Elbereth
夜中に悲鳴が聞こえた。
絹を裂くような悲鳴だった。
駆け付けると、なんと柊柯が廊下で腰を抜かしていた。
トイレの前だった。
……トイレから水の魔神でも出てきたのだろうか。
「あ、ああ……う……」
柊柯はすっかり怯えて意味不明な音を発している。
「……どうしたんだ?」
震える指でトイレの中を指差す。その中には……なにもない。
「なにもないぞ」
「……ご……」
「5?」
「……ご……ごごごごごき……」
……さては。
かさり。
ゴキブリが現れた。
今年初。
4センチほどの大き目のやつだった。
「お前……そんなにゴキ……」
「ひっ」
「……ブリが嫌いだったのか」
「みみみ見ればわかるでしょそんなこと」
名前を言われるのさえ嫌なようだ。
「はやくなんとかしてよっ!」
僕も苦手ではあるのだけれど。
先にこうも怖がられては仕方がないので、自室に備えてある専用殺虫剤を取りに走る。
「見張っててくれ」
「…………! ちょっ……そ……まっ……」
なにやら抗議らしきものの欠片が飛んできたが無視して走る。
緑色のスプレー缶を引っ掴んで戻って来ると、柊柯は壁を這うようにしてのろのろと逃げ出していた。
「見張ってろって言ったのに。見失ったらどうするんだ」
柊柯は、無茶なことを言わないで、という顔で激しく首を横に振った。
意を決してトイレに踏み込むと、幸いにも奴はまだ居た。右手の壁に止まっている。
すぐさま目標に向けて殺虫剤を噴射。
違わず命中。
間もなく奴はぽとりと壁から落ち、床を右往左往する。
とどめとばかりにもう一噴射。
すると奴は奥へ、便器の裏の暗がりの方へと逃げて行き、やがて何も音が聞こえなくなった。
闇を覗き込むが、暗くてよくわからない。そういえば眼鏡をかけてこなかったし。
ひとまずトイレを出ると、そこへメイドが殺虫剤と蝿叩きを手にぱたぱたと駆けて来た。
「あ……一足遅かったですか?」
「うん、まあ。死んだ、と思う。なんか便器の裏の方で逃げられたから死骸は確認できないんだけど。暗くて」
メイドと柊柯に揃って苦虫を噛み潰したような顔をされた。
……なんだよ。
Elbereth
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