<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>
(2/4ページ)
建物の陰にいたのは、熱いキスを交わしているカップルだったのだ。
この季節、屋上は真神の死角とも言える場所になっており、
だからこそ龍麻と葵もささやかな逢瀬を果たす場所に選んだのだが、
より過激なことをする輩がいるとは、龍麻はしてやられた気分だった。
それに他人のキスなど映画以外ではそう見られるものではなく、
龍麻は再び陰から様子をうかがう。
すると背中の辺りに気配を感じ、ふと見れば葵も控えめながら他人の情事を観察していた。
昼休み中に大胆な行為に耽っている二人を龍麻は知らず、
どうやら彼らは違う学年の生徒のようだった。
肩までの長さの髪をした女子生徒の方が積極的らしく、
やや細身の男子生徒を金網に押しつけてキスをしている。
男子の方は受け身と思いきや、抱いた腕をさりげなく下におろし、
スカートの上から尻を撫でまわしており、やがて女の身体が小さくくねりだした。
それを焚きつけるように男の片足が女の足の間に割って入り、
いよいよ本格的な情交が始まった。
二人はまだ初々しいのか、それとも短い時間を有効に活用する術を心得ているのか、
傍目で見ている龍麻と葵からすると、情熱的とも言えるほどだった。
誰も見ていないということで安心しきっているのだろう、
下着が露になるのも構わず、お互いの服を脱がせあっている。
もちろん上を脱いだりはしないが、あっという間に男子生徒は下着姿になり、
女子生徒もスカートは穿いたままパンティを脱いでしまっていた。
全部は脱がず、片足にひっかけているのが極めて刺激的な光景だ。
せわしなく下着を脱いだ彼らは、だがすぐには始めずにまたキスを始める。
呼吸も忘れて魅入っていた龍麻と葵は動きの止まった彼らにふと我に返り、
一度物陰に隠れて今後の対策を話し合った。
「どうすんだよ、注意しないのかよ」
「で、できるわけないでしょう」
意識して意地悪い口調を作って龍麻が訊ねると、葵は顔を熟れすぎたトマトのように赤らめた。
つい、と顔をそむけた拍子に髪が流れ、甘い香りが鼻腔をつく。
広がり、再びまとまっていく黒い絹糸を、龍麻はややぼんやりと眺めていた。
龍麻はともかく、真神学園に知らぬ者とてない葵が屋上で男と会っているのを見られれば、
たちまちのうちに噂は学校中を駆け巡り、
針のむしろに座るような思いをしなければならなくなるだろう。
それだけはなんとしても避けたいところであり、
そうすると若いカップルの情事が終わるまでここで待っていなければならない。
彼らも授業が始まる頃にはさすがに戻るだろうが、
それにはまだ何十分かあり、それまで気まずい空気を吸わなければならないようだった。
──いや、葵はともかく、龍麻はこの降って湧いた奇禍を、それほど疎んではいなかった。
声は出せなくても、葵と二人の時間を過ごせるのは喜ばしいことだったし、
音を立ててはいけないという大義名分のもと、こうして身体を密着させていても何も言われない。
それどころか、名前も知らない二人の恋人達が醸す、肌にまとわりつく独特の熱気は、
龍麻の恋人にも少なからず影響を与えているようで、
向こうを向いている葵はいつもと異なる色香を匂わせるようになっていた。
艶やかな黒髪と、その隙間からほんの少しだけ覗いている、頬と同じ色をした耳朶は、
さながら惹きつけ、種子を運ばせようとする果実のように龍麻を誘う。
普段なら彼女に許されている唯一の男性である龍麻でさえ、
めったには触れることを憚(らせる、葵の周りに張り巡らされた不可視の壁も、
建物の向こうにいる彼らの熱気が溶かしてくれたようで、
龍麻はそれでも一呼吸置いてから、背中に流れる髪の端を掬った。
「……」
微かに空気が変わる。
葵の肩が竦(み、緊張が二人の間に走った。
しかし、いつもなら笑いながらも穏やかに拒絶される行為も、葵はそれ以上表だった反応を示さない。
壁がなくなったとは言っても、葵の、龍麻にとっては少し固すぎると感じる性格は
厳として存在するはずで、龍麻はいつ割れるかわからない風船を慎重に膨らませなければならない。
弁当を作ってくる、というのはその性格とは相反するように思われても、
逆に、そこからの一線は簡単には超えさせない、という意思表示が込められていて、
龍麻はもう両手の指では足りない、涙ぐましい努力を行ってきたが、
それが実ったのはまだ片手で簡単に数えられる回数でしかなかった。
思いもかけず与えられたチャンスを、無駄にしないようにしなければ。
決意も新たに、龍麻は愛撫を始めた。
黒いカーテンをかき分け、首筋に触れる。
冷涼な風は葵にぎりぎり肌寒さを感じさせるものであったらしく、
普段はめったに触れることもないうなじには、うっすらと鳥肌が浮かんでいた。
敏感さを増していた肌を触られて、葵が屹と睨んでくる。
しかし葵は小蒔や杏子のように実力行使で意見を通すという考えをもたないので、
声さえ封じられる、今のような状況なら怖くはなかった。
細い首筋を、愛撫とわかるように愛撫しつつ通り過ぎ、右の耳朶を摘まむ。
首筋とは対照的に、そこは触れただけでわかるくらい熱くなっていた。
敏感なのは同じらしく、肩がわずかに動く。
どうやら葵は、当然ではあるが我慢しようとしているようだ。
そうなると龍麻としては手を止めるわけにはいかず、葵の忍耐力を試してみることにした。
火照った耳の輪郭をじっくりとなぞる。
「……っ」
払いのけようとする手を機先を制して抑え、その上触れているのとは反対の耳に唇を触れさせた。
熱を奪い取るように食んだ唇で弱くついばむ。
冷めるどころか更に熱くなる耳は、甘美な舌触りをもたらし、
龍麻は下端から上辺へ、余すところなくねぶった。
「っ……ぁ……」
くすぐったいのか、それとも感じているのか、葵の呼吸が不規則なものになっている。
まだ声にこそなっていないものの、口は薄く開き、熱が漏れだしていた。
そしてそれは愛撫に応じて少しずつではあるが確実に大きく、あるいは温度を上げており、
龍麻は耳孔に息を吹きかけ、より追い詰めようとする。
しかし、龍麻があまりに急ぎすぎたのか、声が抑えられないと思ったらしく、
葵は我慢するより元を断つ方を選んだようで、遂に激しく頭を振って龍麻を拒んだ。
「……」
葵の顔は赤らんでいながらも、目には嫌悪が浮かんでおり、龍麻は失敗したかと心臓を青ざめさせる。
この後にやってくる理不尽かつ強引な要求の数々を思うと、脈拍はどこまでも上がっていくのだ。
敗北を最小限に抑えて撤退するために、
今からひたすら謝りたおそうかとさえ考え始める龍麻だったが、
しかし、神というものが存在するのなら、今日の龍麻はまだ見捨てられていなかった。
無言で深刻な対立を続ける龍麻の耳に、
途中で無理やり飲みこんだような、奇妙な音節で途切れた悲鳴が聞こえる。
声は小さく、短かったが、すぐ側で聞いている龍麻はしっかりと捉えており、
葵にも聞こえたのは間違いなかった。
名も知らぬカップルが、とうとうキスだけでは物足りなくなったようだ。
彼らの痴態にも興味がないわけではない龍麻だが、
今はそれよりも隣の女性の反応の方がずっと興味があった。
声はあるリズムを持って漂ってきており、
鋭く睨んでいた葵も、これを無視することはできないらしく、顔が再び赤らんできた。
「聞こえ……ちゃう……」
「聞いてる奴なんていないって」
押し殺した会話と、その前後に挟まる喘ぎ声が、いかにも盗み聞きしているという臨場感を与える。
特に葵にそれは顕著だったようで、眼差しはいつしか下ろされ、所在なげにさ迷っていた。
「ほら、腕回せよ。ちゃんとしがみつかねぇと知らねぇぞ」
「あ……っん……気持ち……いい……」
「お前の膣(も、すげぇ気持ちいいぜ」
体位まで想像できてしまう生々しい会話に、葵はもじもじとし始める。
一メートルと離れていない場所で、同じ学校の人間が愛の営みを交わしているところを、
嫌でも意識させられてしまっているのだろう。
ちらりと視線を上げ、龍麻と目が合って慌てて逸らす。
あまりに可愛らしい仕種に、龍麻の、一度は萎えかけた欲情が再び目覚めた。
「あっ……あ、あっ、んうっ」
とうとうこらえきれなくなったのか、女子生徒のボリュームがあがる。
そして一度あがってしまうと、軛(から放たれたように淫らな音色は次々と奏でられた。
少しずつ早く、上擦っていく声に後押しされるように龍麻は詰め寄る。
葵は逃れようとしたが、この期に及んで物音を立ててはいけないと思っているのか、
大きくは動かず、なんなく肩を抱くことができた。
「……っ」
葵が息を呑むのが伝わってくる。
危険を感じた龍麻だが、いちかばちか、失敗したら死ぬ覚悟すら抱いて、くちづけを交わした。
とっさに身体の間に差し挟まれた手が、胸板に圧力を加えてくる。
ここで引いたらいけない、と半ば力づくでキスを続けていると、やがて努力は正しく報われた。
諦めたように手の力が抜け、心地良い感触のみが広がっていく。
名も知らぬ後輩達に心の中で感謝して、龍麻は葵の身体を手繰り寄せた。
<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>