ミルザにある軍属用の宿泊施設。
そこに現れた“黒の旅団”所属の召喚師・エリックの姿を見て、彼の同僚達は首をかしげた。
この街に実家を持つ彼が、なぜ荷物を抱えているのだろう。
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第31話 流れるままに
「……結婚?」
「はい」
“黒の旅団”総司令官であるルヴァイドが、彼にしては珍しく呆気にとられたような顔をした。
目を丸くしている上司に何事もないように頷いてみせるエリックだが、内心では滅多に見られない上司の表情に驚いていた。
「それはまた、急な話だな……式はいつ頃だ?」
「3日後ということになっていますが、大丈夫でしょうか?」
エリックの問いかけに、ルヴァイドは頷くことで答えた。
「今はまだ命令の類も来ていないからな。3日後なら大丈夫だろう」
ルヴァイドの言葉を聞いて、エリックはホッと息をついた。
「で、相手はどんな女性なのだ?」
……が、次の瞬間上司の口から出た言葉に凍りついた。
一瞬完全に停止した頭が理解したのは、ルヴァイドの勘違い。
「あ、いや、おれじゃないです! 結婚するのはおれの姉でして……」
慌てて腕をばたつかせながら説明すれば、なんとか誤解は解けたらしい。
「そうか……めでたいことだな」
「ええ、それはまあ」
穏やかな笑みと共に告げられた言葉には、エリックも素直に賛同する。
帰ってくるなり実家は片づけられ始めていて、いきなり結婚するなどと言われたときには、軽くめまいなどを覚えたし正直頭を抱えたい心境だった。
しかし、義兄になる人物はエリック自身とも親しい相手だし、なによりも信用のおける誠実な男だった。
昔から男勝りで無鉄砲なきらいがありつつも、姉のエレンは内面は意外と脆いことをエリックはよく知っていた。自分が軍に所属することで余計な心配ばかりかけていたことには申し訳なさを感じていたから、安心して姉を任せられる人物と一緒になってくれることは、弟として嬉しい限りだった。
「式は3日後だと言ったな。親族だけで行うのか?」
「いえ、姉と義兄の方針で色々な人を呼ぶ、とか…………」
エリックの言葉は、最後まで出尽くさずにかすれて消えた。
目の前の上司の顔には、彼にしては珍しい種類の笑顔が浮かべられている。
たとえて言うなら、“面白いものを見つけたイタズラっ子の顔”。
エリック自身もよく見知っている、これと同種のモノを浮かべた姉にさんざん苦労させられた子供時代が、一瞬エリックの脳裏に蘇った。
「そうか――なら、我々もぜひ同席させてもらおうか」
「は……はいぃぃぃ!?!?」
エリックの叫びが、宿中に響き渡った。
ここが個人の部屋だとしたら、部外者が様子を見るのは躊躇われるだろう。
だが、エリックの運は相当悪いらしく――ここは誰でも行き交うことの出来る広間だった。
何事かと、周りの同僚や従業員がぞろぞろと集まってくる。
「せっかくのめでたい祝い事だろう。ならば、皆で祝った方が嫁いで行く姉上も喜ばれるのではないか?」
周囲のざわめきなど気にならないかのように、ルヴァイドは涼しい顔で言い放つ。
――絶対わざとだと、エリックは苦い顔つきになる。
「え、何だよエリック! お前、姉さんなんていたのか?」
「しかも嫁ぐって、結婚するってことだろ? 水臭いなぁ、何で黙ってたんだよ!」
「そんなめでたい行事なら、ぜひ参加しないといけないっすよね!」
「あ、俺も行きたいです!」
口々に騒ぎ出す同僚の声を、エリックの意識はどこか遠いところで聞いていた。
「よし、では3日後までに各自礼装を整えておくこと!」
「「「了解!」」」
結局、エリックが口を挟む間もなく、あっという間に“黒の旅団”の結婚式参加が決定されていた。
「――エリックさん」
幼さを感じられる高い声と、くいくいと引っ張られる服の裾の感覚によって、エリックは現実に帰ってきた。
そちらを向けば、大きな目を瞬かせていると、その傍らに立つイオスが映る。
「姉君の結婚式の日が決まったのか?」
先程のルヴァイドの言葉が聞こえたのか、イオスが尋ねてきた。
「ええ、まぁ」
こっくりと深く頷きながら出てくる言葉は、どこか気のない返事になってしまう。
イオスの視線が、どこか同情を含んだ雰囲気に変わったのは、きっと気のせいではないだろう。周囲の大騒ぎは未だに嫌でも耳につく。
「式には僕たちも出席させてもらってもいいか? 今のお前の様子だと、あまり乗り気じゃないみたいだけど」
「いえ、そんなわけじゃ……!」
イオスの言葉を聞いて、残念そうにしゅんとが俯いている。エリックは慌ててパタパタと手を振った。
「なんだかあっという間に話が進んで、おれ自身がついていけてないというか……」
小さなため息とともに、エリックの眉が僅かに寄せられる。
「まだ戦争は終わってないんだし、おれ達もこれからまた戦場に向かうし……
それなのに、こんな風にのん気に騒いでていいのかとか、不安になるんですよね」
浮かれているくらいなら、訓練をするとか、そちらの方に時間も意識も集中すべきだと思ってしまう。
自分の姉の門出を祝ってくれるのは確かに嬉しい。
けれど、そのせいで出遅れて、負けてしまうのでは洒落にもならない。
複雑な思いを噛み締めながら同僚達へと目を向けていると、再び袖が引っ張られる。
見下ろしたところにあるの顔が、にっこりと微笑んだ。
「だいじょうぶですよ、エリックさん。
これから大変だからこそ、嬉しいことはみんなでお祝いしなくちゃ。
エレンさんだって、そう言ってたから」
耳を伝う言葉は、姉を通して義兄が言っていたこと。
青いの瞳には、不安など微塵も浮かんでいない。
不思議と励まされる。
そんな気持ちにさせられて。
勇気づけられたような気がして。
「――そうだったな。確かに言ってたよね」
エリックもふっと頬をゆるませて、の頭をくしゃりと撫でた。
「ちゃんも、一緒にお祝いしてくれるかい? 姉貴の新しい出発をさ」
「はいっ!」
は、明るい笑顔で頷いてくれた。
UP: 06.03.09
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