『屈辱のピンフォール』
【登場人物紹介】
◆桂木 翔(かつらぎ しょう)
神奈川商経大学付属高校2年生
男子レスリング部 副将
身長165cm 55kg
実質的に部内で最強の選手
インターハイ出場経験あり
◆楠 梨奈(くすのき りな)
神奈川商経大学付属高校1年生
女子レスリング部 部員
身長158cm 47kg
今年レスリングを始めたばかりの新人
天性の身体のばねを活かした投げ技には光るものがある
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ジャッジの笛が高らかに鳴り響くと同時に、少女がゆっくりと立ち上がった。
マット中央で倒れたままの男はぐったりとして動かない。
「嘘だろ……」
試合を見ていた男子部員たちは他の言葉を紡ぎ出せなかった。
倒された男はレスリング部の3年生。大会優勝の経験こそないが、部内でもそこそこ強いレベル。
後輩の面倒見が良くて、いつも頼られる先輩。
だが目の前にいる自分たちよりも明らかに細い女子の体さばきに手も足も出なかった。
「もしかして先輩、私に対して手加減してくださったのですか?」
言葉こそ丁寧だが口元にはうっすらと勝者の笑みが浮かんでいる。
彼女は腰に手を当てたまま、自分より年上の先輩男子部員を見下すように言い放った。
立ち上がった彼女の名前は楠 梨奈(くすのき りな)という。女子レスリング部に3ヶ月前に入ったばかりの新人だ。
第1ピリオドの2分間も終わらないうちに、両肩をしっかりとマットに付けられてのフォール負け。
体重が5kg以上も下回る相手に対しての惨敗。
男にとってこれ以上の屈辱は無い。
「はぁっ、はぁっ……はぁ、なん……だとぉっ!」
何も言い返せるはずがなかった。
彼にしてみれば相手が女子で、しかも新人だからと聞いて胸を貸してやるつもりで臨んだ試合。
だが実際に対峙して見てすぐにわかった。
身体を細かく揺らしながらもしっかりと大地を掴んでいるような安定感。
少しでも隙を見せたらこちらがひっくり返されそうな雰囲気がビンビン伝わってきた。
(こいつは…………強い!)
その予感は見事に的中した。
試合開始早々、梨奈はまっすぐに彼に突っ込んできた。
じつに直線的な攻撃。普通ならあっさり回避して相手の背後を奪える必勝ルートでしかない。
もちろん彼も定石どおりに梨奈のタックルを受け流す……つもりだった。
少しうつむき加減で、対戦相手には見えない角度で梨奈が唇の端を上げる。
「なっ……!?」
気づいた時には年下の女子の白い腕が蛇のようにまとわりついていた。
落ち着いてタックルを回避したつもりだったのに片足にしっかりと絡みつかれていた。
バランスを崩し、そのまま倒れそうになるのは必死でこらえた……試合のリズムまでは取り戻せない。
「えいっ!」
可愛い掛け声と共に3度目のタックルで梨奈は相手に両手をつかせた。
素早く梨奈の細い腕が彼の肩から首に滑り込もうとするが、何とか阻止した。
慌てて体をひねって亀になるが、どうしてもワンテンポ遅い。
(はぁっ、これでいったん離れられる…………うおっ、ま、おおっ!?)
そう思った刹那、信じられない腕力で少しだけ床から体を持ち上げられてしまう。
年下の女子の前で亀になったまま身体を返され、背中をマットに叩きつけられた衝撃で彼は動けなくされたのだ。
「あはっ、良かったわね梨奈さん。先輩がやさしく指導してくださったみたいで!」
梨奈の後ろで高らかに笑いながら男を見下す女生徒がいた。
八絵垣静香……女子レスリング部の主将だ。
男子たちは静香の屈辱的な笑い声に対して何もいえない。
「あんまりいい気になるなよ…………次は俺が出よう。」
女子からの挑発に耐え切れなくなったのか、一人の男子生徒が前に出てきた。
彼の名は桂木翔(かつらぎ しょう)。
男子部員の中で、いや県内でも屈指の実力者といわれている。
レスリングの技術だけでなく、勝負のときはクールに徹する彼のことだ。
きっと先輩の3年生の敵を討ってくれる……翔が出てきたことで男子たちの表情が和らいだ。
今回の男女対決のきっかけは些細な出来事だった。
レスリング部の練習場に男女の区別は無い。
どちらも同じ場所で毎日厳しいトレーニングを積んでいるのだ。
ある日の放課後、部活前に女子部員たちがアームレスリングをしていた。
そこへやってきた男子部員が女子に対戦を申し込まれて負けてしまった。
女子の手を握れるということで気を緩めていたのも事実だが、やはり負けると悔しいものだ。
男子部員はすぐに再戦を申し込み、今度は全力で女子をねじ伏せた。
「……フン、女が男に勝てるわけねーだろ!」
意気揚々と更衣室に戻っていく男子の後姿が負けず嫌いの彼女たちの心に火をつけてしまった!
次の日、他の男子が女子からアームレスリングの挑戦を受けた。対戦相手は女子の中でも可愛いと評判の新人一年生だった。
男子は軽い気持ちで新人一年生……梨奈の手を握った。
(やわらかい……)
すべすべの梨奈の手を公然と握れるというだけで男子は興奮してしまった。
目の前の美少女はクイクイッ……っと彼の手を何度か握って位置決めをしている。
(近くで見ると本当に可愛いなぁ)
梨奈のつややかで真っ黒な髪が少し揺れて、甘い香りがした。
真面目な表情の梨奈がチラリとこちらを覗いて、微笑みかけてきた。
そんなふしだらな事を考えているうちに勝負開始の掛け声が男子の耳に届いた。
「レディ……ゴー!!」
梨奈はにっこりしたまま彼の手のひらを握りつぶさんばかりに力を込めた。
ミシッ……っと鈍い音が握った手のひらの中に響く。
「があぁっ!」
苦悶の声をにじませた次の瞬間、勝負は決していた。
梨奈は力いっぱいそのまま彼の手をテーブルにたたきつけたのだ。
ゴギィッッッ!
「ぃぎ、ぎゃああああああああああああぁぁぁ!!!!」
手のひらから痛みが脊髄を通って脳に届くまでの間がとても長く感じられた。
それでも梨奈は彼の手を離さない。むしろ痛みをなじませるようにグリグリと余韻に浸っていた。
慌てて集まってくる男子部員。
なかなか終わらない男子生徒の絶叫こそが男女レスリング部決闘の幕開けとなったのだ。
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