ネギ補佐生徒 第44話





 後ろを向けば、和美、のどか、夕映、木乃香が心配そうに澤村達を見つめていた。
 もちろん、自分も心配である。
 攻め込む古菲を凌ぎながら、澤村翔騎を見続けるサワムラの姿。
 寒気がするほど似ている二人。
 顔も声も仕草も全部似ていた。
 違う点は雰囲気というべきか。サワムラ・ショウキから感じる黒い感情は、正直ぞっとするところがある。
 桜咲刹那は、まだ抜かれていない夕凪をぎゅっと握り締めた。
 澤村の手に武器はない。木刀をとりにいこうかと訊ねたのだが、時間がもったいない上に意味がないと言われ、持ってくることをしなかったのだ。
 けれど、今の状況的に武器は必要だったかもしれないと、刹那は思う。

「せっちゃん……」

 木乃香の掠れた小さな声に刹那は、小さく微笑む。

「大丈夫ですよ、お嬢様」

 そう。いざという時は、自分が澤村達を守る。
 明日菜とネギが戦闘不能にされた状態で、頼りになるのは古菲だけ。このまま行けば、きっとサワムラに勝てるだろう。彼女はサワムラを確実に押していた。一般人の中で最強といってもいい彼女だ。

 ただ、気懸かりなことが一つある。

 それは―――――――





  ネギ補佐生徒 第44話 近づく真偽





 古菲に押されながらもずっと自分を見続けるもう一人の自分に、澤村は背筋を凍らせる。
 戦況は有利。それなのにこの緊張感は一体なんなのだろう。

 ―――――いや。

「わかってる……わかってたんだ」

 小さく呟く。本を抱く腕に力が篭る。カモが旦那、と聞き返してきたがそれに答えることはしなかった。
 こうやって戦っているのは、自分の我が侭。
 戦う前から知ってしまった結末。

 叫びたいほどの混乱と悲しみ。

 全てを否定されて、全てを投げ捨てられる。

 澤村は、苦々しい表情でエヴァンジェリンのいる世界樹を見上げた。
 口元を楽しそうに歪めている彼女は、その澄んだ青い瞳で澤村を見下ろしている。

 ―――――その姿は、二つ名に相応しいものだった。

 憎い。ドス黒い感情が、湧き起こってくる。
 彼女の思惑は、よくわかっていた。

 だから、憎い。

 でも……それも彼女らしいと思ってしまえば、笑みが漏れてしまう。
 人間じゃないといいながらも酷く人間らしい。
 それに気が付くのは、いったい何時になるのだろう。
 エヴァンジェリンの目が、少しだけ大きく見開かれる。
 彼女のあの姿に、踏ん切りがついた。

 前に。

 前に進もう。

 ―――――これは、澤村翔騎のイベントだから。





 ―――――何かを悟ったような澤村の表情。

「援護に行かなくていいのですか」

 夕映の問いかけに刹那は、もう一度振り返った。
 心配そうな和美達。素人である彼女達には、この戦闘が優勢であることはわからないのだろう。
 いや、押していることはわかっているのかもしれないが、それでも心配なのだ。

「……私は、ここを守るように澤村さんから頼まれました。それに、戦況は優勢です。安心して下さい」

 できるだけ安心させるように笑みを浮かべて、そう答えたが夕映から心配の色が薄れることはなかった。
 ただ見るだけの立場の人間にとって、それは仕方がないことなのだ。
 だが、例外がある。
 刹那は空を見上げた。
 エヴァンジェリンと茶々丸の姿が世界樹と共に見える。

「エヴァンジェリンさん」

 透き通る、鋭い声が空に響いた。

「――――何だ、桜咲刹那」

 奏でるような音が頭上に落ちる。
 口が、乾いていた。

「―――――あなたは、何を考えているのですか」

 笑い声。
 潤いを帯びた、笑い声が空に轟く。皆の声が小さく刹那の耳をくすぐった。

 吸血鬼は、答えない。

 愉しそうな笑い声だけが空に響いていた。





 途絶えていた意識を取り戻す。
 薄っすらと見える夜の景色に、ネギは目を細めた。
 視界の隅にちらつく物に手を伸ばして引き寄せる。
 眼鏡だ。
 気だるい体を起こしながらも眼鏡をかけると、少しだけ視界がクリアになった。
 頭がクラクラする。

「大丈夫ですか」

 穏やかな表情と声をした澤村。
 ネギは、よくわからないまま頷くと、澤村は真剣な表情へと表情を変え、

「もう少し休んでいて下さい。後は……俺に任せて」

 立ち上がろうとした自分を地べたに座らせ、そのまま歩き始めた。
 彼の行く方向には、古菲とサワムラが戦っている。戦況はこちらの方が有利のようだ。
 ……なら、澤村に後は任せていいのはずだ。だというのに、この嫌な予感はなんだろう。
 ネギは、痛む体で立ち上がる。

「澤村さんっ」

 無視される。澤村の歩は、止まることはない。

「古菲さん」

 大きくもなく、小さくもない声で、澤村は古菲とサワムラの動きを止めた。正確に言うと、澤村の声でサワムラが動きを止めてそれに倣い古菲も動きを止めたというべきか。
 サワムラは、苦笑じみた表情でやっとかと溜息を漏らしていた。

「下がって」
「な、何言ってるア―――」
「―――下がって」

 重い言葉に、古菲は押し黙る。彼女らしくない動作だった。
 澤村と古菲がすれ違い、古菲がカモを手にネギの元へとやってくる。すれ違う時にカモを古菲に託したらしい。

「くーろう―――」
「――――兄貴、旦那から目を離すなよ」

 強張った表情でネギの言葉を遮るカモ。古菲も同じ意見らしく、彼と同じ表情でネギを見ていた。
 ネギはそんな彼の言葉にこくりと頷く。
 その意味を理解することはできなかった。でもなんとなくそうした方がいいと、ネギも思っている。
 澤村を視界に納めた。

「―――――――」

 息を、呑んだ。
 大きな背中に毅然とした立ち振る舞い。
 今まで感じたことのない澤村を見て、ネギは悟る。

 ――――――彼は、魔法使いになったのだと。





 その事実を知った時、相手にも自分にも辛い事実だと思った。
 けれど、自分は魔法使いである。

 魔法使いは魔法使いとして、厳しく残酷でなければいけない。

 今まで感じていたものは、全てそれへと変換された。
 だが、時折壊れた自分が表にでてくる時がある。
 その時の自分が、無性に怖い。
 一時的なものとしても、いつか正気に戻れなくなってしまうような気がして怖かった。
 混濁する記憶は、自分の存在を不確かにさせゆっくりと……ゆっくりと胸の奥底を虫食んでいく。

 壊れそうだった。
 壊れてしまいたかった。

 それができないのは、性格故なのか自分でもわからない。

 今は、ただ前に進むのみ。
 長いこの洞窟を突き進むのみ。

 その先に何があってどんな出口なのか。

 そんなことは後で考えようと、無責任なことを自分は思っている。

 ―――――それは、どちらの“さわむらしょうき”が思ったことなのだろうか。





 ネギは、二人の澤村を見つめる。正確には、澤村の背中と彼の背中越にいるサワムラを。
 まるで鏡を見ているように、反対側にいるサワムラの表情がネギの知る澤村と重なった。
 嫌な、気分だった。

「……本を渡す気になってくれたか」

 サワムラがそう零す。
 だが、澤村の頭は左右に振られた。
 サワムラの表情が崩れる。

「―――――聞きたいことがある」

 穏やかで、鋭い声。
 表情は見えない。ただサワムラの方は小さく首を傾げて澤村を見て、質問を促していた。

「俺は、6年間……本物の澤村翔騎として、ここで暮らしていた。なら――――」

 ごくり、という音が澤村から聞こえてくる。
 ネギは立ちすくんだまま、澤村を見ていた。

「―――――お前は、誰として、何処に……暮らしていたんだ?」

 動くことも、声を出すこともできない苦しさが襲う。

 そんな中でサワムラが口を開いた。

「……5年間」

 空いている右手を上げて、手の平を見せる。

「5年間、オレはロンドンの路地裏で……生ごみを食って生き続けた。盗みはしてない」

 乾いた音がする。
 左手に持った棒が床に突かれたのだ。右手が人差し指だけ立つ。

「ヘルマンと会って一年間。ヘルマンに魔法と戦術を学びながら生きた」

 ヘルマンとは取り引きしたと言ってもいい、と肩を竦める姿が少しキザっぽい。
 けれど表情は、酷く冷たく……狂気が覗われた。背筋がぞっとするのが分かる。
 澤村は、一歩前へと進んだ。

「……それは、澤村翔騎として?」

 サワムラは、一歩前へと進んだ。

「――――――……本物か偽者かはわからないが、澤村翔騎として生きたつもりだ」

 少なくとも人間としての誇りはある。

 そう、彼は言った。

 ネギは思う。
 この質問にどんな意図があるのだろうかと。
 もやもやと大きな不安がネギの胸に宿った。叫びだしたいほどの不安だった。
 隣にいる古菲もそれを感じたらしく、強張った表情で澤村の背を見つめている。
 そうか、とほそぼそとした声の後、背が語る。

「じゃあ、次の質問だ」

 風が吹く。
 生暖かくて気持ち悪い風だった。
 木々のざわめきがまるで嘲笑っているように聞こえてしまう。
 それは――――――

「―――――――……俺は、本当に澤村翔騎なのか?」

 ―――――澤村が言っていることに対してそんなことあるわけない、と言っているんだとネギは思いたかった。

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