『ふたりだけのエチュード』



「歌を作りたい?」

 更衣室で突然話を持ちかけられた凛は、目の前にいる卯月を不思議そうな目で見つめた。

「はい! お仕事ってわけじゃないんですけど……駄目ですか」
「ううん、そんなことないよ。私も興味もあるし。でもなんで急に?」

 練習着から私服に着替え、長い髪を整えながら凛が尋ねると、卯月はわずかに視線を泳がせた。

「それは……同じユニット内だし、凛ちゃんならお願いしやすいかなと思ったので」
「ふぅん、とにかくオッケー。いつにする?」

 凛が快諾すると、卯月はいつものように笑顔を見せた。


 その数日後、レッスンを終えた凛は一旦帰宅してから卯月の自宅へと向かう。
 次の日は休みなので、卯月の厚意に甘える形で気兼ねなく泊めてもらうことにした。

「こんばんは、卯月」
「いらっしゃい、凛ちゃん」

 玄関のチャイムを鳴らすと、それほど待つこともなく卯月が凛を出迎えてくれた。
 はじめての訪問なので凛も少し緊張していた。
 その様子を見て、卯月がクスッと笑う。

「お母さん紹介するね!」
「はじめまして、渋谷凛です……うわ、卯月にそっくり……!」

 思わず声に出してしまったあとで、凛は恥ずかしそうに俯く。

「そうかなぁ? ふふふ、嬉しいです」
「ごめん、卯月……」
「ううん、大丈夫ですよ。それより凛ちゃん、私のお部屋はこっちです」

 卯月は凛の手を引いて、自分の部屋へと案内した。



 部屋に入ると、凛は早速ノートとペンを取り出した。
 卯月はすでに自分のノートを広げている。
 作詞する曲のテーマは「卒業」らしい。

「私はまだ卒業生じゃないんですけど……」
「うん、わかってる。もう一年先だよね」
「はい。一学年上の先輩たちに贈る歌を考えるのが宿題なんです」

 凛は卯月が書きかけの詞をじっと見つめる。
 きれいな字で切ない文章が書かれている。

「なんか、恥ずかしいですね……」
「別におかしくないよ。でも、先に卒業しちゃう人のほうが寂しいなんてことあるのかな」
「ありますよー! たとえば私と凛ちゃんに置き換えてみれば……」

 そこまで話して、卯月が言葉をつまらせた。

「り、凛ちゃん……? う、ううぅ……」
「ちょっと卯月、どうしたの」

 不安になった凛が顔を覗き込む。
 卯月は肩を少し震わせて、口元をギュッと閉じていた。
 そして薄っすらと涙まで浮かべていた。

「急にどうして泣いて――」

 凛が卯月の隣に座り、もう一度顔を覗き込むと、堪えきれなくなった卯月は何も言わずに凛に抱きついた。

「ちょっ、卯月……!」
「凛ちゃん、だって卒業したら凛ちゃんがいなくなっちゃう……」
「落ち着きなよ、私は……いなくならないよ」

 卯月の震える体を凛は強く抱きしめた。
 そのせいで卯月の体のぬくもりがしっかりと伝わってくる。
 凛は卯月が落ち着くまで、長い髪を優しく撫で続けた。

「凛ちゃん、勝手に泣き出しちゃってごめんなさい」
「本当だよ」
「でも、こうしてくっついてると安心しますね」

 卯月の腕が、再びキュッと凛に絡みつく。
 抱きつかれたまま卯月に囁かれているうちに、凛の胸に恥ずかしさがこみ上げてきた。

「わ、私は、ちょっと落ち着かないかな……」
「嫌ですか?」
「そうじゃないけど、緊張するっていうか」
「私にドキドキしてくれるんですか?」
「そりゃ、するよ……」

 何気ない一言だった。
 しかし、卯月にとってはこの上なく嬉しい言葉だった。

「……凛ちゃん、好きです」
「うっ、卯月!?」
「こうして体を預けているだけで、とても安心します」

 卯月は目を細め、すぅーっと静かに息を吸い込む。凛と一緒の空間にいることを確かめるように。
 その優しい息遣いが凛にも伝わり、卯月への思いが熱に変わる。

「卯月の体、柔らかい……それに髪の匂いが、甘くて……」

 気がつけば凛も、卯月を強く抱きしめていた。
 二人は何も言わずに、抱きしめ合う。
 そのまま暫く時間が流れた。

「凛ちゃん……私のこと、嫌いですか?」

 密着したまま、凛は首を横に振る。

「女の子同士だから嫌とか、ないですか?」
「そんなことないよ……」
「じゃあこのまま嫌いにならないでください」
「えっ……?」

 卯月の言葉の意味がわからず、凛は沈黙する。
 すると卯月は顔を上げて、正面から凛を見つめた。

「私、凛ちゃんより先に大学生になると思いますけど……怖いんです」
「卯月……」
「だって、凛ちゃんとの距離が遠くなるんじゃないかなって。だから、だから……ッ!」

 声をつまらせながら卯月は凛への秘めた思いを口にした。
 凛はその瞬間、全てを理解した。
 この歌は、作詞は、卯月自身の為にあるものだと。

「……しも、怖い」
「凛ちゃん?」
「私も、卯月が大学生になって私を見てくれなくなったら困る!」

 この時初めて、凛は自分の意志で卯月を抱きしめた。
 年上なのに頼りなくて、飛び切りの笑顔が可愛らしい最高のアイドルである彼女を。

「嬉しい……凛ちゃん、嬉しいです!」

 卯月の存在をしっかりと感じながら、凛は手のひらで彼女の体を優しく撫で続けるのだった。



 そして約一時間後、どうにか気持ちを鎮めた二人は隣同士で手をつないだまま俯いていた。

「あの、驚かせちゃいましたよね……ごめんなさい、凛ちゃん!」
「もういいよ卯月。謝らないで」

 指と指を絡ませた状態で、凛は卯月の手を強く握った。
 すると卯月も同じように握り返してくる。
 さっきからずっとこの繰り返しだったが、飽きることはなかった。

「そう言えば作詞、全然進められなかったね」
「あわわわ……私のせいです、ごめんなさい!」

 慌てふためく卯月を見て、凛は無意識に笑みを浮かべる。
 学年は一つ年上だし、ニュージェネレーションズの中では最年長。
 でも泣き虫で、努力家で、笑顔が最高に素敵な仲間。

「なんか、今日はもう幸せいっぱいで……駄目ですね。えへへ♪」
「じゃあさ、今度は、私の部屋で続きをしようか」
「えっ、凛ちゃんのお部屋……ですか?」
「無理にじゃないけど。来週、空いてる日があれば」

 ずっと一緒にいたい……今なら素直にそう思える。
 今日はこの気持のまま、できれば同じベッドで眠りたい。

 恥ずかしそうに凛が提案すると、卯月は満面の笑みで首を縦に振るのだった。






→ つづきます










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