第四十八話〜出逢〜

 

  もう、走り疲れた

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「元気そうやね。うん、なんか…………良かった想う」

 僅かに眉を顰め、近衛木乃香は笑う。その姿を、私は若干辛く見つめていた。
 あの五年前で一番傷ついた人間が、他ならぬ彼女だからであろう。
 神楽坂明日菜の失踪。桜咲刹那の転校。そして、ぼーやの、ネギの、帰郷。
 彼女と親しかった人間は悉くいなくなり、そして、彼女は一人に成った。
 私は出来る限りそうさせたくはなかったが、それも到底無理な話だった。
 私は呪いが今だ残り、吸血鬼としての能力は失われても、年齢はこの状態で固定だ。
 近衛木乃香と共に居てやる事は出来ず、結局、一人である時間を長引かせてしまったようなものだ。

「龍宮さんも、お久しゅうに。バイク姿、似合っとんなぁ」

 龍宮真名もそれを知らないわけではない。私は中等部に留まりながらも、かつてのクラスメイトに連絡を取りつつ、近衛木乃香との接触は成るだけ柔らかく接してやって欲しいと願い出ていた。
 それが近衛木乃香に伝わっているのかは、私は解らない。
 総合委員長と言う役割において、私が忙しかったのは事実。
 それを言い訳にはしないが、近衛木乃香がどんな思いで今日まで生きていたのか。
 それを、知らないほど鈍感でもないのだけは、信じて欲しい。

「…………ん、さよちゃんおるんえ。お久しゅうに」

 相坂さよがきょとんとした眼差しとなり、右往左往を向いて慌てている。
 流石にサウザンドマスターを超えた魔力の持ち主。既に魔法使いとしての修行は中断されていると言うが、その潜在性は凄まじい。
 ろくに魔力放出もせずに相坂さよを見ているのが、何よりの証拠だろう。
 近衛木乃香と会うのは何年ぶりだったか。二年。一年は会っていなかっただろう。
 お互い、既にクラスメイトではなく、同じ学園に住んでいるとは言っても、お互いに住み位置は大きく異なっているのだ。
 それに学部も中等部と大学部ではまるで違っている。擦れ違いは、仕方ないとも思えるか。

「―――エヴァ。私はちょっと急用だ、行かなくてはいけない。どうせ此処から貴女の家は近いだろう? ……三人で、帰ると良い」
「あ? お、おい、龍宮っ??」

 一息つく間もなく、龍宮真名は颯爽と去っていった。
 昔の近衛木乃香ならば何かしら告げただろうが、あのほんわかとした雰囲気のない彼女は去っていった後姿を見つめているだけ。
 あの京美人の赴き。清廉な、大和撫子の出で立ちで。
 本当に綺麗になった。私がうらやむほどに美しく成長した。素直に、それを認めるしかあるまい。近衛木乃香は、有数の美人となったのだ。
 聞く話によれば、大学部の薙刀部による試合があればファンクラブが駆けつける。ソレぐらいのレベルであるらしい。
 尤もファンクラブの大半は女性であり、不思議と男性は寄せ付けなかったりもする。
 それは、この研ぎ澄まされた刃の様な凛とした眼差し、そして、禅とした和風独特の集中心の成せる気配なのだろうが。

「行ってもうたなぁ……エヴァちゃん、これからどうするんえ?」
「あ? あ、ああ。私は今日はもう帰ろうと想っている次第だが、近衛木乃香はどうするんだ?」

 ウチも帰ると言った途端に顔つきが変わったなど、それなり鈍感の私でも感じ取れる。
 あの一人きりの寮に一人。彼女は、一人で待つというのだ。
 それは知っている。一年前。二年前もそうだった。彼女は、其処で待つと決めたのだ。
 かつてあのログハウスでサウザンドマスターを待ち続けた私の様に。彼女もまた、五年前に消えて言った者達を、今日もあそこで待つつもりなのだ。
 帰って来る筈も無い。だが彼女はそれでも待ち続けるだろう。それが、待たされる者に出来る唯一の事なのだ。
 近衛木乃香は呪いで縛られているわけでも、私のように此処に締め付けられているような存在でもない。

 捜しに行こうとすれば、いつでも捜しに行ける筈だった。
 けれど、それを近衛木乃香は成さなかった。以降と思えば行けた筈の道を選ばず、彼女はここで待つ道を選んだ。
 それを責める気は無い。外の世界がどれ程危険で、どれ程困難なのか、彼女は知っていたからだ。

 外の世界。それは、五年前のような世界ではない。
 何処までも自然が続き、砂の大陸ですら翠に飲み込まれ、全ての生物が等しく生きている世界。
 人間もソレは例外ではなく、生身で外の世界を旅できる人間などいなくなったにも等しい。
 旅などしなくても、それ以上に世界の顔色は毎日変わっていく。
 何処でも咲ける様になった花々や、何処ででも見られるようになった自然の小動物などがソレを示している。

 それを見ていれば、世界を旅すると同程度の物は容易く得られるからだ。
 その世界を、神楽坂明日菜と機能得限止は旅している。
 私たちでは旅立てぬ世界の向こう側。あの、地平線の向こう側に、二人は行ってしまった。
 近衛木乃香は待つだろう。帰ってこない一人。帰ってくるかもしれない一人。
 けれども、何時帰るかも知らない二人。彼女はあの一人きりの檻で、今日も今日とて、待ち続けるだろう。

「…………したら、な。エヴァちゃんもはよ帰り。心配するんよ?」

 確かに、遅くなっては心配させてしまう。
 龍宮真名の言ったとおり、厳戒令が出ていると言うのならばなおの事だ。
 鋼化生命体が近づきつつある。あと二時間もすれば、全ての家庭に竜巻情報のように舞い込む筈だ。
 鋼化生命体には手を出さなければ良いだけ。無差別な悪魔とか言う種族が鋼性種に滅ぼされてから四年。
 世界は、頗る平和なのだ。下手な事でこの平和を崩す必要など無い。

 だから私も近衛木乃香も。普通どおりに家の中で料理を作り、TVを見たり、編み物に勤しんだりして、一夜を過ごせば言いだけの話だ。
 近衛木乃香が私の傍らを過ぎ去っていく。
 優麗と流れた艶やかな髪の香りが、一瞬だけ私の鼻腔に届く。
 悦な香り。和風の、洋には無い香りだった。

「―――待て」

 何時かの私宜しく、振り返って呼び止めようとする。
 尤も、この程度では止まらない事なんて知っているから、たった一つだけワンアクション。
 これが、今のわたしの最強コンボだ。これはクラスメイトからも破壊力抜群らしく、こんな頼まれ方では誰も断れないらしい。
 小さな手で、過ぎて行った彼女の腰元の衣服を掴む。
 それで彼女は足を止め、静かに、緩やかに。まるで、流れ落ちる滝の様な幽玄さで振り返る。
 その黒髪の彼女を上目遣いでねめあげて。

「…………食事ぐらいは奢ってやるから、こい」

 今も慣れないその態度で。きょとんとした様子の彼女を、家に誘う事とする。

 赤く染まった湖のほとり。小さな私と、大きな彼女の影が繋がっていた。


「五年前からかわっとらへんなぁ」
「五年程度で変わってしまったら数十年も住んでいられんだろう?」

 もっと正しく言うんなら、数年前から変わっとらへんかった。
 あの、木造で、なんか暖かい感じのするエヴァちゃんのお家。足を運ぶたびに、なんや悲しくなってしまうあの場所。
 それは、ウチが孤独でなんと、でもエヴァちゃんもやっぱりウチと同じなんやと想うから。
 開かれた扉から、内へ。ビックリするほど中は綺麗やった。
 五年前はいっぱいお人形の縫い針や絹なんかの入った用具が散乱しとったのに、今は、誰を呼び入れても可笑しくない感じになってる。

「クラスメイトも時折呼んだりするから綺麗にしているんだ。この間は十五人一気に呼んだぞ?
 まったく、騒がしい連中だが、うん、楽しいよ。後片付けも手伝ってくれる。
 さぁ、食事の準備をするから待っていてくれ。茶々、頼む」
『はい、エヴァンジェリン様』

 台所の方面に消えて行ったエヴァちゃんと変わるがわって現れたんは、あの、茶々丸さん。翠の髪の、紛れも無い茶々丸さんやった。
 五年前。ウチとせっちゃんは、茶々丸さんに似たなんかに傷つけられて、ウチは背中と髪の毛を。せっちゃんは、全身に落雷みたいな重傷を負った。
 それを、ウチは恨んでへん。あれは茶々丸さんに似たなんかやった。
 茶々丸さん本人と違う。だから、怖がったりはせーへん。
 せーへんけども、やっぱり、なんか目の前にこうして対峙してまうと、妙な緊張感をもってまう。

 目の前の茶々丸さん。けど、この茶々丸さんはあの茶々丸さんとは違う茶々丸さん。
 イギリス工化学大学へ留学した超さんと葉加瀬さんが共同で造り上げて残してった、茶々丸さんの残されたデータを基礎として造り出された茶々さん言うロボットさん。
 名前は傀儡茶々(くぐつちゃちゃ)さん。
 髪の色が翠やったり、流暢な動きでお茶を注いでいく仕草は茶々丸さんやった時そのものに見えるけど、その表情の変化の少なさ、そして、何よりウチを見てもエヴァちゃんを見ても感情一つ無いような態度は、紛れもなくロボットさんのそれやった。
 淹れてくれたお茶を三回廻して口へ運ぶ。美味しい。ホントに美味しい味わいの緑茶やし、文句の付け所が全然あらへん。でも、それが無性に悲しくなってまうのはなんでかな。

「近衛木乃香? お前、チキンはいける口か? 良ければ良い葉が入ったんだ。蒸し焼きにしたいんだが……どうだ?」

 うんって頷く。エヴァちゃんは笑って台所の方に引っ込んで、一分せーへん内に、いい匂いが鼻腔を突っついてくる。食欲をそそる、香料の香り。
 ああ、暫くこんな思いの篭った食べ物なんて食べてへんかったかもしれへんな。
 明日菜にネギ君、せっちゃんが居なくなってから、食費は嵩張ってまうし、ウチはそんなに大食いあらへんもんやから帰りに買う分で充分間に合ってしまってもーたもんな。
 内心とは裏腹で、とっても楽しみにしてるウチが居る。
 エヴァちゃんのお料理。食べた事は何度もあるけど、食べれば食べるほどに美味しくなって、暖かくしてくれるそのお料理を、ウチは、とっても好きなん。

「あん? 私も食べたいだと? 我慢しろ相坂さよ、それは無理だ。あーもうっ、泣くな泣くな。後で体でも貸してやるから憑依でも何でも食っていいぞっ」

 台所から聞こえてくる二人分の声。ふふ、さよちゃんったら我儘さんやなぁ。
 うん、でもその気持ち解るえ。エヴァちゃんのお料理、作っている所見たら食べたくなってまう心持がぐんぐん上がってきてまうもんな。
 ウチも、一回見てもーたから居ても立ってもいられへんでつまみ食い。そしたら怒られて、結局二人で作ったんやっけ。ああ、懐かしいなぁ。
 眼を閉じて、開く。目の前には空になった湯飲みの中に、もう一回お茶を注いでくれる茶々さんがおった。
 茶々さんに頭を一回垂れて、カバンの中からソレを取り出す。
 何の事もないん。大学の友人から教えてもらた、しょーもあらへん作りかけのお守り。
 持ってたら、持ってる人同士がもっかい会えるようになる言うお守りらしいんやけど、明日菜もネギ君もせっちゃんもおらへんのや、意味あらへん。

 せやから、あの頃のクラスメイトの皆には配っておきたい。
 そう思うて作って、持ってたんやけど、折角エヴァちゃんと出会えたんやもんね。作りかけ完成させて、エヴァちゃんと茶々さんに挙げとこか。
 てるてる坊主ちゃんにも似たちっちゃなおにんぎょさん。エヴァちゃん、ひょっとしたら造形が甘いとか言うかもせーへんなぁ。
 ちょっと失礼やったかもしれへんけど、横の木箱を開けて針と糸を取り出す。
 それで顔の部分をちくちくちくちく。にっこり笑顔のおにんぎょちゃん。もう、見られへん、明日菜の笑顔みたいで、なんや、泣けてまうなぁ。

「茶々さん。これ、受け取ってくれへん?」

 てるてるぼうずちゃんにも似たおにんぎょちゃんを茶々さんに手渡す。
 渡された茶々さんはちょっとの間それを見つめていたけど、数秒後には顔を挙げて、ウチに質問してきた。

『近衛様。これは如何様な物なのでしょうか。私のメインメモリ内には登録されていない物体です。
 マスターからの指令でメインメモリ内に存在しない情報は即時得るか、あるいは強制排除により自己の保存優先を選択しなければなりません』
「ああ、すまへんなぁ。それ、お守りや。お守り。解るか? それ持ってると茶々さんがエヴァちゃんをじょーずに守れたりするんえ。
 気持ちの問題やねんけどな。あ、茶々さんは気にしないでええんよ。エヴァちゃんにそう伝えてな」
『了解。今の情報をメインメモリ内に登録いたします。情報提供感謝いたします、近衛様』

 無機質にそう告げ終えて、でも、茶々さんは挙げたおにんぎょちゃんをちゃんと服のはしっちょにつけてくれた。
 うん。ウチ、それだけで充分。仮令、あの頃の茶々さんとちゃうとも、ウチ構わへん。
 も一個の方の作成にとりかかる。こっちはエヴァちゃん用。
 エヴァちゃん、おにんぎょちゃんにいっぱい囲まれて生活してるもんな。ちゃんと作らな、置いてもらえへんえ。
 ちくちくちくちく縫っていく。でも、ちょっと手元が狂ってもうた。
 カチっと、木目の床に針を落としてもうた。原因は簡単。手元がちょっと狂ってもうて、針を指に突き刺してもうただけ。
 目の前の茶々さんは動かへん。ま、それもそうやよな。
 茶々さんはエヴァちゃんを守るロボットさんやもん。ただのお客さんのウチが怪我しても、動いてくれへんのが当たり前。

「近衛木乃香? どうかしたのか? 何か相坂さよが騒いでいたんだが………………あ。
 茶々。火の様子を見ていてくれ、煮詰まったら弱火。そこに塩コショウだ」
『承知しました、エヴァンジェリン様』

 台所から駆けつけて来たエヴァちゃんがウチの指先を見てちょっと困ったような顔つきになる。
 まぁ、勝手に針使ってもーて、しかも勝手に指に怪我してもーたんやもん。それは、困った顔にもなってまうやよな。
 でも、エヴァちゃんは格段怒る様子でもなく、ウチが落としてもうた針を針刺しに戻すと、その下の段から消毒液とタンポンを取り出して、器用にウチの怪我した指先に消毒液を塗っていく。なんや、お母さんみたやった。

「まったく鈍くさいな近衛木乃香。それでも薙刀部の副主将か? でもまぁ、人形作りは悪い趣味ではないが……なんだコレ?」

 エヴァちゃんが治療を終えて持ち上げた作りかけのお守り。
 まだ顔も縫われていないソレは、なんとも不恰好でなにゃ呪いのおにんぎょちゃんみたいになってもうてる。
 でも、エヴァちゃんはそれを愛しげに見つめていた。
 子供が作った初めての何か。それを見つめるような眼差しでソレを見つめて。

「コレ、貰ってもいいか?」

 唐突に、そんな事を言った。

「……うん……元々エヴァちゃんに挙げる予定やったもんやからええけど……でもホントにええの? それ、作りかけやえ?」
「じゃあ半分は私が作ってもいいか? お互いの気持ちが通じ合っているようで悪くないとは思うが」

 ……確かに持っていたらお互いに引かれ合って会えるようになる言うものなんやけど。
 うん、でも二人分の気持ち篭っとったら、ますますええかも。
 もうこれ以上はなれて行く人がおらへんように。
 気持ちの問題で、魔法とかももうほんとに関係あらへん領域まできてまってるけど、それはホントに大事思うんよ。

「うん、お願いしてもええかな?」

 エヴァちゃんは、五年前からは想像できへんぐらい綺麗な笑顔で微笑んで、ああ、でもホントはちゃうな。
 エヴァちゃんは、五年前もこんな顔で笑えた子なん。ただ、ほんのちょっと余裕が出来て、フツーに笑える様になっただけ。うん、そんな感じ。
 そのおにんぎょちゃんを茶々さん宜しく、腰元につけて、エヴァちゃんは台所の方へ駆けて行く。
 消毒液を付けてもらった指先。それがちょっとだけ痺れて、でもちょっとだけ、暖かかった―――

「ごちそうさん」
「お粗末様。茶々、洗物は頼めるな?」

 無言に頷いた茶々さんが、両手いっぱいに空のお皿やお椀を載せて台所の方へ消えていく。
 最近のスタンスはこんな感じらしくて、エヴァちゃんがお料理作って、茶々さんが後片付けらしいん。
 ちょっと薄暗い部屋の中に、ウチとエヴァちゃんは向かい合って座ってる。
 お互い、ちょっとだけ微笑んだ状態。どうして微笑んでいるかなんて、解ってるもんな。
 エヴァちゃんの服のはしっちょにぶら下がっとる小さなおにんぎょちゃん。
 未完成品やけど、エヴァちゃんがちゃんと完成させてくれる言うから安心できる。ウチは、もう、誰とも別れたくなかったから。
 部屋の中を見渡して見つめる先。窓際に置かれた、幾つかのおにんぎょちゃん。
 可愛らしいのから痛々しいのまで。沢山のおにんぎょちゃんはけど、しっかり治されて、そこに座しとった。

「…………人形と言うものに依存するタイプの人間はな、存じて寂しがり屋が多い。
 これは人間的な繋がりと言うものを恐れるあまり、自らの脳内で設定した性格を投影した存在を是としてしまうからであるらしいぞ。
 ……私も、五年前とは関わらず寂しがり屋だったんだな。だからこそ人形遣いなどを選び、一人で生きているつもりになっていたんだ。
 やれやれ、もうちょっと早く自分の弱みを明らかにさせられるような性格になるべきだったかな?」

 とっても穏やかな表情で語りながら、エヴァちゃんは窓際に置かれていた人形の一つのとこまで歩き、それを取って戻ってくる。
 そうして、ウチの膝の上に置かれた灰色のウサギちゃん。
 目鼻口が縫い合わされてなんやちょっと怖い感じもせーへんことないけど、なんや、とっても暖かい感じの、ソレ。
 ……そうやよな。エヴァちゃん、ホントはすごい優しい人やもんな。
 五年前からずっと知ってたんえ。魔法使い言うの知って、ウチに魔法のこととか色々教えてくれた時、ホントにエヴァちゃん真摯やったもん。
 間違えた魔法の使い方とか、自分の実体験を交えて説明してくれたん、ホントに嬉しかった。ウチがそうはならないように。そんな願い、ちゃんと伝わったから。

 でもなエヴァちゃん。ウチ、五年前のエヴァちゃんの方が好きなところもあったんえ。
 勿論、そんな風に穏やかに健やかに笑えるのはすごく可愛い思うし、悪いことやない思う。
 けど、五年前のエヴァちゃんと今のエヴァちゃん。比べてみると、五年前の方がすごい、なんて言うのかな、頼りがいのあった気がするん。
 今のエヴァちゃんは頼りたい言うよりは、頼られたいみたいな雰囲気の方が強いんよ。
 ソレは、ウチの間違えかもしれへん。事実、今のエヴァちゃんは中等部の総合委員長さんで、精力的に頑張ってる言う。それは、皆から心底頼りにされてるんからやん
 でもな、エヴァちゃんは他の人の為に頑張ってるん。自分の事は殆どないがしろで、自分の事をなんやもう捨ててしまったみたいな雰囲気。
 それは、失ったものの大きさなんかもせーへんな。

 絡繰茶々丸さん言う存在。ネギ君のおとーさんの存在。ネギ君の存在。そして、明日菜。
 エヴァちゃん、良く明日菜の話するもんな。ウチ、知ってるんえ。
 中等部の子が明日菜のお話しているの聞いた時、ウチ真っ先にエヴァちゃんやと思ったもん。エヴァちゃんと明日菜、仲良かったもんな。
 でも、もうそれは帰ってこーへん。そんなんは知ってる。帰ってこない。そんなん、知ってるん。
 エヴァちゃんも、きっと知ってる。皆、帰ってはけーへん。ネギ君やせっちゃんは帰ってくるかもしれへんけど、少なくても、明日菜と茶々丸さんは、もう。

「…………茶々さん、記憶戻らへんの?」

 一言に、エヴァちゃんはかすかに笑う。笑って、頷いて、ウチの正面で泣いていた。一筋のライン。それを、目じりから流して。
 茶々さんのメインメモリは茶々丸さんのソレの代用品。
 残った頭部から回収された情報を抜き出して、新しいメモリに登載した言うのまでは知ってるん。
 茶々丸さんは鋼性種に転醒して、鋼化茶々丸さんになってウチらを襲った言うのまでは聞いた話やった。
 その鋼性種の定義も、もう今の世界では承知の事実やもん。
 鋼性種は自工生命体。自らで自らを生み出す存在言う生命体。
 せやから、茶々丸さんに寄生した鋼性種も、茶々丸さんを、一番活動しやすい形態として変質させたに変わらへん。

 だから、一欠けらでも残っていれば、茶々丸さんの記憶は戻るかもしれへん。
 そんな淡い期待の元に、超さんと葉加瀬さんは茶々さんを造ったんけど、結局は、茶々さんに茶々丸さんの記憶は反映されへんかった。
 茶々さんは茶々さん。居なくなってしまった茶々丸さんは、もう、二度とこっちへは帰ってきーへんのな。
 エヴァちゃんは一人ぼっち。部屋の端にある、あの茶々ゼロちゃんのおにんぎょちゃんは一切動かへん。
 それは、エヴァちゃんの魔力が完全に尽きて、エヴァちゃんが、もう、魔法使いやあらへんから。
 目の前の女の子。この子は、いたって普通の、普通の女の子なんよね。もう、傷ついたり苦しんだりしなくていい、普通の女の子なんよね。

「……お前に質問ばかりさせていても悪いな。こっちからも話していいだろう? 近衛木乃香は、恋人でも作らんのか?」
「あはは、それは無理やよ。ウチ、全部忘れて幸せになる言うの無理っぽいもん」

 それは、まったくの本心やった。ウチは、一人で幸せになれるなんて思ってへん。大体、一人で幸せになってなにがええん思うだろ。
 それに、ウチは好きとかいう感情は五年前からもう無いにも等しいんやもん。愛し、愛されるような年代を終えて、この安堵に流されるままに生きている。
 でも、それも悪くない思う。後輩たちを鍛えてあげなくちゃいかへんし、先輩からもまだまだ学ばなくちゃいけない事は沢山やもん。
 世界は恋に恋して、とか言っている状況やあらへんし。自分の道を行くだけもええかもしれへん。

 何より、ウチは、待ってなあかんから。帰ってくるなんて解りもしないあの人たちを、ウチの生がある限りは、ずっとずっと、待ち続けなあかへんと思うから。
 せやから、ウチは生きてくで。この世界。平和に染まって、それでも、少しずつ滅びいっているこの世界。
 ちょっとずつ。まるで、蜘蛛の糸で首を絞められて息の根を止められるかのようなそんな滅び。それは、ちょっとずつちょっとずつ。ウチらの世界を侵食していくんよな。
 だから何時しかその日が来るまでは。ウチは皆を待ち続けて、ウチは、あの頃の一人のままに生きていくえ。
 それが、ウチの此処に在る意味やから―――
 大きく息を吐いて、茶々さんの淹れてくれたお茶を一啜り。冷めてもーたお茶は、なんとも言いがたい味わいやった。

「…………ぼーやからの手紙、まだ続いているのか」

 ぴくりと、持っていた湯飲みが揺れる。ぼーや言うのは、やっぱりネギ君の子となんやろか。
 コタ君は楓さんと修行の旅。ああ、そんなら、ぼーや言うのはネギ君だけやろな。
 カバンから取り出だす一枚のエアメール。英語を読めへんわけやあらへんから、書いてある事は何とか解ってる。
 氏名に、ネギ・スプリングフィールド。あて先は、何や聞いた事のない国からになっとった。
 エヴァちゃんは、その手紙を手に取るでもなく、眼で追うだけにしてその顔を伏せた。
 それが何を意味しているのかなんて。知っている。知っているから、なんや、ウチも、悲しくなってきてもーた。

「返事は相変わらず書いていないのか? 確か、和泉亜子や宮崎のどかは返信を書いてはいると聞いたが…………」
「ウチは書いてへんよ。書くほど上等な事なんてあらへんし、それに、結構忙しいもんな。手紙書いている様な余裕も、あんまりあらへん」

 勿論嘘。余裕なら、寝る時間を一日十分遅らせるだけで返信ぐらいはかけるやろな。それをせーへんのは、やっぱり、ウチはネギ君を―――

「…………ウチ……そろそろ帰るえ」

 なんか考えていたら、寂しくなってもうたかもしれへん。お互いに一人ぼっち同士。
 頼れる人が少なくて、それでも、今の生活に安堵を覚えながら生きている。そう言うのが、なんか当たり前になってしまたから。

「泊まってはいかないのか? 部屋は空いているから泊まっていくのもかまわないんだけれど……」

 エヴァちゃんの思いやりは嬉しいけども、なんや落ち着かないんよね。
 ウチの住んでいるあの場所。二人三人部屋なんに、今でも住んでる女子寮。
 おじいちゃんに我儘言って住ませてもらってるんやけど、あそこもそれなりに過ごしやすいんよね。
 後輩の皆はよくしてくれるし、なんか女子寮の管理人さんになった気分や。

 でも、やっぱり一番は待っていられる喜びみたいなんがあるからかな。
 そう、とだけ言ってウチを出口まで案内してくれるエヴァちゃん。
 でも、なんや不思議なことにエヴァちゃんは外まで出てドアを開いてくれとった。
 不思議そうな顔で見つめてると。エヴァちゃんは口端だけで笑う。五年前からクセになってしもうたんか、それだけは変わらない仕草。

「私が寮まで見送るでは不満かな?」

 きょとんと眼が丸くなる。そんな、まさかエヴァちゃんにそんな事言われる思ってへんかったんで、呆気に取られてもうたん。
 でもすぐに嬉しくなった。薙刀部の副主将のウチでも、まだ夜道は怖いもんな。誰かと一緒に帰れる言うなら、これ以上に上等なことは無いと思うん。
 うんって小さく頷いて、導かれるまま、そのドアを出て行く。

「ではちょっと見送りに行って来るから、相坂さよは残る事。茶々も就寝の準備だけしておいてくれ。私の帰りを待つ必要は無いぞ」

 返事が返ってくるよりも先にエヴァちゃんはドアを閉めて、ウチの片手をとる。ちっちゃな手。
 今のウチから見ると、エヴァちゃんってこんなんに背も手も小さかったんかって、ホントに心底に実感できる。
 二人並んで林を後に。空は、五年前から比べてますます綺麗になった満天の星空が、今日も、キラキラしとった―――

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