■涼宮ハルヒのえっちな憂鬱■



第六章

 午後の授業が終わり、休み時間の間から意味深な視線を送ってくる谷口に話しかけられたが適当にはぐらかし、また「職員室にいって朝倉の引越し先を調べるのよ!」と言い出すハルヒを「はいはい」とていよくあしらい、俺はひとあし先に教室を出た。

 部室まで早歩きする。

 まだ五月だというのにふりつける陽光はすでに夏の熱気を帯びている。太陽はまるで特大の石炭でもくべられたかのように嬉しそうにエネルギーを地表へとそそいでいる。今からこれじゃ、夏本番になったら日本は天然のサウナになってしまうのではなかろうか。

 歩いているだけでパンツのゴムが濡れてくる。やれやれ。

 文芸部の部室についた。今ではSOS団の本拠地とはなっているが、ここは一応、文芸部の所有物なんだよな。

 扉を開けてなかに入った。

 いつも部屋のオブジェのようにしている長門の姿はなかった。それどころか、朝比奈さんも古泉もハルヒもいなかった。

 かといって、誰もいなかったのではない。校庭に面した窓にもたれるようにして、一人の女性がたっていたのだ。白いブラウスと黒のミニタイトスカートをはいている髪の長いシルエット。足元は来客用のスリッパ。

 誰だ?と俺がいぶかしんでいると、その女性は顔中に喜色を浮かべて駆け寄り、俺の手をとって握り締めた。

「キョンくん・・・お久しぶり」

 お久しぶりと言われても、俺はこの人を知らない。ものすごい美人だということはわかるのだが、脳内のどこをひねってみても、記憶にひっかからない。

 しいて言うなら、朝比奈さんに似ている。しかし、俺の朝比奈さんはこんなに背が高くない。こんなに大人っぽい顔をしていないし、ブラウスの布地を突き上げる胸が一日にして三割り増しになったりはしない。

 俺の手を胸の前でささげ持って微笑んでいるその人は、どうやったって二十歳前後だろう。中学生のような朝比奈さんとは雰囲気が違う。しかしそれでもなお、彼女は朝比奈さんとうりふたつだった。何もかもが。

「あのぅ」

 俺は思いついた。

「朝比奈さんの、お姉さん・・・ですか?」

 その人はおかしそうに目を細めて肩を震わせた。笑った顔まで同じだ。

「うふふ。違うわ。わたしはわたし」

 彼女はいった。

「朝比奈みくる本人です。ただし、あなたの知っているわたしより、もっと未来から来ました・・・キョンくん、会いたかった」

 俺はバカみたいな顔をしていたに違いない。

 そうだ。確かに目の前の女性が今から何年後かの朝比奈さんだと言われると一番すっきりする。朝にはさんが大人になったらこんな感じの美人になるどろうな、というそのまんまな美人がここにいた。

「あ、信用していないでしょ?」

 その秘書スタイルの朝比奈さんはいたずらっぽく笑うと、

「証拠をみせてあげる」

 やおらブラウスのボタンを外し始めた。第二ボタンまで外してしまうと、面食らう俺に向けて胸元を見せつけ、

「ほら見て、ここに星型のホクロがあるでしょ?付けホクロじゃないよ。触ってみる?」




 左胸のギリギリ上に、確かにそんな形のホクロが艶かしくついていた。白い肌に一つだけ浮かんだシルエット。

「これで信じた?」

 いや、そう言われても。

 俺は朝比奈さんのホクロの一なんか覚えちゃいない。星型のホクロ?これが首筋にあtったらジョースター家の一族の証なのだが・・・

「あれれ?でも、ここにホクロがあるって教えてくれたの、キョンくんだったじゃない。わたし、自分でも気づいていなかったのに」

 不思議そうに首をかしげ、次に彼女は驚きに目を見開き、それから急激に赤くなった。

「あ・・・やだ・・・今、そっか、この時はまだ・・・うわぁ、どうしましょ」

 シャツの前をはだけたまま、その朝比奈さんは両手で頬を包んで首を振った。

「わたし、とんでもない勘違いをしていました・・・ごめんなさい!今の忘れてください!」

 無理です。

 俺の脳内には朝比奈さんの豊かな胸が、星型のホクロとともに深くインプットされましたから。

「解りました。とにかく信じますから。今の俺は、大抵のことなら何でも信じてしまえる性格になってますんで」

「は?」

「いえ。こっちの話です」

 笑いながら消えていく朝倉の姿を思い出す。

「この時間平面にいるわたしが未来からきたって、本当に信じてくれました?」

「もちろん。あれ、そしたら今、二人の朝比奈さんがこの時代にはいるってことですか?」

「はい。過去のわたしは、現在教室でクラスメイトたちと弁当中です」

「そっちの朝比奈さんは、あなたが来ていることは?」

「知りません。実際知りませんでしたし。だってそれ、わたしの過去だもの」

 なるほど。

「キョンくんに一つだけ言いたいことがあって、無理を言ってまたこの時間に来させてもらったの。あ、長門さんには席を外してもらいました」

 長門のことだから、この朝比奈さんをみても瞬きひとつしなかっただろうな。

「・・・朝比奈さんは長門のことを知っているんですか?」

「すみません、禁則事項です・・・あ、これ言うのも久しぶりですね」

「俺は先日聞いたばかりですけどね」

 そうでした、と自分の頭をぽかりと叩いて、朝比奈さんは舌をだした。こんなところは、間違いなく朝比奈さんである。

 が、急に真面目な顔になると、

「あまりこの時間にとどまれないの。だから手短に言います」

 もう、何でも言ってください。

「チョコボール向井って、知ってます?」

 俺は今や背丈のそう変わらない朝比奈さんを見つめた。ちょっと潤みがちの黒い瞳。

「そりゃ知ってますけど・・・」

「これからあなたが何か困った状態に置かれたとき、その言葉を思い出して欲しいんです」

「駅弁ファックとか、ハプニングバーとかの、あの人をですか?」

「そうです。AV男優のチョコボール向井を」

「・・・困った状態なら、昨日あったばかりなんですけど」

「それではないんです。もっと・・・そうですね、詳しくは禁則事項ですけど、その時、あなたの側には涼宮さんもいるはずです」

 俺と?ハルヒが?揃ってやっかいごとに巻き込まれるって?いつ、どこで?

「・・・涼宮さんはそれを困った状況とは考えないかもしれませんが・・・あなただけじゃなくって、わたしたち全員にとって、それは困ることなんです」

「詳しく教えてもらうわけには・・・いかないんでしょうね」

「ごめんなさい。禁則事項です。でもヒントだけでもと思って。これがわたしの精一杯」

 大人版朝比奈さんは、ちょっと泣きが入っている顔をした。あぁ、確かに朝比奈さんだ、この表情。

「それがチョコボール向井なんですか?」

「はい」

「覚えておきますよ」

 俺がうなずくと朝比奈さんは、もうちょっとだけ時間がありますから、といって、懐かしそうに部室を見渡し、ハンガーラックにかかてちたメイド服を手にして愛おしげに撫でた。

「よくこんなの着れたなあ、わたし。今なら絶対に無理」

「ハルヒには、ほかにどんな衣装を着せられたんです?」

「内緒。恥ずかしいもん。それに、そのうち解るでしょう?・・・いろいろ着せさせられたわよ」

 スリッパをペタペタ鳴らしながら、朝比奈さんは俺の目の前に立つと、妙に潤んだ瞳とまだ少し赤い頬で、

「じゃぁ、もう行きます」

 もの問いたげに、朝比奈さんは真正面から俺を見つめ続けた。

「最後にもう一つだけ・・・わたしとは、あまり仲良くしないで」

 鈴虫のため息のような声。

 入り口に走った朝比奈さんに、俺は声をかけた。

「俺にも一つだけ教えてください!」

 ドアを開こうとしてピタリととまる朝比奈さんの後ろ姿。

「朝比奈さん。今でも、放尿プレイが好きなんですか?」

 巻き毛を翻して、朝比奈さんは振り返った。見るもの全てを恋に落としそうな笑顔だった。

「禁則事項です」

 

 ドアが閉まった。

 多分、追いかけていっても無駄なんだろうな。

 はぁ、それにしても、朝比奈さんがあんなに美人になるとは、と考えて、俺は先程彼女が最初にいったセリフを思い出した。

 なんといった?「久しぶり」この言葉が表す意味は一つしかない。つまり朝比奈さんは長らく俺に会っていなかったということだ。

「そうか、そうだよな」

 未来人であるところの朝比奈さんは、遠からず元いた時代に戻ってしまうのだ。それから何年もたって再び相まみえたのが、つまり今さっきなのだ。

 いったい彼女にとってどれくらいの時間が経過していたのだろうか。あの成長ぶりからみると、五年くらいか?そんなことを考えていると、

「・・・」

 長門有希が冷凍保存したような普段通りの顔で入ってきた。

 ただし、眼鏡はない。ガラス越しではない生の視線が直接俺を射抜く。

「よぉ、来るとき朝比奈さんによく似た人とすれ違わなかったか?」

 冗談交じりにいった言葉に長門は、

「朝比奈みくるの異時間同位体、朝にあった」

 衣擦れの音をまったく立てずに、長門はパイプ椅子に座ってテーブルに本を広げた。

「今はもういない。この時空から消えたから」

「ひょっとして、お前も時間移動とかできるのか?」

「わたしにはできない」

「そうかい」

「そう」

「そりゃ仕方ないな」

「ない」

 いつもどおりの長門の反応に、なぜかほっとしてしまう。

「長門、昨日はありがとよ」

 無機質な表情がほんの少しだけ動いた。

「お礼ならいい。朝倉涼子の異常動作はこっちの責任。不手際」

 前髪がわずかに動いた。

 ひょっとして、頭を下げたのだろうか?

 ふと、聞いてみる。

「あのな、長門。その、なんだ。昨日みたいなあの・・・スカトロってやつか。俺が頼んだら、またしてくれるのか?」

「いつでも」

 じっと、俺を見つめてくる。あまりに真剣な瞳なので、俺はすこしとまどってしまった。しばらくして、いう。

「やっぱり、眼鏡はないほうがいいぞ」

「そう」

 こたえた長門の表情が少しだけ嬉しそうに変化したと思えたのは、俺の気のせいなのだろうか?

 

 俺が部室から出て帰ろうとしたとき、廊下で待ち構えていたハルヒにであった。

「どこ行ってたのよ!」

 部室だよ。

「待ってたのに!」

 そんな心の底から怒っていうんじゃなくて、幼馴染が照れ隠しで怒っている感じで頼む。

「アホなことほざいてないで、ちょっとこっち来て」

 俺の腕をとって関節技を決めたハルヒは、また俺をうすぐらい階段の踊り場へと拉致した。あぁ、そういえばSOS団の結成はこの場所からはじまったんだよなぁ、と俺がしばし感慨にふけっていると、

「さっき職員室で聞いたんだけどね、朝倉の転校って朝になるまで誰も知らなかったみたいなのよ。朝イチで朝倉の父親を名乗る男から電話があって急に引っ越すことになったからって、それもどこだと思う?パプアニューギニアよ、パプアニューギニア!そんなのってあり?胡散臭すぎるわよ」

「そうかい」

 そういいながら、俺も思った。長門よ、どうせ情報操作するにしても、パプアニューギニアはないだろう。国内が無理だったとしても、せめてアメリカくらいにしておけ。

「それであたし、パプアニューギニアの連絡先教えてくれっていったのよ。友達のよしみで連絡したいからって」

 お前が朝倉と話していた光景は記憶にないんだがな。

「そしたらどうよ。それすら解らないっていうのよ?普通引越し先くらい伝えるでしょ?これは何かあるに違いないわ」

「ねえよ」

「せっかくだから、引越し前の朝倉の住所を訊いてきた。今から行くことにするわ。何か解るかもしれないからね!」

 相変わらず、人の話を聞かない奴だ。まあ、それがハルヒらしいといえば、ハルヒらしいのだが。

 まあ、別に止めないことにした。無駄骨を折るのはハルヒであって、俺ではない。

「何いってるの?あんたも行くのよ」

「なんで?」

 ハルヒは肩を怒らせ、放射能を吐き出す前のゴジラのように呼気を吸い上げ、廊下にまで届くような大声で叫んだ。

「あんた、それでもSOS団の一員なの!」

 

 女子と肩を並べて下校する、というのは実に学生青春ドラマ的で、俺だってそういう生活を夢にみなかったというと嘘になる。

 ということは俺は今、夢を現実にさせてハッピーハッピー・・・のはずなのだが、理想とちょっと違うのはなぜだろうか?

「なによ」

「いや、何も」

 俺の左隣でメモを片手に大股で歩いているハルヒは、ぶつぶつ言いながら私鉄の線路沿いを歩いている。もう少しいけば光陽園駅だ。

 そろそろ長門のすんでいるマンションだな、と思っていたら、本当に長門のマンションの前にきた。

「ここね」

 ここか。

 俺はやれやれとため息をついた。納得だ。

「なるほどね」

「なにがなるほどなのよ」

 ハルヒは俺の手をにぎると、ずんずんとマンションの中に入っていった。

「朝倉なんだけど」

 エレベータに乗り込み、ハルヒはいった。

「おかしなことがまだあるのよね。朝倉って、この市内の中学から北高に来たわけじゃないらしいのよ」

 そりゃまあそうだろうな。

「調べてみたら、どこか市外の中学から越境入学していたわけ。これって絶対おかしいでしょ?別に北高はそんな有名進学校でもなんでもない、ただのありふれた県立高校よ。なんでわざわざそんなことするわけ?」

「知らん」

「でも住居はこんなに学校の近くにある。しかも分譲なのよ、このマンション。賃貸じゃないのよ。立地もいいし、高いのよ、ここ。市外の中学へここから通っていたの?」

「だから、知らん」

 五階に到着し、朝倉のすんでいた部屋の扉の前で俺たちはしばらくたたずんでいた。

 あったかもしれない表札は今は抜き取られ、無言で空き部屋であることを示している。ハルヒがノブをひねっていたが、当然開くはずもない。どうにかして中に入れないかと腕を組むハルヒの横で、俺はあくびをかみ殺していた。われながら時間の無駄なことをしていると思うが、真実をハルヒに伝えるわけにもいくまい。

 やがて業をにやして扉にとび蹴りを食らわしたハルヒを見て、さすがにこりゃ止めなけりゃならんと思い、

「諦めて帰ろうぜ」

 といったのだが、ハルヒが素直にいうことを聞くはずがなかった。

 エレベータで一階にとって返し、玄関ホール脇の管理人室へと向かったのだ。

 白髪をふさふさとさせた小さな爺さんが管理人だった。その爺さんが何かをいうよりも早く、

「こんにちは。あたしたちここに住んでた朝倉涼子さんの友達なんですけど、彼女ったら急に引っ越しちゃって連絡先とかわからなくて困ってるんです。どこに引っ越すとか聞いてませんか?それからいつから朝倉さんがこきに入っていたのか、それも教えて欲しいんです」

 こういう常識的な口調も出来るのかと俺が感嘆していると、耳の遠いらしい管理人に何度も聞き返されながらも、ハルヒは朝倉一家の突然の引越しは管理人たる自分にもまったくの寝耳に水だったこと、朝倉がいたのは三年ほど前からだったこと、ローンではなく一括ニコニコ現金払いだったことなどを首尾よく聞きだしていた。

「ご丁寧にありがとうございました」

 聞くべきことは全て聞いたと判断したのか、模範的なおじぎをすると、ハルヒは管理人室をあとにした。

 あわててハルヒの後ろをおいかける俺にむかって、その管理人の爺さんが声をかけた。

「少年。その娘さんは今にきっと美人になる。絶対取り逃がすんじゃないぞ!」

 余計なお世話だ。

 この声、ハルヒにも届いたはずなのだが、後姿なのでハルヒの表情は見えない。

 突然、ハルヒが立ち止まった。

 玄関から数歩歩いたところで、コンビニ袋と学生鞄をさげた長門に出くわしたのだ。

「あら?有希もこのマンションなの?奇遇ねえ」

 白皙の表情で長門はうなずいた。いや待て、どう考えても奇遇じゃないだろ。

「だったら朝倉のこと、何か聞いてない?」

 否定の仕草。

「そう。もしも朝倉のことで何か解ったら教えてよね。いい?」

 肯定の動作。

 俺は缶詰やら惣菜やらのパックがいっぱいにつまっているコンビニ袋を見ながら、あいかわらず、こいつは身体に似合わず大食漢だなぁ、とか考えていた。

「あれ?有希、眼鏡どうしたの?」

 ハルヒの問いに直接答えず、長門は俺をみつめた。

 いや、そんな見られても困るんだが。

 ハルヒも最初からまともな回答がかえってくるだろうとは思っていなかったらしく、肩をすくめ、後ろも見ずに歩きはじめた。俺は片手をヒラヒラ振って長門に別れの意を表明し、すれ違いざま、長門は俺にだけ聞こえる小声でいった。

「気をつけて」

 今度は何に気をつければいいんだ?

 それを聞こうと振り返る前に、すでに長門はマンションに吸い込まれていた。

 

 ローカル線の線路沿いを歩いていくハルヒのニ、三歩後に俺は位置し、目的地不明のウォーキングに付き従っている。このままでは俺の自宅から離れるばかりなので、ハルヒにこれからどこに行くつもりなのかを尋ねてみた。

「別に」

 答えがかえってきた。ハルヒはいきなり立ち止まると、長門のような無感動な白い顔を俺に向け、

「あんたさ、自分がこの地球でどれだけちっぽけな存在なのか自覚したことある?」

 と聞いてきた。

 線路沿いの剣道、そのまた歩道の上で、ハルヒは語り始めた。

 

「小学校の六年生の時、家族みんなでコミケにいったのよ。あたしはコミケなんて興味なかったけど、ついて驚いた。見渡す限り人だらけなのよ。会場のいたるところにいる米粒みたいな人間がびっしり蠢いているの」

「日本の人間が残らずこの空間に集まっているんじゃないかって思った。でね、親父に聞いてみたのよ。ここにはいったいどれだけ人がいるんだって。親父は、そうだなぁ、10万人くらいかなぁ、って答えた」

「コミケが終わって駅までいく道にも人が溢れかえっていたわ。それを見て、あたしは愕然としたの。こんなにいっぱいの人間がいるように見えて、実はこんなの日本全体でいえばほんの一部に過ぎないんだって」

「家に帰って電卓で計算してみたの。日本の人口が一億数千ってのは社会の時間に習っていたから、それを10万で割ってみると、たったの千分の一。あたしはまた愕然とした」

「あたしなんてあの会場にいた人ごみのたった一人でしかなくって、あれだけたくさんにみえた会場の人たちも実は一掴みでしかなくて、そして日本だって、世界でみたらほんの一掴みでしかないんだってね」

「それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思いた。家族といるのも楽しかったし、なにより自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていたのよ。でも、そうじゃないんだって、その時気づいた」

「あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、こんなの日本のどこの学校でもありふれたものでしかないんだ。日本全国のすべての人間からみたら普通の出来事でしかない。そう気づいたとき、あたしは急にあたしの周りの世界がいろあせたみたいに感じた」

「夜、歯を磨いて寝るのも、朝起きて朝ごはんを食べるのも、どこにでもある、みんながみんなやってる普通の日常なんだと思うと、とたんに何もかもがつまらなくなった」

「あたし、その頃、初めてオナニーを覚えたのよ。もう、毎日していた。気持ちよくて気持ちよくて、こんなに気持ちのいいことって、ないって思っていた。世界で一番気持ちいいことしてるんだって、思ってた」

「でも違うの。こんなオナニーなんて、世界中のみんながやってる、普通のエッチにすぎないんだって。そしたら、あんなに気持ちのよかったオナニーが、とたんに気持ちよくならなくなったのよ」

「でもね。世の中にこれだけ人がいたら、その中にはちっとも普通じゃないく、面白い人生を送って、最高のオナニーをして、至高の気持ちよさを得ている人も絶対にいるんだ。そうに違いないと思ったの」

「でもなぜ?どうしてそれが、あたしじゃないの?小学校を卒業するまで、あたしはずっとそんなこと考えていた」

「そりゃ、それからも毎日オナニーしてたわよ。でも、それだけじゃ物足りない。中学に入ったら、あたしは自分を変えてやろうと思った。待てtるだけの女じゃないことを世界に訴えようと思ったの。実際、あたしなりにそうしたつもり」

「でも、結局は何もなし。そうやって、あたしはいつのまにか高校生になってた。少しは何かが変わるかと思ってた」

 ハルヒは一気にそうまくしたてて、しゃべり終えるとしゃべったことを後悔するような表情になって天を仰いだ。




「バカみたい。こんなこと話したの、あんたがはじめてよ」

 電車が線路を走りぬけ、その轟音のおかげで俺は、ハルヒが「あんたとなら・・・」とつぶやいたのを聞き逃してしまった。

なにか気をきいたことを言わなけりゃならない、ここは何か言わなければならない場面なんだろうなと思った。けれど、何もいうことが出来なかった。憂鬱だ。

 ハルヒは何もしゃべらない俺をじっと見つめた後、電車が巻き起こした突風で乱れた髪を撫でつけ、

「帰る」

 といって、もと来た方向へ歩き出した。俺もどっちかと言えばそっちから帰ったほうが早く帰れるんだが、しかしハルヒの背中が無言で「ついてくんな!」といっているような気がして、俺はただひたすらに、ハルヒの姿がみえなくなるまで・・・その場に立ち尽くしていた。

 何をやっているんだろうね。

 

 自宅に戻ると、門の前で古泉一樹が俺を待っていた。

「こんにちは」

 十年前からの友人みたいな笑顔がそらぞらしい。制服に通学鞄という完璧な下校途中スタイルで、なれなれしく手を振りながら

「いつぞやの約束を果たそうかと思いまして。帰りを待たせてもらいました。意外に早かったですね」

「まるで、俺がどこに行ってたのか知ってるみたいな話し方だな」

 笑顔のままで、古泉はいった。

「機関は、涼宮さんの保護を最優先活動にしていますから。それで、少しばかり時間を借りていいでしょうか。案内したいところがあるんですよ」

「ハルヒがらみでか?」

「涼宮さんがらみです」

 俺は自宅の扉を開けると玄関に鞄を置き、ちょうど奥から出てきた妹に、ちょっと遅くなるかもしれないことを告げ、また古泉の所に取って返し、その数十分後には車上の人になっていた。

 

 ありえないくらいのタイミングで通りかかったタクシーを古泉がとめた。

「気にしないでください。機関のタクシーですから」

 俺と古泉を乗せた車は国道を東へと向かっている。乗り際に古泉が口にした地名は、県外ある大都市のものであり、電車でいったほうがはるかに安上がりに違いないのだが、どうせ俺が払うわけではないので気にしないことにした。

「ところで、いつぞやの約束とはなんだ?」

「超能力者なら、その証拠を見せてみろとおっしゃったでしょう?ちょうどいい機会が到来したものですから、お付き合い願おうかと思いまして」

「わざわざ遠出する必要があるのか?」

「ええ。僕が超能力を発揮するには、とある場所、とある条件下でないといけないんです。今から向かう場所が、いい具合に条件を満たしているというわけですよ」

「まだハルヒが神様だとか思ってんのか」

 後部座席に並んで座っている古泉は、俺に横目をくれて、

「神、と呼ぶのが一番的確でしょうね」

「あいつはな」

 俺は視線を先にもどしていった。

「多分に変なところはあるが、ただの女だ」

「そんなふうにいえるのは、あなただけですよ」

 古泉は笑った。

「彼女には、願望を実現する力がある」

「それがな、どうにも解らないことがある」

 俺はいった。

「ハルヒがスカトロマニアや放尿マニアやアナルマニアや獣姦マニアを望んだから、お前や長門や朝比奈さんがいるんだっていったな」

「そうです」

「なら、なぜハルヒ自身はそれに気づいていないんだ。お前たちや、俺までが知っているのに。おかしいだろう」

「矛盾だとおもいますか。ところがそうではないのですよ。矛盾しているのは、むしろ涼宮さんの心のほうです」

 解りやすく言え。

「つまるところ、普通じゃない存在、スカトロマニアや放尿マニアやアナルマニアや獣姦マニアと出会ってエッチしたいという希望と、それを怖がり、また、そんなものが簡単にいるわけがないという常識論が、彼女の中でせめぎあっているんですよ。彼女は言動や行動こそエキセントリックですが、その実、まともな思考形態を持つ一般的な人種なんです。中学時代は砂嵐のようだった精神も、ここ数ヶ月は割りに落ちついて、僕としてはこのまま落ち着いていて欲しかったんですけどね。ここにきてまた、涼宮さんはトルネードを発生させている」

「どういうわけだ」

「あなたのせいですよ」

 古泉は口だけで笑っていた。目は笑っていない。

「涼宮さんはあなたと出会ってから、はっきりと変わった。それがいいことなのか悪いことなのかはまだ判断がつきませんが、あなたという存在がいなければ、彼女は奇妙な人間ばかりを集めたクラブを作る気にならなかったはずですよ。よって、責任のありかはあなたに帰結します。その結果、涼宮ハルヒに感心を抱く三つの勢力の末端が一同に会することになってしまったのですからね」

「・・・濡れ衣だ」

 我ながら力のこもらない反論。古泉は薄く笑いながら、

「現在のところ、涼宮さんに影響をあたえることができる存在は、この世の中であなただけなんですよ」

 それだけ言って、口を閉ざした。俺が続きを言えと言い出す前に、運転手がいった。

「着きました」

 車が止まり、ドアが開かれる。雑踏の中に俺と古泉は降りたった。料金を受けることもなく、タクシーは走り去った。

 

 周辺地帯に住む人間が、街に出る、といえば、たいていこの辺りのことを差す。私鉄やJRのターミナルがごちゃごちゃと連なり、デパートや複合建築物が立ち並ぶ日本有数の地方都市。

 夕日がせわしなく道行く人々を明るく彩色するスクランブル交差点。どこから湧いたのかと思うほどの人間が青信号と同時に動き出すのを見て、先ほどハルヒがいっていた言葉を俺は思い出していた。

「ここまでお連れして言うのもなんですが」

 ゆっくりと横断歩道を渡りつつ、古泉はいった。

「今ならまだ引き返せますよ」

「いまさらだな」

 すぐ横を歩く古泉の手が俺の手を握った。何のマネだ?たしかお前はアナルセックスマニアではあったが、少なくともホモではなかったはずだよね。

「すみませんが、しばし目を閉じていただけませんか?すぐすみます。ほんの数秒で」

 肩がぶつかりそうになった会社員風のスーツ姿を身体をよじって避ける。青信号が点滅を始める。

 いいだろう。俺は素直に目をつむった。今の俺は、大抵のことなら受け入れることができるからな。

 大量の靴音、車のエンジン音、一時も途絶えることのない人声、喧騒。

 古泉に手を引かれて、一歩、二歩、三歩、ストップ。

「もうけっこうです」

 俺は目を開いた。

 

 世界が灰色に染まっていた。

 

 暗い。

 思わず空を見上げる。

 あれほど眩い橙色を放っていた太陽はどこにもなく、空は暗褐色の雲にとざされている。雲なのだろうか?どこにも切れ目のない平面的な空間がどこまでも広がり、周囲を影で覆っている。太陽がない代わりに、灰色の空は薄オンヤリとした燐光を放って世界を暗黒から救っている。

 誰もいない。

 交差点の真ん中に立ち尽くす俺と古泉以外、さきほどまで横断歩道を埋め尽くすまでだった人の群れは存在の名残もなく消えうせていた。薄闇の中で、信号機だけがむなしく点滅し、今、赤になった。車道側の信号が青に変わる。しかし走り出す車も一台もなかった。地球の自転まで止まったのではないかと思うまでの静寂。

「閉鎖空間です」

 静まりかえった大気の中で、古泉の声がやけによく響いた。

「ちょうどこの横断歩道の真ん中が、この閉鎖空間の壁でしてね」

 そういって古泉が手を伸ばす。空中で、なにかに抵抗を受けたかのようにその手はとまった。俺も真似してみる。冷たい寒天のような手触り。弾力のある見えない壁はわずかに俺の手を受け入れたが、10センチも進まないうちにビクともしなくなった。

「半径はおよそ5キロメートル。通常の物理的な手段では出入りできません。僕の超能力の一つが、この空間に侵入する力ですよ」

「ここはどこだ?」

「詳細は不明ですが、我々の住む世界とは少しだけズレたところにある違う世界・・・とでも言いましょうか。先ほどの場所から次元断層が出現し、我々はそのスキマに入り込んだ状態になっています。今、この時でも、外部は何ら変わらない日常が広がっていますよ。常人がここに迷い込むことは・・・まぁ、めったにありませんね」

 道路を渡りきり、古泉は目的地が決まっているのか、確かな足取りで歩みを進める。

「閉鎖空間はまったくのランダムに発生します。一日おきに現れることもあれば、何ヶ月も音沙汰なしのこともある。ただ一つ明らかなのは」

 階段を登る。ひどく暗い。前を歩く古泉の姿がわずかでも見えていなければ足をとられるところだ。

「涼宮さんの精神が不安定になると、この空間が生まれるってことです」

 四階建ての雑居ビルの屋上に出る。

「閉鎖空間の現出を僕は探知することが出来ます。僕の仲間も。なぜそれを知ってしまうのかは僕らにも謎です。なぜだか出る場所と時間がわかってしまう。同時にここへの入り方もね。仕組みはわからなくても、使うことはできる。ならば問題はないでしょう。ゲイトウエイですね」

 屋上の手すりにもたれて空を見上げた。そよとも風は吹いていない。

「僕の超能力は、閉鎖空間を探知して、ここに入る能力のほかに、まだあります。いうなれば、僕は涼宮さんの理性を反映した能力が与えられているんですよ」

「どういうことだ?」

「はじまったようですね。あれを見てください」

 俺は、古泉が指し示した方向を見た。

 

 遠くの高層ビルのスキマから、青く光る巨人の姿が見えた。

 




 三十階建ての商業ビルよりも頭ひとつ高い。

 くすんだコバルトブルーの痩身は、発行物質ででも出来ているのか、内部から光を放て散るようだ。輪郭もはっきりしない。目鼻立ちといえるものもない。目と口があるらしき部分がそこだけ暗くなっているほかは、ただののっぺらぼうだ。

 何だ、アレは?

 挨拶でもするかのように、巨人は片手をゆるゆるとあげ、ナタのように振り下ろした。

 かたわらのビルを屋上から半ばまで叩き割り、腕を振る。コンクリートと鉄筋の瓦礫がスローモーションで落下。轟音と共にアスファルトに降り注ぐ。

「涼宮さんのイライラが具現化したものだと思われます。心のわだかまりが限界に達すると、あの巨人が閉鎖空間に出てくるんです。ああやって周りをびち壊すことによって、ストレスを発散させているんでしょう。かといって、現実世界で巨人を暴れさせるわけにはいかない。大惨事になりますからね。だから周囲に迷惑のかからない閉鎖空間を生み出し、その内部のみで破壊活動をする。なかなか理性的ではないですか」

 青い巨人が腕を振るたびに、ビルは半分からへし折られて崩壊し、崩壊したビルの残骸を踏み潰しながら巨人は足を踏み出していく。建物がひじゃげる音は響いて着ても、不思議と巨人の足音は響いてこない。

「ここからが、僕のもう一つの超能力です」

 古泉は指を巨人に向けた。俺は目を凝らす。さっきまではなかった、赤い光点がいくつか巨人の周りを旋回していた。高層ビルを超える巨大な巨人と比べるとゴマ粒みたいな矮小な球状の赤い光。

 5つまでは数えられたが、動きが早すぎて目で追うことができない。衛星のように巨人を周回する赤い光は、まるで巨人の行く手をさえぎるような動きを見せていた。

「僕の同志ですよ。僕と同じように涼宮さんによって力を与えられた、巨人を狩る者です」

 赤い光の粒は、淡々と街並みを破壊する青い巨人が振り回す両腕をたくみに回避しながら、急激に機動を変えて巨人の身体に突撃を仕掛けていた。巨人の身体はまるで気体で出来ているかのように、赤い光がやすやすと貫通していく。

「さて、そろそろ僕も参加しなければ」

 古泉の身体から赤い光が染み出していた。オーラが可視光線なんだとしたら、まさにそんな感じだ。発光する古泉の身体はたちまちのうちに赤い光の球体に飲み込まれ、俺の目の前に立っているのはもはや人間の姿ではなく、ただの大きな光の玉だった。

 もう、なんでもありだな。

 ふわりと浮き上がった赤い光球は、俺に目配せでもするようにニ三度ばかり左右に揺れると残像すら残らないスピードで飛び去った。一直線に巨人へ向かっていく。

 古泉の変身した赤い光は、巨人の青い腕、肘の辺りにとりついて、そのまま腕に沿って一周した。

 ゆらり、と巨人の片腕が肘から切断され、主を失った巨腕が地面に落下していく。

 と思いきや、青い光がモザイク状に煌きながら、腕は厚みを失って、日向においた雪のかけらのように消えた。

 肘を失った切断部から気体のような青い煙がゆっくりとしたたているのは、あれは巨人の血液だろうか。幻想的といえなくもない光景である。

 赤い球たちは猪突猛進から切り刻み攻撃に宗旨変えをしたようで、青い光を刻み始める。巨大な顔に赤い線が斜めに走り、頭部がずり落ちる。肩が崩落し、たちまちのうちに上半身は奇怪なオブジェと化した。切断された部位はモザイクとなって広がり、そして消滅する。

 青い光が立つ一面が荒野になっているおかげで遮蔽物がなく、俺は一部始終を観劇することができた。身体の半分以上を失ったと同時に巨人は崩壊した。塵よりも小さく分解し、後には瓦礫の山が残されるばかりだった。

 上空を旋回していた赤い光たちはそれを見届けると、四方に散った。大半はすぐに見えなくなったが、その中のひとつが俺に向かって飛んできた。雑居ビルの屋上に軟着陸をきめると、赤い光がはじけ、そこに立っているのは気取った手つきで髪を撫で付けているいつもの微笑みの古泉であった。

「お待たせしました」

 息一つみだれていない。

「最後に、もう一つ面白いものが観れますよ」

 空を指した。

 これ以上何があるんだと思いながら、俺hアダークグレー一色に染まった天空を見上げ、それを観た。

 最初に巨人を見かけた辺り、その上空に亀裂が入っていた。卵から孵化しようとしている雛鳥がつついたようなひび割れ。亀裂は蜘蛛の巣のように成長していた。

「あの青い怪物の消滅に伴い、閉鎖空間も消滅します。ちょっとしたスペクタルですよ」

 古泉の説明口調が終わるかどうかのうちに、亀裂は世界を覆いつくしていた。まるで金属製の巨大なザルをすっぽりかぶせられた気分だ。網の目が細かくなっていき、ほぼ黒い湾曲としか思えなくなった直後。

 パリン

 音はしなかった。

 だが俺はガラスが砕けるような擬音を脳裏に感じた。天頂の一転から明るい光が一瞬にして円形に広がる。光が降ってくる。と思ったのは間違いで、ドーム球場の開閉式の屋根が数秒もしないで全開された、というのが近い。ただし、屋根だけではなく建物全てが。

 つんざくような騒音が鼓膜を打って、俺は反射的に耳を押さえた。だがその音は無音の世界でしばらく過ごしたことによる単なる錯覚。日常の喧騒。

 世界は元の姿を取り戻している。

 崩れ去った高層ビルも灰色の空も空飛ぶ赤い光もどこにもない。道路は車と人の山でごった返し、ビルの合間には見慣れたオレンジ色の太陽が輝き、世界をあまねく照らすその光は恩恵を受ける物体すべてに長い影を生じさせていた。

 風が吹いていた。

 

「解っていだだけましたか?」

 雑居ビルを後にした俺たちの前に嘘みたいにとまったタクシーに乗り込みながら、古泉が訊いた。見覚えのある無口な運転手。

「いいや」

 と俺は答えた。本心から。

「そう言うと思いました」

 古泉は笑いを含んだ声で、

「あの青い怪物・・・我々は『神人』と呼んでいますが・・・は、すでにお話したとおり涼宮さんの精神活動と連動しています。そして我々もまたそいうなんです。閉鎖空間が生まれ、『神人』が生まれるときに限り、僕は超能力を発揮できる。それも閉鎖空間の中でしか使えない力です。たとえば今、僕には何の力もありません」

 俺は黙って運転手の後頭部を眺めていた。

「『神人』の活動を放置しておくわけにはいきません。なぜなら、『神人』が破壊すればするほど、閉鎖空間も拡大していくからです。あなたがさっき見たあの空間は、あれでもまだ小規模なものなのです。放っておけばどんどん広がって、そのうち日本全国を、それどころか全世界を覆いつくすでしょう。そうなれば最後、あちらの灰色の空間が、我々のこの世界と入れ替わってしまうのですよ」

 俺はようやく口を開いた。

「なんでそんなことが解るんだ?」

「ですから、解ってしまうのですから仕方ありません。機関に所属している人間はみんなそうです。ある日突然、涼宮さんと彼女が及ぼす世界への影響についての知識と、それから妙な能力が自分にあることを知ってしまったのです。閉鎖空間の放置がどのような結果をもたらすのかもね。知ってしまった以上はなんとかしなければならないと思うのが普通ですよ。僕たちがなにかしなければ、確実に世界は崩壊しますから」

 困ったものです、と呟いて、古泉も黙り込んだ。

 それきり、俺の自宅に到着するまで、俺たちは窓を流れる日常の風景を眺め続けた。

 車が止まって俺が降りる際になって、

「涼宮さんの動向には注意しておいてください。ここしばらく安定していた彼女の精神が活性化の兆しを見せています。今日のあれも、久しぶりのことなんですよ」

 古泉は笑った。

「あなたと知り合ってからの涼宮さんは、変わりましたから」

 俺の責任か?

「さあ、どうでしょうか。僕としては、あなたに全てのゲタを預けてしまってもいいと思っているんですがね。我々機関の中でも、いろいろと思惑が錯綜しているんですよ」

 半分ほど開いたドアから身を乗り出した古泉は、俺が言い返すよりも先に頭を引っ込めた。

「そうそう、あなたはまだ童貞ですか?」

「だいたい、そういうお前はどうなんだよ」

「僕はアナルセックス好きといったはずですよ。普通、アナルセックスをしたことがある人は、通常のセックスも経験済みですから」

 そうかい。悪かったな。

「俺が童貞かどうかなんて、お前には関係ないはずだろ?」

「それが関係あるんですよ」

 古泉は車の窓を閉めながらいった。

「世界を救うためにね」

「はあ?」

「今日は遅くまでありがとうございました。こんどは僕のもう一つの秘密、アナルセックスの極意についてお教えいたしますよ」

「俺はハルヒと違うからな。そっちには興味はない」

「そうですか、残念です。では、また明日」

 走り去るタクシーの後ろ姿を見て、俺はため息をついた。

 俺の童貞と、世界の運命と、いったいなんの関係があるっていうんだ?

 




最終章に続く





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