“エルゴの守護者”
世界の意思――エルゴによって選ばれ、その加護を受けた者。
彼らは加護を受けたそれぞれのエルゴの代理人となって、リィンバウムが必要以上に異世界の力で混乱することのないように見張り、いざ事あらば、災いの原因を取り除く役目を担っている。
普通なら、出会うことなどまずない、伝承の中にしか存在しないような人物。
それが今、自分達の目の前に立っていた。
Another Name For Life
第58話 狭い世界
森で出会ったエルジン、エスガルド、カイナの三人の話を聞くため、彼らを交えてルウの家の広間に集まる。
その場にいるのは召喚師組とその護衛獣たち。そして何故か、カザミネも同席していた。
約束どおり、カイナは自分達の役目について話をしてくれた。
彼女の言葉から、彼らがアルミネスの森へやって来たのは、悪魔の動向を調べるのが目的だったらしいということが窺えた。
尋ねてみればそれは正しかったらしく、カイナが大きく頷いた。悪魔の気配を追っていたら、あの森の結界にたどり着いたのだとか。
「ちょっと前からなんだけど、あちこちの街で悪魔が関わったような事件が急に増えてさ。
その原因をつきとめるために、こうやって調査してるってわけなんだ」
何気ないように口にしたエルジンの言葉で、一同は驚き、ざわめいた。
「そんなにたくさんの悪魔がうろついてるの!?」
「数ソノモノハ不明ダガ、目撃サレルホド活発ニ悪魔ガ活動シテイル事自体ガ、既ニ異常ナノダ」
思わず声を上げたルウは、エスガルドの言葉を聞いて納得したような顔をした。彼女もサプレスの術を使う召喚師だけに、エルジンの話が異常だと感じたのだろう。
確かに、はぐれ悪魔はあまり表だって動き回るようなものじゃない。
「いったい、なにが原因なのかしら?」
ミニスも不思議そうに眉を寄せて首をかしげていた。
「心当たりがないという事もないんです」
ぽつりとこぼれたカイナの呟きが、一同の視線を彼女へと集める。
「今からひとつ前の季節の巡りに、魔王召喚を企む者達が大規模な儀式を行いました。
そのせいで、霊界サプレスの魔力がリィンバウムに向けて異常に流入した事件があったのです」
「それはもしかして『無色の派閥の乱』のことか!?」
ネスティは思わず声を上げた。
「あたしも知ってる!」
「俺も!」
同様に、トリスとマグナの顔色も変わる。
普段はろくに周りへ関心など向けようともしないこの双子でさえ強く覚えていることが出来たくらい、蒼の派閥にとってあの事件は一大事だったのだから、無理もない。
「たしか派閥から盗んだ宝玉を使ったんだよな?」
「ああ。そして、その奪還の任務を命じられたのが、ギブソン先輩たちだった」
マグナの質問に頷いて答える。
「ぎぶそん殿トみもざ殿ハ、我ラト共ニ、召喚サレタ大悪魔ト戦ッタノダ」
エスガルドの言葉で、さらに動揺が広がる。
信じられない、とミニスが呟いた。
「嘘じゃないよ!
ギブソンさんにミモザさん。それから、そこのカザミネさん。みんな一緒に悪魔達と戦った仲間なんだよ。
ね、カザミネさん?」
「うむ、いかにも」
エルジンに同意を求められて、カザミネは重々しく頷いた。
意外なところに、意外な繋がりがあったことに、誰も驚きが隠せなかった。
「ところで、皆さんはこれからどうなされるおつもりなんですか?」
「とりあえずここを出て、トライドラに向かうつもりだよ。他のみんなは向こうで準備をしてるんだ」
カイナの問いかけに答えながら、マグナが扉へと目を向ける。
「トライドラ?」
ルウが首をかしげた。
「フォルテの知り合いがそこにいるんだって。なんでも、すっごく偉い騎士だって話よ」
答えながらも、『信じられないよね』などと言いながらトリスとミニスが顔を見合わせた。普段の彼の言動が言動だけに、フォローのしようもない。
「あの砦で起きた事件のことは報告する必要があるだろう。黒の旅団の動向も気になるし、無駄足にはならないはずだ」
ネスティの言葉に、自然とスルゼン砦の様子が頭に思い返されたのか、笑いあっていたトリスたちの顔がわずかに翳った。
「それでしたら、私たちは一足先に出発させていただきましょうか?」
「うん、そうだね。調査を続けないと」
カイナの提案に、エルジンが頷いた。
他の皆に挨拶をしてから、と言いながら、カイナは立ち上がった。
* * *
「おぉ、ミーティングは終わったのか?」
家の外へ出ると、こちらに気付いたレナードが片手を上げて出迎えてくれた。マグナが頷いて答える。
「でも、彼女たちはもう出発するってことだから」
「なんだい、気忙しいねぇ。まだロクに話もしてないってのに」
トリスがカイナたちの出発を告げると、モーリンが不満そうに唇を尖らせた。
「うーん、ごめんね。でも僕たちは僕たちでやる事があるから」
エルジンが苦笑いを浮かべる。
「あ、あのっ……本当に、ありがとうございました!」
「世話になったな」
「そんな、いいんですよ。どうかお気になさらず」
アメルが頭を下げる。リューグも、ぶっきらぼうながら礼の言葉を口にした。カイナが微笑んで手を振ってみせた。
「済まんでござる。本来なら、拙者も力を貸してやりたいのだが……」
「気ニ病ムコトハナイ、かざみね殿。我々ナラ大丈夫ダ」
申し訳なさそうなカザミネに、エスガルドが力強く答えた。
「気をつけてな……って、あんたらに言う必要はねえか」
フォルテの言葉に、皆が笑った。
「それじゃ、失礼します」
「ええ、気をつけてね」
ぺこりと頭を下げたカイナに、今までフォルテの陰に隠れてしまっていたケイナがひょいと顔を出して声をかけた。
――途端、カイナの顔が凍りついた。
「……嘘ッ!」
口元を手で押さえ、声を上げる。
明らかに動揺している風のカイナの様子に、エルジンや凝視されているケイナも困惑する。
「まさか、そんなはず……ううん、でも……間違いない……っ!」
ぶつぶつと何やら呟いて、カイナはおもむろにケイナへ向き直り――
「……ねえさまっ!!」
「…………は?」
状況が呑み込めないケイナをよそに、感極まってか瞳を潤ませながら、とんでもない一言を発した。
「私です、ねえさま! 妹のカイナです、ケイナねえさまっ!!」
あまりに唐突な彼女の言葉に、誰もが面食らった。
そんな周囲のことなどお構いなしに、カイナは戸惑うケイナに抱きつく。
「ちょ、ちょっと……!?」
「会いたかった……! 会いたかったです、ねえさまぁ……」
ケイナの肩口に顔をうずめたまま、カイナはぐすんと涙ぐんでいた。
「……どーゆうコト?」
誰へともつかないフォルテの問いには、誰も答えられなかった。
* * *
「……まさか彼女がケイナの妹だったとはな」
ため息をつきつつ、ネスティが眼鏡を押し上げた。
改めて考えてみれば、ケイナとカイナは名前も服装もよく似ている。
「カザミネさん、気がつかなかったわけ?」
「いや、拙者もまさかお二人が血縁であるとは……」
ミニスに見上げられ、カザミネはおたおたと慌てた。
「こういう偶然ってあるんだねぇ」
エルジンもわずかに苦笑いを浮かべる。
「……つうか、明らかに世間狭すぎだろ」
「私ら以外にもこういう現象が起きるとはね……」
ある意味でカイナたち以上に恐るべき“偶然”を体感したショウとは、脱力したように顔を見合わせた。
「かいな殿ハ、しるたーんカラ“えるごノ守護者”トシテ召喚サレタ身。
我々ト出会ウマデハ、ズット独リ、山奥ノ谷デ暮ラシテイタト聞ク」
エスガルドの説明を聞いて、並々ならぬカイナの喜びように合点がいった。
「まあ、これでケイナがシルターン生まれだということは、はっきりしたわけになるな」
「けどさ、ケイナはたしか記憶を無くしちまってんだろ? 大丈夫かな……」
ネスティの呟きにモーリンが不安そうに顔をしかめて、ルウの家へと目線を向けたちょうどその時、家の扉が開いてフォルテとケイナ、カイナが姿を見せた。
「一応、説明はしたぜ」
疲れ果てた様子で重い息をつくフォルテの後ろでは、ケイナが困惑したように眉を寄せ、カイナは悲しそうに目を伏せている。
しんと静まり返り、重い空気が流れる。
「ふたりとも、元気出して! よかったじゃない、こうやって出会えただけでも!」
つとめて明るい声でトリスが呼びかけ、「ね?」と同意を求めるように首をかしげてみせると、カイナの顔にようやく笑顔が浮かんだ。
「……そうですね、トリスさんの仰るとおりです。ねえさまのお顔を見ることができただけでも、私にとっては幸せです」
微笑むカイナに、エスガルドがぽつりと呟いた。
「かいな殿……貴女ハ、ココニ残ッタ方ガイイ」
「え? でも……!」
「そうだよ、せっかくお姉さんに会えたんだもん。このままお別れなんてダメだよ。
心配しないで! 僕とエスガルドで、ちゃんと調査は進めておくから。ね?」
エルジンがにっこりと笑いかけて、それでも渋るカイナの肩に、フォルテの大きな手がぽんと載った。
「オレからも頼むわ。妹のあんたが側にいてくれりゃあ、こいつもド忘れしたことを思い出せると思うんだ」
「フォルテ、あんた……」
相棒の言葉に、ケイナが目を見開く。
「……わかりました。皆さんがよろしければ、しばらく私を同行させてください。どうかお願いします」
丁寧に頭を下げたカイナを、マグナ達は快く迎え入れた。
* * *
去ってゆくエルジンとエスガルドの背中を見送ってから、一同は出発に向けて準備を整えていた。
食糧や薬など旅の必需品が不足しているということで、マグナがモーリンとショウを伴ってファナンまで買い出しに行くことになった。
地元民のモーリンと交渉が上手く目が利くショウがいれば、いろいろ安く手に入るだろうから、というのが言いだしっぺのマグナの人選の理由である。
下町の様子を見に行くというモーリンといちど別れ、ショウと共に薬や消耗品を買って回る。
そろそろ昼時ということでモーリンと合流しようと下町へ向かい、飲食店街を通りかかったとき、マグナの耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「いたい、いたいっ! 離してえぇぇっ!!」
この声は、聖王都で何度か出会い、このファナンでも偶然再会した、幻獣界のまだ幼い亜人の少女のものだ。
(ユエル?)
ゼラムの繁華街で盗みを働いていた彼女を捕まえたのが、ユエルと話をするようになったきっかけだった。
あの時ちゃんと、食べ物を手に入れるのには金が必要だと教えたはずなのに。
(もしかして、またあいつ……!?)
嫌な予感が頭を掠める。
自然と、声のするほうへ駆け出していた。
騒ぎの中心は、すぐに見つかった。
マグナの目に入ってきたのは、予想通り押さえつけられているユエルと、もうひとり。
「おとなしくおしっ。じゃないと、またグーで殴るよっ!」
ユエルを拘束する、別行動をとっていたモーリン。
わかりやすい、予想通りの構図に、マグナは脱力しつつため息をついた。
……が。
「ユエルじゃないか! どうしたんだ一体」
思いがけない言葉が思わぬ場所から発せられた。
「へ?」
マグナが目を丸くして横を見ると、すぐ隣に立つショウが、驚いた顔をしてユエルとモーリンを見つめている。
「ショウ! マグナ……!」
呼びかけられてユエルが顔を上げる。自分達の姿を見て、名前を呼んだ。
マグナが反応できないまま、どんどん事態は進んでゆく。
「モーリン、ちょっとたんま!」
ショウに声をかけられて、暴れるユエルを押さえつけるのに集中していたモーリンも、ようやくこちらに気づいたようだった。
「おや二人とも、どうしたんだい?」
手元では相変わらずユエルを拘束しつつ、モーリンはきょとんと首をかしげる。
「って、ショウ! なんでユエルのこと……!?」
ようやく頭が現状に追いついたマグナがショウに問いかけると、その様子を見ていたモーリンも事情を察したようだった。
「え、それじゃもしかして、この魚泥棒って……」
二人分の問いかけに、ショウは頷く。
「前に、ゼラムで知り会ったんだ。お腹すかせてたから、手持ちの食べもん分けてあげたことがあるんだけど……マグナも?」
「うん……俺とトリスも知り合い」
正確にはあの時アメルや護衛獣たちも一緒にいたから、彼らも含まれる。
「あちゃあ……」
ばつが悪そうに、モーリンが顔をしかめた。
「あたいの留守中に食べ物泥棒が出るって聞いて、とっ捕まえてみたんだけど……まさか、あんた達の知り合いだったとはね」
モーリンも事態を理解したのか、脱力したようにため息をついた。
「どういうつもりなんだ? ユエル……」
ふつふつと沸き立つ怒りをどうにか抑えながら、マグナはユエルにゆっくりと歩み寄る。
ユエルは狼のような耳を伏せ、苦い顔で目を逸らす。
「俺たち、聖王都で教えたよな? この世界じゃ、お金と交換しなくちゃ食べ物はもらえないって。
もう泥棒しないって約束したじゃないか。あれは嘘だったのか、ユエル!?」
憤りから、自然と語調が荒くなる。びくりと、ユエルが肩をすくめた。
「それは……っ、だってぇ……っ」
すっかり怯えているようで、ユエルは声が震えている。
「おい、マグナ……」
「ショウは黙っててくれよ」
見かねたらしくショウがかけてきた声を、マグナはぴしゃりと遮る。
「ユエルは、前に俺のこと嘘つきだって言ったよな」
ファナンで再会したとき、彼女はごろつきに囲まれていた。奴らに奪われそうになっていた彼女の“宝物”は、ミニスが必死で探し回っているワイバーンの召喚石のペンダント。
事情を話してミニスにペンダントを返してほしいというマグナの言葉を、ユエルは信じないと言った。
この世界の人間は、みんな嘘つきばかりだ。
だから信じない。もう、だまれされない。
まだ幼い異世界の少女から涙混じりに叩きつけられた言葉に、一人前の召喚師になってまだ日の浅いマグナは愕然とした。あの時の衝撃はよく覚えている。
「だけど……嘘つきは、ユエルの方じゃないか!!」
無性に腹が立った。
マグナは湧き上がる感情をそのまま目の前のユエルにぶつける。
「……ぅ、ううっ……ごめんなさいっ! ごめんな……っ、さいぃぃいっ……
っく……うわあぁぁぁんっ!!」
ふるふると小刻みに震えているユエルは、ただひたすら謝罪の言葉を繰り返し、しまいには声を上げて泣き出してしまった。
彼女を押さえつけたままのモーリンも、厳しい目を向けている。
「物を盗るってことはね、一度やっちまったらクセになるものなんだ。
マグナ、この子のためにも、ちゃんと罰を与えたほうが……」
「ちょいと待ちなよ、モーリン」
ピリピリした空気を霧散させるような穏やかな声が不意にかけられ、名を呼ばれたモーリンは勿論、険しい顔のままのマグナも、つられてそちらへと顔を向けた。
「おばちゃん……」
ショウがポツリと呟く。声をかけてきたのは、この下町で酒場を経営している人のよさそうな女主人だった。マグナも何度か会った事がある。
「ここは、あたしに任せておくれ」
「はあ……」
ぱちりとウィンクしてみせる女主人に、マグナは気の抜けた返事を返すことしかできなかった。
女主人は取り押さえられたままのユエルの前に立ち、彼女と目線を合わせるようにかがみこんだ。
「ねえ、あんた。どうして食べ物をとったりしたんだい? 悪いことだってわかってたんだろ?」
「わかっ、てたよぉっ。マグナたちにィ、ちゃんと、教わってたもんっ」
優しい問いかけに、ユエルはしゃくりあげながらグスンと鼻をすする。
「でも……っ!
ユエルっ、お金、もってない、の……探したけどっ、見つからなくて……っ」
途切れ途切れにユエルが発した言葉に、一同は凍りついた。
「お腹すいてぇ……っガマン、できなくなっ、てぇ……っ!
ごめんなさいっ!! もうしないからぁっ、閉じ込めたりしないでぇぇぇっ!!」
そこまで言って、ユエルはまた泣き崩れる。
「この子、お金がどんなものかも知らないのか……」
モーリンが眉を寄せて目を伏せ、呟いた。
メイトルパから来たユエルは、『貨幣』というものの概念をまるで持っていなかった。
『金』のことを全く知らないのだから、そもそも『金』というものがどんな物で、どうすれば手に入るのかという所から教えなければならなかったのだ。
生活習慣の違いなど全く考えず、自分の価値観だけで彼女にモノを教えたつもりになっていた。
マグナは、あの時の自分たちの浅はかさを呪いたくなる。
「お腹がすかなけりゃあ、盗みはしないんだね?」
重苦しくなってゆく周囲の空気とは裏腹に、女主人は最初と全く変わらない調子でたずねた。
溢れる涙を手の甲でこすって拭いながら、ユエルは何度も頷いた。
「わかった。
それじゃ、これからは、あたしらがあんたに食べ物を分けたげる」
女主人が笑顔で言い出した。
言われたユエルはもちろんのこと、周りで聞いていたマグナたちも、目を丸くして女主人を凝視した。
「でも……っ、おかね……?」
おろおろと困惑しながら見上げるユエルを見て、女主人はカラカラと豪快に笑った。
「無い物を取ろうなんて思ったりしないよ! その代わり、二度と黙って盗まないって約束しな?」
「……うんっ」
大きく頷いて、ようやくユエルは満面の笑顔を浮かべた。
それを見届けてから、女主人は改めてマグナたちに向き直った。
「というわけだからさ、勘弁しておやり」
「まぁ、あたいとしてはみんなが納得すんならいいんだけど……」
一連のやりとりを眺めていたモーリンは、ちらりと目を逸らした。あんなやりとりを見てしまった後では、ユエルを咎めるのはなんともばつが悪い。
「あの、マグナ……ごめんなさいっ」
ユエルはマグナの正面に立ち、深く頭を下げた。
しゅんと垂れ下がったユエルの耳を眺めて、マグナは頬を緩ませる。
「わかった、ユエル。許してあげるから。下町のみんなに感謝するんだぞ?」
「よかったな、ユエル」
ショウが彼女の頭に手を載せ、そっと撫でた。
「……うんっ!」
ユエルは顔を上げて、嬉しそうに笑った。