『分け身』 第1話




 冬休みに入る前に忘年会をしようと思う。
 その場所や時間などの打ち合わせをするために親友に連絡を取る。

「じゃあこれから下見を兼ねて飲まないか」
「別に構わんが」
「じゃあ駅前で待ち合わせってことで」
「わかった」

 男同士の会話は短い。
 特にこいつとは気心が知れた中だから言葉はさらに必要ない。
 しかし今日に限って、通話のあとにメッセージが送られてきた。

(なになに……「あとでお前を驚かせてやる」だと? なんだこいつ……カノジョでもできたか)

 相手に失礼な事を考えつつ身支度を整えて俺は家を出た。
 それにしても我ながら貧弱な想像だと思う。
 親友とはいえ、あいつに恋人などできるわけがない。





「マジかよ……」

 待ち合わせ場所に到着して最初に俺の口から出た言葉がそれだった。
 親友の隣にオンナがいる。
 しかもありえないくらい可愛い!

「お前、これは一体どういう」
「黙っててごめんな。ついに俺にふさわしい恋人が――」
「テメーはそのまま黙ってろ!」
「ひどい」

 俺に怒鳴られて涙目の親友は無視でいい。その隣にいる女性をもう一度見る。
 視線を感じた彼女は、細い肩をビクッと震わせる。おとなしい印象だが、冗談抜きで可愛い。



 柔らかそうな茶色いストレートヘアを黒っぽいニット帽で抑えている。
 暖かそうなブルーグレーのパーカーと、濃い目の赤いミニスカート。
 それに縞々のニーソックスとショートブーツといったファッションだ。
 カジュアルである事に変わりはないのだが、中身が良いとこれほどまで目を奪われるものか……控えめに露出している素肌は、透き通るように白い。

「あっ、あの……何か……」
「騙されてませんか? なんか弱み握られてるとか、納得行く理由を俺に示してください!」
「えっと、それは……彼が私を求めてくれたから?」

 頬を紅に染めながら彼女は呟く。その言葉に嘘はなさそうだ。
 次の瞬間、俺の嘆きと怒りは頂点に達した。
 冴えない顔で横に突っ立っている親友の胸倉を掴んだ。

「ダメダメ、やめて! 暴力反対! 男の嫉妬は見苦し、ぐはっ! レバーブローやめて……」
「キサマに聞きたい事は山ほどあるが、とりあえず彼女の名前を教えろ!」

 俺たちの傍でオロオロしている彼女の名前は、愛津紗希(あいづさき)ちゃんというらしい。





 それから数時間後。

「どうしようもないな、こいつは!」
「すみません……」

 だらしなく酔いつぶれた親友の代わりに、紗希ちゃんが何度も頭を下げる。
 打ち合わせという名の飲み会が終わり、珍しく飲みすぎ状態の愚か者を部屋まで送ることになった。
 死体のようになった男の体など触れたくもないというのに。
 だがやつとは腐れ縁だし、こうなった以上仕方ない。
 自慢の彼女を俺に見せびらかして、有頂天になるのもたまには良いだろう。今日だけは許してやる。

 ベッドにこいつを放り込み、俺は自宅へ帰ることにする。とにかく義理は果たした。
 そして部屋の入り口のほうへ振り向いた拍子に、背後で俺の様子を伺っていた紗希ちゃんと軽くぶつかってしまった。

「あっ……」
「ごめん、そこにいたんだ。痛くなかった?」

 まずい。不用意に女性を突き飛ばしてしまった。
 謝る俺に向かって、紗希ちゃんは何かを言い出そうとしてモジモジしている。
 申し訳ないけど、すっかりこの子の存在を忘れていた。
 存在感がどことなく薄いのだ。

「せっかくだから聞いちゃおうかな。紗希ちゃん!」
「はっ、はい」
「じつはさっき、君がいないときにこの酔っ払いから聞いた話なんだけど……」

 相変わらずおとなしい紗希ちゃんに、俺は思い切って尋ねてみた。
 飲み会のときに席を外した彼女をうっとりと見つめながら、親友が何気なく呟いたことを。

 親友はこう言ったのだ。
「紗希は何でも僕の言う事を聞いてくれるんだ。エッチなことでも、どんな事でも。ただ、彼女と一緒にいるとなんだかずっと体が疲れてるっていうか、何かそう、力を吸い取られてるみたいで……」
「じゃあお前にとって天使じゃねえか。いや違うな、それこそサキュバスじゃね?」
「名前が紗希だけに、それもあるかなー……なんてわけあるか! それにさっきはよくも殴ってくれたな」
「一発で済ませてやったんだ。ありがたく思え。あんな可愛い女の子と不釣合いなお前に嫉妬くらいしてもいいだろう」
 その言葉のあと、親友はだらしなく自慢げな顔に戻った。
 ああ、思い出すだけで気持ち悪い。もう一発殴っておくべきだったか。

 さて、話を戻そう。


「それ、ホントです、たぶん……」
「まじか」

 軽く眩暈がしたが、なんとか堪える。

「じゃあ紗希ちゃんは、サキュバスなの?」
「はい」

 非現実的な単語を耳にしても、彼女はひるまない。
 むしろ肯定してきやがった。

 伝承のサキュバス、下になるもの……好色で、淫らで、男のせいを吸い尽くす魔物。
 普通に考えればありえない。
 戯れのつもりの質問だったのに。

 もう一度彼女を見る。
 黒い尻尾も無い、翼もない。
 でも、もしもそれが本当なら――

「確かめたくなっちゃいましたか?」
「そういうわけじゃないけど、気になるよね」

 紗希ちゃんが右手の人差し指を部屋の奥に向ける。
 その先にはベッドの上で、軽くいびきをかいて気持ち良さそうに寝ている男がいるだけだ。

「彼、寝てますね。しばらくは起きないと思うんですけど」

 彼女の真意はすぐに伝わった。だが友人の恋人を寝取るつもりなど無い。
 確かに彼女は可愛くて魅力的だ。
 おとなしい印象も悪くないし、声も好みだ。
 それでも俺は――、

「じゃあキスだけでも……ね?」

 行動を起こさない俺の変わりに、紗希ちゃんが俺に寄りかかってきた。
 左肩をそっと押され、俺の背中がアパートの薄い壁に押し付けられる。

「さ、紗希ちゃ……」
「静かにしてください。彼、起きちゃいますよ」

 クリクリした大きな目が、一瞬だけ部屋の奥へ向けられる。
 こんなところを親友に見られたら一大事なのは俺のほうかもしれない。
 そう思うと抵抗する気力が一気に押しつぶされた。

 ほんのり温かい手のひらに抑えつけられたまま、俺はジワジワと彼女の体重を感じるしかなかった。
 細くて、柔らかくて、いい匂いがする……ピンク色の唇が少しだけ微笑んだ気がした。

「んっ♪」

ちゅう、ううぅ……

 静かに遮られる俺の呼吸。
 ちょっとだけ背伸びをした彼女は、息を止めたまま俺に唇を重ねてからうっとりと目を閉じた。

(か、かわいい……!)

 無意識に手を彼女の腰に回す。背中を撫でるように、手のひらで彼女を受け止めて引き寄せる。
 抱きしめるとサラサラと崩れるようで、慌てて力を抜くと感触が染み込んでくる。
 女の子の体をこんなにも近く感じた事はなかった。

「うっ、あぁ……」
「可愛いお顔です。嬉しいから唇を噛んじゃいますね」

ちゅっ……はむっ……

「んくっ!?」

 ゆっくりと唇を重ね、位置を修正しながら何度もついばむ。
 小さくて甘い彼女の舌先がチロチロと動くたびに、心が舐め取られていくように感じる。
 いや、逆なのかもしれない。キャンディーを熔かすように、彼女のキスが俺の警戒心をあっという間に熔かしてしまうだけなのか。
 キスひとつでこんなにも心を溶かされるなんて思っていなかった。
 彼女が肯定した「サキュバスである」ということも、受け入れて構わない気持ちになりかけていた。

 だがそれはほんの少しだけ恐怖を伴う。これ以上彼女を深く求めてしまうのは危険だ。危険なんだ!

「ぷはぁっ!」
「ッ!?」

 殆ど無意識に、俺は紗希ちゃんを突き飛ばしていた。
 全力で弾いたつもりだったが、それは俺と彼女の隙間を10センチ程度作るだけに留まった。本当に力が入らなくなっていたことに驚く。

「はぁ、はぁ! おわり、もうだめ、こ、ここまで……」
「すごい……」

 やっとの思いで口を動かし、彼女を手のひらで制する。
 自分に向かってまっすぐ伸ばされた俺の右手に、彼女は左手をぴったりと合わせてから指を絡ませてきた。

キュッ……

 それは軽く痛みが伴うほどの強さだった。
 しかし指が絡み合うだけでも、さっきの余韻がよみがえる。

 彼女はさらに何度か俺の手を握る。
 リズミカルに左手を動かしながら、右腕を俺の背中に回す。
 距離が再び縮まって、甘い吐息をじかに感じる。
 まるで精神を鷲掴みにされたような緩い快感が続く。
 膝が笑い、腰が砕けるような脱力感……それを繰り返され、俺は声を出さずに悶絶した。

「できたみたいです。あの、これを……」
「えっ?」

 不意に彼女の手が離れる。
 目の前で微笑む紗希ちゃんの手のひらに、ぼんやりと光る球体が浮かび上がっていた。 

「それを俺に?」
「はい」

 彼女はこれを「分け身」と言った。
 触れてみると不思議な感覚が俺の中に流れ込んでくる。
 手のひらで包むように、優しく握り締めると少しだけ体積を増したような気がした。

「どんな風に感じますか」
「なんか、こう……紗希ちゃんと触れ合ってるみたいな」
「嫌ですか?」
「そんなことはない。むしろ……」

 俺がそこまで言うと、彼女は人差し指を俺の口の前に立ててウインクをしてきた。

「良かった。大切にしてくれるなら、あげます。あなたが本気で願うのなら、その子はきっと応えてくれますから……」

 紗希ちゃんはそこまで言ってから、ぺこりと頭を下げて部屋から出て行った。
 俺はしばらくその後姿を呆然と眺めていた。

「さて、どうしたものだろうか……」

 手のひらの上に残った球体を眺めながら、俺は一人呟く。
 部屋の奥では相変わらず親友が爆睡していた。





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