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 翌々日、遠まわしに用意が整ったことを告げられた葵は、期待と不安を同居させて龍麻の部屋に入った。
それは反する感情ではなく、同じベクトル上にあるものであり、鼓動は高鳴っていても落ちついている。
むしろ龍麻の方がずっと緊張し、ぎこちなくなっていた。
それはそうだろう、と葵は思う。
普通の、特異な『力』を抜きにすればごく普通の女子高生が、
自分から鎖に縛られたいなどと言いだせば、敬遠しないほうがおかしい。
別れを切りだされるどころか異常な性癖の持ち主として言いふらされないとも限らないのだ。
むろん葵は、龍麻がそんなことは、少なくとも誰かに言ったりはしないと信じたからこそ告白したのだが、
受けいれてくれるかどうかは半分程度の勝算しかない賭けであり、
天秤は傾きつつはあるものの、葵の望む結果が確実となったわけではまだなかった。
 昨日も、一昨日も、あの夢は見た。
十字架にはりつけにされ、全身をくまなく鎖で縛められる、ただそれだけの夢。
わかってしまえば恐怖はなく、自己を認識した結果、葵は状況を愉しむまでになっていた。
鎖がそれ以上肌に食い込まないことに不満すら覚える今、
目覚めた後に下着がぐっしょりと濡れていたのは当然で、たった二日が永遠に等しいほど長く、今日が待ち遠しかった。
「痛かったらすぐ言えよ」
 声と表情と、双方で気づかわしげに龍麻が言う。
うなずきながら葵は、今日はどんなことがあっても悲鳴はあげまいと誓っていた。
たとえそれが反射的に出てしまったものであったとしても、龍麻は、心優しい龍はすぐに行為を中断し、
己への嫌悪に身を浸してしまうだろうから。
それは龍麻のために、そして何より自分のために避けねばならなかった。
 昨日買ったはずなのに、龍麻は妙に部屋の奥から包みを取り出す。
望んだものが入っているそれに、葵の視線は自ずと釘づけになった。
歌舞伎町に山ほどあるその手の店で買ってきたという、
龍麻が袋から取り出した、銀色に光る無機物を目にした瞬間、葵は腹の奥に、
これまで龍麻との性行為で得たものとは全く別種の恍惚を感じた。
暖かく、風船のように膨らんでいく幸福なものではない、深い、底の見えない氷裂へと落ちていくような昏い快感。
龍麻に不満など欠片ほども抱いたことはなかったが、新たな悪魔の誘惑はおよそ抗いがたいものだった。
 これまでの龍麻との愛がすべて欺瞞であるかのような快楽の予感に身震いし、
葵はこの期に及んでためらった様子を見せる龍麻の手に鎖を乗せた。
あくまでもこれが、自分から望んだことなのだと示すためにくちづけを交わしたが、
葵の内心は、すでにこれらの拘束具がどのように身体に巻きつくかという方に向いていた。
 SMなど未経験の龍麻は、勧められるままに購入した拘束具の数々を前に、
どれから使えばよいのか考えあぐねていた。
常人とはかけ離れた『力』を持ち、常識では計りしれない異形と闘っている龍麻も、
年齢的には一介の高校生であり、まだ人生には知らないことが多すぎた。
それに同じ用途の道具ばかりを取り揃えた店の中ではそれほどとも思わなかった、
道具自体のいかがわしさが白日の下では際立って露出してきて、
こんなものを本当に使っていいのかどうか、ためらいが生じていた。
いくら葵自身から言いだしたことであっても、女神と見紛うばかりの美しい身体に鎖を巻きつけるなど、
とうてい許されないのではないかと思ったのだ。
その思いは制服のスカーフが、今日はいやに赤く見えると意識した時から強くなり、
それを解き、純白の下着を露にした時にいや増した。
「……あ、あの」
 情けないほど掠れた声で、龍麻は最後の確認をした。したつもりだった。
 汗がにじむ掌が、柔らかなものに触れる。
彼女の手と共に左の胸に添えられた自分の手を、龍麻は呆然と眺めた。
葵は己の乳房を潰さんばかりに手を押しあてさせる。
せわしい鼓動と、汗ばんだ掌よりも熱い肌が、葵の意思を伝えていた。
枷を握りしめた龍麻は、意を決して葵の背後に回った。
 ぎこちない手つきで枷が嵌められる。
手首を繋がれた葵が最初に抱いた感想は、自分はもしかしたら途方もない間違いを犯したのではないか、
というものだった。
あれほど感じていた倒錯への渇望はほとんど満たされることがなく、ただ身動きが不自由になったとしか感じない。
自由が奪われる当然の苛立ちだけが、葵の内側に満ちていった。
「痛くないか?」
 痛くはない。そして、快くもない。
両腕を後ろ手に括られ、短い鎖で手首を繋がれた葵は、あれほど望んだのにも関わらず、
早くも自分が言いだしたことなのだからという義務的な感情で行為を続けようと思っていた。
やはり龍麻は正しく、春の陽光を感じさせる抱擁こそが幸福なのだ。
今ならまだ引き返せる──ありもしない桃源郷を探し求めて大切なものを失ってしまう前に、
これは一時の気の迷いだったと謝ればよい。
龍麻はきっと安堵の表情を浮かべて、一切をなかったことにしてくれるだろう。
 自分の愚かしさに赤面しながら、龍麻に謝ろうと葵は顔をあげる。
その拍子に、拘束具についている鎖が肌に触れた。
「……っ!!」
 息が詰まるほどの高揚が葵を襲った。
じわり、などと生易しいものでない、一気に下腹が熱くなり、愛液が下着に滲んだ。
あまりに急激すぎる変化だったために、葵は自分の変調をとっさに理解できず、身体の熱を外に吐きだすのが精一杯だった。
そうすることで熱はいくらか下がったが、疼きは収まるどころか増している。
羞恥に悶えながら、己の身に生じた変化を見極めようと葵は、縛められた手で鎖を掴んだ。
「あっ……あ……」
 冷たい感触が脳髄を侵食する。
求めていたものを発見した葵は、鎖を強く肌に食いこませた。
痛みが快感を加速する。
掌に刺さる金属の冷たさが、葵に身体の熱を自覚させた。
口を薄く開き、腹から熱を押しだしてみるが、唇が炙られるだけだった。
動けないことがもどかしく、動けないことが快く、
葵はいくらかでも疼きをやわらげようと乾いた唇を舐めまわした。
「葵……?」
 変調に気づいた龍麻が、気づかわしげに呼ぶ。
その声も、鎖に囚われた葵にはほとんど耳に入っていなかった。
「お願い。……鎖を使って」
 他の拘束具が入っている袋にねっとりとした眼差しを投げ、葵は懇願した。
本心からであることを示すため、微笑んでさえみせると、龍麻はなおためらっていたが、
ひとつ首を振ると再び行為をはじめた。
愛する女性の頼みを、たとえ理解しがたいものであっても聞きいれることにしたのか、
それとも女を縛り、意のままに玩ぶという欲求に負けたのか、どちらであっても葵は構わなかった。
大切なのは苦痛を──いまや葵ははっきりと意識していた──縛められることによる苦痛による快楽を、
より多く、より強く龍麻が与えてくれること、それだけが重要だった。
 龍麻が買ってきた拘束具の多くは、女性の肌を傷つけないようさまざまな配慮が施されていたが、
それさえも葵にはもどかしく感じられた。
葵が求めたのは鎖、忌まわしい悪夢の中で忘れえないほど強く肌に刻まれた金属の無機質な冷たさだった。
魂を穢されるような嫌悪、目を閉じ、忘れようとしても脳の深いところに刻まれてしまった厭らしさ。
気づかなければ幸せだったかもしれないが、知ってしまったらもう戻れなかった。
 鎖が巻かれていく。
上半身を、乳房の上と下で二巻き。
二の腕に当たる冷たい金属の質感は、葵を酩酊させる。
龍麻の逞しい腕に抱かれた時、あるいはそれ以上に。
当の龍麻に作業をさせながらそんなことを考える自分を罪深いと思う葵だったが、
龍麻が力加減を間違えたのか、鎖が強く食いこむとそれもすぐに忘れた。
「わ、悪い」
 なぜ謝るのか、葵にはわからなかった。
痛みはこんなにも気持ちよいのに。
ブラジャーでさえわずらわしく、外してほしいくらいだった。
肌をなめる金属の質感がたまらず、葵は唇を喜悦にわななかせた。
腹から噴きだす淫熱の呼気に燃やされ、火照る肉体をくねらせる。
すると鎖が肌を叩き、その冷たさにまた恍惚を覚え、快楽の円環に葵は嵌まっていった。
「あぁ……っ」
 美しい黒髪が炎のようにのたくる。
手錠をかけられ、裸身に鎖を巻かれた恋人を、龍麻は呆然と見ていた。
こんなふうに拘束されたら、激しい抵抗を示すに決まっている。
なのに葵は嫌がるどころか、あきらかにこの状況を受けいれていた。
 食いこみも痛々しい腕はところどころ赤らみ、豊かな胸はくびりだされていやしくも強調されている。
龍麻が目のやり場に困りながらも、破裂せんばかりにたわんだ乳房から視線をそらせないでいると、鎖が鳴った。
バランスを失った葵が倒れてきたのだ。
慌てて支えた龍麻の掌に、驚くほど熱い体温が伝わってきた。
「……」
 見上げる瞳は何かを欲するように潤み、薄く開いた唇は扇情的に震えている。
葵の顔からは普段の知性が失われ、代わりにぞくりとするような色気が浮かんでいた。
 支えていた腕で、龍麻は葵の身体をまさぐっていく。
どんな理性も今の葵の前ではおためごかしにすぎなかった。
苦悶と快楽の危うい均衡が醸す痴態は、これまでまったく見たことがないものだった。
龍麻がこれまで見てきた葵の笑顔も、恥じらいも、全てが色あせていた。
 豊かな曲線を描く臀部を掴み、腿の内側をやみくもに撫でまわす。
熱せられた肌はねっとりとまとわりつき、清楚な下着はどこに触れてよいかとまどうほど濡れていた。
触れる部分を変えるたびに上半身を悩ましくくねらせる葵の仕種のひとつひとつが男を誘う淫らさに満ちている。
浮きあがった鎖骨が、露になった喉が、そしてくびりだされた、ほとんど下着からこぼれそうな豊乳が、
時に触れ、時に離れ、龍麻の牡を駆りたてるのだ。
 獣じみた欲望に急かされ、龍麻は乱暴に葵を押し倒した。
人の重みは思っていたよりも大きな音を立て、瞬間、龍麻は理性を取り戻す。
けれども苦痛にゆがむ葵の顔は、龍麻にこれまでなかった嗜虐の性を呼び起こすに十分な媚態だった。
買ってきた鎖がまだあることを思いだした龍麻は、有無を言わさず葵の足首にそれを嵌めた。
 細い足首に架せられた戒めは、両足を肩幅よりも少し開かせたところで固定する金属の棒を繋いでいる。
これで葵は、自分では全く動けなくなってしまった。
もしこれが他人によって行われたのなら、龍麻はその相手を絶対に許しはしないだろう。
持てる力の全てをふるって敵を倒し、葵を救いだすに違いない。
しかし、葵の身動きを封じたのは龍麻自身だった。
しかもそうするよう頼んだのは葵なのだ。
異常すぎる状況に、龍麻の思考は半ば停止していた。
 床に倒した裸身を龍麻は見下ろす。
下着だけはかろうじてつけているが、あとは一糸まとわぬ姿の葵。
その上半身には鎖が巻きつき、下半身も無理やり開かされている。
重たげな胸と、細い足は、ひどくアンバランスに見えた。
まるで、葵の肉体はそのためにあるかのように鎖が馴染み、未だ剥きだしの足こそが不自然であるかのように。
 鎖はまだ、余分があっただろうか──
拘束した女体を前に、龍麻はぼんやりと考える。
あれほど恥ずかしい思いをして買った拘束具の数々を、もっと買っておけばよかったと。
柔肌に触れさせることさえためらっていた鎖を、がんじがらめになるまで縛りつけてみたいと。
 だが、鎖はもう使いきってしまっていた。
いずれもっと揃えるにしても、今日はこれで我慢しなければならなかった。
喉を大きく鳴らし、龍麻は組み敷いた女体にのしかかっていった。



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