『勝てない理由 その2』
三連休 どこか旅する わけもなし。
別にお金がないわけでもない。
むしろ財布の中にありあまってる。小銭がジャラジャラと2000円くらい。
そんなことより、とにかく今年の夏もクソ暑い。ゆえに動けないのだ。
なのに僕は今、日差しがきついテニスコートにいる。時計はまだ正午をまわったばかり。
「どうしてこうなった……」
ネット越しに対戦相手と、周囲に立ち上る陽炎を見比べながら呟く。
熱中症の一歩手前なのかもしれない。
ここ、市営のテニスコートには僕たち二人しかいない。
バイトの管理人ですら鍵を置いてどこかへ消えてしまった。
おそらく昼寝でもしているのだろう……猛暑の中でテニスをするよりは、よっぽどマトモである。
「おにいちゃん、いくよー!」
声の主は、ご近所の美少女・絢ちゃん。
なんであんなに元気なんだろう。若いって素晴らしい。
ピンクのサンバイザーと白のポロシャツ、ラインが入ったグレーのスカートに、くるぶしが隠れる程度のショートソックス。
ごく普通のテニス少女姿に見えなくもない……が、スタイルが良すぎる。
先日まではそれほど気にならない程度だったバストも、少し成長しているようで悩ましい。
絢ちゃんがボールをトスする。サーブのモーションに入った。
少し見上げるようにして、空中でボールが静止した瞬間、彼女の右手が動き出す。
ふわりと揺れるポニーテールを見つめている場合じゃない。
「ま、待って! ……くっ!」
ぱしっ、と乾いた音がして、きわどいコースにボールが着地する。
女子の打球だ。スピードはそれほどない。
僕はそれになんとか追いついてラケットにボールを当てる。
これならきちんと相手コートに返るだろうと安心する間もなく、彼女の声。
「あっ、返してくれた~! そぉーれっ!」
僕が返す位置をあらかじめ把握していたかのように、絢ちゃんは距離を詰めていた。
力なく上がったボールを、狙い済まして僕の背中の方向へと打ち返した。
「く、くそおおおっ!」
今度はサーブよりも軽い音。あれくらいならギリギリ追いつけるかもしれない。
すでにガクガクになりつつあった足に力を入れ、コートを踏みしめて逆サイドへ体を動かす。
しかし意識だけが先行して体が追従していかない!
バックハンドで返すはずだった僕のラケットが空を切った。
「やったぁ♪ これで連続ポイントだよ~」
足が縺れて膝をつく僕を見ながら、絢ちゃんは飛び跳ねて喜んでいる……。
◆
「おにいちゃんっ! 起きて~~~」
部屋の中でエアコンをかけて寝ていた僕の耳元で声がする。
微妙に不機嫌が混じっているけど、とりあえずまぶたを上げてみる。
「んぁ……あ、あれ? 絢ちゃん……どしたの」
ああ、やっぱり絢ちゃんだ。
風鈴みたいな声の主はおとなりさんの娘・絢ちゃんだった。
ほんの一ヶ月ぶりだけどまた少し可愛くなったのかな。
とりあえず髪が長くなってる。今日は彼女も休みなのだろう。でもこの子って部活してなかったっけ?
「どうしたの、じゃないよー! また忘れてるでしょッ」
「あ、その……ごめんなさい……」
とりあえず謝っておくことにしてる。
寝起きで頭が回らないからというのもあるけど。
「イヤ! もう許さないんだから。おかーさんに言いつけてやるもんっ」
え、それほどまでの約束だったの!?
慌てて記憶を掘り起こす。
映画は先月見に行ったし、遊園地関係の約束はしていないはず……じゃあなんだ?
「ま、まま待って! 落ち着いて話し合おうよ。ね?」
約束を思い出せないまま僕は平謝りした。その様子を見た絢ちゃんがニヤリと笑う。
「しょうがないなぁ~。じゃあ今から遊ぼ?」
彼女の声がほんの少しだけ明るくなった。
◆
具体的に何をするかという話になって、絢ちゃんがテニスをしたいと言い出した。
「絢ちゃん、テニスできるんだ?」
「うん、学校でもテニス同好会に入ってるよ~」
ジュースを飲みながら彼女は言う。
「へぇ~、じゃあ上手なんだね」
「ん~、でもまだ半年だよ?」
何を隠そう僕は中学の三年間テニス部だったのだ。
高校になってからは辞めてしまったけど、まだまだ体は動く(はず)。
たまには絢ちゃんにいい所を見せなきゃという気持ちもあって、仕舞っておいたラケットを取り出してみた。
ケースを開けて調べてみる。まだ使えそうだ。
「よし、やろう!」
僕が快諾すると、彼女はスマホを取り出してどこかへ連絡した。
それは市営のテニスコート。
この近くにあるけど使ったのことのない施設。
すでに予約だけは入れていたらしく、僕たちは揃って出かけることにした。
「ふえぇ、さすがおにいちゃん。球が重いなぁ~」
ゲームを始めてすぐに絢ちゃんは不満そうに呟いた。
久しぶりだから力加減がうまく行かない。
サーブを打ちながら肩を温めていくうちに、それなりにいい球を打てるようになってきた。
「えいっ!」
少し高めにトスをして、対角線上に全力で叩きつける。やはりテニスは爽快なスポーツだ。
男女の力の差もあって、絢ちゃんはうまく打ち返せないでいる。
(このままじゃちょっと可哀想かな……)
そんな気持ちもあり、僕は遅めのサーブを打った。
すると絢ちゃんはそれをうまく打ち返してきた。
いわゆるライジングショット。
「あっ……」
そして打球はストレートで、ラインに沿った返しにくいものだった。
というか、これは返せない。
「うふふ、コントロールは絢のほうが上手かなぁ?」
ラケットをくるくる回しながら絢ちゃんが微笑む。
ほんの一度返したくらいで得意顔になってもらっては困る。
「調子に乗って……!」
次はさっきと違って全力で、絢ちゃんが返せないほど力の乗った球を打ち込んだ。
「きゃああっ! 速いの打っちゃだめぇ~~!!」
当然彼女はリターンできない。やっぱり全力なら負けないんだ。
そのまま僕はそのセットと、次のセットを連取した。
(で、でも……ここまではいいけど、ちょっと疲れてきたぞ)
久しぶりのテニスで全力サーブを何本も放っていくうちに、疲労が蓄積してきた。当然のことだ。
対する絢ちゃんはブーブー言いながらも、なんとかリターンしようとラケットに球を当ててくる。
しかしそれらはネットを越える事はなく、ポイントは僕に入る。
(そろそろ2本に1本、力を抜いた打球を混ぜてみよう。そうすれば僕も回復できるし)
早速実行する。少しトスを低くして、コントロール重視で相手コートへ――、
ぱんっ!
「えっ」
僕が打った球よりも速いリターンがコートの左隅に突き刺さった。
「油断しちゃ駄目だよ、おにいちゃん!」
今度もまたダウンザライン……絢ちゃんが軽快にステップを踏んでいた。
僕が力を抜くときを、虎視眈々と狙っていたのだ。
「こ、このっ!!」
頭に血が上った僕は、それから全力でサーブを打ち続けた。
ボールに力が乗っているときは彼女も返せない。それでも2本に1本は返されるようになってきた。
少しずつ僕のミスショットが増えてきて、疲労も蓄積される。
厄介なことに少しでも遅い球を打てば、絢ちゃんは鋭くそれに感づいてしまうのだ。
ポイントで勝っているはずなのに何故か追い詰められた気分になってしまう。
なんとか3セット目を取った後、ついに僕はガス欠状態に陥った。
彼女の軽いサーブを打ち返したあと、どうにも足の動きが鈍い。
スポーツドリンクを飲んでも回復しなかった。
「えいっ!」
彼女がコートの隅めがけて返してきた打球に何とか追いつき、打ち返す。
その返球先にはすでに可愛らしくポニテが揺れている。
「やあっ!」
そしてまた今度は反対側へ。
呼吸を乱しながら僕は頑張ってまたそれを返す。
(どうせ次も反対側へ打ち返してくるんだろう!)
絢ちゃんの動きを予測してさっきよりも早く体を反転させる。
しかし数歩足を踏み出したとき、絢ちゃんが放ったボールが僕の背後で転がった。
「あ~ぁ、おにいちゃんに少し楽させてあげようと思ったのにぃ~!」
信じられないといった様子の僕を見つめながら、絢ちゃんは微笑む。
その時になって僕は、彼女の手のひらの上で踊らされていたことに気づいた。
(な、これは……裏の裏をかかれた……ってことか!)
精神的な疲労もあって、僕はガックリと両膝をついてしまった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「だいじょーぶ? おにいちゃん」
気が付くと僕のそばに彼女がいた。不安そうな表情をしている、ように見えた。
ドリンクの入った水筒をそっと差し出してくれたが、うまく受け取れない。
指先にうまく力が入らないのだ。
「ありがと……う、あ、絢ちゃん……テニスやり始めてから半年だよね?」
「ん~~っとね、学校では半年だけど……その前から数えると7年くらい?」
「そ、そういうのは最初から言ってくれないと!」
僕の言葉に彼女はニコッと微笑んだ。
(ああ、僕はこの笑顔に騙されていたんだ……)
ゲーム開始直後で僕が体力満タンの時は逆らわず、全力でサーブを打たせることでスタミナをうまく削る。
少し疲れが見えたときは、リターンエースなどで休みを与えず、気力と体力を搾り取る。
そして自分と互角になったときは、左右に揺さぶりを加えて泥のように疲れさせる……つまり、まんまと絢ちゃんの作戦に嵌ったのだ。
いや、嵌められたといってもいい。だが証拠もないし、完全に力関係は逆転したのだ。
「……ひどい、僕が勝てるわけないじゃん!」
じわじわと屈辱感がこみ上げてくる。
悔しさと恥ずかしさが入り混じった感情だ。
力なく拳を握る僕の脇に彼女がしゃがみこむ。
「おにいちゃん、絢が負けるって決まってたわけじゃないでしょう?」
のぞきこむように、耳元でささやいてから、絢ちゃんは左手を僕の顎に添える。
「あっ……」
「ふふ、こっちみて? 絢のことを甘く見てたおにいちゃんの負け~!」
強制的に顎をくいっと持ち上げられ、彼女と目が合う。
その瞬間、僕の敗北が確定したような気持ちになった。
「じゃあ、あっち行こう? おにいちゃんには、どんな罰ゲームが必要かなぁ……うふふふ♪」
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