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「ん……」
幾度目か唇が離れる。
はじめはただ溺れるだけだった九龍も、水の中で目を開ける余裕ができて、
ようやく自分から触れようと思い、密着している瑞麗の背に触れた。
しかしそこからどう触っていけば良いかわからず、思案の末たどたどしく腰を撫でる。
細やかな刺繍が施された絹の質感を追いかけていると、不意に素肌に触れた。
「ふふ、やっぱりそこから触るんだな」
スリットから手を入れると、瑞麗はいかにも楽しそうに笑った。
悪意がないことはわかっていても、小馬鹿にされた気がして九龍はふてくされる。
するとまた瑞麗が、今度は身体から力を抜いて言った。
「すまんな、少し意地が悪かった」
体重を預けた瑞麗は、そのまま動かなくなる。
どうやら好きに触れと言っているようで、少し迷った九龍はその場所から手を再び動かした。
腿の裏側から、少しずつ上へ。
拳法をやっているからか、瑞麗は決して肉感的ではない。
それでも臀部には相応の肉がついており、九龍の手は自然と撫でる動きになった。
「ん……」
耳のすぐそばで瑞麗の声がして、慌てて九龍は手を止める。
経験の乏しい九龍には、どの辺りまでが許され、また許されないのか、まるで見当がつかなかったのだ。
瑞麗はそれっきり何も言わず、身じろぎもしなかったが、それ以上触るのはためらわれた。
下着と柔肌、双方に触れながら、そのどちらをも手中に収められないでいると、小さなため息が九龍の首筋を撫でた。
「私は……そんなに怖いか?」
「……?」
「今までにな、幾人か言い寄ってきた男はいた。
しかしな、そいつらは期間の差はあれど、決まって『怖い』と言い捨てて去っていったよ」
頭を押しつけたまま囁く声が震えを帯びている。
そして九龍は、震えているのが声だけでないことに気づいた。
掌から──そして、全身から、女の怯えが伝わってくる。
硬い殻は外側からの異物を拒むのではなく、裡にあるものがこぼれでないようにするためにあったのだ。
思いもかけないところで瑞麗の芯に触れた九龍は、自分を叩き伏せ、何かにつけ軽くあしらうこの女性がふいに愛おしくなった。
肉体的な欲望とも、心安い甘えにも似た感情とも異なる想いが、たちどころに精神の主たる部分を占めていた。
自分は単純なのかもしれない、との考えが一瞬よぎる。
しかしそうなのかどうか、確かめようとは思わなかった。
声を出すきっかけを作るために、九龍は瑞麗の腰に腕を回す。
わずかに身じろぎしただけで何も言わない瑞麗に、自らの想いを確認するように言葉を選んだ。
「あんたが怖いんじゃねぇよ」
「ん……?」
「怖いのは……女そのもの……だ」
長い沈黙の果てに返ってきた瑞麗からの返事は、九龍の予想を大きく裏切るものだった。
「それは……私を女として見ていないという意味か?」
「なんでそういう解釈になるんだ」
「ならはっきり言え。日本語は良くわからない」
ややこしい汲み取り方をしているくせに、瑞麗はそうやって怒る。
それに対し反論しようとして、至近距離で濡れて光る瞳を直視してしまった九龍は、
脳が命令したのとはまるで異なる動きを口にさせていた。
「あんたのことは好きだよ! これでいいのかよ」
吐いた途端、心臓に著しい負荷がかかる。
吊り橋が崩れ文字通り奈落の底に綱一本でぶら下がった時も、
侵入者を迎え撃つブービートラップを髪の毛数本の差で躱した時も、これほど動悸が上がったりはしなかった。
酸素が足りなくなって喘ごうとし、眼前に瑞麗の顔があることに気づいた九龍は慌てて吸いかけた息を止める。
すると瑞麗は、九龍がたじろぐほど目を細め、眼光を険しくすると、そのまま瞼を閉じた。
「教えてやる。そういう時私達の言葉ではな、我愛弥というんだ」
「我……愛弥?」
「そうだ。言ってみてくれないか」
中国語はわからなくても、恥ずかしい言葉だというのは充分にわかる。
言いよどむ九龍だったが、薄く開いた細長い目はそのままうやむやにすることを許してくれそうにない。
一度息を吸った九龍は、塊が詰まったように重い喉を動かし、真っ白に染まりゆく思考を、あえて追わずに口走った。
「私もだよ、九龍。我愛弥」
自分が言ったのと今瑞麗が言ったのとは、本当に同じ台詞だったのか。
それくらい異なる響きを紅い唇は発した。
ほとんど無意識に──いや、意識的にだったのかもしれない、九龍は腕を瑞麗の背中に回し、引き寄せた。
触れた唇は、紅く、そして熱かった。
白衣に手をかけた瑞麗は、見上げる九龍に悪戯っぽく囁いた。
「脱ぐか? ……それとも、この服のままの方が好みか?」
「瑞麗を……見たい」
「ふふ……判った」
薄く笑った瑞麗は身体を起こした。
横たわる九龍の上で膝立ちになったまま、白衣を脱ぐ。
音もなく落ちていく白衣とチャイナドレス、そしてそれらが包んでいたしなやかな肢体を、九龍はまばたきも忘れて見ていた。
チャイナドレスを着ていてさえ、瑞麗は教師だった。
それはあるいはチャイナドレスではなく、白衣のおかげだったのかもしれないが、
とにかく、どこか近寄りがたいオーラをまとった大人であり、
それは今の今まで九龍の実感としてあったのだ。
しかし、絹の衣を一枚脱ぎ捨てただけで、瑞麗は女に変貌していた。
細く締まった身体は直に触れた時と印象が異なり、柔らかさよりもわずかに硬さを意識させる。
それでも九龍にとっては女であることに変わりはなく、眼前で裸身を晒した瑞麗をまばたきも忘れ凝視していた。
「そんなに見るな。恥ずかしいだろう」
跨ったままチャイナドレスを脱いだ瑞麗は、下から見上げる九龍から視線を逸らせて言った。
その仕種はやはり、チャイナドレスを着ている時とはまったく異なっていて、別人のようですらあった。
一糸まとわぬ身体が覆い被さる。
髪が落ちかかり、むきだしの肩が露になった。
その細さに九龍は、もう何度目かわからない絶句をする。
華奢な線が描く曲線は、これまで見つけてきたどんな宝よりも美しい細工物だった。
白と黒の鮮烈なコントラストに九龍が目を奪われていると、コントラストの一方が伸びてくる。
制服の合わせに忍び込み、ボタンを外した指先に、いまさら九龍は自分が、
上半身だけ服を着ているという珍妙な格好をしていると気づいた。
耳朶が熱くなるのを感じながら、自分で脱ごうとすると、瑞麗に薄い笑みをたたえてそれを妨げられる。
「……っ」
妨げた、と言っても何をされたわけでもない。
ただ奥まで黒い瞳にじっと覗きこまれただけだ。
それでも九龍は喉を鳴らしただけで、あらゆる動作を停止させねばならなかった。
ボタンがひとつずつ外されていく。
ただそれだけのことで、九龍は粟立つような羞恥を覚えていた。
瑞麗はすでに裸であり、彼女の方がよほど恥ずかしいだろうに、
遺跡で罠に引っかかったよりもずっと、瞼が熱くなるほどの恥ずかしさが胸のあたりから尽きることなく湧いてきた。
冷たい空気を感じる。
全てのボタンが外されたのだ。
一瞬感じた冷たさは、すぐに内側からの熱に打ち消された。
こんなことなら瑞麗が脱いだ時に自分も脱いでおけばよかった、と後悔した九龍だったが、後の祭りだった。
まだ肌着が残っており、それも脱がされることになるのは間違いなかった。
制服越しよりも遥かに近く感じるようになった掌の温もりに、九龍は助けを求めるように瑞麗を見た。
「……」
普段がどちらかというと冷たさを感じさせるだけに、熱っぽさを宿した瞳はひどく魅力的だった。
かすかに揺れる、黒瑪瑙めいた美しさの瞳に魅入られ、九龍は言うべき言葉を失う。
以前ならどうにか取り繕おうとしただろうが、今の九龍にはなすべきことがわかっていた。
また新たな、身体の中でダイナマイトを炸裂させたような動悸に見舞われながら、顔を近づける。
何キロにも感じられる、十数センチの距離だった。
「……ひとつ、教えてやる」
明らかに笑いを抑えている瑞麗の声が聞こえたのは、遺跡が眠る大砂漠をどうにか横断しおえてからだった。
誰も越えられないといわれていた砂漠越えを果たし、誇らしくすら思っていたところに水を差され、
九龍はやや声を尖らせて応じた。
「なんだよ」
「目はな、そんな固く閉じなくてもいいんだぞ」
うろたえていると、再び唇が被さる。
かすかに震える唇は、キスの間中ずっと笑っていた。
肌に溶けこむようなしっとりとした質感の肉は、期待に反してすぐに遠ざかっていく。
そうしたところで瑞麗は決して怒りはしないだろうとわかっていても、
どうしても九龍は、瑞麗の細い身体の隆起に触れることができなかった。
ためらい、手を伸ばし、またためらい、確実に罠が仕掛けられている扉に触れるときでさえ見せない逡巡を繰り返す。
すると仕方のないやつだ、というように笑った瑞麗に手を掴まれた。
からかうように一瞬だけ絡みついた指先は、九龍が求める場所に導き、去っていく。
掌に加わった温かな重みは、危地に陥った時の銃把にも似た心地よさだった。
ただし決定的に違うのは、銃把はそれを掴むことで己の生命を確認できる心地よさなのに対し、
今触れている女の部分はそこから他人の生命を感じる心地よさだった。
ほとんど一体になってしまったかのような感触に、確かめてみようと指を動かしてみる。
手を一杯に広げてちょうど収まる乳房は求めに応じ、抗い、自在に形を変える。
全く未知の柔らかさに、九龍は夢中で揉みしだいた。
指の隙間で硬さを増していく乳首にも当然の興味を示し、指腹で撫でてみる。
「……っ」
と、かすかな息漏れと同時に、手の内の柔肉が震えた。
驚いた九龍が、いつのまにか注視していた顔を上げると、瑞麗が爪を噛んでいる。
慌てて手を離す九龍に、瑞麗は怒っているのか恥ずかしがっているのかわからない表情をした。
「上手い……んだな」
「上手い?」
九龍が訊き返すと、目を閉じた瑞麗がふわりと身を被せた。
鼻腔をくすぐる匂いと火照った身体が、九龍の理性を麻痺させる。
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