『屈辱のピンフォール』
(本当に困ったものだ……)
男子部の副部長・桂木は目の前の後輩・楠梨奈を見つめながら心の中でつぶやいた。
その思いは梨奈に対してではない。ましてや梨奈にやられた男子に対してでもない。
今回のいざこざ全般に対してだった。
もうすぐ夏の大会が始まる。男子も女子もこんなことで争っている場合ではないのだ。
早々にこの騒ぎを収拾して自分たちの課題に取り組まなくてはならない。
日数は少なく、やるべきことはたくさんあるのだ。
普段はトレーニング以外ではあまり表に立たない彼が前に出てきたのもその為だった。
ちょっと可愛そうだが目の前の一年生をねじ伏せて、男女共に痛み分けという形で終わらせたい。
試合が始まる前に彼は女子部の部長に断りを入れていた。
「八絵垣部長、本当に宜しいのですか?」
「あら、どういう意味かしら?」
「……俺はレスリングに手加減はできませんよ」
「優しいのね。でも梨奈にそんな気遣いは無用ですわよ、桂木クン」
フフン、と鼻を鳴らさんばかりに静香は彼に言った。
女子部の新人いじめの為に楠梨奈を男子にぶつけたわけではない―――と。
静香の話によれば、梨奈自身が男子と力比べをしたいと言い出したらしい。
「彼女、きっとレスリング界の星になれる器ですわ。あなたもせいぜい気をつけることね。桂木クン」
静香が真顔でそう言うならあながち嘘ではないのかもしれない。
実際に桂木の前に梨奈と対戦した先輩男子部員は鮮やかにノックアウトされてしまった。
事前に静香の話を聞いてなければにわかには信じられない光景。
(まあいい……こうなったら全力でやるだけだ)
パンパンと両手で顔を叩いて気合を入れる。
彼なりの試合前の儀式だ。
「お、おいっ! 副部長が本気だ!」
様子を見た周囲の男子部員たちがざわめく中、ついに……試合開始の笛が鳴り響いた。
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