『あたしが応援してあげるッ -LOVE TRIANGLE-』
よく晴れた空を見上げながら、俺はあの日のことを思い出す。
交換留学生となった夏蜜さんを空港まで見送ったあの日のことを……。
「大島くん、今までありがとう」
「そんな……こちらこそ」
心細さを内に秘め、彼女は呟く。普段は厳格なイメージを崩さない、いや崩せない学園の生徒会長。しかし今は旅立つ前の一人の女の子に過ぎない。
以前は会話することすらできなかった学園の高嶺の花と、今は普通に会話できている自分に驚いている。
思い返せば一年前……妹である柚子が俺に授けてくれた恋愛特訓(?)の甲斐もあって、夏蜜さんとはそれなりに仲良くなれた。
でも結局、恋人同士になることはできなかった。
「……」
二人の間にある溝を埋めきれないまま、俺は異国に旅立つ彼女を見送ろうとしている。
「あっ、あのね!
飛行機に乗る前に伝えておきたいことがあるの」
「えっ…なんですか? うわあああっ」
俺にもたれかかるように夏蜜さんが身を寄せてきた。
きょ、距離が、これは近すぎる……
「いつも優しくて頼りになる大島くん。
わ、私、貴方の……ことが……」
「……っ!」
「……ううん、なんでもない。
今の私がその言葉を口にする資格なんて無いかも」
「……」
これ以上踏み込めないままゆっくりと時間が過ぎてゆく。結局、俺たち二人にとってはこの距離が限界なのだ。
「夏蜜さん、あちらでもお元気で……!」
しかし少なからず好意は寄せられていたと思う。そう信じたい。
たとえ恋人になれなかったとしても、彼女との関係は壊したくない。今はそう思ってる。
「ぅあっ!」
突然、夏蜜さんの体温を感じる距離になった。
同時に自分の頬に当てられた彼女の唇の存在に――、
(こんなに柔らかいんだ……)
ただ驚くことしかできなかった。
しかも夏蜜さんは少し震えてる……
「夏蜜さん、急に何でこんな…あ、決して嫌という意味じゃなくて、その…いきなりで驚いたって言うか…」
「だからこれは……
また会える日までの約束……んっ……ちゅっ♪」
しどろもどろになってる俺に言い含めるように、夏蜜さんは微笑んだ。
時間が止まったように感じる空港内で、彼女は優しく、
本当に優しく俺の頬にもう一度キスをしてくれた。
(あちらでもお元気で……)
渡航中の無事を願う。
彼女の体温を感じながら。
■
「おーきーろっ! 兄貴いいいいいぃぃぃ!!」
「んぁ、あ、あれ……なつみさ…」
「夏蜜さ~ん、じゃなーい!
さっさと起きろゴルアアアアアアッ」
「あああぁぁっ、ゆ、柚子! なんだよお前ッ」
夢か……
いっそ全て夢だったら良かったのにな。
目の前にいるのが俺の妹・柚子。「ゆず」ではない。
正確に「ゆうこ」と呼ばないとキレる。
そのあたり一年前から全く成長してない。
夏蜜さんとは似ても似つかない童顔、寸胴、
バストと色気が常に不足がちなマイシスター……
「はあ…」
精一杯の哀れみを持って俺は妹を眺める。
「アンタね……毎度のことだけど無礼じゃない?
この可愛い妹に対して」
「おや、伝わりましたか…この思い。
なんで目覚めたら目の前にお前がいるんだよ。
もっと夢を見させてくれよ、楽しい夢を!」
不満だ。実に不満……何が悲しくてこいつの甲高い目覚ましボイスを聴かされなければならぬのだ。
「はいはい、夢の時間は終わったの!
早く着替えて下にいきなよ」
「ちっ…」
正論だ。そんなのわかってる。
だがお前に言われるとどんな正論でも聞きたくなくなるんじゃああああああ!!
「それにしても兄貴って妄想力がハンパないよね~」
「……えっ」
背筋に悪寒が走る。
俺を見つめる妹の目つきが意地悪すぎる。
こいつ何か弱みでも握ってるのか。
「ベッドの上で雑巾みたいに体をひねってさ、あれって
抱き合ってキスでもしてたわけ?」
「うっ! 誰がそんな事…
いや、あれは……嘘だろ、何故それを…」
俺の問いかけに首を横に振る妹。まさか本当にそんな恥ずかしい行為を…全く身に覚えはないが、心当たりがないわけでもない。
だいたいこいつ…いつからここにいたんだろう。
まさか俺の寝言を録音してないだろうな。死ぬぞ、本当にそんな事されてたら…
「あのさ~、憧れの彼女は
もう海の向こうに行っちゃったんだよ?」
「ふんっ、別にいいだろ! ほっとけ!!」
「夏蜜さんと足を絡めたり、胸を揉んだり舐めまわしたり、夢の中なら全部オッケーだ。ふははははははは!」
「やっぱり……不潔! このヘンタイエロ兄貴!」
「ぅくっ、この……」
しまった、調子に乗りすぎた。妹の視線が痛い。
氷柱で眼球をツプツプされてるみたいで耐えられない…
「だってしょうがないだろ! 寂しいんだよ、夏蜜さんいなくなってこれから俺の学園生活が心配だから…」
「だから、ぜ~んぶ忘れたほうがいいと思うよ」
「ひっ……!」
本日二回目の絶句。こいつの言いたい事はわかる。
でもやめろ、それ以上言うな……言ってくれるな妹よ。
「はぁ~、あっちでカッコイイ彼氏作っちゃったりして、羨ましいなぁ夏蜜さん♪」
「作ってなああぁぁい! まだ絶対作ってないしこれからだって! お、おま…なんてことを!」
柚子が目を閉じて妄想してる。
おそらく俺にとっては全くありがたくないシチュをフル回転で頭の中に描いてる。
「それでね、休日は楽しくショッピングとか……
はぁん♪ あたしもしたーい」
「うわああああああああああああああああああああああああ! そんなことあるもんか、彼女に限ってそんな…」
「ふんっ、だいたい兄貴こそわかってないんじゃない」
「ううぅぅ、え、なにを…?」
「夏蜜さんみたいに美人だったら海外でも大人気確定だし」
(それはそうかもしれん……)
癪に障るが同意せざるを得ない。
夏蜜さんは日本的な美しさと知性を兼ね備えてるわけで、目の前の桃髪とは生物的なレベルが違う。
黙り込む俺に向かって妹は続ける。
「あの顔も体も国際規格なのよ!
アンタは別の意味で規格外だけど……」
「な、んだとコラアアアア!」
彼女と俺を比較するな。それにしても柚子のやつ、今朝は容赦なく俺の心を折りにかかってきやがる。
「ああそうそう…
言い忘れてたけど、かりんが迎えに来てるよ」
「ぅおっ、お前それ早く言えよっ!!」
大事なことを最後に告げて、妹は鼻歌混じりで俺の部屋を出て行った…
■
急いで身支度を整え、俺は玄関を出た。
「あっ、おはようございます、センパイ!」
こんなボロボロの俺に、元気のいい挨拶をしてくれたのは柚子の友達・花鈴ちゃんだ。
彼女は柚子と同じ学年で、昔からうちによく遊びに来ていた。ある意味俺とは幼馴染……ってことになるのか。年下だけど。
そして何が楽しいのかわからないけど、ほぼ毎朝迎えに来てくれる優しい女の子。
夏蜜さんがいなくなってから、特に彼女との距離が近くなった気がする。
「はうぅ……あんまり、見つめないで……ください。
私の髪型、ヘンですか?」
ぼんやりとポニテを結んでるリボンを眺めていたら、花鈴ちゃんは目の前で前髪をいじりはじめた。
「あ、全然おかしくないよ」
俺の言葉を聞いた彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
;(やべぇ、今日も可愛いぞ……)
それからしばらく俺たちは並んで歩いた。
隣を歩く彼女は、客観的に見てかなり可愛いほうに入るのではないかと思う。
(慣れというか、俺は昔から知ってるからあんまり意識しないで済むけど…)
男子の中に、彼女の姿を見てけしからん妄想を抱くものがいてもおかしくない。でもそれはしょうがない。男子を責める事はできまい。
実際に花鈴ちゃんの隠れファンは多いらしい。テニス部のエースで、腰まで伸びた長い髪、穏やかな表情と雰囲気、それにスタイルだって悪くない。
「セ、センパイ…あの、お隣、いいですか……?」
「う、うん」
不意に花鈴ちゃんから声をかけられて驚いたけど、特に断る理由もない。
(でも、俺が許可する前に……
なんだかぴったりくっついてるような?)
時々吹く風に彼女の細い髪が踊り、鼻先をくすぐってくる。
なんとなく窮屈な感じで歩きながら、俺は彼女に頭を下げる。
「そうそう、待たせちゃってごめんね」
「いいえ、そんな事ないです。今日はいい夢見れましたか?」
「う、うん…そりゃあ、もう…」
少し考えてからまっすぐな視線から目をそらす。さすがに駄目だ、夏蜜さんの夢を見てましたなんて言えないぃぃぃ!!
「あの、大丈夫ですかセンパイ。顔が引きつってます
けど……」
「いやいやいや、そんな事ないよ!」
「ふ~ん、それならいいですけど…」
目の前の小さな石ころを蹴りながら、花鈴ちゃんは思い出したようにつぶやいた。
「そう言えば、夏蜜センパイがいなくなってから三週間くらいですね」
ギクッ…
「あの時のセンパイ、寂しそうにしてましたもんね」
「そんな事ない…と思うよ。はははは…」
「ジトッ……嘘ついてますね、センパイ」
「ひいいぃぃっ!?」
「センパイは嘘つくと左のまぶたがピクピクするんです。
すごくわかりやすいんです」
「えっ! そんな癖あるの、俺……」
あわててまぶたを押さえてみたけど、別にピクピクしてないぞ。
「あはっ、今のは嘘ですけど♪」
(こ、こいつめ……俺を試しやがった!)
無邪気に笑う花鈴ちゃんを見ながらちょっとだけ胸が痛む。そうか、俺ってそんなにわかりやすい反応を周囲に撒き散らしていたのだな。
たしかに彼女の言うとおり、夏蜜さんがいなくなった寂しさが無いわけじゃない。
ただそんなことよりも…
「でも、チャンスですよね……」
「んっ……」
突然彼女の声がトーンダウンした。
「そうよかりん、これは神様がくれたチャンス……センパイの心を絡め取って、二度と浮気できないように調教するための」
「あ、あの……」
あれ、おかしいぞ…
今何か「調教」って言葉が耳に入ってきたような…
「今ならライバルはいないわ。ゆずは妹だし、夏蜜さんは留学……つまりセンパイには私しかいない……フフフフフフ」
「……」
花鈴ちゃんの口から心の声らしきものがダダ漏れしてるんだけど聞こえないふりをしよう……
「時間はたっぷりあるわ。あせっちゃ駄目……
チャンスのときこそ冷静に」
「花鈴ちゃんそろそろ正気に……」
「あれ、センパイ? どうかされましたか」
何事もなかったように花鈴ちゃんは微笑む。そう、何もなかったんだ。
俺も深く考えない事にしよう……。
■
それから彼女と少し話をしながら歩いてるうちに校門までたどり着いた。
しかし門をくぐってすぐ、花鈴ちゃんが急に慌てだした。
「あっ、やだっ、私……やっちゃった」
「どうしたの?」
「センパイごめんなさい!今朝は私、部活で朝ミーティングの……」
聞けば部活で鍵当番だったらしい。彼女がいないと扉が開かないわけで……何も考えず彼女とのんびり歩いてきた俺もなんとなく心苦しくなる。
「そっか。早く行きなよ」
「はぅ、本当にごめんなさい!
先に行かせてもらいますねッ」
すごい速さで遠ざかってゆく花鈴ちゃん。
あれなら陸上部に所属してる柚子よりも足が速いかもしれない。
背中に揺れるポニテを眺めながら、俺は一人で歩き始めた。
「ちょっとそこの男子、お待ちなさい!」
花鈴ちゃんと別れてから数歩足を進めたところで突然声をかけられた。
「まさかと思ったけど俺のことかよ!
……ってか、誰?」
「私は生徒会役員の須田千夏さんですわ。
こちらはりんごちゃん」
「りん……ご……?」
「ううっ、り、りんごです!
でもその呼び名は好きじゃないです副会長」
「おだまりなさい」
生徒会なのに赤い腕章をつけて何やってるんだろう……
しかも禍々しいデザインだ。
「それで生徒会が善良な男子生徒に何の用?」
「あなた今、女子生徒と一緒に歩いていませんでしたか?」
「してないよっ!
どう見ても俺一人しかいないだろ」
「ついでにエッチなことを考えていたのでしょう?
それも濃厚な……」
「エッチなのは良くないとおもいます!」
「だから何もしてないし!」
「それは嘘ですわ。だって顔つきがエッチですもの」
「なっ…このぉ…ちゃんと話を聞いてくれよ生徒会。俺は無実だ」
「うんうん。野獣っぽい!」
「……」
「あなたに黙秘権はありませんわ。弁護士を呼ぶことも許しません。さあ、おとなしく生徒手帳をお出しなさい」
「ふざけんなー!」
抵抗する俺を挟み込むように、生徒会二人がじりじりと間合いを縮めてくる。
気に入らないけど張り倒すわけにもいかないし、だからといって捕まる気もない。さてどうすれば――
「こんなところで何してんの兄貴?」
「うおっ、マイシスター! 俺の潔白を示してくれ」
ちょうどいいところに柚子が来てくれた。
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