Act3-8


【アスナ】


「どうしよう……。私一人でこのかを守り切れる自信無いし……」

 私は、刹那さんに頼まれたこのかの護衛という重大任務に不安を抱えていた。
 教室に着いてから、机に突っ伏したまま思案する。
 昨夜みたいに刹那さんの偽者なんかが敵に回ることを考えると、私の力だけでは不安で仕方が無い。

「むむ……バカレッド、どうかしたでござるか?」

「……バカレッドはやめてってば、楓ちゃん。……あ……そういえば楓ちゃん……」

 そうだ、楓ちゃんは麻帆良武道会でも刹那さんと同じく三位になるほどの実力を持っているんだっけ。
 協力してもらえたら心強いんだけど……ちょっと聞いてみようかな。

「ね、楓ちゃん。その……今日刹那さん休んじゃってて、このかの護衛を頼まれちゃったんだけど……」

「ふむ……刹那がこのか殿の護衛を休むとは、余程のことがあったようでござるな。……それで、アスナ殿は拙者に護衛の手伝いをお願いしたいのでござるかな?」

「うん……一昨日の夜から、この町自体がおかしくなってきてるから……」

 楓ちゃんは私を見て優しい笑みを浮かべると、小さく頷いてくれた。
 良かった……楓ちゃんに協力してもらえれば、何とかこのかを守り通すことは出来そうだ。
 このかの護衛への協力を快く承諾してくれた楓ちゃんは、鳴滝姉妹に引っ張られてどこかへ連れて行かれている。

「……刹那さん、大丈夫かな……」

 窓の外に目をやると、太陽に雲がかかってどこか暗いような気がした。
 ただでさえ不安になってしまうというのに、更に不安を増してしまいそうな天気に、気が滅入ってしまいそうになる。
 一昨日の夜、七夜という男に会った直後の刹那さんの悲しそうな顔を思い出し、胸が締め付けられた。


――――どうか、刹那さんに笑顔が戻りますように……。




〜朧月〜




【遠野家】


「……ええ……ええ、そう。……そちら側の方達から協力が得られそうならいいわ。けれど、くれぐれも注意して頂戴。それじゃあ、また連絡をお願いね、シオン」

 秋葉は朝早くにかかってきたシオンからの状況報告を聞き終えて受話器を置くと、ソファーに腰を下ろす。
 すぐさま紅茶の入ったカップが目の前のテーブルに置かれ、それを手に取り優雅に一口飲むと、ほう、と小さく息をついた。
 頭に大きなたんこぶをこさえ、まだ少しボロボロの状態の琥珀にチラリと視線を向けると、笑顔のまま微動だにせずに固まっている。
 秋葉が視線を向けたからではなく、その背後で翡翠が監視しているからだ。

「……シオンさん達は、無事麻帆良の方達からの協力を得られたみたいですね」

「ええ……まあ、特に心配はしていなかったけれど」

 しばらくして空のカップがソーサーの上に置かれ、ポットから紅茶を注ぎながら琥珀が秋葉に話しかける。
 琥珀は話していた内容から状況はそれほど悪くないと判断していたが、秋葉はあまり機嫌が良いようには見えなかった。
 昨夜急遽仕事が入ったために、シエルが麻帆良に向かうことが出来なくなったということもあるが、何よりも志貴に対する不満が大きいのだろう。
 カップを手に取り、中の紅茶に映る自分の顔をしばらく見つめていた秋葉は、ポツリと呟く。

「……兄さんは……無事かしら。あの人はどんなに無茶をしていても、平気な顔をして嘘をつくんだもの……」

 その顔はいつもの当主然とした彼女からは想像もできないほど弱弱しく、先程までの不機嫌そうな顔とは一変して不安と恐怖が滲んでいた。


――――それは、九年近く前の話。
 引っ込み思案だった少女は、いつも窮屈な屋敷から連れ出してくれる彼らが好きだった。
 実の兄と、元気な少女と――――自分に手を差し伸べてくれた、養子の少年。
 彼らはいつも引っ込み思案な彼女を連れ出して、共に遊び、共に笑い合っていた。

 けれど、ある日。
 突如おかしくなった実の兄に殺されかけた少女を庇って、養子の少年が死んだ。
 胸を貫かれたその少年は、血だらけで少女に倒れ込んで尚、少女を守ろうと抱き締め続けていた。
 少女は死に逝くその少年を救いたいがために、無我夢中で自らの命を半分分け与えた。
 常人ならば既に死んでいるはずの傷を負った少年は、その分け与えてもらった半分の命によって、何とか命を取り留めることとなる。

 それが、少女の――――遠野秋葉という少女の、過去。


「こうしている間も、兄さんの命の炎が掻き消されてしまうのではないかと思うと……不安でしょうがないのよ」

「……なら……秋葉様も向かわれますか?」

 静かな声で、しかし真剣に琥珀は問いかける。
 秋葉は俯いたまましばらく黙っていたが、やがてゆっくりと顔を上げると、その顔はいつもの当主然とした強気な顔だった。

「……冗談。この三咲町の管理者である私が、おいそれと他の者が管理する地に赴く訳にもいかないわ。……大丈夫、きっとシオン達が何とかしてくれるわ」

「……わかりました。ですが、ある程度の準備はしておきますね。志貴さんの迎えにも行かないといけませんし、ね……?」


 琥珀の浮かべた悪戯めいた笑みに、秋葉も苦笑を返すと、ソファーから立ち上がって学園へ向かったのだった……。





□今日の遠野家■


「……ところで琥珀、よくあなた生きてるわね……」

「あはー……毒をもって毒を制す、ですよ……。翡翠ちゃんが秋葉様にと作ってた朝食を頂いたら、微妙なバランスで毒が拮抗し合って、奇跡的に生き残れました……」

 朝の惨劇の中で奇跡的な生還を果たした琥珀は荒んだ笑みを浮かべ、目は死んだ魚のように濁っていた。
 あの状態から生き返った琥珀に訝しげな視線を向けながら、秋葉は琥珀が淹れてくれた紅茶を啜る。

「あら……紅茶の葉が切れそう…。裏から取ってこないと……」

「…………琥珀、裏のガーデンだけど……時々変な奇声が聞こえてこない?」

 琥珀の呟いた言葉に、秋葉はそれまで飲んでいた紅茶に視線を落とす。
 最近になってから、時々夜になると、琥珀の趣味による裏庭のガーデンから奇声……というより叫び声に近い声が聞こえるのだ。
 脅える秋葉に頼まれて勇み足で確認をしに裏庭へ行った志貴は、白に近い真っ青な顔でカクカクとしながら帰ってきている。
 それ以来、そのことを訊ねようとするだけで志貴が殺人貴モードに入るので、秋葉は裏庭に恐怖心を持っていた。

「はい? ……ああ、ほんのちょっと前なんですけど、『しと二十七そ』の……えーと……『腑海林あいんなっしゅ』とかいう、動く大植物さんが引っ越してきまして。呼びにくいんで、愛称はジョニーにしてるんですけどね」

「はぁ?!!」

「この間、ジョニーの一部を切り取って鉢に植え替えたんですけど、パッ●ンフラワーみたいで可愛いんですよ〜」


――――――――遠野家。そこは人外魔境の地…………。


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