置き去りになった謎。
少しずつ紐解こうとしても、なかなかほどけない。
Another Name For Life
第59話 意識と無意識の相違
出発の支度を終えたは、ひとりルウの家を離れて森の方へと足を踏み出した。
わずかに聞こえていた仲間たちの声もやがて聞こえなくなり、梢の音と自分自身の足音だけが耳に残る。
やがて足を止めて静かに息を吐くと、少しひんやりとした風が通り抜け、静寂が訪れる。
ゆっくりと顔を上げて、森の奥を見据えた。
結界の向こうから現れた悪魔たち。
“奴ら”に対して突然抱いた感情を、少しずつ思い出す。
――まちがいなく、あれは“憎悪”だった。
(私は、あいつらのことなんて何も知らないはずなのに……)
異世界から来たばかりの、異邦人であるはずの自分。
当然、あの悪魔たちに見覚えなんてない。
だが確かに、あの時に自分が無意識に抱いた感情は、憎悪以外の何物でもなかった。
知らないはずの相手に対して、どうしてそんな感情を抱く?
悪魔という種族そのものに対するものであるはずがない。だって、バルレルを見たときは何とも思わなかった。
未知のものへの恐怖や嫌悪感からくる感情でもない。あの時感じた憎悪は、既知のものへのそれだった。
では、なぜ――?
が思考の海に囚われ始めたとき、ふいにガサガサと近くの茂みがこすれる音がして、意識が現実に引き戻された。
何事かと思ったが、感じ取れる気配を理解したは即座に警戒を解く。
「こら! こんなところで何をしてるんだ!!」
怒声とともに現れたのは、の予想通りネスティだった。
遠回りになる道が別にあったのに無理やり茂みを通ってきたあたり、急いできたのがうかがえる。
「ネスティ、葉っぱついてるよ」
くすくす笑いながら手を伸ばして肩や頭に引っかかった木の葉を落とすと、怒り顔のままのネスティはその手をがしっと掴んでに詰め寄る。
「そんなのどうだっていい! どうして一人で森に向かったりするんだ!! まったく、君はいつもいつも心配をかけるような行動ばかり……!!」
「や、その……うん、ごめん」
有無を言わせぬ迫力に気圧されて、は戸惑いながら謝罪の言葉を口にするしかなかった。
「で、一人で森に入って何をしようとしてたんだ?」
逃がさないと言わんばかりに、掴んだままの手に力が籠められる。
「しようとしてたっていうか、してたっていうか……ちょっと、静かな所で考えまとめたくてさ」
「それを誰かに伝えたのか?」
「……あ、ごめん忘れてた」
指摘されるまで完全に頭から抜け落ちていた。思考に集中して他のことがおろそかになりがちだったとはいえ、どうもこういう事は単独で行動していたころの癖が抜けない。ネスティからは深い深いため息を頂戴した。
「それで、一人で何を考えていたんだ? あまり良いことではなさそうだが」
尋ねられて、思わずきょとんと目を丸くする。先ほどまで怒り心頭だったネスティの顔は、いつの間にか心配そうにこちらを覗きこんでいた。
どうやら知らない間に表情に出していたらしい。は口の端にわずかに苦笑を浮かべて、ぽつぽつと話し始めた。
森の悪魔に関することだと言えば、ネスティの眉間に皺が寄る。
「私はあいつらのことなんて全然知らないはずなのに、あいつらに対して確かに“憎しみ”を感じてた。そんなの、知らない相手に対して感じるものじゃないでしょ? どうしてかなってずっと気になってたんだけど、ゆっくり考える余裕なんてなかったからね」
「…………」
話し終えると、ネスティは黙り込んで何かを考えていた。
「ん、もしかして何か心当たりとかあったりする?」
「いや、そういうわけではないが……すまない、なんでもないんだ」
心当たり、という言葉にわずかな反応を示したように見えたが、気のせいだろうか?
気になるところではあったが、ネスティなりに何か思うところがあるのかもしれないし、推測の域を出ないことだとしたらきっと答えてくれないだろう。
「それよりそろそろ戻るぞ。マグナ達もじきに帰ってくるだろうしな」
手を引かれ、そういえば掴まれたままだったと思い出す。
今更抜き取るのも不自然な気がしたのでそのままつなぎ直したら、一瞬ネスティが硬直した。何でだろう。
ぎくしゃくと歩みを再開したネスティに合わせても足を踏み出す。
掴まれているうちに熱が移ったようだが、それでも自分より体温の低いネスティの手に心地よさを感じて、の頬は自然と綻んだ。
「ありがとね、ネスティ」
「な、何がだ?」
ネスティが不思議そうに首をかしげた。
「結局考え自体はまとまりきらなかったけど、話聞いてくれたおかげで少し頭の中整理できたと思うんだ」
解決はしなかったが、取り留めもなく浮かんできた疑問を整理することはできた。
「あと、探しに来てくれた。心配かけちゃってごめんね」
「まったく……謝罪の言葉を聞くたびに思うんだが、今回も反省してないだろう」
「一応してるよ」
「きちんと反省しろ! あと“一応”とかわざわざ口に出すな!! 君はバカか!!」
素直に答えたのに、なぜか叱られてしまった。
すっかり怒ってしまったらしく、ネスティの足取りが早くなる。つながっていた手もいつの間にかほどけてしまっていた。
最後に一度だけ、森の方を振り返る。
あの感覚――無意識に抱いた感情は、本当になんだったんだろう。
リィンバウムの魔力の干渉か、あの悪魔独自の特性か、それともまた別の要因があるのか……
結局わからずじまいで、疑問は尽きない。
この謎は、いつか解決するのだろうか?
後ろ髪引かれる思いを振り切るように前を向き、はネスティの背中を追いかけた。
UP: 12.06.05
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