第五十六話〜真実〜


 行方は何処に

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 昇る。尚早く昇っていく。昇り下って、また登っていくの繰り返し。
 まったく、幾らあと千年は蔵書全ての整理が終わらないとは言えども、きちんとバルコニーまでへの道順はしっかり整理しておくべきだったと猛省です。
 それでも駆けて行く。先に駆けて行く木乃香さんに右往左往の指示を的確に出しつつ、彼女よりも幾分遅い足並みで駆けて行く。

 ネギ先生の怪我具合を内視魔法で認識した際に、その程度は知れているです。
 酸素の供給不足による脳幹塞一歩手前。両手両足の第二層まで到達している重度の火傷。
 吸い込んだ熱風混じりの空気で、喉は焼け、きっと気管まで焼けているでしょう。
 それほどの重傷だったのならば、私が残ってのどかで木乃香さんを呼びに行かせるべきだったのかもしれません。
 あれから五年、何もして居なかったわけではない私は、ある程度の魔法は使えるように鳴っているですから。
 でも、それを敢てしなかったのは何故と考えるです。そして考え、何をと僅かに自嘲しましたです。

 なんの事はありません。私は当に本の虫。あの魔法先生に対して思う気持ちなどなく、その役割を、彼女に譲ったに過ぎないだけの話でしょう。
 でなくば、何故此処まで必至になって走っている意味と言うものが理解できないです。
 助けたい気持ちは、徒単に、あの人によって私がこの道を選んだと言う事の感謝を述べたいだけ。
 さもなければ、あの場所に残り、のどかを木乃香さんの元へ走らせているです。
 だから、私は助けたいだけ。助けたいだけだから、こうして、体力不足の体に鞭打って走っているのです。

 それに―――のどかを向かわせたとて、木乃香さんを連れ出せるとは思ってませんでした。
 木乃香さんは酷く不安定な状態で、桜咲さんとの関係もあり、ソレに加えて鋼化した明日菜さん、そして、ネギ先生の唐突な帰還も重なり、何をどうすれば良いのか解らない状態になっていたのは、知っていたのです。
 彼女の苦悩を理解して挙げられるのは、きっと私か、いいんちょさんだけでしょう。
 それは、不思議と断言できるです。その意味は、私は、彼女と共に五年間を見つめてきた一人であり、いいんちょさんは、あのクラスを纏め上げていた、委員長だったのですから。

 だから理解出来ると思った私が駆けて行ったのです。
 のどかではなく、私。
 ネギ先生を確実に助けられる人物を説得し、再び、彼と仮契約させてその治癒の魔力を最大限に発揮できる事が出来るようにさせる事の出来るのは、今のところこの私だけ。
 だから木乃香さんの元へ向かったのは私。そう、思いたいです。

 言い訳と言われるでしょうか。カモさんが居れば、あるいは偽善といわれたでしょうか。
 だけれど何と言われようとも、私は私の選んだ道を進むのみです。のどかを、進ませなければいけません。
 のどかもまた傷ついた一人。ネギ先生と言う一番を失って、一人五年に耐えた一人なのですから。だから彼女に譲ると言うわけでは在りません。
 私は、このような役目が一番だと思ったのです。
 誰かを好きになるよりは、誰かの為に何かをしてあげられる存在になる。それが、私の役割のような気がするのです。
 私は魔法使い。何時か、憧れになった男性が取ろうとしていた道を歩む一人。
 ならば、マギステルマギとしての役割を、此処で果たすべきでしょう。
 私は魔法使い。ならば、魔法使いと言う役割の持つ意味を、遂行しましょう―――

「夕映? 次、次はどっちなん??」
「ハッ、ハッ。さ、左舷上方の本棚から上がっていってください。
 木乃香さんの足ならば、容易く駆け上がっていけるはずですっ。ハッ、ハッ。先に、どうぞです」

 コクリと頷き、木乃香さんは身軽な動きで本棚の縁を足がかりにして上へと登っていきます。
 私の事など何処吹く風。まったく、迷いの晴れた人の動きは大したものです。
 かく言う私といえば、本棚の一つを背もたれとしてそこで一瞬休息し、再び、本棚の間と、其処から伸びる階段を足がかりにして昇っていきます。
 一段昇るたびに本が一冊落ち、一段昇るたびに、私の心の中に染み込んでいく一つの感情。
 嘗て、恋愛と言う感情を尊びながらも、自分でいざ恋愛感情を懐いてみればあまりにも混乱に近い感情しか懐けなかったあの頃。その時のあの感情が抜けて、変わりに染み込んでくる、一つの思い。

 代わりになったつもりは在りませんですし、多少皆さんよりも大人びていたから保護者のように見つめていた気も無いです。
 あの頃から皆さんの事は子供っぽいとは思っていたですが、ソレが理由で此処に留まり続け、皆さんを見つめていたわけでは無いです。
 ただ―――思う感情があるというのならば、私は忘れて欲しくなかったからこそ、のどかを手元に置き、自ら魔法使いと言う役割を自らに継がせたと思うです。
 ネギ・スプリングフィールドと言う少年。
 嘗て私が愛し、けれども、のどかの手前に告げる事も出来ない恋心を懐き続けた人。
 それを、初めに見定めた宮崎のどかと言う友人の為に、彼が居なくなっても、魔法使いと言う存在が近くに居る事で仮令彼女を苦しませる羽目と為ろうとも私はあの魔法先生をのどかに忘れさせない様にし、私は、自らネギ先生を演じていたのかもしれませんです。

 それ故の魔法使い。のどかの為に、あえて道化を演じ続ける真似であったとしても、私自身が選んだ道。
 私自身が、あの真っ直ぐに前を見詰めていた少年を愛してしまった事によって選んだ、あの、魔法先生と共に在りたいと一瞬だけでも願ってしまった、私だけの道。
 それ故に図書館長。傷ついた彼女を見守り続け、何時か帰ってくると信じ続けた少年を待ち続ける日々。
 帰ってきた少年に、もう己が心を打ち明ける事はないでしょう。
 不幸かもしれません。この想い打ち明けぬままに終わっていく事は不幸かもしれませんが、それもわたしの選んだ道。誰にも譲れぬ、私だけの道なのです。

 苦しくは、ありません。嘘では無いです。私は、苦しくなどありませんでした。待っている時も。そして、帰ってきた時ですらも私は苦しくは在りませんでした。
 だからこそ選べた道なのです。だからこその、魔法使いとしての道なのです。苦しい筈もなく、苦しむべくもなかった、この五年間。
 恋心に変化が生まれるならば丁度良すぎる時間でしょう。
 私は自ら魔法使いを演じ、彼女の為にあの魔法先生よろしくを演じ続けた身。
 彼女はそんな私を見続けて、あの魔法先生を、彼女の恋した、あの少年を想い続けられた様に。

 それで、充分ではないでしょうか。
 私の恋心など、所詮はあの少年に恋した少女と共に居た結果に見てしまった過去や、その境遇でありながらも真っ直ぐに前を見つめるその姿にほれ込んでしまっただけの二次的なもの。ただ、それだけの事なのですから。
 本の中に、背中から倒れ込んでしまいました。まったく、五年前までは京都でアレだけドタバタと走り回っていたというのに、この程度で膝崩れを起こしてしまうとは。
 木乃香さんと一緒に走り込みでも始めてみようかなとも思うです。勿論、日の下にちゃんと出られるように体を慣らしてから。
 立ち上がり、上を見上げた時に。

「ゆーーえーーーー!!! ネギ君居たえーーーー!! 仮契約って、どないすればいいんのーーーー!?」

 大きな声。性格も、大分昔の彼女に戻ってきたかもしれないですね。
 良い、傾向です。カモさんが居ない今、仮契約の儀式を施行する事が出来るのは私だけ。
 ただし、カモさんの様にキスで仮契約するなどと言う無粋な仮契約ではない、正規の契約方法に近い契約方法で施行するとしましょう。

「後一分以内には上がるですーーーー!! 少々お待ちをーーーーー!! げほっ、げほっ」

 咽るほど大声は出すもんじゃないです。まったく、木乃香さんの性格が元に戻ってきたように、私の心も嘗ての様に童心混じりに戻ってきてしまったのでしょうか。
 ああ、でもまぁ、それも悪くないと言えば悪くはないでしょう。
 嘗てと同じには決してならないでしょうが、嘗てと似たかのようになれるかもしれないです。
 同じでは決してなくとも、嘗てと似た、それよりももっと輝くか鈍るかは解らない未来。それに、また身を委ねられそうなのですね。
 ホラ。だから、こんなにも足を動かせるし、呼吸困難な肺を無理矢理に活性化させる事も出来るのです。
 だからこんなにも、五年前以上に冷静沈着になったはずの私の心を熱くさせているです。

 悪くは、ないでしょう。決して、悪い事では、ないでしょう。
 この熱さ。この、胸を焦がす猛々しさ。ああ、五年前は帰ってこなくても、同じように、五年前と似たかのように―――また再び、皆さんと共に。
 手を本棚にかけて、昇っていく。長身と言うのは、こう言うときには悪くないものです。
 高い所までも背が届きますし、何より、大人びて見られる事に越した事はないでしょう。
 昇っていく姿は多少無様でも、他に見ている人間が居ないのであれば、問題はないでしょうがね。
 そして至るその場所。焦げ付いた肉のにおいに、ソレに混ざった乾いた木々の皮の匂い。
 バルコニーの中心では、のどかに膝枕されたネギ先生を、それの手を握ってちゃんとしている木乃香さんが、居ました。

「ネギ君? 聞こえる?? ウチやえ。木乃香。近衛木乃香やえ。
 またこんなに怪我仰山作ってからに……なんでウチらの事、頼ってくれへんの? あほっ、あほっ…………」

 告げられる苦言も、もう、心の其処からあの人を罵る言葉では無いです。
 五年間を解き放つような言葉。彼女が囚われていたかの五年間を、解き解していく言葉の筈。
 その傍らまで行き、ネギ先生の枕元に膝をつけます。苦しそうに息を荒げているネギ先生。
 申し訳無いです。直にでも治療して挙げられたのであれば良かったのですが、何分、私の魔力量で治療を行った所で、その回復量は高が知れているです。
 でも、大丈夫ですよ、ネギ先生。貴方の元に、また一人頼れる方が駆けつけてくださったです。
 近衛木乃香さん。五年前の彼女とは思えないほどに強くなった、あの人なのですよ。

「夕映。はよ、仮契約せな」

 黙って頷き、懐から取り出した一冊の本を開くです。
 開かれたページには何も書かれてなく、けれども、開かれたと同時に、その本の一頁一頁が風に舞う木の葉のように舞い上がっていき、木乃香さんとネギ先生を包んでいくです。
 取り出した本は私の魔道書。魔杖代わりとして、私がアルビレオさんから頂戴した一冊。
 長年アルビレオさんと共に在った所為か、その内に懐かれている魔力の浸透性や魔力大系を効率よく動かす為の流動性は折り紙つきと言う一品。
 ソレを以って執り行われる仮契約施行。仮契約の方法は何もキスだけではありません。
 不幸中の幸いと言うべきかネギ先生の外傷が仮契約施行の為に役に立つのです。
 木乃香さんに指示を出し、その指先を少しだけ噛み切ってもらい、その指を、ネギ先生の右手の傷口の上に。
 コレで準備は完了。仮契約は、こんな簡単な方法でも施行できるのです。

「木乃香さん。今から施行する仮契約更新の儀は嘗てとは違い、少々術式が異なっているです。
 従って、思考中は余計な考えを捨て、一心にネギ先生の体の傷を全て癒せるようにと願い続けてください。
 そうすれば、施行完了の際に解き放たれる木乃香さんの魔力でネギ先生の傷は癒えるです。宜しいですね?」

 小さく頷かれた木乃香さん。膝枕しているのどかと、その木乃香さんを包み込むように、頁の連続が壁を作り、円柱を形成していきます。
 施行される仮契約の儀の為の結界。カモさんも人が悪い方でしたですね。こんな契約方法があるのならば、もっと早くに教えてほしかったものです。

「参りますです。…………Hele・rum E・lerum Helleborus<ヘレ・ルム エ・レルム ヘレボルス>
 La relazione con questa persona e prodotta.<この者との繋がりを生み出したまえ>」

 自らの魔法発動キーを唱え、仮契約の儀式を施行する。本の残された頁が勢いよく捲れ出しからあふれ出す光。
 そして、互い違いになって回転している木乃香さんらを覆う頁の壁。
 その隙間からあふれ出す光が、かつて、京都でネギ先生を救った時と同じ光を感じさせてくれるです。
 その時は口付けでしたが、今度はそうはいかないでしょう。
 もう、ネギ先生も私も、木乃香さんものどかも、あの時のような子供ではないのですから。
 子供ではないからこそ、幾つもあった、たった一つの道を選べるよう、皆に気を配らなければいけないです。

 ふふふ、私も、まったくもってお人よしになってしまったですね。
 でもいいのですよ、ネギ先生。私はこの道を選んだです。
 まったく以って自分の幸福に繋がらない、将来確実に損を侵すタイプの人間の典型的な例だというのに、可笑しいですね。自然と、笑みが漏れてしまうです。
 さぁ、帰ってきて下さい。そして、取り戻してきましょう。
 止まっていた五年間。変わってきた私たちの手で、もう一度、五年前から留まり続けている彼女と、あの時間を、動かしましょう―――


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「ネギ君?」
「ネギせんせー…………」
「ネギ君。大丈夫ですか?」

 少年の見上げている先。そこに在ったのは、白んでいる月の光によってより幻想的な輝きを放っているステンドグラス張りの天井と、覗き込んでいる幾人かの視線であった。
 近衛木乃香。宮崎のどか。アルビレオ・イマ。高畑・T・タカミチ。そして、綾瀬夕映。
 アルビレオとタカミチは兎も角とし、少年の見上げていた嘗て担当したクラスの人間の変わりようは驚くべきものであった。
 だが、それでも変わってはいなかったのだと少年は思う。それでも、変わってはいなかったのだと少年は感じ取っていた。
 変わってしまったものは大きい。だが、あの頃の思いはいまだに残り続けていたのだ。
 少年はそう感じ、自らの体の状態を探った。傷は無く、全ての筋も正常に動かせる状態。
 まったく以って問題が無いのは、やはり、傍らに座り込んで少年の顔を心配そうに見つめていた、長身で優麗な出で立ちとなり、しかし、今はあの仮契約を施行した時に着込んだ、京都で自分を助けてくれた時の出で立ちとなっていた、あの近衛木乃香であった。

「……木乃香さん……また……助けてもらっちゃいましたね……」
「ええんよ。コレからもっともっと助けてあげるんやもん。
 今日の今日までウチらの事置いてけぼりにした罰や。厭や言うても、助けまくってまうで」

 涙ぐみながらも告げる彼女の言葉を、少年は心持にして受け止め、頷く。
 今度は、手放しはしないと。今度は、皆の力を借りていくのだと。
 一人ではない。一人で戦う事は無い。今度はこんなにも居るのだと。
 手を引かれる。前髪を隠した長い髪の少女に手を引かれ、少年は立ち上がる。
 周囲を囲む人々に、少年は力強さを感じていた。何時か感じていたあの力強さ。
 そう、五年以上も前だろう。初めてこの学園に至り、一つのクラスを担当して、あの日が来るその時まで感じていた、あの力強さだった。

 懐かれていた力強さを、少年は思い知る。周囲に居てくれた力を貸してくれる多くに人々の存在を、少年は漸く理解する。
 こんなにも力強い温かさに抱かれていたのかと。こんなにも強い人達に囲まれていたのかと。少年は、後悔を僅かに頭へと浮かべた。
 だがソレも一瞬。今は後悔を反芻すべき時ではないと思考した。
 今の学園に集っている者たち。鋼化した神楽坂明日菜に、鋼化した機能得限止。
 そして、鋼化した嘗ての幼馴染。それが集っている。そしてのその鋼化した幼馴染の行おうとしている事。それを、少年は思い出す。
 決意を秘めた眼差しに少年が戻る。ソレを見て、その場の全員が少年の心の感じ取った。
 少年が成そうとすべき事。そして、自分たちがそれに手を貸してあげなければいけないという事に。

「アルビレオさん。あの、『フェニックスの片翼』と言う魔法……なのかな。それをご存知ですか?」

 ローブ姿の魔法使いが僅かに唸る。アルビレオ・イマはかのサウザンドマスター一行の中でもサウザンドマスターに次いだ実力の持ち主。
 互角に遣り合えたのはかのガトウ・カグラぐらいであり、その知識もまた膨大であった。
 その魔法使いが唸っている姿を、綾瀬夕映は深刻そうな顔つきで見つめていた。
 この魔法使いのこの様な仕草を見たことなど無かったからだ。
 この魔法使いは何時如何なる時もマイペースに事をこなしていき、また文献等を引かなくとも、その膨大な知識から即刻答え上げていたような魔法使いだ。その魔法使いが、顎元に手を当て、唸っているのだ。

 それも無理はない。アルビレオ・イマ本人も聞いた事の無いワードであったからだ。
 フェニックスの片翼。アルビレオ本人の脳内から引き出されていく幾つもの情報。魔法。儀式。儀礼。
 その全て。それの全てを引き出して尚、その脳内から該当する項目が引き出されては来なかった。
 本人もソレに困惑している。今まで、それこそ、サウザンドマスターと共にあった時ですら魔法に関する知識の事では引けを取った事は無かったのだ。
 その自分ですら窺い知れない単語。フェニックスの片翼なる名称。脳内に含まれていない単語。
 ソレが示すのは、魔法ではないかあるいは、まったく以って表にも裏にも明らかとされていない大儀礼の一種か―――

「……私でも聞いた事はありませんね……しかし、ソレが何か?」
「……さっき、明日菜さんを取り押さえようとしていた時、空から撃があったのを覚えてますか? ……それが、鋼化した僕の幼馴染……アーニャの、仕業だったんです」

 その場の全員の顔立ちが凍る。アーニャと言う少女の名を、その場の全員が知っていたからだ。
 綾瀬夕映と宮崎のどかは五年前に出会っており、近衛木乃香もまた、五年前、少年の過去の中で知った少女。
 そしてタカミチ、彼もまた、初めて少年と出会ったときに居たあの少女を思い出していた。
 その少女が、鋼化して、この麻帆良の空にアレほど大規模の魔力を流していると言うのだ。

 大規模の魔力など、学園中の魔法使い全員が気付いている。
 魔法使いにして見れば、狂的としか言いようの無い大魔力。
 アルビレオから見れば、サウザンドマスターをも上回ったあの魔力量。
 今のこの世界でアレだけの量の魔力を放出出来る魔法使いなど存在しない。
 魔法を使うときに必要な魔力が、今の世界では最大限まで徴収する事が出来ない。
 その理由。それを知らない魔法使いは、既にこの世界には居ない。

 第零世代。それが魔法使いの内に、ある限り、人間と言う生き物の内に第零世代が懐かれ続けている限りは、人間魔法使いは魔法などまともには使えない。
 使うにしても、使いこなせるのは自分の内にある内部魔力のみ。外部の、自然界から取り込むべき魔力は徴収できない。
 その様な世界。その様な、魔法使いにとっては住み辛いとしか言えなくなったこの世界で、アレだけの大魔力を開放し、かつ『降り注ぐ千億の星』などと言う大魔法を使いこなせるような魔法使いなど存在しない。
 存在すると言うのならば、ソレは即ち。魔法使いとしての性質を重ね供え、しかしども、より第二世代へ近づいた存在でしか不可能。それはつまり―――鋼化。

「アーニャさんが鋼化したというのですか? ネギ先生」

 綾瀬夕映の言葉に少年は頷くのみ。事実として、現実として見てしまった。
 とても、人間としてのカタチを留めていなかったその外状。
 機械と単一性元素肥大式が一体化したその生物としての体。それは、紛れも無く鋼化の証。鋼性種の体質を体現した証明。
 少年はソレを合い見え、その結果として此処に落着させられた。それは、偶然であり、その結果として今こうして、再び分かり合うことが出来たのだった。
 それは偶然か、あるいは、あの真紅の魔法使いの少年に対する欠片の想いがそうさせたのかは解らない。
 ただ、少年はそう思いたく、思ったが故に、少年は、彼女に、彼女の言う『ソレ』を実施させたくなかったのだ―――

「アーニャが、言ったんです。死んだ人を生き返らせるって。大切な人を、生き返らせたくないかって。
 それで、フェニックスの片翼って言うのを発動させるって。僕の……父さんの杖も、取られてしまって……」
「……それ、死んだ人を生き返らせる言う魔法なんかな? そんなん、使って大丈夫なん……?」

 死人を生き返らせるという所業にどれだけの意味があるのかは解らない。
 きっと、誰にも答えなど無いだろう。だが、死んだ命を呼び返すという行為。それが迎える代償は計り知れないと言う事だけは、その場の全ての人間が理解していた。
 命の復活。魂の帰還を行う呪法。
 それを、如何に鋼化した存在であっても実行すれば如何なる影響が出るのか。それを、その場の誰もが、予測できない筈もない。
 尽きた命の帰還は奇跡である。蘇生と言う儀式は、それは既に禁忌と呼ばれるレベルの領域にある奇跡にも等しい。
 それに手をかけるという行為がどれだけの事なのか。
 仮令鋼化し、第二世代に近い存在となっていても、それに手を出した結果に待っているものがどれだけのものかを、理解出来ない筈も無い。

 否。第二世代とは即ち完璧な生命体である。
 完璧な生命とは何かの定義は無いが、機能得限止の残した文献から抜き出すと言うのであれば、第二世代とは第零世代で克服できなかった全てを克服した生命体と言う物であるらしい。
 だと言うのであれば、第零世代にとって生存に生涯となる全てを克服した生命体こそが、第二世代となるだろう。
 その第二世代は死すらも超越する可能性がある。生存、即ち、生き残りに関して害となる事柄。
 それを克服する為に第零世代は第一世代を経て、そして鋼性種果ては『未来完了』と言う第二世代により近い、あるいは完璧なる第二世代を生み出した。
 これらに該当する事で、かの存在は限りなく死に難く、あるいは、『死なない』と言う定義が成り立っていると言うのだ。
 鋼化した生命体は転醒前の状態に近い形質を持っていながらも、その本質は鋼性種のソレとまったくもって変わらない。
 鋼化したならば、その生命体は明確には鋼性種と呼んで差し支えない。その鋼性種と呼んで差し支えない存在が、尽きた命をこちら側に呼び返す儀礼の行使などを行えばどうなるのか。
 完璧にも近い生命体の行う儀礼もまた、完璧になるのだろうか。
 答えは無い。だが今知るべきことはソレではない。フェニックスの片翼なる正体不明の単語に関する情報を知らなければならなかった。
 さもなくば対策の立てようも無い。しかし、此処にその本質を知る人間は居なかった。ならば。

「エヴァに聞くしかないかもしれないね……伊達に長生きしているわけじゃない。
 それに世界中を廻っている彼女ならば、何かしら知っているかもしれない」

 タカミチの案に誰もが頷く。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。元吸血鬼であり、今は普通の人間として生きている少女。
 しかし、その脳内と魂に刻まれた記憶と知識は決して劣化などしていまい。恐らく、この場で知っている人間が居ないと言うのならば、知って居るのは、彼女のみ。
 少年は僅かに俯いたが、直に顔を挙げる。エヴァンジェリンの弟子であった自分。
 あの日から彼女に会ったのは唯の二回だけ。師匠と弟子の関係などその後紡がれる事もなく、お互いに顔を二回だけ見渡すだけで終えてしまった関係。
 顔を合わすには、やはり何処か居た堪れない気持ちがあるのだろう。
 だが前を見据える。迷いの無い眼差しは、五年前の少年のあの眼差しだ。
 迷いを払った少年は、今ならば言えると確信する。
 嘗ての師匠にも、己が今の気持ちを打ち明ける事が出来ると確信してバルコニーの大窓越しに見える白い月を見上げていた。
 いつの間にか白い月。僅かに上部の欠けた月は、彼女達の帰還よりまだ数日も経っていない事を予知させる―――


 ――――――――――――――――――――――――エヴァンジェリン邸


 六人が並んでいる。左右にはアルビレオとタカミチ。その内側には綾瀬夕映と宮崎のどか。
 そして、四人の丁度中心辺りには近衛木乃香と、ネギ・スプリングフィールドと言う少年が、そのログハウスを見つめている。
 ログハウスの前には人影。金色と銀色。二色混合の色合いの髪の毛を夜風に靡かせている、かつて厳しく、今は穏やかな性格をしている筈の元吸血鬼の元魔法使い。
 その少女が、傍らに記憶の全てを一新した従者と共に、六人を待っていたかのように立ちはだかっている。
 だが、それは立ちはだかっていると言うよりは出迎えていると言う表現が近い。
 事実、彼女は此処五年間、尋ねてきた人間は殆どを受け入れている。
 話も聞かずに追い返したことなど、彼女自身が考える限りでは凡そ二回程度しかない。
 それも、彼女本人が追い返したのではなく、責務に忠実な従者が行ったまでの話だった。
 少年が一歩だけ前に進み出る。それを、少年が良く知る師の面持ち。
 即ち、五年前までのエヴァンジェリンと言う名の少女が、実に久々に浮かべた顔立ちを以ってして、その口から吐かれる怒声によって諌められた。

「ぼーや!! そこまでだ。お前の用件、そして、成すべき事を其処で語れ。
 納得すれば話を聞こう! 納得しなければ―――或いは、お前達だけで解決するがいい!!!」

 長い問答など不要。エヴァンジェリンはそう言ったにも等しかった。
 彼女は、自らの誠心誠意を込めてそう告げた。
 少年と今更長い問答を交える気など無い。そう自覚し、彼女は少年の全てを聞きだそうと仁王立ちになっている。
 それを見て、宮崎のどかと綾瀬夕映、そして近衛木乃香は息を呑むと共に、僅かに笑んだ。
 あのエヴァンジェリンが、目の前に立っていると。あの頃のエヴァンジェリンのままに。厳しくも頼りがいのあるエヴァンジェリン。
 無論、今のエヴァンジェリンしか知らない人間にとっては、この様なエヴァンジェリンは付き合いにくい事この上ないだろう。
 だが、彼女たちには。彼女達にとっては、そうではない。
 今のこのエヴァンジェリン。怒声を以って、かつ自身尊大と言った面持ちで佇む彼女こそ、よく知っており、尚且つに付き合い続けてきたエヴァンジェリンなのだと。

 アルビレオもタカミチも笑む。
 皆が笑む中で、エヴァンジェリンも絶対の自信の様な笑顔を浮かべていた。
 唯一真摯な眼差しは少年一人。少年以外、全ての人物は心と頬に僅かな笑みを浮べ、次の瞬間に解き放たれる言葉を待っている。
 皆、それを確信しているのだろう。ネギ・スプリングフィールドと言う少年側の全員に加え、目の前に立っているエヴァンジェリンと言う名の少女に至ってすらも確信している。
 納得させられると。そして、納得できると。
 迷いの無い少年の眼差し。あの、五年前に似た真っ直ぐな、しかし、頼られる事の真の意味と、頼るべき仲間の存在。それを知った者の、真っ直ぐな眼差しがそれを語っているのだ。
 すぅと息を吸う少年。肺一杯まで溜め込んだその息を、一息で開放する。

「マスター!!! 僕に力を貸してください!! 皆さんと共に、僕は、成すべき事を成しに行きます!!
 僕にしか出来ない事を!!
 皆さんにしか出来ない事を!!
 マスターにしか、出来ない事を!! それを成しに行くと共に、成しに帰ってきました!!!
 今度は諦めません!! 二度目は、僕にありません!! 今度は、皆さんと共に、皆さんを守って、成し遂げて見せます!!」

 吼える少年。その言葉に、エヴァンジェリンは納得の笑顔を終始浮かべていた。
 否、浮かべていたというのならば、彼女は初めから納得の笑顔だった。
 告げられた言葉の意味。吐き出された方向の意味合いを、彼女は真っ直ぐに微笑みながら受け止める。
 この真っ直ぐな眼差しと愚かしいまでの愚直さ。五年前、何度この真っ直ぐさに振り回され、同じような形質を持った神楽坂明日菜と言う少女に自分は辛酸を舐めさせられてきただろうか。その末期に、何を得てきただろうか。それを考える。

 帰ってきた少年。伴って、何時か京都で見せた脅威の回復魔力を放出した時の出で立ちの近衛木乃香。
 カードを胸に懐く宮崎のどかと、本を片手にしている長身の綾瀬夕映。六人。嘗ての六人ではないが、六人の目に迷いなど無い。
 あるいは、と少女は考える。神楽坂明日菜の帰還があれば、また再び同じ日々が帰ってくるだろうか。
 あのクラスメイトたちを呼び、五年越しの同窓会などが開けるだろうかと。
 淡い夢を見るように、しかし、その夢を叶えられるかもしれない者達を、笑んで、エヴァンジェリンは見つめていた。
 やっと見つけたのかとも思う。あの愚直さのままに、少年は共に連れて行く道を選択した。
 五年前に膝を抱えた時、弱気を吐いていたときとは比べ物にならない決意の声。
 選択した道が正しいのか間違っているのかなどは、個々が答えを出すだろう。
 だから、あの眼差しとあの咆哮は決意の表れ。
 それを進むと、ソレを選んだ以上、それ以外の道を行く事はないという、決意の声を眼差しだとエヴァンジェリンは認識する。
 長い、とても長い授業期間であったと。重い、あまりにも重過ぎた授業代だと、少年とエヴァンジェリンは同じ心で思っていた。

「良いだろう」

 元吸血鬼の少女が歩んでくる。
 金と銀。混ざり合う、鋼性種の銀壁の銀色と、嘗て吸血鬼であった証の一つでもあった稲穂の髪の金色。
 それが風に撒かれながら、エヴァンジェリンは少年の前まで歩み寄ってくる。
 そして目の前。大きくなった少年を見上げ、尚大きな雰囲気の少女は握りこぶしを作り、少年の腹部目掛けて少々強めに突き出した。
 僅かに息ごもる少年を見上げ、彼女は笑う。
 おかえりと、小さな声でそう告げて。

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「フェニックスの片翼、だと?」

 頷く少年に、やはり先のアルビレオよろしく彼女は唸った。
 だが、アルビレオとは違う唸り方である事に、その場の全員が気付く。
 彼女は何かを知っている。知っているからこそ唸っており。知っているからこそ、悩んでいるのだ。語るべきかを。それを、皆は彼女を信じて待った。
 エヴァンジェリンは思考する。フェニックスの片翼と言う単語を、彼女は確かに知っていたのだ。
 形が違うので一瞬気付けなかったが、紛れも無くアレであると彼女は結論付けている。
 問題はそれを語ってよいのか否かであった。語るような事であり、告げて良い事であるのかで悩んでいたのだ。
 周辺を彼女は一度だけ見渡す。皆が、真摯の眼差しで見つめてきている。この中でフェニックスの片翼と言うものに過敏な反応を示す人間は僅かに二人。
 アルビレオ・イマと、高畑・T・タカミチの二人だけである。その二人だけが、恐らくはフェニックスの片翼の真実に過敏に反応するであろうと認識する。

「アーニャと言うネギ君の幼馴染の彼女。鋼化したらしいのですが、彼女がソレを施行しようとしているとの事です。
 エヴァンジェリン。貴方は知っているのでしょう? フェニックスの片翼と言うものを。それは、何ですか?」

 アルビレオの言葉にエヴァンジェリンは決意を固める。
 どちらにせよ知らせねば、決定的な決意にはなるまいと結論付け、エヴァンジェリンは大きく息を吸う。
 乾いた空気に混じるのは、彼女の家独特の木の匂いであった。それを吸い込み心落ち着かせ、彼女は、その真実を語り出した。

「先に言っておくべき事が多い。メモする奴はメモしろ。
 先ず、フェニックスの片翼と言うのは魔法で間違えない。
 それも大儀礼。大悪魔級の存在の召喚儀式、あるいは、自然環境を激変させるほどの大儀式に属するモノの一つだ。
 今では殆ど使われておらず、その名称もカタチも姿を変えて伝わっている事からお前も気付けなかったのだろうな。
 兎も角、フェニックスの片翼とは、アーニャの告げたとおり、死人の蘇生を執り行う大儀礼だ」

 息の呑む音が響く。やはりと言う意味合いを込めてあるのか、それとも何故にと言う疑問が交えてあるのか。あるいは、そのどちらともか。
 周辺の空気の変化にも気を止めず、エヴァンジェリンは語り続ける。フェニックスの片翼なる大儀礼。それに繋がる、真実を。

「フェニックスの片翼と言う大儀礼を詳しく語るより先に告げておかねばいけない事があるからな、少々長くなるが勘弁してくれ。
 それに、綾瀬夕映やぼーやにも無関係ではないし、アルビレオ、お前とタカミチにも無関係ではないからな。
 口を途中で挟んでくれるなよ。長い説明は口割がご法度だ。
 属性区分と言うものがあるのは知っているな? 各魔法使いには各々得意不得意とする属性があると言うものだ。これを大きく属性区分と言う。
 この属性は各々で生まれた瞬間に定義されるものであり、完璧に不得意なものはどれだけの研鑽を重ねようとも習得は不可能とされている。
 コレは、魔法使いであるものならば誰でも知っている事だ。お前たちも知っているだろう?
 私の属性は低温・暗黒大系と破壊系。ぼーやの属性は大気・光明大系と補助系。木乃香の属性は水流大系と治癒系。
 この様に分類され、各々に得意不得意の属性となっている。
 私なら完全不得意な属性は高温大系と治癒系。ぼーやならば無機大系と暗黒系等と言った具合だ。
 魔法使いには100%扱いきれる属性と、0%扱えぬ属性の二つが備わっている。
 これは潜在的なものであり、生前前以上のものであるからして自ら選ぶ事は不可能なのだ。
 そして、この属性判定は相反する属性である事が多い。
 私が攻撃系に特化していれば治癒系をまるで使えぬ様に。
 ぼーやが補助系、攻撃系にやや秀でているが故、回復系、間接系に未熟であるようにな。
 ……だが、稀にこの属性判定に当て嵌まらない魔法大系の持ち主が生まれる。
 即ち、相反する属性大系と属性系を持たない魔法使い。100%ならずとも、あらゆる属性大系、属性系を扱いきれるオールラウンダー的な魔法使いが生まれる事があるのだ」

 少年の心に浮ぶ光景。それは、懐かしきあの魔法学校での光景だった。
 自分と、傍らに立つ魔法使いの少女の姿。共に魔法を学び、友人からバカにされては火をつけたかのように激昂する幼馴染の魔法少女の姿である。
 そして知っている。彼女は、少年に次ぐ次席で卒業した。回復系は苦手であった少年を差し置いて回復、治癒系はトップ。
 加えて、攻撃系は魔法使いの中でも最大級の攻撃力を秘めていると言われている火系の属性故の威力重視の魔法の矢。
 その射撃性能は兎も角とし、その破壊力。人間ナパームなどとバカにされては、火をつけたかのように激昂していたその姿を。
 だが少年は知ってたはずだ。回復魔法を使うときのその表情。
 穏やかで、一時は、見惚れるほどに可憐な清水の如く美しいその顔立ち。
 微笑んだ時の、聖水の様な清らかさと、蛍火の様な温かなその顔を。少年は知っており、そして、結論付ける。

「ぼーや。その顔を見る限り知っているな?
 アーニャと言う真紅の魔法使いの魔法大系。あの娘は全魔法使いの中でも秀でて火力に優れた高温大系の魔法使いでありながら、同時に真逆の魔法大系も供えた魔法使いであると言うこと。
 大火力の魔法使いは存じて回復、補助系の魔力には疎い筈。だが、アーニャにはそれがない。
 魔法属性の量は余りに多い。
 水と火。月と日。木と金。光と闇。氷と熱。音と衝。属性は常に対極図。相反する属性ありきで成り立っている。
 それは、如何なる状況でも代わるべくもない。全ての魔法使いは対極図であり、相反する属性を備えていなければいけない。
 そして、同時に備わっている属性系もソレに通じ、そして相反する属性を持ってなくばいけない。
 破壊と治癒。光明と暗黒。補助と阻害。
 反対極図と言う成り立ちは常に均等でなければいけない。それが、本来の魔法使いの大系と属性系にある。
 結論から言う。魔法使いアーニャにはコレが無い。
 あの娘には属性大系が対極図で備わっているのだ。
 即ち高温・火炎大系と水流大系。相反するコレが備わっているように、属性系も同一、相反する形で備わっている。
 即ち、攻撃・阻害系と治癒・補助系。
 解るだろう。アーニャと言う魔法使いは100%扱える魔法大系を持ちながら、0%扱えない魔法大系のない、完璧な、正に魔法使いにとって『第二世代』と呼ぶべき魔法使いなんだよ」

 第二世代。魔法使いとして完璧な属性制御能力者。
 それがアーニャと言う魔法使いの少女である事に、魔法使いであるのなら誰であっても驚きを隠せないだろう。
 否、寧ろ驚きを隠せないと言うよりは、脅威を感じるぐらいの筈だ。
 何しろ、今現在のアーニャと言う魔法使いは鋼化し、生き物としても第二世代に近い存在だと言うからだ。
 魔法使いとしても第二世代に近い生命体。
 アーニャと言う魔法使いは、正にそうなっていると言う事実。そこに感じるのは驚きと言うよりは、脅威。
 新しい存在に対する、純粋な恐怖心を煽る脅威感しか感じる事が出来ないのだろう。

 ただ、この場の全員は違う。アーニャと言う魔法使いのその才能に驚嘆している。
 なまじ、地球上で尤も初めに鋼性種と呼ばれる存在を確認させた場所に在った者達。
 故に、第二世代の関係性などに今更驚きを感じ得ないなどと言うのは野暮である。
 ただ、アーニャと言う魔法使いが、世が世ならば立派かつあらゆるマギステルの前線に立てる程の力を持っていたという事実を惜しむのみ。
 そして思うは疑問であり疑惑。それは、その属性判定が一体何故にフェニックスの片翼なる大儀礼と関連するのかと言う事。それが、その場の全員の疑問であった。
 エヴァンジェリンもそれを感じたのだろう。周囲を一旦見渡した後に、彼女は僅かに咳払いをすると、会話を続ける。
 先の先。相反する筈の属性を備えた魔法使いと、その魔法使いが施行しようとするフェニックスの片翼の繋がり。それを、彼女は静かに語っていく。

「…………フェニックスの片翼と呼ばれる大儀礼は、あらゆる相反属性持ちの魔法使いを全属性員分揃える事で施行される大儀礼だった。
 なに、簡単な話だ。死と呼ばれる絶対の対極訃音。それに拮抗するには、最低でも地上の全てを席巻するような属性が必要だと言う事だろう。
 しかし。それでも死人を生き返らせる領域まで至った事は無い。
 どれだけの才能と研鑽の結果を重ねたとて、死と言う名の初めから取り決められている大前提に相反させる事等は出来ない。
 死と相反すると言うのは生。生きて、その生きた証を見つけ出し、生きていたと言う事をこの世に残すと言うのが、死と唯一相反する属性だからだ。
 如何にどれだけの属性を積み重ねようとも、それは一人一人が生きて行く道……“生”そのものへは至れない。
 よって、如何なる場合でも“蘇生”と言う名の大儀礼は成功しなかった。
 ソレが当たり前なのだがな。死と相反する属性である生を取り備えて居るのは全ての命。だが、死と生は同じ場所には在れない。死んだモノに生は無く、生あるものに死は無いのだ。
 それが生き物全ての大前提。生きていくもの全てに与えられている、大前提だ。
 だから―――そうであるからして、二十数年前の大戦が起きた」

 タカミチとアルビレオが立ち上がる。その表情には驚愕の一色のみ。
 無理もない。二人は知っている。あの大戦。多くの命が失われた、西洋魔法使い、東方呪術師入り混じっての大戦争。
 サウザンドマスターも、ガトウ・カグラも、アルビレオも、近衛詠春も。皆が血反吐を吐きながら、平和を目指して戦ったあの大戦。
 それがフェニックスの片翼なる大儀礼と関係することこそが、アルビレオとタカミチには驚きだった。
 あの大戦の真の原因は悪魔の大量召喚によるもの。そう信じていたからだ。
 だが、エヴァンジェリンは言う。そうではなかったのだと。あの大戦の原因は、今正に、この学園で施行されようとしている大儀礼。フェニックスの片翼なる儀礼の仕業なのだと。

「…………一先ず最後まで聞いてくれるな? 二人とも。
 二十数年前の大戦。私も、それを知らんわけではない。
 何しろ全世界まで飛び火した魔法使いにも、呪術師らにも汚点となっている大災厄だったからな。
 それほど凄惨だった。空を焼く炎に、地を舐める毒と血液の川。転がる死体は人人外関係なく、幼子に婦女まで含まれている始末。
 多くの命が損なわれたあの大戦は、一人の魔法使いによる失敗が原因だ。
 アーニャと同じだよ。その魔法使いも、同じように相反属性を持つ魔法使いだった。
 アーニャ程濃くは無いが、それでも全ての魔法大系と属性系に通じるものを持った魔法使いだった。
 その魔法使いの失敗が、あの大戦を誘発した。
 知っているだろう? アルビレオ、タカミチ。あの死と生の混濁した世界を。死と生が入り混じった異界の空気。
 ソレは全て、一人の魔法使いの失敗で誘発したものだ」

 二人が腰を落とすと共に、一人がそこに立ちすくんでいる。
 ネギ・スプリングフィールド。少年は呆気に取られた表情で立ち尽くし、真実を告げたエヴァンジェリンを見つめていた。
 修学旅行の際に聞いた二十数年前の大戦。サウザンドマスターが英雄と呼ばれた頃の話。
 それは、今正に行使されようとしている大儀礼によって引き起こされた事柄を解決したからだと言う、その真実。

「どう、なったんですか? その失敗した人は。失敗して、多くの死を振りまいてしまったその魔法使いの人は―――」
「命の営みを覆すような所業だ。奇跡を行使するには、それに匹敵する何かが地上から失われる。
 解っているだろう? 何かには、何かが損なわれるんだ。魔法を使うとき、魔力と言う力が失われるようにな。
 誰かが輝かしい幸せを手にしたのならば、誰かがソレ相応の幸せを失うように。
 光の当たる箇所が多くなれば、生じて影の生まれる箇所も多くなるように。
 物事は常に均等であり、常に均衡を保たなくてばいけない。それがこの世が在るべきカタチであり、この世の成り立っている一つのカタチだからだ。
 だから、死を覆そうと言う物事には、ソレに応じてその分の生が捧げられる。
 だから大戦が起きたんだ。死と言う名の覆しようの無い事柄から誰かを引き戻そうとした結果だよ。
 その魔法使いが誰をこっちへ引き戻したかったかはわからない。けど、結果は失敗し、多くの損なわれた筈の魂が行き場も無く此方へと召喚された。
 あの世からこの世に呼び出された魂の和が多ければ多いほどに、此方からもあちらへと同数の魂を送らなければいけない。
 それが世界を均衡に保つ絶対の規律。運命や宿命と言う……生き物ではどうする事も出来ないとされている事柄の事を指し示す。
 だから大戦で失われた命は多く、その後に世界に与えられたものは多かった。
 こっちから向こうに送られたものが多かった分、あの世からこの世に戻り、そして帰っていった後にこっちに戻された物は多かった。そう言うことさ」

 ならばどうなるのか。少年はソレを思考する。
 相反属性を扱う幼馴染。彼女もまた、かの大儀礼に手を出そうとしている。
 嘗て、多くの命を奪い去った大儀礼。本来は命を呼び返す大儀礼であると言うのに、人の手に余る奇跡の領域の話であるが故、失敗した儀礼。
 それに手を染めれば、再び大戦が起きると言うのだろうか。少年はそれを危惧する。
 この地で再び、その様な死が振りまかれるだけの凄惨な事柄が起きると。そう、思ってしまったのだ。

 だがこうも考えた。少女は、今現在鋼性種と化している。
 鋼性種。生き物全ての頂点に立つ第二世代。あらゆる感情。あらゆる意思。あらゆる幻想を淘汰してその頂点に座した絶対存在。
 第零世代より始まり、長い時の中での気が遠くなるほどの研鑽の果てに到達しきった究極点。
 それが第二世代。それに最も近い位置にまで、彼女は魔法使いとしての性質を取り備えた上で到達しきっているのだ。
 それ故にと言うわけではないが、フェニックスの片翼の成功非成功に関係するのは、誰であっても予測は立てる事が出来た。
 ただ、エヴァンジェリンだけが俯いている。あの真紅の魔法使いが此処に目の前の少年を計りに来た時、彼女だけが彼女の本質に触れている。
 正しくは彼女と、神楽坂明日菜の二人が触れたのだが、事実上知って居るのは彼女一人だ。
 共に居たあの太陽の申し子のような笑顔の彼女は、当に尽きてしまったから。

「エヴァンジェリン。貴女に問いましょう。
 鋼化した魔法使いがソレを実行すれば如何なる事が起きるのか。その貴女の予想を聞きたい」

 アルビレオ・イマの声にはやや感情的な色があった。
 何処か捉えどころの無い、非感情的な人間だとも思っていたエヴァンジェリンにとって、それは少々愉快なことであり、しかしその質問は、余りにも答えにくい質問でもあった。
 まったく、つくづく痛い所を突いてくる奴なのだなとエヴァンジェリンは思いつつも、彼女はその重い口を開く。
 語りたくないなどと言っている余裕は無く、語ったところで、彼女を止める事は限りなく叶わない事であろうと認知していたからである。
 だから彼女は至極当然のように、至って冷静を装って、先を続けた。
「さぁな。だが、アイツがそうしたくなる気持ちをわからないわけじゃないさ。
 いや、解ってるんだよ、私は。アイツが、アーニャの奴が、其処までして会いたいと思う気持ちを、私は解っているつもりだ。
 だが、アイツはもう人じゃない。人とは違う物になってしまった。鋼性種だ。人のカタチをしてはいるけれど、もう、違うもの。
 人じゃないものだ。鋼性種と同じ、物。数ある鋼化の例でも、アイツほど濃い鋼化現象は無いだろう。
 いや、違う。もう鋼化では無い。鋼化以上だ。神楽坂明日菜も、茶々丸の時ですらも感じられなかったほどの濃い波動をアイツから感じている。
 ぼーやも解るだろう? 対峙し、そして完膚なきまでに伸されたと言うのならば。
 アイツの。アーニャの鋼化の状態。それが、あの『未来完了』のそれに限りなく近い形なのだと」

 少年は俯く。元師匠である彼女の言うとおり、少年の幼馴染の少女の鋼化は神楽坂明日菜のソレとはあまりにも桁が違っていた。
 神楽坂明日菜の例だけを見るのであれば、彼女の場合は鋼化と言うよりは獣化と呼ばれるのに近い形だろう。
 少年は知らないが、彼女が自らに叩き込んだ鋼化促進剤。それは、機能得限止が自らに叩き込んだ銀色の鋼化促進剤と同形質の物だった。
 故に、機能得限止の鋼化現象は獣化のソレと極めて似た、だがまったく真逆の現象であり、神楽坂明日菜もまた、似た様な鋼化現象と相成ったわけだ。

 だが、アーニャという魔法使いの鋼化は最早生半可なものではない。
 全身を覆い尽くした真紅の外装は紛れも無く単一性元素肥大式で構築された鋼性種の外骨格のそれそのもの。
 嘗て、少年の目の前で失った四肢を補強するかのような手足。
 完璧な銀色の髪と、真紅の眼差し。
 自然界の、生きとし行ける全てのモノの賛美を受けて誕生したかのような、美しい姿だったのを、少年は、目の前で見たのだから。

 その鋼化の原因を、少年も誰も知らない。
 エヴァンジェリンも知らない。鋼化は、一般的には自らの肉体が崩壊しかけた鋼性種が他の生命体を寄り代として憑依し、鋼化現象によってその鋼性種にとって最も活動しやすい形状へと異化させる事が鋼化と言う現象である。
 機能得限止はそれを転醒と称した。それはあながちに間違えではない。
 正し、ある種の間違えがあるというのならば、この鋼化に伴う“転醒”と言う業は、人間の転生ではなく、単純な鋼性種の転生に過ぎないと言う事。
 機能得限止は自らの望みを持って鋼性種と化し、何時の日かに見た、あの、生存に貪欲なまでにすがりつく命を目指したと言うのに。
 鋼性種は、それすらどうしたと機能得限止だったものを押しつぶした。
 簡単な話だ。鋼化した時点で、機能得限止は機能得限止ではなくなり、神楽坂明日菜もまた神楽坂明日菜でなくなったのだ。

 あの二人はソレに似た鋼性種でしかない。単純に、ソレが生きていく中で最も良いカタチだと結論付けた両者の内の鋼性種がそのカタチをとっているだけだった。
 だから、神楽坂明日菜にはまだ救いようがあるのだ。
 機能得限止とは違い、神楽坂明日菜はまだ神楽坂明日菜と言う人間だった頃のカタチを保っている。
 それは、鋼性種の意思なのか、それともいまだソレに拮抗し続けている神楽坂明日菜と言う少女の意思なのか。
 剣を扱っている意味。暴走のようでありながら、卓越した剣技を垣間見せるその姿。
 だから、皆その希望にかけているのだ。神楽坂明日菜はまだ在るのだと言う事。
 それを信じ、彼女は、鋼性種の支配などにも負けない強い女性なのだと、皆が信じているからこそ、此処の全員は、彼女を元に戻そうと奮闘しているのだ。
 鋼性種への転醒行為。それが、仮令人間を辞めるのではなく、人間である事を潰されると言うことであっても。
 彼らは、それを知らずとも。それを信じて戦った。元に戻ると信じて、戦ったのだ。

 しかし例外は如何なる場合にも発する。如何なる場合でもだ。鋼性種への進化とでも言うべき転醒でもソレは同じ。
 アーニャと言う少女の転醒が正にソレだろう。誰も、アーニャと言う少女の鋼性種への転醒行為を知らない。
 誰一人、アーニャと言う少女が鋼性種へと至った理由を知らないのだ。唯一一番近くに居た少年も、感じ取っていたエヴァンジェリンすらも。誰も、少女の最後の人間だった頃を、見取っていないのだ。
 だが感じ取っていたエヴァンジェリンと、対峙した少年は知る。あの真紅の魔法使いだった鋼性種のソレは、全鋼性種の頂点に立つ絶対存在。
 第二世代へと既に至ってしまっている存在のソレと同じ。まだ見ぬ、しかし、この様な世界にある以上、常に誰もが肌に感じ、存在としての圧倒的な差を思い知らされているその存在。

 未来の完了を意味する名を冠した鋼性種。もはや生き物としての形状すら留めておらず、ただ、生存すると言うその一点のみに全ての機能が収束した究極の生命体。
 嘗て、その第零世代が自らの生存に害成すもの全てから自らを守ろうとして個々に特化した自己防衛機能をとり備えた第一世代を越え、終ぞ辿り着いた完璧な命。
 第二世代。未来の完了。進化の完了である。
 その姿を見たモノは、ただの一人も居ないとされる。
 居ないと言うのに、機能得限止の残した資料よりその存在の知られている究極の鋼性種。
 それを知るのは、かつての絡繰茶々丸と神楽坂明日菜。エヴァンジェリンに機能得限止、そしてアーニャと、その使い魔だけ。その姿を活動中を見ていたのは、僅かにそれだけの人間だけだった。

 翠の燐光を周囲に撒き散らし、絡繰茶々丸を決定的な鋼性種へと転醒させたその時。
 それが、未来の完了を意味する存在が活動した瞬間だった。それを、僅かに残った者達だけが見て、その他の存在は、この世で生き続けている限り終始感じ続けなければいけないのだ。
 未来完了の気配を。誰もが感じている。感じながら誰も言わないのだ。
 意味はある。その意味は単純だ。言わないのではなく、言いたくない。
 認めたくないのだ。そこまでに完璧なその命を。完全不死以上に至っているという、その生命体の意味を、誰も認めたくないから誰も、その気配は感じていても何もいえないのだ。

 ソレと同じ気配を、少年とエヴァンジェリンは感じていた。
 あの、真紅の魔法使いだった、あの少女の形を模しただけの、ただの、鋼性種に。
 未来完了と言う名の鋼性種と、まったく同じ気配のソレを感じ取っていたのだ。
 無理もない、少年もエヴァンジェリンも、誰も何も知らないがアーニャと言う少女の鋼性種化は転醒と言うレベルの問題ではない。
 そう、彼女は彼女として、彼女自身として鋼性種になったのだ。
 彼女にはその素質が在ると言わぬばかりに。未来完了は、彼女をその内に喰らい、彼女を鋼性種と化させた。
 それが、アーニャと言う少女の鋼化の意味。アーニャと言う魔法使いが、真紅の戦闘機にも似た鋼性種へとなりながらも、確かにアーニャと言う名の人間だった頃の記憶を保ちながらもそうで在れている真実だった。

 エヴァンジェリンの言うとおり、アーニャは最早人間ではない。完璧な鋼性種だ。
 だが他の鋼性種とは違っている。それは憧れで望んだ鋼化によって単なる獣と成り果てた機能得限止とも、神楽坂明日菜とも違く、絡繰茶々丸の例とも違う。
 まったく異なる鋼化。鋼化と言う名の転醒では最早無い。
 アーニャと言う名の少女の転生。人間から、人間型鋼性種即ち、新たなる鋼性種の亜種、“後生種”へと転生を遂げた事を意味する鋼性種。
 アーニャと言う固有名詞を冠した、鋼性種アーニャだった。

「だからその彼女が何を願っても、それは人間の願いじゃないんだ。
 鋼性種としての願いになってしまう。私は、人間には想う力があると信じたいんだ。
 アーニャにもそれがあった。良い、娘だったよな。その彼女が、今、人間外として人間の望むような奇跡を行おうとしている。
 その末期には何が待っているのかなんて、私には解らないさ。
 ただ、成功するも失敗するも、後に待っているのは払わされる代償が大きいと言う事だけ。それだけだよ」

 告げて元吸血鬼の少女は腰元から小さな人形を引っ張り出した。
 それに、近衛木乃香が反応する。目鼻の無い人形。
 それは、あの目をぱちくりとさせている女性からエヴァンジェリンが貰ったもの。大切にしたいと思っている一つだった。
 嘗て、エヴァンジェリンは一人だった。人形使いなどと言う道を選んでいたのもソレが原因だ。
 彼女は彼女自身が自分に懐いているほど強い意思の持ち主ではない。
 なまじ幼身で吸血鬼などと言う不老の存在と化したのが不幸であり幸い。
 彼女は子供であり、大人などにはなれない文字通りの人形的なソレと同じな存在となってしまっていた。

 だがその果てに至った此処。
 この場所と、この地。彼女は此処で多くを知り、多くを学び、多くを得て、多くを失った。
 まるで人間のように。見下していた人間。それと同じようにソレらを感じ、こうして今、人間として生きているのだ。
 彼女は人間となった。穏やかの心を得、使ったあの呪文の呪が自身を完璧に食いつぶすその日まで生きていく事、生きた証を費やしていくと言う事を、彼女は選んだのだ。
 そうして選んだその道は、人の想いに満ち溢れた道だった。やっと知る人間の想いの強さ。誰かを思うその気持ちの強さを、人として生きて、彼女は漸く味わう事が出来たのだ。
 それを強く思う鋼性種が居る。あの真紅の魔法使いは自ら望んでではなかったが鋼性種となり、その力を以って今、フェニックスの片翼なる大儀礼の施行を行おうとしている。
 鋼性種ではあるが、第一世代である人間を蘇らせようとしている。

 その果てに何があるのだろう。
 第二世代の施行する人間では禁忌の領域であり、奇跡の領域でもある復活を司る大儀礼の施行。
 生命体として完璧とは言えど、彼女が施行するのは対人の大儀礼。
 自身よりも遥かに劣る人間と言う第一世代の為の儀礼式である。
 彼女がソレをした時に払われる代償。それは、一体誰の身に降りかかると言うのか―――
 顔を俯かせる一同。だが、心は当に決まっている。
 アーニャと言う鋼性種の強行ならざる強行を止める事。そして、神楽坂明日菜に対し、今一度元に戻す術を試すと言う事。
 それがその場の全員の誓いであり、成さねばならない事であった。
 エヴァンジェリンが立ち、外出の支度を整えていく。
 嘗ては絡繰茶々丸の手で行われていたであろうその行為だが、今は傀儡茶々はソレに手を貸さない。
 茶々が手を貸すのは命令あっての時のみ、今は慣れた手つきで、エヴァンジェリンは一人でジャケットを羽織っていく。

「? エヴァンジェリンさん、どちらへ行かれるですか?」
「お前らも着いて来るといい。アイツが。アーニャが、その想いを募らせている奴らに会わせてやるよ」

 綾瀬夕映の声にも一切立ち止まる事も無く、エヴァンジェリンは傀儡茶々を引き連れてログハウスから出て行くとする。
 入り口付近で立ち止まり、僅かに悲しげな顔立ちで、彼女は、皆をあの場所へと連れて行こうとしていた。

 月が白い。天に映し出されたその白い巨岩は、口端まで割れた狂笑にも似て禍々しく。
 その白い月の真中に、真紅の翼を地平線に届くほどまでに伸ばした、紅い残影だけが浮んでいる。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――嶺峰邸

 影は遠くに。きっと、息すら出来ぬその領域に飛んでいるのだろう。
 地から見上げる星のような小さな紅い陰。伸びる左右の紅い焔は、天を断ち切る刃のようにも見えていた。

 それを見上げながら、彼らは一軒の家の前に立っている。
 普通の家であり、しかし、何故か清浄な空気と、熱い気配、凍るような空気の流れている場所であった。
 見上げているのはエヴァンジェリン以外の全員。傀儡茶々も見上げては居ないが、彼女は単に命令されていないからそうしていないだけだ。
 その茶々の主たる元吸血鬼の魔法使いはその家のドアの前に立って、小さく微笑んでいた。
 実に五年ぶりだと。あの日より、寄り付きもしなかったこの場所。
 そこに帰ってきて、彼女は周囲を見渡した。相変わらず何も無い。そして、何も変わっていない。
 大きく変化した世界でも、コレほどまでに変化の無い場所は世界中の何処を捜してもないだろう。それほどにここは変化が少なく、清浄な場所だった。

 草花が咲く小さな庭。
 亀裂はおろか、傾きすらも見られない、確実に五年以上前に建てられている建築物だと言うのに、その一軒家は酷く頑丈そうな出で立ちで佇んでいる。
 その外状は、どう見たとしても儚くも脆くしか見えないと言うのに。
 ドアを少女は撫でた。ただいまと小さく呟くが、自分の家ではないのにおかしなものだと自嘲して見せたと同時だったか。
 鍵があっさりと外れる。それに、エヴァンジェリンは一瞬だけ驚き、そして、涙目になって微笑んだ。
 覚えていてくれたと言うのだろうか。最後の最後の魔力を込めた事を、この家に残留していた、あの真紅の魔法使いの思念が応じてくれたと言うのか。
 それにエヴァンジェリンはほんのちょっとだけ感動した。
 アレだけいがみ合っていた仲だと言うのに応じてくれたと言う事に。そして、まったくもって、彼女も真っ直ぐな人間だったのだなと。
 ドアを押す。開かれた扉の向こうから流れてきた空気は冷たく、しかし、血流を暖かにさせてくれるような不思議な寒気だった。
 エヴァンジェリンはその寒気に身を委ねて、身を返す。

「ぼーやに木乃香。夕映にのどかだけ着いて来い。
 タカミチとアルビレオは見る必要は無い。コレは、きっと私達の問題だから」

 決意の言葉にも聞こえたか。タカミチとアルビレオは顔を見合わせる事も無く頷き、それに応じるかのように四名が進み出る。かの四人。嘗てのクラスメイトである、四人だ。
 入り口の前まで立って、少年らもその不思議な空気を感じていた。
 少年と綾瀬夕映、そして宮崎のどかにとっては、懐かしくも切ない、そんな雰囲気の混じった不思議な空気。
 それが寒気となって肌を駆け、だが、何故かその血潮を熱くさせるような空気を感じたのだ。
 近衛木乃香はその懐かしさを感じなくても、とても優しく、けど、どうしようもなく悲しげなその空気。
 五人は五人別だが、それぞれにその空気に篭められた想いを噛み締めていた―――

「茶々。お前も着いて来い」
『はい。エヴァンジェリン様』

 エヴァンジェリンは何故か傀儡茶々を同伴させた。
 理由など無い。ただ、エヴァンジェリンは本の僅かな期待を、自らも予知せずに持ったのだ。
 傀儡茶々に使われたAIは回収された絡繰茶々丸の中枢回路より回収されたものだ。
 つまり、鋼化しながらも、最後の一瞬にエヴァンジェリンを救った、あの絡繰茶々丸の意思の込められたAI。それが利用されて、傀儡茶々は生み出されたのだ。

 だから、エヴァンジェリンは淡い期待を懐いた。
 今まで如何なる思い出を見返させても何一つ思い返さなかった傀儡茶々。
 その内に確かに残っている筈の、絡繰茶々丸の記憶。それを、エヴァンジェリンは思い返させようとしてきたのだ。
 だが今はもう違った。ただ、触れてほしかったと言うのが、エヴァンジェリンの予期した想いだった。
 傀儡茶々にもまた、嘗ての絡繰茶々丸のように多くに触れ、多くを感じて欲しいと願ったのだ。
 だから、同伴させて、触れて欲しかった。これから行く場所に眠る二人。その、二つの死に。

 家屋の中を進む。酷く静かであり、先までの上空の爆音に始まり、少年にとっては、耳に残る残響音すら掻き消す程の静寂がその家屋の中には溢れていた。
 それは周辺の誰もが感じたのだろうか。少年の腕に、僅かに宮崎のどかが縋りつく。
 だがそれは不安からではない。
 家屋の中に溢れている、冷たくとも温かい気持ちの流れ。
 それが、まるで今そこで展開されているかのような生々しい空気。
 或いは、誰かを絶えずに感じさせる気配。それがあるからこそ、その静寂さに押されてしまっただけの話だ。
 不安など無く、恐怖などは無い空間が、その家屋の中には広がっていた。

 入り口から僅かな距離にある今への入り口。
 其処がエヴァンジェリンの手で開かれて、六名全員が入ったところで、エヴァンジェリンと傀儡茶々を除く全員が息を呑む。
 圧倒されたからであろう。その場の異常さと、ソファに腰掛けている女性の姿。そして、その周辺を渦巻いている冷たくも暖かな気配に。
 居間の中は魔道品で満ち満ちている。
 ソレこそ、少年でもエヴァンジェリンであっても見た事も無いような魔道品の数々。
 そして、その場の全員が感じている。魔道品の配置が、この空気を生んでいる。
 絶妙に配置された魔道品の数々が、この家屋の中の空気を絶妙に、かつ、異常にして保っていたのだ。

 だがそんな事さえも、ソファに腰掛けている女性の姿を見れば忘れてしまった。
 少年はおろか、女性一同すらも目を奪われている。
 否、目を奪われていると言うよりは、その異常さに呆気に取られていると言う表現の方が正しい。
 ソファに腰掛、眠るように目を閉じた女性と、その膝の上に静かに丸くなっている、小さな小さな白い蛇。
 誰もがその当たり前の出で立ちを見つめ続け、誰もが、その異常さに目を囚われ続けていた。

 何故なら、彼女は確実に死んでいたからだ。
 誰が見ても当たり前だった。膝の上で小さく丸くなっている蛇も同じ。確実に絶命している事など、遠目で見たとしても確実に理解出来る。
 女性は胸の動悸が一切無い事。蛇に至っては、胴体が二分割にされている事。死亡している事を確実に認識させるには、あまりにも完璧すぎる証拠だった。
 呼吸ゼロの女性と、二分割されている蛇。
 宮崎のどかは喉を少し震わせ、近衛木乃香は涙目になっている。
 全員が全員にソレを見つめ、想い想いを懐いている。その中でエヴァンジェリンは彼女達に近づき、膝を付いて彼女たちを労うように微笑んだ。

「こいつらが、アーニャの支えだった奴らさ。今の私と同じ安堵の中で生きていた奴らで、私が近くに居ても、ちょっと、気持ちよかった」

 懐かしむように頬を撫でたエヴァンジェリンは、その肌の冷たさと、確かに肌の下で動いている血流を感じた。
 エヴァンジェリンの最後の魔力で行使された魔法の欠片と、アーニャの行使した魔力が、未だに両者の血液を温め、循環させているのだ。
 だが絶命しているのは確実。生きてはいない。エヴァンジェリンとアーニャの魔力で、身体が腐らない程度で抑えているのが現状だった。
 それが五年間ずっと続いている。エヴァンジェリンは永続でかけた呪文だったが、アーニャは恐らく違う。
 彼女の魔力は、いまだ此処に送り込まれ続けているのだろう。
 だから、この家屋の周辺に自然界は必要以上には介入していない。鋼性種の影響も、極力でないようになっているのだろう。

 少年が感じる僅かな気配は、確かに幼馴染の真紅の魔法使いのもの。
 それを、眠るように死んでいる女性の内から感じ取っていた。夢見る様に両目を閉じた女性。
 それに感じる、幼馴染の、あの強烈なまでに凄まじくなった魔力と同質を感じている。
 紛れも無く彼女の魔力。あの、優しくも力強かった魔法使いの少女の魔力だった。

 エヴァンジェリンの傍ら。女性の眼前に少年は立つ。
 それは、誰も意図せぬ初めての対峙。意外なまでに意外な、初めての対面だった。
 今日まで、少年はこの場所を感知する事も出来なかったし、この様な女性がアーニャと言う幼馴染と関係があった事すらも解っていなかった。
 アーニャと言う少女の物語に少年は必要なかった。故に、この二人は出会う事が無かったのだ。
 五年前の物語は彼女と、アーニャと言う少女の為の物語だった。そこに少年は居ないにも等しかった。
 だから、この出会いが宿命だった。こうして出会う事が、女性と少年の宿命だったのだ。

 少年は女性に向けて手を翳す。
 そうして感じられる、あの幼馴染の魔力の波長。
 いまだ力強く、しかし、未練の様に女性の血流を紅く紅く保ち、その肉体を活きているかのようにカモフラージュしているその魔力。
 それは、少女の優しさだったのかもしれない。女性を慕い、使い魔を愛した幼馴染の少女の相変わらない優しさ。それが、目の前の女性の内側より溢れ出ていた。
 触れる事は、不思議と憚られた。触ってしまうと、彼女の想いを汚してしまうような気がしたからだ。
 目の前の女性は美しく、恐らくは、出会ったその時から何一つ変わっていないのだろう姿で眠っている。
 だから、その彼女に触れてしまうという事は、幼馴染の少女の想いに土足で踏み入ってしまう。そんな気がしたのだ。

 だが、次の瞬間に家の中。否、家屋全体を包み込む空気が変わった。
 明らかな温度の変質を、家屋の中に居る者たちも、外の者たちも感知した。
 太陽のように上昇した魔力温度。それが、一瞬で家屋を包み込んだのだ。
 エヴァンジェリンに始まり、此処へ来た者達全員は魔力の感知が出来る魔法関係者である。
 だから、直に感じ取れるのだ。肌を伝って深層まで到達する異常なまでに高い魔力と、少年にとっては、その身に直接叩き込まれたあの、大魔力を。
 家屋のドアが勢い良く開く音の後に続く、疾走する音。一瞬だけであるが、廊下から聞こえたその音に、誰も振り向かない。

「エヴァンジェリン!! ネギ君!!」

 走りこんできたのはアルビレオ・イマ。
 だが誰一人その方向へは反応しない。反応したのは綾瀬夕映と、ネギ・スプリングフィールドの二人だけ。
 だがその二人も走りこんできたアルビレオに反応したのではなく、二人は、来る大魔力に対し反応したのだ。
 ネギ・スプリングフィールドは宮崎のどか、近衛木乃香の元へ。
 綾瀬夕映はエヴァンジェリンと傀儡茶々を引き寄せ、共に天井へ向けて手を翳したと同時だったか、家屋の天井は、一瞬で赤い燐光と化した。

 瓦礫も何も飛び散らない。ただ、モノの焼ける匂いだけが充満する中で、全員がその空を見上げている。
 赤い空。だが実際は紅くなど無いだろうが、そのフィルターが空を紅く染め上げているのだ。
 左右へ伸びた炎の翼。三千里の果てまで至るかのような真紅の翼が、天を赤く染め上げていたのだ。
 赤い燐光が舞う中で天井に向けて防御防壁を張っていた一同がその姿に息を呑む。
 スカートの様な装甲。簾の様になりながら、不死鳥の翼を果てまで伸ばしている鋼鉄のウィング。
 両手両足は機械の塊と化し、可憐な少女の出で立ちはそこにない。そう、唯一つ。その銀色の髪を除けば。

 炎が舞う。縄のように伸びた炎は、優しくソファの上に腰掛けていた女性と、その膝の上の白い蛇を引き上げる。
 炎の縄が何かに触れるたびに、触れた物体は火の粉のような赤い燐光へと変わっていく。
 それは、その炎がそれだけの発熱であると言う事。如何なる物でも一瞬で炎と同質まで昇華させてしまうと言う、その炎。
 それは、少女の感情、ソレを、模しているかのようにも見えた。

 炎。全てを焼き払う存在でありながら、凍えた体を温めるような存在。
 炎は時に凶暴であり、時に包み込むほどに優しい。
 それはまさに真紅の魔法使いの少女そのものを体現しているかにも思える。
 少年が知る幼馴染の少女。炎の魔法使いでありながら、水のような優しさで微笑んでいた、あの少女そのものを。

 全てを紅い燐光で埋め尽くす炎でありながら、包み上げた女性と白い蛇の体に変化は無い。
 確実に絶命し、命が無い筈の存在でありながら二人だけは炎に撒かれても赤い燐光にはならず、紅い鋼性種と化した少女の目の前まで連れて行かれる。
 銀色の髪の少女の前まで猛る炎によって連れ去られた女性は相変わらず。
 当然だろう。確実に死んでいる以上、最早彼女には目の前の銀色の髪の、嘗て、魔法少女出会った時と同じ髪の色の少女が誰で在るかで微笑む事すらもない。
 目の前の少女も知っているのか。彼女は悲しげにその女性の体を、蛇の体も含めて抱きしめる。
 鋼鉄と化した体。少女は、解っている。自分がもう温もりも何も感じる事の出来ない体になっているのだと言う事など、当に知っている。

 自分は既に人間と言うものではない。
 少女はそんな事、鋼となった体で目覚めた瞬間には既に理解しきっていた。
 私はもう人間ではないと。これで、本当に何もかも途切れてしまったのだと。
 少女は少女でありながら、大人以上の心理に触れ、人間以上の思考回路を得て再びこの世に降り立った。
 真理の果てに得た知識。それが、フェニックスの片翼なる大儀礼だった。
 死人を蘇らせる禁忌にして奇跡。彼女は、ソレを選んだ。

 そうして今、全てのファクターは揃ったのだ。
 鋼性種と化し、際限の無くなった大魔力。
 己が性質。相反属性を持たない自らの魔法大系。
 幼馴染の少年が持つ、触媒たる杖。
 そして目の前には二人。大儀礼の対象となる、二人が眠るようにいる。

「アーニャ!!」

 叫ぶ少年を一度だけ少女は見下ろす。
 その腕に今より行使される大儀礼の対象たる二人を抱きしめ、少年と少女はたった一度だけ視線を交えた。
 交えたのは視線だけであり、言葉も、他には何一つも無い。
 ただ視線だけでお互いの心を見通すように。少年は真紅となった少女の眼差しを見つめ、少女は真紅の眼差しで未だに幼さの残るその顔立ちを見つめた。
 一瞬で少女は少年の視線から顔を外す。そうして見つめるのは、そのさらに先。
 学園の中心にもある、あの鋼塔であった。其処が相応しいと言うのか、少女は真紅の羽を羽ばたかせ少しずつ、高みへ向かって上昇していく。

「もう始めるつもりか!!」

 始める。エヴァンジェリンの一言に、少年の心は決まった。
 彼女に、ソレを成させてはいけない。ソレを、彼女に行使させてはいけないと。
 フェニックスの片翼なる大儀礼の発動。あの幼馴染に、ソレを成させては―――
 飛び立つ少女。赤い燐光を僅かに残して、少女は鋼塔へ向けて最大速度にも近い速度で向かっていく。
 彼女の大魔力を考えれば、恐らく施行には数分かからないであろう。
 ソレより先に、少年は彼女に追いつかなくてはいけない。
 到底無理だとわかっていても、行く先に、フェニックスの片翼なる大儀礼の片鱗が窺える事になろうとも。少年は、行くと決意した。

 少年が駆け出す。燃え尽きた家屋のドアより飛び出て、鋼塔を目指して駆けて行く。
 背後からする声に振り向く事は無い。少年は、ただ真っ直ぐに其処を目指す。
 鋼塔の真上でから発光。もう始まったと言うのか。麻帆良どころの騒ぎではない。鋼塔の上空から発生したあまりに巨大な魔方陣は、果ての果てまで伸びていく。
 紅い魔方陣。今まで見た事も無いような未知の記号にも等しい記号で画かれた巨大な魔方陣が、際限なく伸びていく。
 星の瞬く空と、歪んだ月の見下ろす世界。銀色の塊は今日も夜空を行き、少年は、鋼塔を目指す。

 最後の時が来た。五年越し全てを埋めるときが、やっと来た。

第五十五話 / 第五十七話


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