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  第五章 第二話
  
  
  
  
 一夜明けて、目覚めた俺は隣で寝息を立てるルルカの髪を撫でる。
 とても柔らかくて細い絹糸のような髪。
 人間である香織さんと意識を共有したせいで影響されたのかどうかはわからないけど、俺にとって理想的な造形。
 この人と一緒にこれからの人生を過ごすのかと思うだけで嬉しくなる。
「ルルカ……」
「おはようございます、ユウマ様」
「うわ、ごめん。起こしちゃったか」
「いいえ、ずっと起きてましたよ? ふふふふ」
 ニッコリと微笑みかけてくる彼女に見とれてしまう。
 もはや淫魔というよりも天使に近いんじゃないかなと思う。ルルカの角や翼、尻尾などがかろうじて淫魔であることを主張しているだけで。
「今日は特別な日になると思います」
「特別な日?」
「はい、戴冠式です」
「私はリリス様の後を継いで、17代目のリリスになります。ユウマ様、何か願い事はありますか?」
 リリスになるということは、現在の女王が背負っているすべてを引き継ぐことになる。
 膨大な魔力や様々な権限、それにサキュバスたちが背負うべき悲しみも、苦しみも同時にルルカの肉体に宿る。
 それらに体と精神をなじませる際に、訓練の一環としていくつかの願いをかなえていくのだという。まずは自分に近しい存在から、ひとつずつ。
  「んー、とりあえずルルカの好きにすればいいよ」
  「そうですか。では、私に任せていただけるのですね」
「ああ、俺は特にない」
 俺はしばらく考えてから答えた。
 ルルカと一緒にいられるのなら、もうそれだけで十分な気がしたからだ。
   願うならば、この「悲しみの都」から悲しみが消えて欲しいという事なのだが、それはさすがに傲慢に過ぎるだろう。
  
  
  
  
  
  ◆
  
  
 その二時間後、俺たちはリリスの指定した小部屋にいた。
 壁に大きな姿見が取り付けられた結婚式場の控室のような場所。
 さほど広くもない空間で、俺は呼吸を忘れるほどルルカに見とれていた。
 リリスの従者であろうメイド服姿のサキュバスたちが先ほどまでルルカの身づくろいをしていたが、今はもういない。
 いつも以上に艶やかな髪と、磨き抜かれた真っ白な肌。
 どちらも思わず触れたくなるのには理由があって、ルルカの説明によると淫魔の秘薬である「魅了香水」による処理が施されているせいなのだという。
 秘薬はどうやって作られるのかと尋ねると、ルルカも困ったように首を傾げた。
 その製法はリリスのみが知っているとのことだ。
 少なくとも俺が知る限り、最高の美女と言って差し支えない存在がすぐそばにいる。
 俺の心が穏やかでないのはすべて秘薬のせいという事にしておく。
「ユウマ様」
 戴冠式を控えたルルカが俺を見つめて微笑む。
 ただそれだけで心がふわりと包まれたような優しさを感じる。
 秘薬の効果よりも、いつも通りのルルカにドキドキさせられてしまう。
「とても綺麗だよ、ルルカ」
「ありがとうございます。少し緊張していますが、しっかりとリリス様の偉業を引き継いでいくつもりです」
「ルルカならきっとできるさ」
 すると、俺の言葉が終わった瞬間、部屋の中にリリスの声が響き渡る。
「うむうむ、それでこそ次世代のリリスとその伴侶じゃ!」
「伴侶って……まあいいか。アンタいつから覗いていたんだ?」
「ずっとじゃよ。千里眼のスキルでな」
 悪趣味だが便利なスキルだな。
 そしてリリスになるとなんでもありなんだ……特にこの世界では。
 これから行われる戴冠式を、俺は別室で見守るように言われた。
 ルルカの脇に俺の姿があるとサキュバスたちの心が乱れるからという理由だった。
「ユウマ、興奮したサキュバスを相手にする度胸はあるか?」
「ない」
「そういうわけじゃなから、ここにいるが良い」
「ここにいればいいんだな?」
 俺が納得すると、リリスが軽く指を鳴らした。
 姿見のうちの一つが外の景色を映し出す。
 そこはルルカが登壇する場所であり、すでに周囲には数多くのサキュバスたちの姿が見えた。
「ここから戴冠式の様子が見える。少しの間だけ辛抱せい」
「ああ、わかった」
 そんな会話の後、ルルカは俺とリリスに深く頭を下げてからこの控室を後にした。
 それから数分後、リリスがルルカを連れて登壇する様子が姿見に映し出される。
「皆の者、静粛に」
 凛としたリリスの声に、それまでざわついていたサキュバスたちが静まり返る。
 だがその静寂はすぐにルルカの姿を見た感嘆の声へと変わった。
「選定の儀は終わった」
 今度はざわめきを気にすることもなく、リリスが言葉を続ける。
「第16代リリスであるヴァヴル・サキュ・フローラとして最後の務めを執り行う」
 落ち着き払ったリリスの言葉を受け、集まったサキュバスたちが再び沈黙する。
 静寂の訪れと同時に、ルルカの左手をリリスがしっかりとつかみ、高く掲げてみせた。
「皆の目の前にいる黎明の騎士、ルルカ・モルゲンが今この時よりリリスであることを、ここに宣言する!」
「謹んでお受けいたします」
 その瞬間、リリスからルルカへと淡い光とともに何かが流れ込むのが見えた。
 特に解説がなくても肌で感じる。
 すべての権能が引き継がれたのだと思う。
 リリスの言葉を受け、ルルカは高らかに宣言する。
「第17代リリスとして、皆を今まで以上に幸せにすることを誓います」
 割れんばかりの拍手と歓声がルルカを包み込む。
 どうやら無事にルルカは民衆にリリスとして受け入れられたようだ。
 俺自身は特に何もしていないのだけれど、ルルカがどこか遠くへ行ってしまったような気がして切なさとうれしさが入り混じった気持ちになる。
「お疲れさま、ルルカ」
「ありがとうございます。ユウマ様」
 控室へ戻ってきたルルカ、いや次世代のリリスが言う。
 いつも通り落ち着いた様子である彼女が今まで以上に頼もしく感じるのは気のせいではないだろう。
「映像は見ていたけど、今はどんな気分だ?」
「はい。リリスとしての力が私に宿ったことだけはわかります」
 先代のリリスの力をすべて引き継いだわけではなく、およそ三割程度の力だという。
 徐々に体を慣らしていくのが通例らしい。
 いきなり強大な力を流し込まれても、心身ともにパンクしてしまうのだろう。
 なかなか賢明な引き継ぎ方だと思う。
「ルルカはそのリリスの力で最初に何をするつもりなんだ」
「私自身の願いをかなえさせてもらおうと思います」
 独善的な気もするが、もっともな決断かもしれない。
 ルルカにだって望みはあるのだろう。
 しかもこれからサキュバス全体の悲しみを背負うのだから、それくらいのわがままは許されるとは思う。
「でも、ルルカの願いって……」
「迷わぬよう、戴冠式の前に決めておきました」
 ルルカはそう告げると、俺に向かって片手を上げた。
「なっ……」
 ほっそりした指先と手のひらに魔力が集中していく。桃色の濁流が周囲からルルカの手のひらに集まり、こぼれないように力が収束していく。
 その力が桃色から白銀へと変化したとき、彼女の手の中でまばゆい光を放つ剣に変化した。
 ルルカはためらうことなくそれを俺に向かって振り下ろし、こう言った。
「ユウマ様、ニンゲンの世界へお帰りください」
(2019.08.14 更新部分)
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 
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