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第五章 第一話




 時間にすればそれは僅かなものだったのかもしれない。
 だが俺は熟考した。
 人生で一番悩んだかもしれない。
 ニンゲンであることをやめようという決断なのだから。

「俺はルルカを選ぶ」
「ほう、それは本気か?」
「ああ」

 俺の言葉を聞いて、リリスが微笑んだ気がした。

「キサマも知ってのとおり、あやつはサキュバスじゃよ」
「もちろんわかっている」
「ニンゲンである浅乃香織の写し身ではないのだぞ?」

 胸がチクリとうずく。
 こちらに残る以上、彼女とは永遠の別れになる。

 だが俺にはルルカがいる。
 何かを選ぶということは何かを諦めるということだ。
 俺は自分にそう言い聞かせる。

「承知の上だ」
「ルルカはキサマより長生きだぞ」

 次々と俺の心をえぐる言葉を投げかけてくるリリス。
 思わず睨みつけてやると、予想に反してその表情は真面目そのものだった。

 もっと俺を嘲るようにニヤニヤしていると思ったのだが。

「……それでも俺はルルカを選ぶ。もう決めたんだ!」

 振り切るように言い放つと、リリスは むぅ、と言葉を呑みこんだ。

 そして数秒間の沈黙。

「ふふっ、なかなかの良い覇気じゃ!」
「……今の質問で俺を試していたのだろう?」
「さあ、どうじゃろうな?」

 少々恨みがましくつぶやいてみせると、リリスは小さく笑った。

 だが俺よりもリリスにとって必要なことだったのかもしれない。
 未練を残したままのニンゲンを自分の世界に、リリスの後継者の伴侶として認めるわけにはいかないだろう。

「よかろう、ユウマ。
 そなたの心意気は充分感じ取れた。
 この世界の王として妾が祝福を与えよう」

 偉そうに手を広げるリリスの言葉に、何故か俺は深く安堵した。

 それがこの世界に居続けることができるお墨付きを与えられたからなのか、
ルルカとともに過ごせる時間が約束されたからなのかはわからない。

 だがこの世界が俺を受け入れてくれたことは、素直に嬉しく思える。

 不意にリリスが俺の斜め後ろに視線を送る。

「というわけじゃ。話はすべて聞いたな、ルルカ」
「はい」

 聞き慣れた声に驚いて振り返る。
 すると、恥ずかしそうな表情のルルカが俺とリリスを交互に見比べていた。

「ッ!? いつからそこにいたんだ、ルルカ……」
「それは、その……
 ずっと、あなたのそばにいましたわ。ユウマ様」

 全然気が付かなかった。
 おそらくリリスが俺との問答の最中に、言質を取るために呼び寄せたのだろう。

(やべ……急に恥ずかしくなってきたぞ……)

 頭に血が上ってくるのがわかる。怒りではなく、羞恥心のせいで。

「お、俺が居なくなったあと、元の世界はどうなる」
「今まで通りですわ」

 照れ隠しのついでに問いかけてみると、ルルカは即答した。

「しかし……」
「ユウマ様の代わりとなる人形を送り込みますので」
「人形?」

 にわかに理解できなくて聞き返してしまう。
 代わりのニンゲンや淫魔ではなく、人形?

 俺という存在は人工物で代用されてしまうのか……。

「あのですね、ニンゲンの世界でいうところの
 クローンと言い換えて良いでしょう。
 見た目はユウマ様そのものですが、人形です」
「う、うごくのか?」
「はい」
「でもうちの親とか、俺を知るものにバレないか?」
「ええ、おそらく淫魔以外に見抜けるものは居ないでしょう」

 自信たっぷりな口調でルルカは続ける。

「さらに、今は我々と意識が融合している香織と志穂、
 それに結菜ですが……彼女たちの記憶も徐々に薄れていきます」
「え……」

 少し驚いてみせると、ルルカは気を利かせて説明を付け加えた。
 薄れていく記憶というのは、自分がサキュバスと融合していた記憶のみだと聞いて安心する。

「エスノートの効果であるソウルエクスチェンジがなくなり、
 魂の結合がほどかれます。
 そして肉体に宿る淫魔の力は、送り込まれたユウマ様の代理となる
 人形の動力源になります」
「なるほど、うまくできているんだな……」
「すみません、これはその、受け売りです。リリス様の」

 俺が感心しているのを見てルルカは申し訳無さそうにつぶやく。
 べつにそこはどうでもいんだけどな……

「ま、そういうことじゃ! 心配する必要はない」
「アンタ、ここぞとばかりに得意げだな」

 ふんぞり返るリリスにため息を一つ与えてから、俺はルルカの顔を正面から見つめ直す。

「わかったよ……これからもよろしくな、ルルカ」
「はい、ユウマ様!」

 緊張が解けた明るい声でルルカは元気よく答えてくれた。







 リリスとルルカからの勧めで、俺はリンネとシフォンの居室を訪れることにした。

 三騎士の祝福を得ることで、この世界で俺が存在することに異を唱える淫魔はいなくなるだろうということだった。

「おにい、結局ルルカのものになっちゃうんだねー」

 俺の姿を見てリンネが肩を落とした。
 本当に肌の色以外は妹の結菜にしかみえないのが困る。

「その声でその言い方はやめろ、俺に効きすぎる……」
「黙ってなさいよシスコン。でもまあ、とにかくおめでとうユウマ♪」

 なんだかんだ祝福してくれているのがわかり、俺は彼女の隣りに座った。
 そっと腕を絡めてきたので反射的に身を引こうとするのだが……

ふよんっ

 この柔らかさには抗えそうにない。
 身を任せることにした。

 それから数十分リンネと話をした。
 エスノートの効力が薄れても姿はこのままらしい。
 もちろんリンネが結菜のビジュアルを気に入っているからそうなるのだが。

「でもなー、あーぁ、リンネはユウマのこと虜にしたかったんだけどなー」
「されてたまるか」
「むー、たまには浮気しよ? しちゃおーよ! ねっ?」
「自由奔放すぎるだろお前!」

 公然と誘惑してくるリンネを振り払い、次の場所へと向かう……。



「まあ、予想通りってところね」

 事情を話し終えると、涼しげな声でシフォンが答えた。
 上品なデザインの椅子に腰を掛けたまま、スラリとした美脚を組み替える。

 その仕草を見ているだけで幼馴染の志穂を思い浮かべてしまう。

「色々してくれたのに、すまん」
「別に謝るようなことじゃないでしょう? 志穂を捨てて、私を捨てて、大好きなルルカとくっつくんだから幸せじゃない」

 冷ややかな表情で、猛烈にとげとげしい言葉でなじられた俺はガクッとその場に膝をつく。

「う、うううぅぅ……今のはお前なりの祝福と受け取るべきだよな?」

 ルルカと違ってシフォンには悲しみの感情が芽生えてないはずなのだが、多少の嫉妬心は存在するのだろうか。
 さっきのセリフはそうでなければ説明がつかないのだが。

「そうね。キスさせてくれたら許すけど」
「は!?」

 相変わらず冷ややかに彼女はいう。

「だからキス」
「う、そ、それでお前の気が済むなら……」

 俺が覚悟を決めてギュッと目をつむる直前、シフォンの唇の端が少しだけつり上がったように見えた。



「なんか、いろいろつかれた……」
「おつかれさまでした。ユウマ様」

 ルルカの居室へ戻ると、俺はクイーンサイズのベッドに背中を投げ出した。

「なんとか二人には納得してもらえた、と思う……」

 淫魔の表情や心境は、わかりやすそうでわかりにくい。
 ここ数週間で得た経験の一つだった。

 リンネもシフォンも俺を受け入れてくれたのだろうか。
 多少なりとも不安は残るが、リリスを始め三騎士の承認があれば俺がこの世界で生きていくことは難しくないと考えることにした。

「それにしても影響なし、か……」
「はい?」
「いや、ほら……人間の世界から俺が消える、入れ替わるわけじゃん? でもそれは淫魔の世界にしてみれば些細なことで、すぐに修復できるねじれみたいなものなんだよね」

 それは漠然とした不満だったのかもしれない。
 俺の存在というのはそれほど大したものではないとわかっていても、やんわりと今までの自分を否定されたような気持ちは拭えないのだ。

 俺はこれから先のことを考えなければならない。
 ルルカと添い遂げることに不安がないわけでもない。

 自分がどうあるべきか――、

「ユウマ様……」

 ベッドが小さく音を立ててきしんだ。

 そして俺の左側で、ほんのりとほほを赤く染めたルルカがこちらを見つめている。

「え……ル、ルルカ!?」
「私はとても幸せ者です。大好きな人と一緒に居られるのですから」

 ぎゅっとしがみつくように彼女は身を寄せてきた。

 見慣れているはずなのにドキドキしてしまう。
 ルルカの可愛い唇までの距離は、およそ10センチ以内だ。

「たとえそれが、わずか数十年という限りあるものであったとしても」

ちゅううぅぅぅ……♪

 体温が重なる。
 少しだけ遅れていい香りが俺の鼻に忍び込んでくる。

「うあ……」

ちゅ、ちゅ……

 さらに優しく唇が重なり、少しずつ手足も重ねられていく。
 ゆっくり彼女にのしかかられて天井を見上げる姿勢のままでジワリと体重を預けられた。

「あなたにとって永遠と呼べる時間、私はあなたをお慕いし続けます」

 心地よい重み。
 ほっそりした彼女の手足が俺を拘束しながら愛情を注ぎ、腹部の淫紋からも熱が注がれているようだった。

「嬉しいよ、ルルカ」

 心で叫び、唇でもつぶやく。
 声に出した思いに応えるように、ルルカがもう一度キスをしてくれる。

「あっ……」

 心地よさで身動きできない俺の体を彼女の手のひらが這い回る。
 柔らかすぎるバストは不規則に形を変え続け、俺と彼女の隙間で快感を生み出し続ける。
 乳首をコリコリともてあそばれると、俺の口からため息が出た。

「まだ」
「ん……?」
「まだ不安、ですか?」
「ッ!」

 見上げると、切ない表情のルルカが居た。
 もしかしてさっきの言葉を気にしてくれていたのだろうか。

 そう思った瞬間、俺は淫魔の華奢な体を思い切り抱きしめていた。

「ユウマ様……」
「今なら言える。俺はルルカを選んでよかった。
 この世界を選んでよかったと思う。
 俺をずっと、ルルカのそばに居させてほしい」

 偽りのない本心だった。

「香織に別れを告げなくてよいのですか」

 ルルカのつぶやきに胸が少しだけチクリと痛む。
 でもこの気持はきっとすぐに消えるだろうと感じた。

「ルルカとつながっているなら、必要なくないか?」
「まあ、そうです、けど……」
「俺も香織さんを悲しませたくない。それよりも今は、ルルカだけを見つめていたい」

 もっと適切な言葉があったのかもしれない。
 でも今の俺が精一杯の誠意を表すために必要なひとことだった。

「はい、見つめて下さい……」

 すると、自然に部屋の照明がだんだんと暗くなっていった。

 二人だけの世界で、相変わらず頬を赤くしたまま、ルルカはそっと瞳を伏せるのだった。



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