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第五章 第四話




 その光は始まったときと同じく、優しく収束した。

「ルルカ……君は」

 俺は天井を見上げていた。
 自分の見慣れた部屋だとすぐに気づく。

「うっ……く、そ……止められねえ……」

 視界がにじむ。涙が溢れて目が閉じられない。
 心が落ち込みすぎて何故悲しいのか理解できない。

 俺はルルカに捨てられたのか?
 否、そうじゃない。

 俺が彼女を拒んだから?
 違う、それも正しくない。

 描いたはずのルルカとの未来が今は見えない。
 もともと見えてなかったんじゃないかと疑うほど、自分がおぼろげに感じた。

ガチャッ

 不意に部屋の扉が開いた。

「戻ってきたのね。すごい顔」
「志穂……来てたのか」

 彼女が俺の隣に腰を掛ける。ベッドが僅かに沈んだ。

 そしてしばらくの間、何も言わずに志穂は俺を抱きしめてくれた。
 黙って俺は身を任せる。
 今はこの暖かさが心地よくて安心する。

「ま、だいたいこうなることは予想していたんだけど」
「……どういう意味だ?」
「私に未練があったんでしょう?」
「ちげーよ!!」

 即座に否定した声が大きすぎたのに気づき、まずいなと思った瞬間……、

トタトタトタ!

「おにい! そんなところで何してんの? 早く皆でごはん食べよーよ!」

 一階から結菜が駆け上がってきた。
 志穂に抱きしめられたままのところを見られて、ストレートに気まずい。

「……ああ、悪い。すぐに行く」
「しほちゃんもいっしょに……って、いいなー! 結菜もするー!!」
「そうくるのか!?」

 結菜はなんのためらいもなく、志穂と俺の間にダイブしてきた。



 その後、食事を終えてから志穂は自宅へ帰っていった。
 変える前になぜ志穂がここにいたのかを尋ねると、シフォンからの伝言があったからだと教えてくれた。

 淫魔って、なかなか気遣いできるんだな……



 志穂を見送った後、俺は自分にけじめを付けるためにある場所へと急いだ。
 この世界で、おそらく誰よりも俺を必要としてくれるであろう大切な人の元へ。

「ただいま、香織さん……」
「おかえりなさい」

 思わずルルカ、と言い出しそうになって思いとどまる。

 香織さんはすべてを知らされていた。
 ルルカから聞いています、という一言を俺に伝えた後で、香織さんがすっと身を寄せてきた。

 柔らかい髪と、たまらなく抱き心地が良い体に今度こそ俺は安堵する。

 ここが俺の居場所なんだ……とその時だけは思うことにした。
 香織さんに対して何という思い上がりだろう。

 でも、今だけは許して欲しい。

 そんな気持ちを察してくれたように、香織さんも優しく俺の体を抱きしめてくれるのだった。







「よかった……ユウマ様、どうか香織を幸せにしてあげてくださいね」

 千里眼の力を持って、ルルカはその一部始終を見つめていた。

 もちろん悲しみはある。
 でもそれが最善の決断だった。

 このままではきっと彼は悩み続ける。
 ルルカにとってそれは悲しいことであるし、何より香織が不憫に思えた。

「覗きは楽しいか」
「っ!? 覗きだなんてそんな……でも……うふふっ、楽しいです!」

 突然背後から声をかけられて驚いたものの、ルルカは朗らかに笑って見せた。

「ふん、無駄に強がりおって」
「リリス様……」
「たわけ、元リリスじゃ! これからはお前がリリスになるのであろう?」
「そうでしたね」

 ペロリと小さく舌を出してルルカはおどけてみせた。
 今はそうしている方が気楽だった。

 その脇で先代リリスは悪態をつき続ける。

 ルルカはそのたびにペコリと頭を下げながら、密かに自分を気にかけてくれる先代に感謝していた。







 ――人間界。

 悠真と香織はお互いに何も言わずに抱きしめ合う。

 傍目には仲睦まじい恋人同士に見えるだろう。
 だがその内面はいささか複雑だった。

 再会の喜びを噛み締めながら惜別の思いに身を引き裂かれそうな、そんな矛盾した感情が二人の胸中にあった。

「奏瀬くん、私からもお話があるの」

 香織は悠真に身を任せながら、耳元で語りかける。
 抱きしめているようで、相手に抱きしめられている……今の二人はお互いに寄り添い、支え合う必要があった。

「本当はね、ずっと黙っていてほしいと言われてたけど……無理みたい」
「ルルカのこと?」

 悠真の問いかけに対して香織は小さく頷いた。

「奏瀬くん、ルルカのことは嫌い?」
「そんなことあるもんか……」
「それを聞いて安心した。私も、あの子のことが好きだから!」

 そう告げてから、香織はゆっくりと悠真に真実を語り始める。

 別れを選んだのが決してルルカの本心ではなかったこと。

 悲しみを知ることで、やがて訪れる未来に怯えたこと。

 嘘をついてしまって申し訳ないというルルカの気持ち……

 それらは悠真も感じていた。
 全てわかっていたことだった。

 だがそれを、ルルカの依代である香織の口から直接聞かされたことで、悠真はルルカを許し、また自分も許された気持ちになった。

 その時、抱き合う二人の耳に雨音が聞こえた。

「ルルカが泣いてる」

 窓を叩く雨音はそれほど激しくなかった。
 悠真は手のひらを上に向けて、にわか雨を受け止める。

「でも温かい雨だ」
「そうだね」

 心を合わせるように香織もつぶやく。
 空を見上げた二人の目には、雲の隙間から薄っすらと光が差し込む様子が見れた。







 香織と別れ、数日が過ぎた。
 今まで通りの日常が戻ってきた、そんなある日の夜のこと……


「起きろたわけ者」
「この声……リリス!?」

 忘れかけたはずの声と顔を見て、悠真は慌てて体を起こす。
 だがそこは現実的な空間ではなかった。

 グレーで統一された背景と、フルカラーのリリスと自分……

「ここは夢の中?」
「さよう。察しが良くて助かる」

 フンと鼻を鳴らしたきり、リリスは黙り込む。
 悠真を見つめる彼女の視線は鋭く、どこか怒気を含んでいるようだ。

「まだ俺に何か用があるのか」
「ある!」

 そしてまた黙り込む。

 沈黙。そして、

 悠真の背筋に冷たい汗が流れた。

「ま、まさか俺を襲うつもりか?
 精を差し出せと言われても俺は別にお前のことなんて――」

「ちっがーーーーーーーーーう!
 このバカ者がああああああ!! ルルカを泣かすな、都の雨が止まぬ」

 慌てて自分の貞操を守ろうとする悠真を見て、リリスは彼の首を噛みちぎらんとばかりに叫び、右手を天にかざす。
 その直後、悠真はリリスの手のひらから溢れ出す光に飲み込まれた。

 巻き込まれた渦の中で彼は記憶のカケラをはっきりと感じ取る。

 戴冠式を終えたルルカに剣を振り下ろされたこと。

 シフォンとリンネに性技の手ほどきを受けたこと。

 はじめて悲恋湖で先代リリスを出会ったこと……

 それら全てが逆周りだった。


「妾がキサマの時間を巻き戻してやる。ぜんぶやり直しじゃああ!!」

 リリスの絶叫とともに時間が止まる。

 光の渦に巻き込まれた先は漆黒の闇だった。


 物語はまだ終わらない。



エンディング1 ルルカの決断 ~悲しみの雨~ (了)

※アナザーエンドへ続く






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