つかの間の安息は、終わりを告げる。
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第34話 守りたい
ルヴァイドのもとへ、新たな指令が届いた。
命令を書き記された書類を一瞥して、ルヴァイドは伝令の兵士を睨みつける。
「……この内容に、間違いはないのだな?」
威圧感に兵士がすくみあがって何度も頷くのを見やると、ルヴァイドは彼を下がらせた。
静かになった部屋の中で、ルヴァイドのため息が妙に大きく響く。
「見るか? イオス、ゼルフィルド」
口元に呆れたような笑みを浮かべながら、ルヴァイドは後ろに控えていたイオス達へと書類を差し出す。
渡された書類を眺めると、イオスは顔色を変えた。
「ルヴァイド様、これは……!」
動揺を見せる部下とは対照的に、ルヴァイドはあくまで静かに笑ってみせる。眼光の鋭さはそのままに。
「厄介なことになりそうだろう?」
イオスは何か言いたげに口を開き、しかしそのまま唇を噛みしめた。
不満そうなイオスに苦笑を浮かべながら、ルヴァイドは命令を下す。
「休暇は終わりだ。準備が整い次第、ローウェン砦へ出撃するぞ」
「……はっ!」
イオスが短く返事をして、踵を返した。
* * *
出撃命令は“黒の旅団”全体に瞬く間に伝えられ、ミルザの宿舎は準備に追われて騒がしい。
も慣れぬ旅立ちの準備をせっせと行っていた。泊まり始めた頃はろくに荷物もなかったが、エレンから貰った着替えが増えたため、袋をもう一つ用意する必要があった。
ふわふわのコートも、行軍中に着ることはできない。滞在中は毎日着ていたための身にもすっかり馴染んだそれを、四苦八苦しながらしまい込む。
以前聖王都周辺に滞在していた時に着ていたコートに着替えると、自然と気分も引き締まった。
「、大丈夫か?」
ノックに返事をすると、扉からイオスが顔を出した。慣れぬ荷作りを心配して見に来てくれたのだという。
「ちゃんとひとりでできました!」
「うん、ばっちりみたいだな。偉いぞ」
えっへんと胸を張ってみせれば、イオスは顔を綻ばせての頭をなでてくれた。も自然と笑みを零す。
「あっそうだ、イオスさん」
ふと思い出したことがあって、は顔を上げた。
「どうしたんだ?」
「あのね……エレンさんにごあいさつ、してきたいなって」
首をかしげていたイオスは、の言葉に合点がいったようで「ああ」と目を瞬かせた。
「そうだな、いろいろお世話になったものな。行こうか」
「はいっ! ……あ、でもイオスさん……忙しく、ない?」
嬉しさは、すぐに心配に変わる。イオスは特務隊長なのだから、出撃の準備だってただ荷作りを終えればいいというわけではないはず。
イオスはそんなの心配を取り除くような柔らかな微笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ、そのくらいの時間はあるさ」
「……ほんとに?」
「ああ、もちろん」
深くうなずいたイオスを見て、もようやくほっと胸をなで下ろした。
* * *
事前にエリックから聞いていたエレンの新居へ訪れる。
「あら、ちゃん! 隊長さんもいらっしゃい」
突然の訪問にもエレンは嫌な顔一つせず、満面の笑顔を浮かべて二人を歓迎した。
先導するエレンの左手の薬指には、結婚前には付けていなかった指輪が光っている。
結婚式で交換した揃いの指輪を身につける習慣があるということはイオスが教えてくれた。言葉だけではいまいち想像ができなかったが、改めて目にすることでようやく実感することができた。
指輪に埋め込まれた、がリィンバウムに来てからもあまり目にしたことのない少し風変わりな色合いの小さな石が、優しく煌いている。その光が自分を温かく迎えてくれたエレンそのもののように感じて、の頬も自然とゆるんだ。
リビングへ通されて、温かいお茶と茶請けのクッキーを振る舞われる。
「おいしいです!」
「よかった。これ、夫のお店で出してるものなのよ」
素直に歓声を上げたに、エレンはくすくすと笑う。
並んで座るイオスとの正面にエレンも腰かけたところで、は出撃が近い事を伝えた。
「それで、あの……エレンさんにはいっぱいお世話になったから……ごあいさつ、したくて」
いざ本人を前にすると照れくさいのか、はもじもじと両手に抱えたティーカップをいじる。ほほえましい姿に、言われたエレンも隣で見守るイオスも揃って頬を緩ませた。
「ありがとう、ちゃん。とっても嬉しいわ」
エレンに優しく微笑まれ、もぱぁっと顔を輝かせた。
「そうだ、ちょうどよかった!」
エレンが何かを思いついたようにパッと立ちあがった。
「ちゃんに渡したいものがあったの! ちょっと待ってて」
言うなり、パタパタとエレンは奥の部屋へと下がってしまう。取り残されたとイオスは顔を見合わせた。
しばらくして、エレンは出て行った時と同じようにパタパタと戻ってきた。
「ごめんね、お待たせ!」
座り直して、ふぅと息をつく。
「ちゃん。手、出して」
「?」
首をかしげながら、は両手をエレンの前に差し出す。
すっとエレンの手が重ねられて、の手に何かが乗せられた。
「これは……?」
の両手のひらにちょこんと乗ったのは、小さな巾着袋だった。大きさはの片手でも収まるくらい小さい。
「荷物を整理してたら出てきたの。私達が小さい頃に父から貰ったお守りよ。きっとちゃんの力になってくれるわ」
「えっ!?」
何気ないようなエレンの言葉に、は目を丸くした。エレンとエリックの父親は、彼らが子供の頃に亡くなっていると聞いたばかりだ。言わばこれは彼女にとっては父親の形見のはず。
「そ、そんな大事なもの、もらえないですっ!!」
「いいのよ、ここに置いていたってしょうがないものなんだもの。このまま戸棚の片隅で眠らせておくよりも、これから危険な場所に行くちゃんが持っていた方が絶対にいいわ」
慌てて両手を差し出すを、エレンは首を振って制した。
「だったら、あたしじゃなくてエリックさんが持ってた方が……!!」
「あいつも同じものを持ってるわ。気にしないでいいのよ」
「でもっ!」
「……そうね、じゃあこうしましょうか」
僅かに思案したエレンが、ぴっと人差し指を立てる。
「それは、ちゃんに貸してあげる」
はぽかんと口を開けて、そろそろと手の中のお守り袋を覗き込む。
その手をそっと包み込まれた。温かい、エレンの手だ。
「だから、全部終わったら私のところに返しに来てちょうだい。その時はまた、こうやって一緒にお茶を飲みましょう」
「……はっ、はいっ!!」
は大きく頷いた。
* * *
エレンと別れ、宿舎への帰り道。
はポケットにしまいこんだお守りの感触をコートの外側から確かめ、隠しきれない嬉しさを表情ににじませた。
「」
ふいに、隣を歩いていたイオスに呼び止められた。勢いに任せたまま数歩先まで歩きだしてしまったは、たたらを踏んで振り返る。
「……ちょっと、目を閉じてもらってもいいかい?」
「? ……こうですか?」
言われるまま、素直には目を閉じる。まぶた越しの夕日に影がかかり、イオスが目の前に立っていることを窺わせた。
ふとは、首のあたりにくすぐったさをおぼえて身をよじった。コートの襟もとが持ち上げられる感触。ちゃり、と前身頃を合わせる鎖が擦れる音が響く。
イオスの手が離れたのか、持ち上げられていた感触がなくなった。その代わりに、以前よりも重くなったような首元が気になる。
「もういいよ、目を開けてごらん」
言われて、固く閉じていた瞼をそろそろと開ける。
気になっていた首元に目をやると、そこには見慣れた飾りが増えていた。
イオスが胸元につけているのと同じ、円を背負った十字架。
思わず目の前のイオスを凝視すると、イオス自身も今まで通り同じ十字架の飾りをつけていた。
「これ……」
恐る恐る指先で触れてみる。真新しくはなさそうだが使い古された感じもなく、丁寧に手入れされてしまわれていたようだ。
「彼女に先を越されてしまったけれど……お守り、かな」
持ち上げてみると、ずっしりとした金属の重みを感じ取る。
「イオスさんと、おそろい……?」
「まあ、そうだな。……嫌かい?」
苦笑するイオスの顔が少しだけさびしそうに見えて、はぶんぶんと首を振った。
「ううん、そんなことない! 嬉しい……!!」
身体の内から湧き上がる喜びが零れ落ちないように、ぎゅっと首元の飾りを抱きしめる。
「ありがとう……ぜったい、ぜったい大事にするね」
ありったけの想いを言葉に乗せれば、イオスも顔をほころばせてくれた。
* * *
ミルザの門前広場に、出発の準備を終えた“黒の旅団”が集合した。
見送りの人々もその周りに集まっている。
軍の楽隊がラッパを吹き鳴らす。
ルヴァイドがサッと手を掲げ、整列する“黒の旅団”の兵士たちに向けて高らかに声を響かせた。
「出発!!」
号令に従い、兵士たちは足並みを揃えて門へと歩き出す。
しばしの休息を終えふたたび進軍を始める“黒の旅団”の背中を街の住人達が見送る。兵士たちへの声援が門前広場を包み込んでいる。
はミルザに来た時と同様、イオスの馬に同乗していた。
戦いの場へと赴く機会は今までに二度あったが、どちらもこのように人々から見送られるようなことはなかった。力強い声援に圧倒される。
おろおろと落ち着きなく周囲の人々を見回すと、イオスの小さな笑い声がすぐ後ろから聞こえた。安心させるように、の腰を支える手がそっと抱き寄せてくれる。
あたたかい。
ゼラムで購入した衣服にはミルザの空気はいささか冷えすぎる。だが、は不思議と寒さを感じることはなかった。
すぐそばにあるイオスの体温と、背中から伝わってくる彼の鼓動が、を安心させてくれる。
ふいに視界の端に見知った顔を見つけた。
そちらに顔を向けると、人ごみの中にエレンが佇んでいる。すぐ隣で彼女の肩を抱いている夫の姿も見える。と目が合うと、二人は優しい微笑みを浮かべて手を振ってくれた。心がさらに温かくなる。微笑み返して、も手を振った。
改めて周りを見回してみると、見送る人々はどこか緊張や恐れを見せつつも、励ましや期待の笑顔を自分たちへ向けていた。
デグレアの兵が、“黒の旅団”が戦うのは彼らを守るためだ。彼らの命を、この笑顔を守るためなのだ。
こうやって見送られることで、はそれを改めて実感した。
前方を歩く兵士たちの中にはエリックをはじめ顔なじみの者がたくさんいる。
後ろの方には自分たちと同様に馬に乗ったルヴァイドがいる。そのすぐ近くにゼルフィルドも。
そして自分のすぐそばには、イオスがいる。
守りたい。
優しい彼らを。温かさを教えてくれた大切な人たちを。
視線を落とせば、手の甲の刺青が目に入る。
血のような紅い色も、むりやり刻まれた役割も、忌むべきものでしかなかった。でもこの力があれば、大切なものを守ることができるはず。
ルヴァイドから魔界魔法の使用は禁じられているが、それでも……
密かな決意を胸に、はぎゅっと拳を握りしめた。