Act1-5

 

【志貴】


「…ん? オイオイ…ちょっと待て、雪が降ってくるには早過ぎるだろ?!」

経済学部棟へのバスを見つけ、そのバス停を辿りながら麻帆良の町を歩いていた志貴は、いち
早くその異変を察知した。
寒い寒いとは思っていたが、ついに雪が降り始めたのである。
しかし、つい先日三咲高校で文化祭を終えたばかりだと言うのに、もう雪が降るというのは明らかにおかしい。
ふと何かを感じて振り返った彼の視界の端に映る、黒マントに金髪の貴族風の男の姿。
それはこちらの視線に気付いたのか、口の端を吊り上げて不気味に哂い、霧散するように町の中へ消えていった。

「そんな、まさか…。今のは…『ワラキアの夜』?! アイツは確かに…!!」


――――脳裏に蘇る、悪夢の夜。


三ヶ月近く前だっただろうか。
今年の夏は、例年以上に暑く、まるで肌に空気が粘り付くような暑さだった。
敏感に異常を感じ取り、事件解決のために一人夜の街へと繰り出した志貴は、一人の異国の
少女と出会う。
少女の名は、シオン・エルトナム・アトラシア。
半吸血鬼である彼女は、自分を吸血鬼にした二十七祖十三位、『ワラキアの夜』を倒すために
三咲町へ来ていた。

『ワラキアの夜』とは、別名『タタリ』とも呼ばれる非常に強力な力を持った吸血鬼で、街や村などといった特定のグループ内に流れる不安・恐怖といった噂を抽出して具現化し、たった一日でそのグループを消滅させるという。
志貴はそのおかしな夜の中で、様々な人物と出会い、そして戦った。
志貴を慕う女性達、その前の事件で『殺した』はずの化け物達、そして――――悪夢たる自分の『陰』。

「…ってことは、アイツもいるのか…。何て――――悪夢」

己の内に潜む『殺人衝動』が姿を持った『七夜志貴』と戦い、苦戦の末に辛うじて勝てたのだが、その勝利を機に志貴の中で異変が生じるようになったのである。
覚えの無い高度な技の知識が脳に直接流れ込み、そして自らの体がその技の数々を可能としていたのだ。
それは志貴自身が幼い頃に覚えた暗殺術の数々なのだが、遠野槙久に記憶を操られたことに
よって幼い頃の記憶を失った彼に、それがわかるはずも無い。
とにかく、『ワラキアの夜』は志貴と彼の仲間達の協力によって消滅した…はずであった。

「くそ…一体、どうなっているんだ…? とにかく、シオンに連絡してみよう…」


〜朧月〜


「約束だったからな。まぁ、見てろ」

二日目の早朝、私と志貴ちゃんは、黄理様に連れられて山の中へとやってきていた。…私はまだ眠くてうつらうつらしている。
黄理様は左手に太鼓の撥(バチ)のような物を持ち、森の木々に囲まれて立ち尽くしていた。
初めのうちは鳥の囀りしか聞こえないくらい静かであったが、やがて森の奥の方からバキバキと木をへし折りながら何かが近づいてきた。
一際太く大きな木をへし折って姿を現したのは、左目に切り傷を負った巨大な熊だった。

「く、くくくくく熊っっ?!!! し、しし志貴ちゃん、逃げ…!?」

「大丈夫…。見てて…」

鋭い牙を剥き出しにして威嚇する巨大な熊が姿を現しても、黄理様は微動だにせず目を閉じている。
私は志貴ちゃんを連れて逃げ出そうとするが、志貴ちゃんは黄理様をじっと見たまま動かない。
二人が動かないのでは、自分も動く訳にはいかない。

「あ、危な…?!!」

大熊が黄理様に向かって鋭い爪を振り下ろそうとしたその時、黄理様が動いた。


―――――――――――――――――極死・七夜―――――――――――――――――


…神速、とでも言うのだろうか。
左手に持っていた撥を高く掲げ、襲い来る熊の心臓目がけて投擲すると同時に、黄理様の姿が消えた。
そして、投げた撥が熊の心臓部に直撃するのと同時に、熊の首がボトリ、と落ちる。
標的であった黄理様に振り下ろそうとしていた右手を上げたまま、しばらくフラフラと立っていた首の無い熊の体は、やがて首の後を追うようにゆっくりと、轟音を立てて前のめりに地面に倒れた。

「あ…あ…あ…」


――――見た。見てしまった。


撥を放つと同時に、黄理様が熊の背後から逆さまに降ってくるその姿を、見た。
獲物を狙う猛禽類のように、その魔手を伸ばし、素手で、それも片手で熊の首を刈り取ったのだ。
それはさながら、死神が死の鎌を振り下ろしたかのようであった。
私は、その超絶の魔技に恐怖を覚えると同時に、その技の誇る芸術性に見惚れてしまっていた。
つい先程まで私を眠りに引きずり込もうとしていた眠気ですら、黄理様の技に刈り取られたかのように吹っ飛んでしまっていた。

「…ふぅっ…。やっぱり、動物じゃあ練習にはならねぇな」

「あれが、今の七夜の中では、父さんしか使えない技…『極死・七夜』。投げた得物を避ければ首を刈られ、首を刈る魔手から逃れようとすれば得物に心の臓を貫かれる…究極の殺しの技だよ」

「すごい…」

まさに、その一言に尽きる。
全力で投げた得物が迫るスピードに、跳躍した人が降ってくるタイミングが絶望的なまでに合っているという奇跡。
心臓を破壊するほどの威力を秘めた得物に、首を捻じ切る魔手。
どちらも必殺の威力を秘め、どちらを受けても即死は免れない。
不可能を可能とするこの魔技は、私には一生かかっても不可能だろう。

「さぁて…と、今日の夕飯は豪勢に、この熊を使った鍋にでもするか。…よし、志貴、今日の訓練は無しだ。刹那と散歩にでも行ってろ。俺はコイツを持って先に帰る」

「はいっ!」

黄理様は大きな体の熊を軽々と背中に背負い、山を下っていってしまった。


その後、私と志貴ちゃんは、山の中で様々な物を見つけては、色々な話をしながら歩き回った。
志貴ちゃんは何かを探すように辺りを見回しながら歩き、花を見つけては私の髪の毛に飾ったりしてくれた。
しばらく歩いて、少し広くなっている場所へ来た時、前を歩いていた志貴ちゃんが足を止める。

「…ねぇ、おじさん達、いつまで尾けてくる気?」

「え…?」

志貴ちゃんの言葉の意味がわからず、私は首を傾げたが、すぐにその意味を知った。
羽が空気を打つ音と共に、黒い翼を持った烏顔の男達が木々の上から姿を現したのだ。

『ふん…餓鬼の癖になかなか鼻が利くな。話は簡単だ…その『白き翼を持つ者』を、こちらに渡してもらおうか』

私は咄嗟に志貴ちゃんの背中に隠れた。志貴ちゃんも私を守るように前に出る。
暖かくて、大きくて、強い背中。
私を守ってくれていると思うだけで、恐怖が心から消えていく。

「…せっちゃんを渡したら、どうするつもりなの?」

『知れたこと…その禁忌たる小娘には、死んでもらう。まだ力を扱えぬ内に殺さねば、我々に如何なる災禍が及ぶか知れん。…小僧、素直にこちらに引き渡せば、貴様には手を出さん。大人しく、その小娘をこちらに渡せ』

私と志貴ちゃんを取り囲む輪の距離が縮まり、烏族がそれぞれの得物を手にする。
殺気はすべからく私へと向けられ、私は烏族から疎まれ、嫌われているのだと再確認させられた。
だが、志貴ちゃんはこんな状況なのにも関わらず、落ち込む私に振り返りニコリと微笑んだ。
志貴ちゃんが守ってくれると思っただけで、私の中の悲しい気持ちが消えていくのがわかる。
私の顔を見て小さく頷いた志貴ちゃんは、目の前にいるリーダー格らしき烏族の男に視線を戻す。

「誰が…渡すかよ…!!」

「…っ?!」


――――――――その横顔に見えた、蒼く、綺麗デ、コワイ、彼ノ瞳。


志貴ちゃんの瞳が、まるで宝石のような…いや、宝石すら及ばないのではないかというくらい綺麗な蒼へと変わったと同時に、空気が途端に極寒の地のそれへと変わる。
これが彼の殺気なのだと理解した時、自分に向けられたものではないというのに私の全身の肌は粟立ち、周りの烏族の男達ですら動揺の色を見せていた。
そしてその隙を突くように、志貴ちゃんは私をお姫様抱っこして烏族達の輪を掻い潜り、木々の間を疾り抜けた。

『く、くそっ…探せ!! 絶対に逃がすな!!!』

姿が消えたとしか見えないであろう志貴ちゃんの動きに、烏族達は慌てて私達の姿を探し始める。
しかし、私が気付いた頃には、リーダー格らしき烏族の怒声がうっすらとしか聞こえないほどにまで距離が開いていた。

「せっちゃん、すぐに戻ってくるから…コレを持って待ってて」

しばらく木々の上を疾った後、志貴ちゃんは枝と葉が密集した身を隠し易い場所で私を下ろす。
彼の瞳が怖くて、でも綺麗なその瞳が見たくて見上げた私を覗き込んだ志貴ちゃんの瞳は、いつもの優しい黒い瞳だった。
そんな私が不安そうに見えたのか、彼はお守り代わりとして練習用に使っていた短刀の鞘を渡してきた。
そして、彼は安心させるように微笑み、軽く私の頬にキスすると、木々を足場にしながら森の中へと疾っていく。


私はといえば、頬に触れた温かなものの感触を思い出しながら、惚けていたのだった…。





□今日のNG■


「せっちゃん、すぐに戻ってくるから…コレを持って待ってて」

志貴ちゃんは私に練習用に使っている短刀の鞘を渡すと、安心させるように微笑み、
そして――――

「んむぅっ?!?!?!?」

私の唇に触れる、温かいモノ。
顔を離した志貴ちゃんが、微笑んでいる。

「じゃ、行ってく…わぁっ?! せ、せっちゃん?!」

ああ――――なんて、アカイ――――

「は、鼻血が滝のようにーっ?! せっちゃん、しっかりしてーっ!!」

気付けば、烏族の男達が私達の周りを取り囲んでいた。
志貴ちゃんは短刀を構えていたが、烏族はこちらを見て何か話している。

『…オイ、放っておいても大丈夫そうじゃないか?』

『そうだな…』

それぞれの得物を納めた烏族達は、呆れたように去っていったのだった…。

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