それは、ある夏の日曜日。
Tapestry
Visionary Theater
〜携帯電話〜
〜〜♪
普段ほとんど聞くことのない着信メロディが、画面を見る前に相手が誰なのかを知らせる。
オレは光が点滅している携帯電話の液晶画面を見ることなく、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あ、翔? オレ、風真だけど』
わかってる。
などとは言わずに、相槌を打つ。
「あぁ、兄貴。
珍しいじゃん。どうかしたのか?」
『うん、あのさ。
翔、もうそろそろ夏休みだと思って。
休み中は実家に戻れそう?』
「それがさぁ、7月中は学校の夏期講習で埋まっちゃってるんだよな。
だから、帰るなら8月にならないと、ちょっと」
オレの言葉に、電話の向こうの兄貴が少し驚いたような顔をするのが見えた気がした。
『え?
でも、翔は大学行かないんだろ?
なのに、夏期講習なんて……』
「うちの担任が、『クラス全員強制参加だ』とかよくわかんないこと抜かしてた。
オレも文句言ったんだけど、聞いてくれなくて。
全くなに張り切ってんだか」
『ははは……ご愁傷さま』
兄貴が心の底からの同情の意を込めて言った。
本当に、大学に進学するつもりのないオレにとってははた迷惑この上ない話だ。
『そう……か。
じゃ、翔も東京に残るのか』
「“も”?
兄貴も戻らないのか?」
『うん。
ちょっと“依頼”が多くてね。
今ちょうど高校って期末試験の時期だろ?
影司たちが動けないから、戦力不足なんだよ』
兄貴は、フリーの退魔師だ。
表向きは探偵事務所を営んでおり、5人組の退魔師チームのリーダーを務めている。
メンバーのうち2人が高校生であり、二人とも前衛の戦士タイプ。
いかに兄貴が優秀な悪魔召喚師であっても、人手不足による戦略のバリエーションの減少は、さすがに厳しいものがあるらしい。
ちなみに“影司”というのが、兄貴の仲間の高校生のひとりだ。
同い年ということもあり、オレとも仲が良い。
「そうか、それじゃ大変だな。
オレも手伝えればいいんだけど……」
『いいって、いいって。
そっちだって大変だろ、色々と。
師匠さんはまだ戻らないんだっけ?』
「ああ、らしいよ。
何年かぶりに実家に里帰りらしいし。もうしばらくは平和でいられるかな」
少しふざけた調子で言ってみせると、受話器から兄貴の笑い声が聞こえてきた。
そのまましばらく、なんてことのない雑談をした。
『それじゃ、そろそろ時間だから』
「あ、うん」
兄貴が切り出したので、俺も電話を切ろうと耳を離そうとした。
『翔』
しかし、静かな、けれど嫌にはっきりとした兄貴の声に手を止め、オレは電話を耳に当てなおす。
「何、どうかした?」
返事をしても、兄貴は何も言わない。
呼びかけようと口を開いたところで、兄貴が言った。
『――――――――気を、つけて』
その声は、さっきまでとは違い、硬く、重い。
自然と、兄貴が何を言わんとしているのかを理解した。
「…………うん。
兄貴も、ね。
みんなによろしく言っといてくれよ」
オレも、少し声が上ずって硬いものになっていた。
『……ああ』
ピッ。
電子音の後、ツー、ツーという音が聞こえる。
向こうから電話を切られたのだ。
オレも同じように電話を切り、テーブルの上に転がした。
そのままごろりと、畳の上に寝転がる。
アパートの古い木目の天井と、壁と、窓に切り取られた夏の青空が目に入った。
夏の暑さを象徴するかのようなセミの声が、聞こえてくる。
――もう、すぐ……なのかもな――
日常が消え去る日。
終末の時。
それが刻一刻と迫っているのは、オレも充分感じ取っていた。
おそらく、兄貴もそうなのだろう。
「死んで、たまるか……!」
終末の時が来るなら、その原因は紛れもなく“人”の“業”だ。
醜く傲慢な人間が、神々の怒りを受けるのだ。
そんなモノのために、殺されるわけにはいかない。
必ず、生き延びてみせる。
オレは仰向けのまま、力なく投げ出していた手を目の前まで持ち上げて、ぎゅっと拳に変え、きつく握り締めた。
終末――“東京大破壊”まで、あと数週間。
暑い、夏の日だった。
UP: 04.08.15
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