誰かを好きになるということ

 誰かに恋をするということ

 誰かを、愛するということ



 その違いは、何?

 その境界は、どこ?



 わからない

 わからない



 ワカラナイ――





with

第30話  想いの形






 は、数日ぶりにエレンの家を訪ねた。

「もっと遊びに来てくれたっていいのに」
「でも、じゃまになっちゃったら悪いですから……」
 くすくす笑うエレンに申し訳なさを感じながら、は家の中の様子を眺めた。
 最後に来た時よりもさらに荷物はまとめられており、もう外に出ているのは生活に必要な最低限の物だけのようだった。

 応接室に通されて、エレンが注いでくれた紅茶は、ふわりと優しい香りがする。はそれがまるでエレンのようだと感じていた。

 互いに紅茶を口にすれば、にわかに静寂が訪れる。
 それを破るように、エレンは口を開いた。



ちゃん、最近なにか悩み事でもあるのかしら?」



 弾かれたように、は顔を上げた。
「な、なんで……」
「顔に書いてあるわよ。すぐにわかるわ」
 指摘されて、はばつの悪さに押し黙る。

「話してごらんなさいな。誰かに聞いてもらうだけでも、少しは変わるものよ。
 勿論、ちゃんが話したくないことなら、話さなくっても構わないわ」

 穏やかな笑顔は、やはり優しい紅茶の香りと重なった。



 たっぷり悩んで、は意を決したように口を開いた。
「こんなこと聞いて、気を悪くしたらごめんなさい」
 最初に謝罪してから、一呼吸。



「“結婚する”って、どういうものなんですか?」



 の言葉の意味がつかめなかったのか、エレンは呆気に取られた顔で目を瞬かせる。
 ぽつりぽつりと、は先日のイオスとのやりとりを話した。

「結婚って、配偶者を得るってことだけじゃないんですか?
 おめでとうって、言うものなんですか?
 ならそれは、どうして……?」

 エレンは黙っての話を聞いていたが、の瞳をまっすぐ見据えた。



ちゃんは――誰かを好きになったことはある?」



 問い返されて、はきょとんとエレンを見つめ、こくんと頷く。
「イオスさんと、ルヴァイドさんと、ゼルフィルドさんと……旅団の人たちと、エレンさんと……
 みんないい人で、大好きです」
「ふふ、ありがとう。私も弟も入れてくれて」

 今までにも何度か尋ねられた言葉に、今までと同じように返事をした。
 ここで大抵、尋ねた相手は何やら微妙な顔つきをしたけれど、エレンはなぜか笑顔を浮かべて礼を述べる。

「それじゃあその中に、誰か特別な人はいるかしら?」

「特別な、ひと?」
 思わずオウム返しに問い返してしまえば、エレンは頷いた。



「そう、特別な人。

 ずっとそばにいたいって思う、大切な人。
 たくさんの好きな人の中でも、一番好きだと思う人。

 そして、その相手の心の中でも、自分が一番大切であってほしいと思う人。

 ――そんな人は、いるかしら?」



 問われて、は言葉に詰まる。

 たくさんの大切な人に、どうして順位をつけるのか、それがいまいちわからない。
 それに、自分を一番大切だと思ってくれる人なんて――――



ちゃんには、まだちょっと早いのかな?」
 答えられずにが口ごもっていると、エレンは僅かに苦笑を浮かべていた。



「誰かに強く惹かれて、その人のそばにいたい、その人に好きになって欲しいって思う気持ちが、誰かに“恋をする”ということ。

 そしてその人を大切にしたいって強く想う気持ちが――誰かを“愛する”ということなの」



 エレンはそこで一度言葉を止めて、紅茶を一口飲む。



「愛にはふたつの形があってね。
 たくさんの人を大切だと思う慈しみの感情と、ただ一人の相手に向ける感情。
 二つ目は、愛だけではなくて、恋する感情も一緒に交えるものなの。

 お互いに想いあって、ずっと一緒に生きていたいと思うこと。
 その気持ちをもって、一緒に生きることを約束して、誓い合うのが“結婚”なのよ」



 は、エレンの言葉を頭の中で反芻してから、ぽつりと口を開いた。

「きもちを、誓う……?」

 ほとんど独り言に近いそれに、しかしエレンは頷いた。



「そうよ。
 お互いに恋をして、愛し合って。その気持ちを大切にして、一緒に生きていこうと約束するの。

 それぞれの想いがひとつの形になって、新しい出発点になる。
 だから、“おめでとう”なんじゃないかしら」



 わかった、ような気がする。

 しかし、やはり言葉で聞いただけでは、の中には確たるイメージは浮かんでこなかった。
 薄ぼんやりと、感情の断片が脳裏を掠めただけに過ぎない。



 悩んでいるを見て、エレンはくすりと笑みをこぼした。

「まあ、これはあくまで一般的な考え方だけどね。
 恋の形も愛情も、人それぞれで、本当は決まった形なんて存在しないものよ」

 人がそれぞれ違う形と心を持つように、その想いの形も違うのだと、エレンは言う。



「だからね、ちゃん。

 あなたは、あなたなりの気持ちを見つければいいの。
 焦らないで、ゆっくりね。

 いつかあなたにも、わかる日が来るはずだから」



 微笑を浮かべるエレンの眼差しは、柔らかくて。
 穏やかなアルトが奏でる声は、温かで。

 彼女のこの顔と声、そして言葉は、自然と心に刻み込まれる。

 それを感じながら、はどこかぎこちなさを含みながらも笑顔を返した。

 恋も愛も、形がない人間の感情のひとつで、それぞれに違うもの。
 それを実感できていない相手に言葉だけで伝えるのは、とても難しいことだと思います。

 今回の話は、『with』における最大のテーマのひとつを盛り込んだため、だいぶ難産でした。
 多分、自分的にも描きたいと思っていたことの全てを描ききれていません。そのうち修正を加えるかも。

 それでも、ヒロインの心情と共に、少しでも伝わってくれればいいなと思います。

UP: 05.09.19

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