Act3-36


【愛衣】


「「「そんなこと許される訳が無いでしょうっっっ!!!」」」


 医務室に三人分の怒鳴り声が響き渡る。
 一人はアスナさん。志貴さんがエヴァンジェリンさんの家に泊まっていることについて注意していたので、おかしくはない。
 二人目は……お姉様。お姉様はそういうことには厳しい人だから、これもまたおかしくはない。
 ……志貴さんに対しての(偏った)好意から、というのもある…かもしれない。…寧ろこっちの方が大きいかも。
 しかし、三人目は皆意外だったのか、医務室は静まり返ってその人に視線が集中していた。

「……刹那、さん?」

 静寂の中、ここにいる皆を代表するかのように私はその人の名を呟く。
 刹那さんはきょとんとした表情で周りを見渡して、ようやく自身に視線が集中していることに気付いたらしい。

「あ――――……い、いえ、エヴァンジェリンさんは真祖とはいえ、学園に通う女の子なのですから、こう……えっと、倫理的にですね!?」

「そ……そうよ! 倫理的に許されないんだから!」

「そうです! 不純異性交遊など許されざる行為です!!」

 注目されて顔を赤くさせた刹那さんは、半ばパニックに陥って慌てながらエヴァンジェリンさんに注意する。
 それを援護するようにアスナさんとお姉様も注意するが、エヴァンジェリンさんはその二人を気にせずに刹那さんへと訝しげな視線を向けていた。
 刹那さんはその探るような視線に真正面から睨み合っていたが、やがて後ろめたそうに視線を逸らしてしまった。

「ふん……志貴はいずれ私の従者になるのだ。どうしようが私の勝手だ。茶々丸、連れて――――」

「……いい加減にしないと怒るわよ、エヴァちゃん?」

 興味無さげに刹那さんから視線を外し、志貴さんの寝ているベッドへ近寄ろうとしたところで、怒った表情のアスナさんが立ちはだかる。
 その手にはアスナさんのアーティファクトである、あのハリセンが握られていた。
 エヴァンジェリンさんはそのハリセンを見て、苦々しい顔をしながら後退していく。
 そのまま立ち去るかと思いきや、エヴァンジェリンさんは医務室を出たところで立ち止まって視線だけこちらに向けてきた。

「……まあいい。あのジジイの所に連れて行くというのなら、ジジイに志貴を私の所に住まわせるよう認めさせてやるまでさ」

 意地の悪そうな笑みを浮かべながらそう言うと、そのまま医務室から出て行く。
 茶々丸さんが頭を下げて医務室から出て行った後、皆一様にため息を吐いていた。




〜朧月〜




【ネギ】


 マスターが立ち去った後、気を失ったままの志貴さんをどうするかが問題となった。
 このまま医務室で寝かせておくのはいいとして、一応念のために監視をつけることになったのである。
 その監視に高音さんが名乗り出たのだが、高音さんは別の寮なので戻らないと同じ寮の人に心配される虞があった。

「彼は私が見張りますので、高音さんもネギ先生達も部屋に戻って構いません」

「べ、別に気になさるほどのことではありませんわ。その……そう、魔法使いとしての役目をですね?」

「お姉様、私と刹那さんで交代しながら志貴さんの側にいますから、大丈夫ですよ」

 高音さんは何故か愛衣さんを恨みがましい目で見ながら、すごすごと立ち去っていく。
 不思議だったのは、高音さんが立ち去ってから、愛衣さんが突然頭を抱えて震え出していたことだった。



 刹那さんと話がしたいと言って、アスナさんとこのかさん達は先に部屋に戻ってもらった。
 カーテンで仕切られた二つのベッドの片方に、志貴さんは寝ている。
 そのもう一方のベッドに腰を下ろした刹那さんの隣に、僕も腰を下ろした。
 刹那さんは何も言わず、ただ志貴さんの寝顔を虚ろな瞳で見つめている。

「その、刹那さん……遠野志貴さんの本当の名前は――――」

「七夜志貴――――彼が私の知っている志貴ちゃんだと言いたいんですよね。ですが、彼が七夜志貴だという確証は何一つありません。私は……お嬢様を守る身として、彼が本物の志貴ちゃんだという確証が得られるまで――――信じることはできません」

「な……どうしてですか?! そんな、志貴さんが七夜だっていう確証なんて……」

 志貴さんのことについて話したのだが、刹那さんは彼が『七夜志貴』であることを頑なに認めようとしなかった。
 七夜だという証明をしろと言われても……いや、僕の魔法で志貴さんの記憶を覗くことが出来れば――――

「……わかりました。僕の魔法で志貴さんの記憶を見てみましょう。それなら――――」


『志貴――――!!』


――――ふと脳裏を過ぎった、昨日見た夢の中の光景。
 紅い、赤い、朱い、アカい――――鮮血に染まった、誰かの記憶。
 アノ光景を思い出して、突然心臓の鼓動が早くなっていき、いつの間にか僕の全身は恐怖に打ち震えて地面に膝を着いていた。



忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろわすれろわすれろわすれろわすれろわすれろワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロワスレロ――――!!!



「……先生……っ!! ネギ先生っ、大丈夫ですか!?」

「あ――――は、ハァッ、ハァッ……! す……すいません、刹那さん」

 突然震え出した僕を、刹那さんが心配そうな顔で覗き込んできていた。
 荒れていた呼吸を整えて、心配させてしまったことを謝る。
 もし、アレが志貴さんの記憶だとしたら……。
 もし、僕がその記憶を覗いてしまったとしたら――――
 でもあの悪夢を見て起きたすぐ後は大丈夫だったのに……何故、今更……?

「ネギ先生……疲れているんでしたら、休まれた方がいいと思います。ここは私に任せて、ゆっくりと休んでください」

「はい……すみません、刹那さん。志貴さんをお願いします」


 僕は――――志貴さんの記憶を見る勇気が無かった。
 あの紅い記憶が、僕を恐怖という名の鎖で縛り上げてしまっていた……。





□今日の裏話■


「お姉様、私と刹那さんで交代しながら志貴さんの側にいますから、大丈夫ですよ」


――――今思えば、何故こんなことを言ってしまったのか。
 少し考えれば、すぐにわかったことだというのに。
 去り際に見せたあの目は――――


『後で覚えておきなさい……愛衣』


 と恨みがましく言っていた。
 後で何をされるのか考えて、その恐怖に頭を抱えてガタガタブルブルと震える。
 ……お姉様は最近、志貴さんが関わると激しくぶっ壊れる傾向にある。
 『気』も『魔法』も使わないというのに、志貴さんはお姉様を虜にしてしまっていた。
 まるで『魅了』の魔眼でも使われたかのようだ……とも思ったけど、そもそも『魅了』だったとしたら志貴さんが首輪着けられる側になるというのはおかしいか。

「魔眼――――そういえば、志貴さんの眼について聞いてなかったな……。お姉様は間違いなく魔眼だって言ってたけど……」

 志貴さんの眼鏡を手に取って、詳しく調べてみる。
 それは恐ろしく緻密に造られたもので、強力な魔眼を抑えることの出来る逸品だった。

 魔眼殺し――――それはつまり、魔眼を抑えることを目的としたもの。
 これほどまでに強力な魔眼殺しを必要とするということは、つまり……志貴さんの魔眼がそれほどまでに強力だということ。
 一昨日の夜、お姉様の『黒衣の夜想曲』を短刀の一突きで消滅させたのが、魔眼の力によるものだとしたら――――

「でも……そんな魔眼、聞いたこと無い……」

 瞬動らしきもので志貴さんがお姉様の背後に突き抜けた瞬間、私は志貴さんの眼と目を合わせてしまった。
 背筋が凍るような『死』の恐怖を感じたと同時に、蒼い宝石のように輝くその瞳に胸が高鳴っていたのを覚えている。
 その胸の高鳴りが恐怖によるものなのか、その美しさによるものなのかは知らないが、とにかく志貴さんの魔眼は『死』を感じさせた。


 まあ、志貴さんの『眼』も確かに怖いけれど、当面の恐怖は――――お姉様が何をする気なのかだった……。


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