結婚式が終わってからも、ミルザの街は賑やかだった。
それぞれが各々に集まり、騒いでいる。
軍の宿泊施設もそれは同様で、今日の主役である花嫁の弟を中心に置いて、酒を酌み交わしていた。
そんな街の騒ぎを遠くに聞きながら、イオスは静かに窓の外を眺めていた。
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第33話 君のとなり
遠慮がちなノックがかすかに耳に入ってくる。
夜空に浮かぶ月から目を離さないままに返事をすると、扉が開く音と共に軽い足音が室内に響く。
そこで初めてイオスが扉の方へ顔を向ければ、予想どおりにが佇んでいた。
「灯り、つけないの?」
部屋に備えられたランプには火を灯していない。
廊下から零れてくる光を背にしているの表情は、窓辺のイオスにはほとんど読み取れなかった。
「今夜は月が明るいからね」
質問にそう答えると、は扉を閉めてイオスの隣へ歩み寄ってきた。
イオスの手元のサイドテーブルの上に一本の酒瓶とその中身が注がれたゴブレットが置かれているのをみて、は首をかしげる。
「みんなの所には行かないんですか?」
さんざん昼間のお祭騒ぎを見たにとっては、酒は他の人間と騒ぎながら飲むものという印象でもあるのだろうか。
イオスは微かに苦笑して見せた。
「ひとりで静かに飲みたいって思うときもあるんだよ」
「あ……じゃあ、あたし邪魔かな」
慌てて部屋を出ようとしたを、イオスはそっと引き止める。
「いいんだ、大丈夫。僕に用事があって来たんだろう?」
尋ねると、は少し困ったように視線を彷徨わせた。
「用っていうか……
今日のイオスさん、時々、ちょっとだけつらそうな顔してたから。
どうしたのかなって」
何気ない声に、射抜かれた気がした。
自分では極力表に出さないようにと抑え込んでいたつもりだったものを、この少女はあっさりと見破ってしまう。
一見ぼんやりした印象さえ与える彼女は、時折こうやって、とても鋭い感性を見せるときがある。
まったく、かなわない。
イオスは窓枠に肘をついて夜空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「少し、昔話をしようか」
了承の返事の代わりか、はイオスの隣に潜りこむように、窓枠に両手を添えた。
「は『帝国』を知っていたっけ?」
「デグレアの旧王国と、ゼラムの聖王国と、あともうひとつの国でしょ?」
「そう。
……実はね、僕が生まれたのはその『帝国』なんだ」
が驚きに言葉を失ったのが、彼女を見ていなくてもわかった。
唐突過ぎる発言だろうと自分でも思うから、無理もない。
「僕が生まれて、育った場所は帝国。
とくに身寄りもなかったから、僕は自然と軍人を目指して軍学校に入った。
他の仕事よりも生活の保障はされるし、何よりも、僕が死んだって悲しむ人はいなかったから」
身体を動かすのが苦手ということもなく、一応五体は満足だった。
天職だと、あの頃はためらいもなく思っていた。
「あの頃の僕はとにかく負けず嫌いでね。
周りよりもいい成績をって、そればかり考えていたものだから、いざこざが絶えなかったんだ。
そんな僕をいつも諌めていたのは、軍学校のある女性教官だった。
最初の頃はおせっかいで鬱陶しいなんて思ってたものだけど、それでも彼女は優しくて、いつの間にか惹かれてた。
――思えばあれが、僕の初恋だったのかもしれないな」
ゴブレットの中身を、一口含む。
広がる苦味に、思わず自嘲の笑みが口元に浮かんだ。
「それが終わったのは、彼女が結婚して軍学校を退職するって話を聞いたときだった。
招待されて、結婚式にも行ったよ。
幸せそうな彼女の笑顔を見て、やっと気持ちに区切りがつけられた」
ひんやりとした風が、ふわりと吹き込んだ。
撫でられた頬が火照っていると感じるのは、はたして酒のせいなのか。
今日の結婚式に出席して、人々の笑顔を見て、自然と思い出されたあの頃のこと。
何が悪いと言うことも、誰が悪いと言うこともないけれど、苦味がじわりと心に広がる。
幸せと祝福に満たされた空間の中に、自分だけが異質な存在のようで、居心地の悪さを覚えていた。
「そのひとに、会いたい?」
ぽつりと、それまで黙って話を聞いていたが尋ねた。
「……いや」
「どうして?」
「――彼女は僕と違って、穏やかで平和な、幸せな世界にいる。
会えないよ……もう二度と、ね」
の反論も飲み込んでしまうかのように、ゴブレットを一気にあおった。
サイドテーブルに置くと、固いもの同士がぶつかる音が、静かな部屋に響き渡る。
「それに、僕はもうデグレアの人間だから。
祖国を裏切ったような奴が、会いに行けるはずがないんだよ」
彼女がなぜ軍学校に籍を置いていたのか、イオスは知らない。知るつもりもなかった。
ただわかることは、彼女も例外なく、旧王国への敵対心を持っているだろうということ。
かつての自分が、そうだったように。
「じゃあイオスさんは、どうしてデグレアに?」
当然の疑問だろう。
軍学校にまで通っていた者が敵対国へ寝返るなんて、そう簡単にできることではない。
イオスは空になってしまったゴブレットに酒を注ぎながら、答えた。
「拾われたんだ、ルヴァイド様に」
再び手に取ったゴブレットの酒に、月がゆらゆらと形を変えながら映し出される。
「もともと僕は捕虜だったんだ。
学校を卒業して、そのまま配属された部隊がデグレアへ侵攻することになった。
それを迎え撃ったのはルヴァイド様の率いる部隊だった。
――完敗だったよ。
僕以外、部隊の生き残りは誰もいなかった。
ただひとり、僕だけが生き残ったんだ。
捕虜として捕らえられたあと、資質を見込んでくださったルヴァイド様が、僕を部下として招き入れてくれたから、僕はこうやってデグレアの兵として生きてこられた」
今になって思い返せば、まったく無茶をする人だと笑いたくなる。
自分の立場だって危うい人なのに。
もしかしたら、“危ういからこそ”なのかもしれないけれど。
「イオスさんは……ルヴァイドさんのこと、きらい?」
「――昔は、ね。捕まってすぐの頃は」
素直というか、直球すぎるの質問には、少しばかり苦笑がこぼれた。
「でも今は違うよ。
ルヴァイド様のことを尊敬しているし、共に戦っていきたいと思ってる」
それは、嘘偽りない自分の心。
祖国を捨ててもいいとさえ思える相手を見つけられたのだから、後悔などしていない。
「……つまらない話だったろう。退屈させてしまったかな?」
は黙りこくっていた。
酒の勢いで次から次へと言葉を並べてしまったものの、この少女に聞かせるような話ではなかったのかもしれない。
今更ながら、後悔の念が押し寄せる。
やはり、今日の自分はどうかしているのかもしれない。
「……ね、イオスさん」
小さな呼びかけは、この静かな部屋でなければ聞き逃してしまいそうなものだった。
の方へ顔を向けると、彼女は大きな瞳でまっすぐにこちらを見つめている。
「あたしね……あたしも、イオスさんと一緒にいたい。
イオスさんが、旧王国のひとでも、帝国のひとでもいいの。
あたしは、“イオスさん”のそばがいい」
唐突なの言葉に、思わずイオスは目を見開いた。
「約束したもの。一緒にいるって。
だから、あたしはここに――イオスさんのそばに、ずっといるから」
の両手が、そっとイオスの手を包み込む。
小さな柔らかい手は、ほんのり温かい。
浮かべられた微笑みは、穏やかで、優しい。
イオスは空いた腕でを抱きしめて、絹のような黒髪に頬を寄せた。
自分とは違う、ぬくもり。
ひとりじゃない。
僕も、君も。
「――ありがとう、」
過去は、消えない。
あの頃感じた苦しみも、消えることはない。
それでも、君が隣にいてくれるなら。
穏やかな幸せの中に、いることができるかもしれない。
UP: 06.10.12
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