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次の玄室はこれまでよりも広く、天井も高かった。
ライトをかざしてみると、上の方に足場になりそうな棚がある。
ただしそこまで上るのに足がかりになりそうな突起はなく、
仮に明日香を肩車したとしてもまだ棚までは届きそうになかった。
不敵に笑った九龍は、まっすぐに伸ばした左腕を右手で支え、天井に狙いをつける。
その左腕の肘から先には、牛乳パックを縦に半分に切ったような何かが装着されていた。
それをめざとく見つけた明日香が、九龍の脇に回りこむ。
「何それ?」
「ワイヤーガンってんだよ」
好奇心まるだしで訊いてくる素人にうんざりする九龍だったが、
無視しても答えるまで訊いてくるだろう。
まだ明日香とは砂時計で数えられるような短いつきあいでも、
人となりはだいたい把握できていた。
疑問に思ったこととそうでないこと、とにかく何かを話していないと気が済まない
八千穂明日香は、葉佩九龍とは対極の人間なのだ。
――いや、対極にして、同極でもある。
明日香はとにかくなんでも知らないもの全てを不思議に思い、
未知のものを知ろうとする、一言で言えば好奇心の原石のような人間だったのだ。
そういう人間を九龍は嫌いではない。
ただし、熟慮をするならば、という条件つきでだ。
後先考えずに行動する奴など、考えるだけで何もしない奴より嫌いだった。
今のところ八千穂明日香は九龍にとって好きから最も遠い場所にいる女性だ。
それが近くなる可能性は、世界で最も知名度の高い秘宝、聖杯
を手に入れるよりも低そうだった。
「ねえ、なんでさっきそれ使わなかったの?」
「……別に、使わなくてもいけると思ったからだよ」
本当は置いてきぼりにしたかったからだ、とは言えず、九龍は適当にごまかした。
なお訊ねようとする明日香から逃れるように、ワイヤーガンを発射する。
ワイヤーの先端には鋼の針と可動する三本の爪がついており、
それぞれに返しもついているので離れた場所でも容易に撃ちこみ、
移動や荷物の引き上げに使うことができるのだ。
しかも基部には小型のモーターが内蔵されており、
百二十キロくらいまでなら物を釣りあげることもできる。
『ロゼッタ協会』によって開発されたこの道具は、
九龍たち『宝探し屋』にとってなくてはならないものだった。
鋭い音と共にワイヤーが狙った場所にヒットすると、
九龍は軽く引いて具合を確かめた。
「それじゃ、ちょっと上を見てくる」
「えー、あたしは連れてってくれないの?」
「見てくるだけだからな」
「ケチ」
会話にいちいち反応していてはきりがないので、九龍はさっさと上に移動した。
棚になっている部分からは、この部屋全体が見渡せる。
天香學園の地上部分にある、運動場の半分ほどはありそうな大きな部屋は、
やはり隅に至るまで正確な直線で構成されていて、
現代のビルと較べても遜色がない。
それだけでも常識を覆す、歴史上の大発見である。
加えて未だ誰も到達したことのない最奥部に進み、
そこに眠ると言われる秘宝を発見すれば、
若き『宝探し屋』葉佩九龍の名は業界にあまねく広まるだろう。
それを思うと九龍の全身に快い緊張が満ちるのだった。
「ねえ、何か見つかった?」
良く響く声にしばしの黙想を醒まされ、九龍は顔をしかめる。
人外の魔境を進み、未踏の遺跡を突破し、隠された秘宝を見つけだす。
己の職業に若き探索者は大きな誇りを持っていた。
だからこそ崇高な仕事中に、素人に邪魔をされたくないのだが、
この八千穂明日香という少女はまったくそのあたりを察せずにいるようで、
それが九龍には腹立たしかった。
「何もねえよ」
何かあればもう少し離れていられたのに、とは言わず、
九龍は明日香のところへ戻っていった。
「今度はあたしも連れてってね」
「……」
はいともいいえとも言わず、さらに迷宮の奥へと向かう九龍だった。
九龍たちの眼前に現れた扉は、いかにもいわくありげだった。
他の玄室の扉とは大きさが二回り近く大きく、ほとんど門といっても良いくらいだ。
施してある彫刻にもものものしさが感じられ、
うかつに入ればただではすまないことが容易に想像できる。
罠は仕掛けられていないようだが、安易に入ってよいものかどうか、九龍は思案した。
「入らないの?」
さすがに雰囲気を察したのか、明日香が小声で訊ねる。
返事をしようと口を開きかけた九龍は、半瞬で動作を切り替えた。
「しっ」
「え? なに?」
鋭く後ろを振り返った九龍には、明日香の声はいかにも間が抜けて聞こえた。
もっとも、九龍の反応は熟練の『宝探し屋(』にも劣らないものだったが、
素人の明日香にも同じ反応を期待するのは酷というものだった。
それを悟った九龍は、説明するよりも行動に移したほうが早いと判断して
いきなり明日香の腕を掴む。
強い力で引っ張られた明日香は相当に驚いたようだが、
九龍は強引に自分ごと今やってきた通路から死角になる場所に連れこんだ。
「な、何、いきなり。……あッ、まさか……!」
「後ろから物音がした。明らかに人の足音だ」
明日香の勘違いが九龍にはおおよそ見当がついたものの、
まぜっかえす気にもなれず、口を塞いだまま物陰から廊下を覗う。
九龍が聞き取った物音はその間隔に比してかなり小さく、
歩幅から推察しても体格が合わない。
おそらくプロではないが、なんらかの訓練を受けている可能性が高かった。
そして、気配を殺しているということは、その必要があると知っているということだ。
もう一度物陰に身体を隠した九龍は、
ほとんど無意識にホルスターに入っている愛用の銃に右手を滑らせた。
人間に対して撃ったことはないが、この稼業に就いている限り、
いつかその時が来るということは先輩の『宝探し屋(』や
『協会』の連中に何度も言われていた。
先人の言うことは、おおむね正しい――正しいと判る時が、
早いか遅いかの違いはあれども――ので、九龍は遂にその時が来たのだと覚悟を決めた。
思いきって飛びだし、少なくとも動きは止める。
退路がないこの状況では殺さずにすませる、などと悠長なことは言っていられず、
グリップを握る指に自ずと力がこもった。
「ねっ、ねえ、どうするの」
快い緊張に固くなった肉体に、女の手は柔らかすぎた。
苛立ち、肩に乗せられた手を払いのけようとして、九龍は気づいた。
自分が死ぬのは構わない――そういうリスクを含めて、この職業を選んだのだから。
だがいくら自分から巻きこまれに来たとはいえ、
そして九龍を二度ほど殺しそうだったとはいえ、
一般人の明日香を死なせてしまうのはあまりに気の毒だった。
元はといえばプロの自分が見つかるというヘマをしたのが
原因なのかもしれないのだから。
「わからねえ。けど、お前はここにいろ。
仮に銃声が聞こえても、それが止んでもすぐに出てくるんじゃねえぞ。
ここならたぶんバレずにやりすごせるからな」
「う、うん……でも、葉佩クンは」
背中越しに首を振っただけで、九龍は答えなかった。
左手で下がっているよう促し、飛び出せる位置までじりじりと移動する。
足音は変わらず近づいてきていた。
九龍の見立てではあと三歩で射程距離に入る。
そこまで来れば一気に飛びだして銃を構えることで優位に立てるはずだ。
九龍は呼吸を止め、どんな些細な物音も聞き逃すまいと全神経を耳に集中させた。
あと二歩。
あと一歩。
足の指先に力をたわめ、その瞬間を待つ。
だが、そこから足音は近づいてこなかった。
その場所からでは九龍達は見えないはずだが、何か異変を察知したのだろうか。
九龍は迷った。
このまま待つか、一気に勝負を賭けるか。
賭け事は嫌いではない九龍でも、チップが二人分の生命となると容易に選択はできない。
しかもこの選択には制限時間まで課せられていて、
それほど悩む時間も与えられていないのだ。
それでも、同じ最悪のカードを取らされるにしても、
待って引かされるよりは進んで引く方が納得できる。
九龍は腹を決め、右足のつま先にに全体重をかけて飛びだそうとした。
その時だった。
「そこに誰かいるのか?」
この可能性は全く想定になくて、
九龍は危うくつんのめって通路へ転がりでてしまうところだった。
まさかこちらの存在が気取られているとは!
再び配りなおしとなったカードを、九龍は素早く確かめた。
声は穏やかな日本語で、警戒はしていても敵意は感じられない。
だからといってむろんのこのこと姿を現すつもりはないとしても、
右手に伝わる重みが九龍を迷わせた。
銃を使うのなら距離を置いた方がいい。
この距離ならば機先を制することができる。
一方でこのままここに隠れていては銃を使えなくなるかもしれない。
まだ探索の技能ほどには銃の扱いに自信がない九龍としては、
可能な限り有利な立場に立っておきたかった。
一秒迷うごとに、不利になっていく――経験からそれを熟知している九龍は、
意を決して立ちあがり、自分から姿を見せた。
そこに立っていたのは、一人の若い男だった。
何の変哲もない黒い長袖のシャツと濃いめの紺色のジーパン姿で、
両腕にくすんだ黄色の、肘の長さまである奇妙な籠手をつけているが、
およそ同業者には見えない。
身長は九龍より拳一つ程度高く、
若干ではあるが九龍は目線を上げなければならなかった。
体格は細すぎず、太くもなく、適度に筋肉が乗っていて運動はできそうな感じだ。
しかし好印象なのはそこまでで、
前髪は今どき目を隠してしまいそうに長く、そのくせ全体が長いわけでもない。
顔立ちもいかにも現代の日本人らしく、緊張感など微塵も感じさせない間抜け面で、
ちょっと整っている程度の、まとめて言うなら九龍が嫌いなタイプだった。
しかし、緩みかけた緊張を九龍は一瞬で引き締める。
そのふざけた風貌の男は、ほとんど知られていないはずのこの遺跡に潜入した上、
まだ見えていない廊下の先に隠れている九龍を察知し、呼びかけてきたのだ。
九龍はもちろんスパイの専門家ではないが、
不用な危険をやり過ごすための隠身程度はできる。
『宝探し屋』の目的は秘宝を手に入れることであって、
群がる敵を殲滅することではないのだ。
だから九龍は、息さえ押し殺していたはずの自分たちが
発見された事実を軽んじなかった。
男は見た目、特殊な探知機のようなものは持っていない。
どころか、遺跡探索に必要と思われる一切を持っておらず、
若輩ながらも専門家(を自認する九龍としては
物見遊山気分でこんな所に現れた男に怒りがこみあげてきた。
銃は手にあるし、優位は圧倒的にこっちだ――
冷静に現状を分析した九龍が、とにかく会話を始めようとする。
すると、機先を制して男が口を開いた。
「驚いたな、まだ子供じゃないか」
声は低く、耳障りではなかった。
九龍の気に障ったのは内容の方で、銃を手にし、
殺すか殺されるかという闘いを寸前までしようとしていた昂ぶりが、
いきなり子供扱いされたことで一気に方向を変え、奔流となった。
「お前は誰だ? なんでこんなところにいる?」
「そりゃこっちの台詞だ。この學園は部外者立ち入り禁止だぜ。
あんたどう見たって関係者じゃない」
九龍もこの學園に来てまだ日が浅く、用務員まで含めた全員の顔など知らない。
しかし教師や関係者ならば制服を着た九龍をまず難詰するはずであり、
それを利用して九龍はかまをかけてみたのだ。
「……」
男は即答しなかった。
つまり九龍の問いを間接的に肯定したことになり、
九龍は引き金にかけた指に自信を充填した。
だが、男は軽く唇を曲げると、二人の間に存在する鈍色の物体に顎をしゃくった。
「生徒なら銃を持ってもいいのか、この学校は?
地下とはいっても一応日本国内のはずなんだが」
男は銃を前にしても冷静なようで、九龍の痛いところを突いてきた。
不法侵入と拳銃所持、どちらが罪が重いかと言われれば、ここ日本では拳銃所持だろう。
未成年が拳銃を持っていたなどとなれば、
厳しい取り締まりやマスコミが騒ぐのは目に見えているし、
なにより探索を続けることができなくなる。
それは九龍にとって取引不可能な条件なのだ。
こうなったら目撃者を全員消すしかないかもしれない。
窮地に立たされた九龍の思考は物騒な方向へと傾いていく。
それを救ったのは他ならぬ敵の一言だった。
「とりあえず、俺はお前の敵じゃない」
「んなもん信用できるわけねぇだろ」
九龍の冷たい反応に、男は再び黙ってしまった。
銃口を突きつけられているのに真顔で考えこむ男を、
九龍は馬鹿なのではないかと思いはじめる。
あるいはこの銃が玩具だとでも思っているのだろうか。
景気づけに一発撃ってみせようか、などと不穏な考えを巡らせたとき、
男が再び口を開いた。
「どうすれば信用してくれる?」
「どうしたって信用しねえよ。さっさと帰れ」
強気で押せばいける。
そう判断した九龍は、ことさらに銃口を振ってみせた。
だが、男は渋面を作りつつも一歩も下がろうとしない。
ちっとも思い通りに運ばない事態に、苛立ちが危険な領域にまで達しようとする。
撃たせても全部お前のせいだからな、と狙点を、
それでも一射目はさすがに外すつもりで定めようとした。
「こんな狭いところで撃ったら跳弾するぜ」
「させねえよ」
跳弾する危険は事実であるが、
撃ったこともない素人に指摘されたところで腹立たしいだけなので、
一メートルは外して撃つ予定を五十センチに修正する。
九龍は自分の技量にそれほどの自信を持っているわけではなく、
そもそも人間に向かって銃口を向けるのも初めてだ。
それでも、ガンマンはいつかはトリガーを引くものなのだ、と自分を奮い立たせていた。
「よし、こうしよう。俺も連れてってくれ」
「……はぁ?」
この男は何を言っているのだろうか。
どうも銃が脅しになっていないのではないかと思い、
九龍はさらに何分の一ミリか引き金を進めた。
「こう見えても俺は武術をやっててな。
ここには敵もいるみたいだし、少しは役に立てると思うぜ」
男は向けられた銃口をまっすぐ見るが、そのまま続ける。
「お前はこの先に進みたいんだろ?
実は俺もなんだ。つまり俺たちの目的は一緒だってことだ。
だったらいがみあわずに協力するのが筋ってモンだろ」
「……阿呆か、お前」
九龍が任務として探している『秘宝』はひとつだが、
その過程で入手したものは個人の取り分となる。
宝を前にして仲間割れし、全滅する危険を避けるために九龍が属する『協会』は
個人であらゆる局面に対処できるよう『宝探し屋』を厳選し、
原則単独行動を旨とするのだ。
修業時代は先輩に同行するが、こき使われた挙げ句に
名誉も金銭も独り占めされるのが当然だ。
一日でも早くそんな状態から脱出したくて
何度か死にかけたほどの訓練に耐えてきたというのに、
どうして分け前をわざわざ減らさなくてはならないのか。
「まあ聞けよ。俺は別に金目当てで奥に行きたいわけじゃない。
見つけた物は全部お前のモンだ」
「金目当てじゃねえんだったら何が目的なんだよ」
「……この遺跡の奥には何かがいる」
「はあ?」
「何って説明はできないけど、何かがいるんだよ。その正体を探りに来たんだ」
一筋縄ではいかない連中ぞろいの『宝探し屋』にも、
こんなにうさんくさいことを言う奴はそうはいない。
いよいよぶっ放すつもりで、九龍はトリガーにかける力を強めた。
「だから、お前と俺は敵対しない。お前は仕掛けを突破する。俺は敵を倒す。
で、見つけたお宝はお前のモン。悪い話じゃないだろ?」
「……お前、武器何も持ってねえじゃねえか」
「いやいや、これで結構強いんだぜ。そうだな……それじゃこうしよう」
名案を思いついた、とばかりに男は前方、九龍にとっては後方にある扉を指さした。
「この扉の向こうにいる奴を倒したら俺を連れて行く。
倒せなかったら俺はすっぱりあきらめる」
「この奥に何かいるって、どうしてわかるんだよ」
「商売道具だからな、それは秘密だ。けどこの向こうには確実に何かいる。
生き物、それも、たぶん俺たちにとっては敵が」
九龍は男を睨みつけたまま考えた。
この調子のいい男を信用するなど論外だが、どこかの女と同じように、
ちょっとやそっとでは諦めそうにない。
かといって明確な敵意を見せていない相手に発砲するのはやはりためらわれる。
となれば、なんとか言いがかりをつけて退散させるしかないだろう。
それでも口車に乗せられたようなのが嫌で、
九龍が口を開いたのは男の提案から一分近くが過ぎてからだった。
「乗ってやるよ。お前が敵を倒せば同行してもいい。
ただし何も敵が居なかった場合でも能力不足ってことであきらめてもらうぜ」
「ああ、それは大丈夫だ。それじゃ交渉成立だな」
笑顔を見せた男は、九龍が驚く行動に出た。
「もういいだろ、奥の人も出てきなよ」
明日香に向かってほがらかに呼びかける男に、
九龍は一度下ろしかけた銃口を再び向けた。
「いきなり何言いやがる」
「ん? 自己紹介するならまとめての方がいいだろ」
「そんなこと訊いてんじゃねえッ! お前……何者だ?」
「だから、それはまとめての方が」
「うるせえッ!!」
ついに九龍は怒鳴りつけた。
回廊に反響する自分の声がひどく間抜けに聞こえ、怒りに銃口が震える。
間の悪いことに怒鳴った直後に明日香が物陰から顔を出し、
九龍のプライドを一層傷つけた。
「きゃッ!」
物陰に隠れてはじめは緊張していた明日香も、銃声は聞こえず、
何を話しているかは聞こえないまでも会話がずっと終わらないので
少しずつ九龍達の方に近づいていた。
二人の声が明瞭に聞こえるところまで来たところで、
いきなり九龍の話し相手に呼びかけられ、思わず顔を出してしまったのだ。
そこにいきなり罵声が飛んできて、明日香は文字通りひっくりかえってしまった。
後ろに手をついて頭を打つのは防いだものの、スカートがめくれる、というより
ほとんど腰のところに集まってしまってずいぶんあられもない姿になっている。
数瞬呆然とした明日香は慌ててスカートを戻して立ちあがると、
おそるおそる九龍の後ろに立った。
「は、葉佩クン、この人……誰?」
問いかけに彼女の同級生は答えず、代わりに見知らぬ男性――
年齢は九龍よりも上そうだ――が応じた。
「俺は緋勇龍麻。これから一緒にこの迷宮を探索することになった。よろしく、えっと」
「あ、明日香です。八千穂明日香」
明日香が名乗ると露骨な舌打ちが迷宮に響いた。
もちろん明日香が出した音ではなく、
目の前の人好きのする笑顔を浮かべている男性から出たのでもない。
「明日香ちゃんだな、よろしく。で、お前の名前は」
「その前に答えろ。どうして八千穂が居るのが判った?」
「だから、それは商売道具で」
「言えないなら話はなしだ」
九龍は譲らなかった。
そもそも同行者など必要ないのに、隠し事があるなどと冗談ではない。
協会の事前情報にも男が語ったような存在については言及されておらず、
九龍としては当然自己の属する組織を信用する。
龍麻と名乗った男は困ったように腕を組み、やや宙を見上げて言った。
「……勘がいいんだよ、俺は」
「はあ?」
「人の気配、人に限らねえけど、生物の気配なら感知できる特異体質なんだ」
男の返事を九龍はくだらない、と一蹴はできなかった。
確かに仲間にもそういった、やたらと勘の良い奴はいるのだ。
罠を察知したり、敵の気配を感じとったり、
超能力としか思えない能力の持ち主を、九龍は実際に目にしたことがある。
ただ、この男の場合はそれらとは違うようだった。
疑惑を確かめるために、九龍は訊ねた。
「じゃあこの扉の向こうに敵は何体いる?」
龍麻の顔に、かすかに驚きが浮かんだ。
そして良く気づいた、と言いたげな微笑を浮かべ、扉の前に立つ。
そこで目を閉じ、数秒もしないうちに向き直った。
「一人、だな。あとは人間ほどの大きさじゃない、
犬くらいの大きさのが五……六匹か。ただ、ちょっと変な雰囲気がある」
「変ってどういうことだよ」
「中にいる奴じゃない。部屋全体におかしな気配が充満しているんだ。
そいつのせいで部屋が妙に濁ってて、感じとりにくいんだ」
「さっそく言い訳かよ」
九龍の嫌みに龍麻は頭を掻いた。
「うーん、そう言われると弱いな。俺もこんな気配は初めてでちょっと困ってるんだ。
ただ、今居る奴らの数は間違いない」
ふたたび九龍は決断を迫られる。
このうさんくささの塊みたいな男を信用するか否か。
もしかしたら九龍の同業者などではなく、もっと性質の悪い、
敵対者かもしれないのだ。
一人で探索するというのは、一人で全てのトラブルに対処しなければならないという
ことだと改めて九龍は思い知らされた。
そして悩んでいるところに、九龍の主観で最大級のトラブルが、
新発売のスナック菓子のどちらを買おうか迷っている友人にアドバイスするような、
のほほんとしたしゃべり方で追い打ちをかける。
「ねえ、葉佩クン、あんまり悪い人じゃないみたいだけど」
「お前は黙ってろ」
世の中には虫も殺さないような顔をして、
悪魔も顔をそむけるような悪事を働く人間がいる。
これもやはり年長の宝探し屋から、子守唄代わりに聞かされた教訓で、
金貨一枚、水一滴で人間はどんな生き物にもなれるのだ。
だから『宝探し屋』は孤独であれ、『協会』以外は一切信じるな、
そう九龍は叩きこまれてきたのだ。
『協会』の人間同士ですらも油断はできない。
功績を独り占めしようと事故に見せかけて相棒を葬った
『宝探し屋』は過去に何人も居て、原則『宝探し屋』は単独で行動するよう、
『協会』は任務の振り分けにも小さからざる手間をかけているのだ。
悩む九龍に、龍麻と名乗った男はさすがにわずかに苛立ったようだった。
「だから、お前の目的とは被らないって言ってるだろ。
俺が知りたいのはこの遺跡の奥に何が『居るか』であって何が『有るか』じゃない。
お前が何を探してるのかは知らんが、俺の報酬はちゃんと別から出てる」
龍麻の主張にはぶれが無いように思える。
しかしあらかじめ設定を作っておけば嘘を通すなど簡単だし、
世界には息をするように嘘を吐く奴らだってたくさんいるのだ。
正直者が馬鹿を見るこの業界なのだから、用心しすぎてしすぎることはない。
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