妹の碧海は、長男である兄貴よりも7つも年下で。
オレとも、4歳も歳が離れていた。
なのに、オレたちの中では一番しっかり者で。
あの滅び行く世界の中で、あいつは何を思いながら生きていったのか。
Tapestry
Visionary Theater
〜手製のストラップ〜
携帯の着信メロディが、狭い部屋に流れた。
オレはボタンを押し、電話を耳に近づける。
「――もしもし?」
『翔にいさま?』
電話越しの声は、いつもどおりの厳しさを感じさせるものだった。
苦笑しながら、オレは相手の名を呼んだ。
「あぁ、碧海か。
どうしたんだよ。
おまえが電話なんて、珍しいじゃないか」
言いながら、つい先日に、やはり珍しく兄貴からかかってきた電話で同じような応対をしたのを思い出し、ふっと笑いがこみ上げそうになった。
『どうしたもこうしたもありません。
風真にいさまから聞きました。
休みに帰らないって、本当なんですか?』
「あぁ、そうだけど。
夏期講習があって」
どこか怒ったような口調の碧海の声にも、平然と反応する。
事実であり後ろめたさなどかけらもないのだから、他に反応のしようもないのはまた事実なのだが。
『それ、本当の話ですか?
私はてっきり、またしてもにいさまがもっともらしい理屈で帰るのを渋っているだけかと思ったんですが』
「……おまえなぁ……」
さらりと言われた嫌味に、オレはげんなりと肩を落とした。
……前科持ちなので、何も反論できない。
実は以前にも、『修行がある』と言って、帰らなかったことがある。
修行があったのは事実なのだが、それを帰省期間にかぶらないようにすることだって出来たのだ。
だが、そうしなかった。
碧海はその時の事を言っているのだ。
『にいさまが分家のおじさま達を嫌うのはわかります。
ですが、だからと言って逃げるのは感心しません』
「逃げてないってば。
どうしても気になるなら、学校のオレの担任にでも問い合わせてみろよ」
分家の年寄りどもは、ガキの頃からオレの天敵だった。
今は他人の心の声を聞く力を抑えることが出来るからそれほどでもないが、小さい頃からさんざん、心の中で嫌味を言われ続けているのが、すっかりトラウマになっている。
顔を合わせただけで、強烈な吐き気と頭痛が襲ってくるため、奴らと鉢合わせしやすい長期休みというのは、オレにとっては昔も今もいいものではない。
出来ることなら帰りたくないのが本音だ。
それは、認める。
『……わかりました。
そこまで言うなら、そういうことにしておきましょう』
「少しは信用しろよ……」
『嫌です。
こういう時のにいさま程、信用できないものはありませんから』
……ズバッと嫌なこと言いやがる。
我が妹ながら、かわいくない。
“自分に厳しく、他人に厳しく”を信条とする碧海とは、こんな時はことごとく対立する。
兄貴という緩衝材がない、今のような電話越しでのやり取りでは、それが思いっきり露見する。
まぁ、当の兄貴も普段かなりのほほんとしているため、『もう少し、次期当主としての自覚を持って、しゃんとして下さい』と怒られているのだが。
兄貴とは違う意味でいつもお説教を喰らっている身として常々思うことは、もう少し他者への厳しさを緩和してもいいんじゃないのか、ということ。
碧海とて、決して杓子定規で頭が固いわけではないのだが、この性格のために堅物と思われがちである。
たまに見せる穏やかな笑顔は、少しは歳相応のかわいさが感じられるのに、普段がこれでは台無しだ。
『でも…………』
ふいに、碧海の声の調子が下がる。
それに気づいて、オレは受話器に注意を向けた。
『終わったら……
講習が終わったら。
一日でいいから、戻ってきてくれませんか?』
不安の混じった、しおらしい声。
あぁ、きっと。
碧海も感づいている。
終末が、近いことを。
「…………わかった。
きっと、そうするよ」
出来るだけ穏やかに、言ってみせた。
電話越しでは、“心の声”など聞こえない。
それでなくても、召喚師である兄貴や碧海の“声”はことさら聞き取りづらい。
オレの言葉で、どれだけのものが碧海に伝わったかは、はかれない。
『……きっとですよ。
とうさまと、かあさまと。
この家で……待っていますから』
オレと同じように、穏やかな碧海の声に。
不覚にも、泣き出しそうになった。
「あぁ。
それじゃあ、な」
声が震えないようにと努力をしながら、それだけを告げてオレは電話を切った。
ちゃぶ台に携帯を置くと、かしゃんと、つけているストラップが音を立てた。
今年の春。
オレの誕生日に、と碧海が作ってくれたものだ。
普段から持ち歩くものの方がいいだろう、と言って。
照れくさそうにしていたのを、今でも鮮明に思い出せる。
組み紐に、アクセントとしてビーズの飾りがついている。
ビーズと言っても、男が持ち歩いていても問題のない、さりげないものだ。
組み紐の方も、13歳の少女が作ったぎこちなさと温かさがある。
オレは一目で気に入って、碧海に何度も何度もお礼を言った。
そのたびに、いつもクールな碧海が、珍しく顔を赤く染めて、おたおたしていた。
その顔を見て、兄貴も楽しそうに笑っていた。
なんで、今になって……
こんなこと、思い出したんだろう。
あぁ、そうか。
終末の日が近いからだ。
碧海の顔も、もしかしたら二度と見ることが出来なくなるのかもしれないから。
それだけじゃない。
兄貴だって、影司たちだって。
父さんだって、母さんだって。
もう、二度と会えないのかもしれない。
いつ来るのかわからない、終末。
悲しみに。
悔しさに。
憤りに。
夏の日差しの照りつける狭い六畳間に、嗚咽だけが、小さく響いていた。
UP: 04.08.15
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