冬に差し掛かる季節のミルザには珍しく、雲ひとつない快晴。
爽やかな風が穏やかに流れ、陽射しが優しく降り注ぐ。
まるで、空までも彼らを祝福してくれているかのようだった。
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第32話 wedding
「わぁ……!」
控え室に入るなり、は歓声を上げた。
きらきらした瞳のが見つめる先には、花嫁衣裳に身を包んだエレンの姿があった。
いつもと違う雰囲気の化粧が施され、普段下ろしている髪はきちんと結い上げられている。
純白のドレスは裾がふわりと柔らかく広がり、被せられたベールはその奥にある彼女の顔を幻想的に見せていた。
「すごいっ……すごくきれいです、エレンさん!」
「ふふ、ありがとうちゃん」
やや興奮気味のの感想には、イオスも同意した。
あまり女性の外見にこだわる方ではないイオスだが、今のエレンは綺麗だと素直に感じられる。
とはいえ、別に普段が綺麗ではない、というわけではないのだが。
花嫁衣裳というものはやはり独特の美しさがあり、纏う者をより美しく見せてくれる。
「ほら、」
呼ばれて、はイオスが手にしていた小さなブーケを受け取り、エレンへと手渡した。
ふいに目の前に広がった鮮やかな色に、エレンは目を見開いた。
「これ……私に?」
ぽつりと尋ねられて、はこくこくと頷く。
「しあわせに、なってくださいね」
はにかみながらが笑顔を浮かべると、エレンは心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうね……本当に……」
ベールの奥の瞳が、潤んでいるように見えた。
* * *
ミルザの街の中央にある大きな広場で、結婚式は執り行われた。
参列者の見守る中、新郎と新婦の誓いの言葉が青空に響く。
互いに指輪を交換して、誓いの口づけを交わした。
街中に届きそうな拍手が沸き起こり、たくさんの花が舞う。
酒や料理が振舞われ、楽団が明るい音楽を奏で、にぎやかな、楽しそうな笑い声が響き渡った。
広場にいる誰もが、幸せそうな笑顔を浮かべていた。
* * *
広場の外れの、人の少ない木陰まで歩いてきたところで、は大きく息をついた。
ひんやりしているはずのミルザの空気だったが、中心の方は熱気が集まっているようだった。
少し離れたこの辺りの空気は、普段のままの少し冷たい。
吸い込むと、冷気が肺の中まで染み込んで、熱のたまった身体を冷ましてくれる。
「ここにいたのか」
ふいに声がかけられて顔を上げると、“黒の旅団”の礼服に身を包んだイオスが立っていた。
両手にひとつずつ、木でできたカップを持っている。
「人ごみ、凄かったから。涼みたくて」
「確かに。街中の人間が集まってると言われても不思議じゃないな」
ちらりと広場の中央に目をやってから、互いに顔を見合わせて、くすくす笑う。
「冷たい飲み物もらってきたんだけど、飲むか?
熱気にやられてるんじゃないかと思ったんだけど、ここで飲んだらかえって身体を冷やすかな」
「ううん、大丈夫」
首を振って手を差し出すと、イオスは笑顔でカップを渡してくれた。
カップの中身はよく冷えたジュースだった。思っていたよりも喉は渇いていたらしく、は一気に半分くらいを飲み干してしまった。
「あんまり急いで飲むと、お腹壊すぞ」
イオスにもよほど勢いがいいように見えたようで、軽く叱られる。
は肩をすくめて照れ笑いを浮かべた。
肩を並べて樹に身体を預けると、それきりは黙り込んでちびちびとカップの中身を口にしていた。
梢の音と広場のざわめきだけが耳に入る。
どのくらいの間、そうしていただろうか。
「イオスさん」
ふいにぽつりと名を呼ばれ、イオスは隣のへと視線を向けた。
呼びかけたはといえば、遠くの喧騒の方を見ている。
「人、たくさんいるね」
「あぁ、そうだな」
呟きながら、は僅かに顔を伏せた。
見下ろす位置にあるの表情が、余計に見えなくなる。
「あたしね、こんなに人が集まってるの、初めて見た」
小さな声は、それでもはっきりと聴こえる。
「それに、みんながこんなに楽しそうにしてるのも、初めてなの」
そこまで言って、はようやく顔を上げた。
「だからかな。
あたしも、嬉しい気持ちになれるの。
嬉しくて、楽しくて。
そういう気持ちで、心がいっぱいになるの。
“結婚式”って、すごいんだね。
こんなにたくさんの人がいて、みんなが幸せな気持ちをいっしょに感じてる。
それがね、あたしはすごく幸せに感じるの!」
満面の笑顔が、そこにはあった。
今までにないくらい、満足そうには笑っていた。
「幸せな気持ちって、誰かといっしょに感じることができると、もっともっと幸せになれるんだね。
あたしも、そんな風になりたい。
エレンさん達みたいに、誰かに幸せをあげて、その幸せをいっしょに感じられるようになりたいの」
温かさと憧れの入り混じった瞳が、きらきらと輝いて見えた。
イオスは微笑んで、の頭をなでてやった。
「は、とっくに幸せをくれてるよ」
絹のような黒髪を梳きながら囁くと、はきょとんと首をかしげた。
彼女は、気付いていないのだろう。
自身が望むまでもなく、もう既に周りの人間に幸せを与えていることも。
今こうして、幸せそうな彼女の隣に、彼女に分け与えられた幸せを感じている者がいることも。