生命体なのだ。
 如何なる要因であろうとも覆す事も出来ない代わりに、未来完了もまた、何もしない。
 翠が広がったのは、未来完了が代弁した星の意思。そんな風に解釈する人間もいるが、実際は全てが謎だ。

 最後の最後に未来完了かが確認されたのが、正に此処。麻帆良学園都市だった。
 あの、五年前のあの日。全てを焼き焦がす炎が撒く麻帆良の空へ、赤い残光と、漆黒の、しかし、確かに翠の銀光を放って上昇していく未来完了を、私は見た。
 それが最後。以後、未来完了と言う存在は機能得限止の残した鋼性種考察報告書で明るみとなったが、いまだ誰一人、かの存在を見たものは居ない。
 湖のほとりを行く。どちらにしても、未来完了も鋼性種も、そして鋼化生命体も私たちになど眼中には無い。私たち人間の在り方になど、連中は興味が無い。
 だからと言って好き勝手できるかといえば、そんなことも無い。
 事実、世界中から戦争が消えたのが何よりの証拠。そんなものなどやっているような余裕は消え、やっていた国自体も幾つかが消えたのだから。
 それに、どちらにしても私たち人間は滅びに近づきつつある生命体だ。
 幾百年後かは解らないが、鋼性種の支配するこの惑星で生きていくには、私たちはあまりにも脆弱すぎるのだ。

「―――龍宮。お前は―――魔眼を失う要因となった機能得限止を恨んでいるか?」

 ふとした疑問だった。バイクの後部座席に揺られる私。そして、私を乗せて走る龍宮真名。
 聞いた話だが、今では龍宮はあまり射撃者としての仕事には付いていないとの事だ。
 魔眼を失ったからか。それとも、かの事件の傷痕。それが、なおも疼くのか。
 あの後、龍宮真名を初め、数人の人間。とは言っても、元々魔法関係に通じた方面の人間にのみだが、私は、襲ったのは鋼化した機能得限止だと言う事を明らかとした。
 鋼化について明かしたのは機能得限止と神楽坂明日菜の二人だけだ。
 それも、当時の時点で精神状態が真っ当だった者で、魔法関係にも深く介入していた者だけに、私は真実を伝えた。

 恨みならばあるだろう。何しろ、自らの体の一部を抉り取り、再起不能の寸前まで追い込んだのだ。
 恨んでも恨みきれないほどの傷痕を、彼女たちは負わされたのだ。
 その後、私はその時の連中とはあまり話していない。
 龍宮真名に何度か会って、そして聞く。実際、これは今期に入って十数回目の問いかけだ。彼女は、それに、答えない。
 複雑なのだろうか。それとも、語るべきことも無いのだろうか。私には解らない。
 私は、機能得限止に対し、憎悪は無い。憎悪は無いが、憤りに近い、しかし、悲しみに近い何かも持っている。
 副担任と言う役割。あの男は、只管ソレ忠実だった。
 深く私たちに付き合うことはせず、しかし、教員として何処までも私たちを見つめていた。それは、この様な未来を見ていたようにかも見えた。

「―――ネギ先生には共感はもてるかな。機能得先生には……そうだな、ノーコメントだ」

 何時もどおりのはぐらかし。そうかとだけ応じ、私は黙る。
 何時かも誰かがそう応じた気がした。ぼーやの事は話すくせに、機能得の事はからっきし。
 だが、それは嫌っているなどと言う感情とはもっと違う部分にあると想うのだ。
 相手は、もう人間ではない。人間同士ならば憤りも怒りも、憎しみも悲しみも伝える術があるからだろう。
 だが、獣にはソレが致命的に存在しない。獣に感情的な要因を求める事は不可解なのだ。
 だからこそ、誰もが機能得に対しては不均等となる。
 傷つけられたことを憎めばいいのか。傷つけたことを怒ればいいのか。人間でなくなった事を悲しめばいいのか。
 そして―――その全てが通じなくなってしまったことを、憤っていいのかも解らないのだろう。

 機能得限止が鋼化して傷つけた人間は多い。名も知らぬものも含めれば、十数人にもなるだろう。
 だが、殺したものは居らず、ただ一人、神楽坂明日菜だけが、機能得限止と共に行った。共に、獣の道を行った。
 魔法生徒の一人から、神楽坂明日菜の去り際を教えてもらって、私は、泣いていいのかもどうか解らなくなった。
 そんなにも神楽坂明日菜の事を気に入っていたのかと言うことにも驚きだったが、それ以上の衝撃は、神楽坂明日菜の鋼化現象。やはり、それだろう。
 アイツは、もう帰っては来ない。私が気に入ったあの娘は、帰っては来ないのだ。
 死んではいないが、死んだも同じだろう。神楽坂明日菜。全てを捨てた、あの男と同じ娘は―――

「貴女はどう想う? 機能得先生の事は、どう想っている?」

 それも繰り返しのようなものだ。かの問い掛けに憑物の様な返答。必ずと言っていいほどに付きまとい、必ずと言っていいほどに繰り返される問答。
 私は、恨んではいなかった。だが同時に感慨が無かった。
 機能得限止と言う男の意外性。そして、あっさりと人間を放棄できた意志の強さ。
 あるいは、その弱さ。それに、打ちのめされたような気分だった。
 あの男の言える事は、多分、多分だがあの男は。始まりから終わりまでを見通すような男だったのだと想う。
 何かを始めようとする時、その始まりから終わりまで。全てを見通し、始めようとするからあそこまで冷静を保っていたような気もするのだ。

 何をすればこうなるのか。如何様にしたならば、如何様になるのだろうかと言う事。
 その全てを見定め、その上で行動していた。だから、あのように無感情で、無感慨で、そして、無機質だった。
 最初から最後までがある程度予測していたようになっていたのだろう。だから無機質。何事にも冷静で、けれど、教員として最後まで私たちに付き合ってくれた。
 最後に選んだ道。それが、あの男の最後の踵だった。
 唯一何が起きるのかを予測せず行った単調な行動。その結果を見ず、最初で最後と行った行為。
 結果は黒。あの男は、私たちに深い深い傷痕を残して、そして、消えて行った。
 永久に。二度と、人としては戻らない。そう言う結果を残して。

「解らない。私には、解らないさ」

 何時も通りの問答だから、いつも通りに答えを返す。
 それが答えだろう。あの男の選んだ道は、あの男のものだ。あの男はそれだけを常として生きていったのだから。
 どれだけの侮蔑と嫌悪も、もう、あの男には関係ないのだから。
 平和な今を、私は受け入れている。もう戦う力など微塵たりとも残っていない私には、この環境が一番だ。
 刺激の無い毎日だから暇などと言う感情も無い。明日何が起きるのかを想像してみれば良い。きっと、変わらない筈の毎日が輝いて見えるのだ。

 同じ日々など何処にも無い。全ては変わり、そして掛け替えの無いものへと変わっていく。私はソレを愛し、それを育んでいこう。
 何時かこの身が崩れ去り、灰になるまで。私は、今のこの安堵を、味わい続けよう。
 風を受けつつ、龍宮真名の背中に体を預ける。最近は本当に働きっぱなしだったからな。
 たまには、こうして休める時間があってもいいだろう。どうせ家に戻れば、家事に精を出さねばいかんのだ。今ぐらいは休んでいよう。そう想って、目を閉じた時だったか。

『あっ、今のこのかさんですよ、エヴァンジェリンさん』

 閉じかけの眼を開き、首を返す。
 真紅の光。銀色の弾く赤と、水面の弾く赤を受けなお、その場の女性の肌は白く、髪の毛の黒は際立っていた。それほど、彼女は美しくそこにあった。
 龍宮真名の背中を軽く引き、停止を促す。バイクが音も無く止まった為、近衛木乃香はまったく此方に感づいては居ない。
 様相を見る限りは、まだ五年前を引きずっているのだろう。だからと言って、もうそれをダシに虐めるような真似では総合委員長は務まらない。
 向こうから近づき、感づくまで待つ。
 無理に近付いていって声をかける事も無い。私もアイツも疲れた顔立ちなのだから、お互いに消費体力は少な目の方が良かろう。

 近づく女性。近衛木乃香、20歳。麻帆良学園大学部所属の、元クラスメイト。
 あのおちゃらけていた中等部時代とは思えぬほどに研ぎ澄まされた清廉な気配と、ほんわかとしていた気配とは表裏逆の鋭くも美しい気配を放っている。
 それなりの長身であり、和服に袖を通せば、正に京美人と言う言葉が似合うだろう程に線は細く、髪は黒く、そして肌は白い。典型的な大和撫子の像が、其処には在った。
 距離が縮まり、向こうはなおも歩み寄ってくる。距離は充分。お互いに、最小限の体力で声を交えられる距離だ。

「おーい、近衛木乃香」

 顔を上げる良く知った元クラスメイト。
 赤い情景に照らされながらも美しいかの女性は儚くも微笑み。

「―――久しぶりやなぁ、エヴァちゃん」

 訛りの入ったあの呼び方。しかしそれでも、彼女とは違うあの呼び方で、にこりと笑って応じてくれた。

第四十六話 / 第四十八話


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