Act3-26


【さつき】


「ふむ……さつき、このホテルの地下の方にトレーニングルームがあるそうですから、少し訓練しましょうか」

「え゛〜……後三時間もすれば六時になるけど……」

「即実戦など愚の骨頂ですよ、さつき? 戦うかもしれないのですから、体を動かしておいた方が有利です」

 ベッドでぐったりとしていた私の首根っこを掴み、シオンがトレーニングルームへ連れて行こうとする。
 仕方ないので、自分の足で立ってシオンの後に続く。
 ホテルの地下にあるというトレーニングルームは広くて、使い勝手が良さそうだった。
 人影もまばらで、訓練するには丁度いい。


「ほう……吸血鬼が二匹、か。……片方はどこかで見た顔だな」


 ゾクリ、と背筋が粟立ち、咄嗟に声の聞こえた方へ振り返る。
 その人はトレーニングウェアを着て、自転車型のトレーニング器具を漕いでいた。
 ……警戒したのがアホらしくなる光景に、しばらく私達の時間が止まる。

「……いずれ会おうと思っていましたが……封印指定の人形師、蒼崎橙子とこんな場所で出会えるとは思っても見ませんでした。……ついでに言うなら、こんな間抜けな出会い方をするとも思っていませんでいたが(ボソ)」

「……何か言ったか、アトラスの錬金術師」

 トレーニングウェアを着た、青いショートカットに眼鏡をかけた女性――――蒼崎橙子さんは、低い声で冷酷に言い放ちながらこちらを睨み、足元に置いたトランクに手を伸ばす。
 次の瞬間、気付けば私は一気に後ろに跳び退いて身構えていた。
 シオンも緊張した面持ちで身構えていたが、橙子さんがトランクから手を放すと、安堵からか一気に体中から力が抜けていく。
 後でシオンに聞いたのだが、どうやらあのトランクの中にはかなりヤバイモノが入っているらしかった。

「貴女に話があったのだが――――今はタタリを優先したい。邪魔をしたのならば去りますが」

「ああ、もうじき終わるから去る必要は無い。アトラスの錬金術師との対談というのも悪くないが――――何か頼むのなら、それ相応の対価は用意しておけよ」

 そう言って笑みを浮かべた橙子さんはトランクを持ち上げ、タオルで汗を拭きながらトレーニングルームから去っていったのだった。




〜朧月〜




【志貴】


「料理の代金帳消しにしてくれただけじゃなくて、バイト代まで貰っちゃったけど……いいのかな……」

 今俺の手元には、千円札が数枚入った封筒がある。
 食器の大半を洗い終えたところで、時刻は既に四時近くになっていた。
 エプロンを外して失礼しようとしたところへ、先程声をかけてきたチャイナシニョンの女の子――――超鈴音(チャオリンシェン)というらしい――――に呼び止められ、この封筒を渡されたのである。

「えーっと……確かこっちの方だって言ってたはず――――」


「ひゃああー?!」


 レンにケーキでも買ってあげようと思い、チャオさんから教えてもらった女子寮の近くにあるという美味しいケーキ屋に向かっている途中で、女の子の悲鳴が聞こえた。
 悲鳴の聞こえた方へ急ぐと、長い黒髪の女の子が熊と猿の大きな着ぐるみみたいなモノに襲われそうになっていた。
 咄嗟に体勢を低くして一気に疾り出し、女の子と着ぐるみの間に割って入る。

「――――そこまでにしておけよ。そこから先は、後戻りの無い『死』への一方通行になる」

 着ぐるみを睨みつけながら、ポケットの中の七つ夜に手を伸ばし、いつでも取り出せるようにしておく。
 熊と猿は突然現れた俺に警戒しているようだったが、先に猿が素早い動きで跳びかかってきた。
 軽く体を下げ、跳びかかってきた猿目がけて蹴り上げる――――!!


「穿ち――――墜とす!!」


 蹴り上げた直後、宙に浮いた猿へ踵落としを決めて地面に叩きつける。
 着地の瞬間を狙って、今度は熊が鋭い爪の付いた腕を振り上げて迫ってきていた。
 慌てずに、ゆっくりと眼鏡を外して胸ポケットに仕舞う。
 熊の着ぐるみは俺の眼の異常性に気付いたのか、動きを止めて後ずさり始める。
 しかし熊は必死で後退する足を止めると、両手を振り上げて俺に向かって突進してきた。

「……本気、なんだな」

 パチン、と七つ夜の刃を出して順手に構える。
 突進してくる熊の動きは大したことは無く、体勢を低くして一気に懐に入り込むと、胸部に見えていた『点』を貫く。
 七つ夜の刃が音も無く『点』に沈み込むと同時に熊の姿が消え、一枚の札へと姿を変えた。
 その札もサラサラと崩れ去っていき、塵となって消え去る。


「きゃあぁっ!? アスナーっっっ!!」


「しまった……っ! 今助け――――……え?」

「たああーっっっ!!!」

 聞こえた悲鳴に咄嗟に振り向くと、猿が黒髪の女の子を抱きかかえて連れ去ろうとしていた。
 急いで彼女に駆け寄ろうとしたところへ、一昨日ネギ君と一緒にいたオレンジ色の髪をツインテールにした女の子が猿に跳びかかり、ハリセンを豪快に横へ振り抜く。
 スパーン! という小気味のいい音と共に彼女のハリセンが振り抜かれた後、猿は直撃した頭の辺りから掻き消されていった。

「大丈夫、このか?!」

「う、うん……大丈夫や。それよりも…」

 彼女らに近づこうとしたその時、近くの茂みに動く何かの『線』を見つけ、意識を集中させてそちらを睨む。
 この直死の眼の元である『淨眼』の力が、何かの力によって隠されたヒトの姿を映し出す。
 何者か知らないが、とにかく怯んで立ち去ったのを確認してから、胸ポケットから取り出した眼鏡をかける。

 と――――突然視界が暗転していく。
 貧血からくる眩暈だとわかっていても、どうしようもなかった。
 驚いた表情でこちらに走り寄ってくる二人の姿を最後に俺は地面に倒れ、気を失ったのだった…。





□今日の裏話■


「ど、どどどーしよう、アスナ? 男の人、倒れてしもたえ」

「どうしようって……医務室に運んで寝かせるしかないでしょ」

 助けに入ってくれた黒縁眼鏡をした男の人――――恐らく、志貴さん――――は、戦いが終わった後に突然倒れてしまった。
 駆け寄って容態を確かめてみるが、息はしているし、怪我もしていない。
 どうやら、貧血か何からしい。
 とにかく寮の医務室に寝かせるために肩を貸そうとしていると、気が付いたらしい楓ちゃんが姿を現す。

「むぅ……どうも蛙だけは苦手でござる……。アスナ殿、すまなかったでござるな」

「気にしなくていいわよ、楓ちゃん。誰だって苦手なものくらいあるんだから」

「楓さん、ごめんなー。ウチが狙われたせいで……」

「なに、護衛というのはそれ相応の危険を覚悟するものでござる。これ位どうということはないでござるよ、このか殿」

 心配そうな顔で謝るこのかに、楓ちゃんは気にしないでいいと微笑んでみせた。
 しかし、肩を貸そうと上半身を起こした志貴さんの姿を見た途端、楓ちゃんの表情が真剣なものに変わる。
 掻い摘んで楓ちゃんに事情を説明すると、楓ちゃんは志貴さんを背中に背負って寮へと歩き出した。

「なあなあ、楓さん。この人って……」

「ふむ、このか殿達が想像している通りだと思うでござるよ。しかし、軽いでござるなー……」

 楓ちゃんはこちらに視線だけを向けて微笑む。
 私とこのかは顔を見合わせ、嬉しさに互いの顔が綻ぶのがわかった。
 これで、刹那さんが苦しまなくて済むかもしれない。


――――刹那さんが志貴さんに会ったらどんな反応をするのか考えて、私はニヤけてくるのが抑えられなかった。


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