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  第五章 第三話
  
  
  
  
   戴冠式が始まる直前に、ユウマの背中を密かに見守る影があった。
   透明化の魔法をかけているので気づかれる恐れはない。
「大丈夫かの、あやつは」
  
 口に出せない現世への未練。
 そんな葛藤をルルカに見せることはできない
  
   彼の心を覗いたリリスは何も言わず物陰からユウマを見つめていた。
  
「覗きは良くないわよ先代リリス」
  「うっさいわ! お主だって覗いているではないか!!」
  「し~~~……気づかれちゃうわよ?」
「むおっ!? いかん、静かにせねば……」
 狼狽する先代に、先々代のリリスが微笑みかける。
  「ルルカが授かるリリスの権能。おそらく最初に発動するのは千里眼。
   愛する彼の気持ちに気づかないはずはないわよね」
「うむ……」
  
   ユウマが気づかぬ物陰で、二人のリリスは沈黙した。
  
  
■
  
  
  
   ルルカに振り下ろされた剣が俺の左肩に食い込む。
 痛みはない。
  
   でも、心が急に……重い!
   立っていられないッ!
  
   ガクッと片膝を付いてしまう俺。
   必然的にルルカを見上げるような格好になる。
「ユウマ様、もう悩まないで下さい」
 剣が纏う柔らかな光を通じてルルカの気持ちが流れ込んでくる。
 悲しみと、愛情が混じったルルカの本当の気持ちを、その時俺は初めて感じ取った。
「ルルカ、君は俺と、一緒にいたいんじゃないのか!」
「はい」
「じゃあなぜだ! ルルカ、どうしてこんなこと――」
「それはユウマ様にも思い当たる節があるのでは?」
「ッ!!」
 涼しげな瞳で見つめられ、俺は絶句する。
 さきほどとは逆に、剣を通じて俺の中にあるものが彼女に吸い出されていく。
 きっと今は俺の気持ちが彼女に伝わっているはずだ。
 ほんの少しの迷い……たしかにそれは、あった。
■
   戴冠式が始まる一時間ほど前のことだった。
   集まった淫魔たちの前に先代リリスが顔を出した。
  「まもなく式を始めることになるのだが、
 皆の者、選定の儀を戦い抜いたルルカを褒め称えよ!」
「わああっ、ルルカ様ー!」
「ルルカ! ルルカ! ルルカ! ルルカ! 」
 リリスの声に反応した淫魔たちがそれぞれに声を上げる。
 基本的に彼女たちは陽気な性格だ。悲しみとは無縁なのだから。
 歓声は大きなうねりとなって、遠く離れた俺の居る部屋まではっきり届いていた。
「すごい人気だな……こんなに大勢の淫魔がここにいるなんて思ってなかった」
「たしかにそうかも。
 普段は異世界に旅立っていたり、引きこもりが多いのもその原因ね」
 俺のつぶやきに答えてくれたのはシフォンだった。
 選定の儀が終わった彼女とリンネは、俺とともにここで会場の様子を見つめている。
「でも淫魔ってどこに引きこもってるんだ!?」
「んっと、好みの相手の精を吸い取ってたり……夢の中とか多いよね」
「ああなるほど……」
 得心した。
 魔族の居場所はここだけではないから活動範囲は俺が考えている以上に広い。
「生かさず殺さず仲良くっていうのが、私達が仕えるリリス様の方針だったんだけど……ルルカはどうするのかしらね」
「あんまりかわらないんじゃないかなぁ~ってリンネは思うな!」
 不意に物騒なことを言い出すシフォンに、リンネがポツリと答える。
 いきなり制度が大幅に変わることはないのかもしれないが、全てはルルカの胸先三寸というところか。
 淫魔の世界が、この悲しみの都がこれからどうなるのかはわからない。
 それ以前に俺はどうなるのだろう。
 ルルカの伴侶として一体何ができるというのか。
 漠然とした不安は未だにある。
 俺自身のこと、妹の結菜のこと、志穂のこと、家族のこと……入れ替えになる人形がうまくやってくれると聞いているが、不安はそれとは別の場所にある。
 望まない限り、俺が記憶を消されることはない。
 すべて消してほしいと考えたこともあるのだが、それもできそうにない。
 今までのすべてを、自分自身で否定したくない思いがある。
 振り返った時に自分になにもないなんて悲しすぎる。
  
  
  
  ■
  
  
   これが誰にも聞かせたことのない、俺の僅かな葛藤だった。
 だがおそらくルルカに伝わっていたのだ。
   儀式が終わり、正式にリリスとなったルルカの心に。
  
  「ユウマ様、素直な思いを私にぶつけて下さい」
  
   できるはずがない。彼女を悲しませることになるから。
   黙り込んだ俺にルルカが言う。
  
  「あなたはきっと隠し通すのでしょうね。少なくとも自分が死ぬまでずっと」
  「っ!!」
  「だって、私が認めた男性ですから。ただ一人、愛するはずだった男性ですから」
  「ルルカ……」
  
   見上げる彼女の目に、ひとつぶの涙が浮かぶ。
  
   宝石のような雫が、磨き抜かれたサキュバスの肌を伝って、ポトリと俺の顔に落ちてきた。
「ありがとうございます、ユウマ様」
「え……」
「儀式を正式に終え、悲しみを知ることで私の気持ちは固まりました」
  
   涙を拭おうとせずに、ルルカは俺に突き立てた剣をさらに深く差し込む。
  
  「ぐううっ」
  
   痛みはない。
   だけど、離れていく……ルルカとの距離が、剥がされていくように!
「うああああっ! なっ、なにをする!!」
  「あなたが好きです。心から」
  
   この違和感は味わったことがある。
   ゲートだ。無理やり人間界に送り返されたときの感覚だった。
  
   俺の胸に突き刺さったものは剣の形をした人間界へ通じるゲート。
  
   そこへ吸い込まれていく。
   時が止まり、俺とルルカだけの世界になる。
「ユウマ様には人間の世界へ戻っていただきます」
  「そんなことをしたらルルカが一人ぼっちになってしまうじゃないか」
「ご心配なく。身代わり人形と立場が入れ替わるだけですから」
  
   その言葉は普段の彼女にはない冷徹さを含んでいた。
   でもその不自然さに俺はすぐに気づく。
  
   ルルカが涙を拒んでいる。
「どうかお元気で。私が愛した、最初で最後のニンゲン……」
  
   冷ややかで優しい彼女の声を聴きながら、俺はひときわ大きな光の渦に巻き込まれていくのだった。
  
  
  
  (2019.08.25)
  
  
  
  
  
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