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「これが……鬼……こんなんと、緋勇達は闘ってたのかよ……」
 足がすくむ。
どれほど覚悟をしていたとしても、
実際に体験する鬼はそんなものを容易たやすく打ち崩してしまうだけの恐怖を雪乃に与えていた。
かろうじて薙刀は構えているものの、その切っ先は大きく震え、斬りかかることなど到底出来ない。
するとその切っ先が奏でる怯えに気づいたのか、鬼の一体が彼女めがけて近づいてきた。
自分の倍以上もある巨体には凄まじいまでの陰氣が張りついており、雪乃の恐怖はいや増す。
恐慌に囚われた彼女に誰かが危険を知らせたが、その声も全く届いていなかった。
 怨念の塊である鬼が、立ったまま動かない人間に向かって大きく拳を振り上げる。
「姉様っ!」
 雛乃も同じく人間ひとが持つ異形への根源的な恐怖に足首を掴まれていたが、
姉に迫る鬼の魔手にいち早く精神こころを取り戻していた。
素早く矢をつがえ、そらに向かって射放す。
 小蒔と技量を競うほどの腕前にしては、その弓勢は弱く、
矢は何を狙ったのかもわからないほど虚空に舞った。
その矢筈やはずが、かすかな音を立てる。
 既に激しい闘いを始め、
決して聞こえる大きさではないその音は、雪乃だけでなく、龍麻達全員の耳に届いていた。
彼らが聞いていたかどうか、意識すらさせずに直接伝わった幽玄の音色は、
彼らの闘いの興奮を醒まし、落ちつきを取り戻させる。
 その音はもちろん雛乃の双子の姉にも届いており、
心のどこかで何か音がしたのを感じていた雪乃に、急速に五感が戻ってきた。
手足が失っていた感覚を取り戻し、今まさに自分を叩き潰さんと振り下ろされる、
こぶの塊のような化け物の腕を飛んで躱す。
腕が大きな地響きをたてて元いた場所を殴りつけた時、雪乃はもう一度飛び、鬼の懐に潜りこんでいた。
「せやぁッ!!」
 裂帛れっぱくの気合と共に、腕を横に薙ぐ。
さっきはかたかたと震え、どうしようもないほど重かった薙刀は、
腕と一体化したかのように軽やかに動き、破魔の『力』を以って鬼を切り裂いた。
 ぱっくりと開いた化け物の断面から、陰氣が噴き出す。
勝機が、見えた。
「雛ッ!!」
「はい、姉様っ!」
 窮地を救ってくれた妹と、ちらりとだけ視線を交わす。
それだけで意思の疎通を終えた二人は、雪乃は前に、雛乃は後方へと移動した。
 鬼の正面から斬りかかった雪乃が、文字通り縦横無尽に薙刀を振るうと、
赤茶色をした化け物の身体に、棋盤のように桝目が刻まれていく。
そのいずれもから陰氣が噴き出したが、鬼は気にした様子もなく拳をふるい続けた。
もちろんこれらの攻撃で鬼が倒せるとは思っていない雪乃は、
苛立った化け物が両手を組み合わせ、渾身の力で自分を狙ってくるのを見て、正確に距離を測った。
 巨大な膂力をたわめた鬼は、目に見えないほどの疾さで腕を打ち揮う。
その打撃は回避に専念していなければ到底躱せなかっただろうが、
両手を掲げて薙刀を構え、足首に意識を集中させていた雪乃は、舞うように後ろに跳んだ。
轟音が大気を震わせ、砂埃がもうもうと立ちこめる。
自分が立てた土煙によって敵の姿を見失った鬼が、ようやく自分の攻撃が的を外したと悟った時、
雪乃は既に地にいなかった。
かがんだ姿勢になってもなおニメートルを超す高さにある鬼の目に、標的であるはずの人間が映る。
その姿は、見上げねば捉えられない位置にあった。
 鬼の腕を利用して高く跳んだ雪乃は、氣を込めた刀身を、鬼の眉間につい、とあてがった。
魔を斬るに力はいらん、ただ心を清め、己が刃を以って討て──
何度も祖父に言われたことを思いだし、腕の力を抜き、破魔を念じて刃を下ろす。
そう言われても、これまでそれを用いる機会はなく、また彼女の気性もあって、
雪乃はほとんど祖父の教えを意識したことはなかった。
それが何故今、急に思い出されたのかは判らない。
しかし、初めて腕力に頼らず、
妹と違って本当に持っているのかどうかも怪しい破魔の『力』のみで揮った薙刀は、
飴のように鬼の身体を切断していた。
 再び鬼の腕に降りた雪乃は、恐ろしいまでの自分の『力』に震える暇もなく跳び退すさる。
回避ではなく、次なる攻撃の為に距離を取ったのだ。
 すると鬼の、たった今自分が刻んだ傷口に一本の矢が突き立った。
線の破魔の『力』を以って開いた穢れに、点の破魔の『力』を以って清めの孔を穿うがつ。
自分の半身とも言える妹が、そら恐ろしいまでの正確さで貫いた急所に向かって、
『力』をたわめた雪乃はもう一度跳躍した。
染みのように浮き上がっている白い矢羽根を中心点として捉え、
斜めに斬撃を与えると、両足さえ地面に置かず三度目の跳躍をし、逆方向から斜めに氣を振り下ろす。
閃光が鬼の躯に溶け、きずが大きく十字に刻印された。
雛乃が穿った破魔の孔によって、その疵は深く鬼の中心にまで達する。
「が……ごぉおぉぉぇああッ」
 断末魔の叫びを上げる鬼の躯が、闇に透けていく。
遂にそれは闇に呑みこまれ、完全に消え去った。
「雛……ありがとな」
「そんな……わたくしは何もしておりません」
 鼻をこすりながら雪乃が礼を言うと、
雛乃は姉に較べてほんの少しだけ丸みを帯びた頬を桃色に染めた。
「へへ……よし、他のヤツを助けに行こうぜ」
「はい、姉様」
 二人は同時に頷き、まだ数多あまた感じる魔の気配をはらう為に武器を構えた。

「てめェとこうやって喧嘩すんのは久しぶりだな」
 醍醐と肩を並べた京一が、負の咆哮で威嚇する鬼を睨みつけて言う。
「そうだな……一年の時以来か」
 隣で氣を練り、指を鳴らす醍醐は、どこか楽しそうに答えた。
それに気付いた京一は、呼吸を乱さないよう口の端だけを軽く曲げる。
「お前……気付いてるか? 声が笑ってんぞ」
「そうかもしれん……強い奴とる時は、どうしてもな」
「けッ、ったくよ。けどよ……負けんじゃねェぞ」
「当たり前だ、俺はもう一度総番に返り咲きを狙っているからな。こんな所で負けていられん」
 こんな状況で冗談を言う醍醐に、京一は初めて面白そうに視線を向けた。
「……お前、変わったな」
「そうか? ……なら、緋勇あいつのせいかも知れんな」
 京一は満腔まんこうの意を込めて頷き、襲いかかる鬼の初手を躱した。
巨体からは想像もつかない疾さで繰り出される拳を軽々と避け、返す刀で撃ちこむ。
一瞬も停滞することのない動きは流水の如く、
静から動へと移ろう様は懸河けんがの如く。
「きっと、そうだろうな……俺もあいつといると、楽しくてしょうがねぇ」
 対照的に醍醐は鬼の攻撃を真っ向から受け止め、荒ぶる肉体を以って弾き返す。
強引に作り出した隙に、鍛え上げられた豪腕に氣を乗せて鬼に叩きこんだ。
襲いかかる虎の如き猛撃を、呼吸の続く限り続ける。
 氣は個人の才能に拠る部分が大きいが、その中には肺活量も含まれている。
呼吸によって生み出すのが氣なれば、その元となる量が多ければ氣も強くなるのがことわりだ。
醍醐はその恵まれた体格と、宿星によって宿る白虎によって、量だけなら龍麻をも凌駕する。
練る、という技術においては劣るが、威力では決して龍麻に引けを取らないのだ。
「があッ……!!」
 乳白の氣を受け、醍醐の体躯をも倍する鬼の巨体が揺らぐ。
そこに阿吽あうんの呼吸で京一の揮った木刀が、白い軌跡を重ねた。
吸い込まれるように消えた氣の刃は、斬れ味鋭く鬼の身体を断った。
紙を裂くように分かたれていく化け物の、胴体の方に醍醐がとどめとばかり体当たりを浴びせる。
「ぉぉぉぉ……っっっ」
 無念を遂げること叶わず、再び常世とこよに還った鬼が、姿を薄れさせていく。
「よっしゃッ!」
 斃したことを確かめた京一と醍醐は、軽く腕を打ち合わせると、彼らの友の援護に向かった。

 音のない銃声が響き渡る。
氣の弾丸を撃ち出すことの出来る霊銃を持つアランは、巨大な翼を持つ鬼と相対していた。
巨体をものともとせず宙を跳びまわる鬼にも、氣の弾丸は狙いを外さず命中していたが、
鬼の表皮は甲殻類のように硬く、更に陰氣によって威力が著しく減殺されてしまっていた。
命中した弾丸をものともせず、猛禽のような体当たりをしてきた鬼を横転して躱す。
思うような効果を与えられず、
アランは陽気なラテン系の青年というのが仮面であるかのように苛立ちを剥き出しにしている。
すると彼の、グレーと黒の中間に位置する瞳に、くすんだ金髪が映りこんだ。
どう見ても十歳前後にしか見えない少女は、確かマリィと呼ばれていたはずだ。
龍麻達が何故こんな危険な場所に彼女を連れてきたのか、
アランは問い質したく思ったが、今はそれどころではなく、短く彼女に言うのが精一杯だった。
Step backさがっているんだ,lady.」
Don't get in my wayじゃましないで.」
 少女は下がるどころか、足を肩幅よりも少し広めに開いて、その場から一歩も動こうとしない。
鬼は両腕を開いて威嚇し、地上にいるアランとマリィ、二人を纏めて屠るべく舞い上がる。
鬼の攻撃を予想したアランは、彼女を抱いて避難するか迷った。
すると、彼の、鬼に向けていた方の半面がオレンジ色に彩られる。
腕を振り上げていた化け物は体勢を崩されて怯み、わずかに後退した。
 少女の『力』を知ったアランであるが、危険であることに変わりはない。
もう一度下がるよう促そうとすると、少女は再び意識を束ね始めていた。
『力』を用いる時に集中を乱されると、疲労が何倍にも増す。
これは例えば、わき目も振らず勉強していたのを中断してしまうと、
もう一度集中しようと思っても中々出来ないのに近い。
同じ『力』持つ者としてそれを熟知しているアランは、
全く言うことを聞かない少女に軽く腹を立てながらも、鬼に対して霊銃を構えた。
 狙点を定め、弾を意識する。
氣の弾丸と言えども発射してしまえば通常の弾丸と同じであり、直線にしか飛ばない。
違うのは空気の影響を受けない為、弾の速度は術者の氣の込め方のみで決まるのだ。
今、アランは少女を護ることを一義に置いていた為、それほど氣は込めずに銃を撃ち放した。
 それよりもわずか、時間にして一秒にも満たない前に、
マリィは巨大な鬼の一点を凝視し、そこが『燃えている』イメージを形作る。
 大きさ、色、火勢──自分が思った通りに火を点けることが出来ると知ったのは、
ジルに拾われて以後だった。
それより以前、いたはずの両親の記憶はマリィにはない。
彼女が思い出せるのは、まなこ一杯に広がる赤く大きな焔、それだけだった。
 ジルに拾われてから幾度もさせられた、焔を生み出す訓練。
自分が考えることで物が燃え、燃えた物は元には戻らないと知ったのはその時からだ。
それが良いことか悪いことかさえ、マリィには解らなかった。
ただ、やらなければ食べ物を貰えず、鞭打たれる──
その恐怖と生存本能だけで『力』を使い続けていたのだ。
 今、マリィは焔を念じる。
ジルに命令されてではなく、アオイを、姉で、友達で、家族のアオイを助ける為に。
 マリィの念じた焔が、鬼の身体に着火する。
鬼の纏う氣によって完全にイメージした通りにはならなかったが、
三十センチ四方の焔が化け物の腕の付け根を燃やし始めた。
そこに、アランの撃った弾丸が命中し、紅蓮の焔の中心にドーナツ状の穴が開く。
一瞬、中心から広がった穴によって消えてしまうかと思われた焔は、
たちまち業火と化して鬼を燃やした。
「うごォッッ!」
 激烈な火勢は、アランとマリィ自身をも驚かせるものだった。
小さな面だった焔が、今や数倍の面積となって焚きつけられている。
「……!!」
期せずしてお互いの『力』がこれ以上ないほど相性の良いことに気づいた二人は、
初めて視線を交わし、別の場所を狙った。
I never pardon if you go wrongしっぱいしたらゆるさないわよ.」
「OK.Don’t be too hard on meそんなにおっかなくいわないでくだサーイ,lady.」
 叩きつけるように言うマリィにおどけて答えつつ、
アランは膝を落とし、狙点を定めたまま氣の弾丸を練り上げる。
 怒り猛った鬼が、固まって動かない二人に向かって突進してきた。
Go alongいけえッ!!」
 化け物全体が燃えるイメージを作り上げたマリィは、一気にそれを解放する。
マリィ自身もこれまで使ったことのないくらい大きな『力』は、わずかな間を置いて彼女に応えた。
二メートルを優に超える鬼の身体が、一瞬で焔に包まれる。
そしてその焔は、一呼吸の間を置いて爆発的に勢いを増した。
 焔は、神火しんかと化す。
鬼が宿す陰氣ごと浄化する神火は、普通の焔ではあり得ない疾さで鬼の身体を焼き払った。
「がッ……ごおぉおォッ!!」
 翼を、そして身体全体を燃やされた鬼は、火だるまになって落下する。
陰氣によって形を成した鬼は、肉がくすぶる厭な臭いも、燃えさかる音も立てず、
ただ静かに、浄火の中で燃え続けた。
 やがて焔が収まった時、巨大な躯はどこにもない。
敵を屠ったアランとマリィは、揃って安堵の息を吐き出す。
 異なる音程の吐息を聞いた二人はお互いの顔を見たが、
アランが人好きのする──と自分では信じている──笑顔を浮かべると、
マリィは怯えたように走っていってしまった。
「……」
 アランは一つ首を振ると、まだ闘っている仲間達を助ける為に走り出した。

 鬼の身体に、何本もの苦無と、それに倍する数の矢が突き立っている。
的確に急所のみを狙って放つ如月と、
大きな的に向かってとにかく矢を射放す小蒔がこの鬼と対峙していたが、
二人とも鬼に有効打を与えられていなかった。
如月の受け継ぐ飛水の技による水の術は水がないこの場所では使えず、
忍びの技では硬い皮膚を貫くことが出来なかったのだ。
小蒔も同様であり、生きている敵には有効である矢も、
痛みを感じない鬼の動きを止めることは出来ず、無駄に矢を消耗しているだけだ。
「如月クン、なんかすっごい忍術とかないの?」
 明らかに間違った期待をしている小蒔に、如月は冷たく答えた。
「ない」
「え〜、がま蛙呼び出すとか、分身の術とかさ」
 彼女の忍びに対する認識を改めたいという誘惑に如月は駆られた。
もちろんその間にも鬼の攻撃を躱し、苦無で攻撃している。
しかしこのままでは埒が開かないのも確かで、如月は素早く思案をまとめ、彼女に伝えた。
「桜井さん。今から鬼の動きを止める。目を狙えるかい」
「え? うーん、出来ると思うけど」
「よし、それじゃ頼んだ」
 小蒔の返事を待たず、如月は飛ぶ。
空中で鬼の腕を避け、慎重に狙点を定めて苦無を投じた。
「って、ドコ狙ってるのさ」
 小蒔が思わず叫んだほど、投じられた武器は大きく鬼の身体から離れた地面に刺さった。
「今だ!」
しかし、如月が当然のように叫んだ為、小蒔は反射的に矢を番え、鬼の目に向けて射る。
巨体の割に俊敏な鬼には、簡単に避けられてしまうと思われた矢は、
嘘のように簡単に目に刺さっていた。
「……え?」
「もう片方もだッ!」
 怒鳴られながら射た二本目の矢も、吸い込まれるように命中する。
訳が解らず小蒔が標的を見ていると、完全に動きの止まった鬼の上に、如月の影が見えた。
頭の上に乗った如月は、腰に括りつけた刀を抜き放ち、脳天にある角の裏側に刃を突き立てる。
根元まで刀を埋め込んだ如月は、鬼の頭から離れ、宙で小蒔に最後の指示を出した。
「眉間を狙うんだっ!」
 今度の反応は素早かった。
如月の語尾が消え去らないうちに、一本目の矢が正確に額の中央に突き立ち、
わずかな間を置いて二本目がその数センチ下に刺さる。
そして矢からは氣の焔が噴き出し、鬼の顔を燃やし始めた。
これまでの苦労が何だったのかというほどあっけなく鬼を斃した小蒔は、
そのきっかけとなった如月の技について尋ねる。
「ね、ね、何したのさっき?」
「影縫い……相手の動きを止める忍術さ」
「あ、それ聞いたコトあるよ! すっごーい、ボク本物の忍術見たんだ!」
 苦戦もどこへやら、感激に興奮する小蒔に苦笑した如月は、次の標的を定め、高く跳躍した。

 九角の斬撃を躱し、懐に飛びこむ。
学生服を斬り裂かれ、長めの頭髪を何本か犠牲にして得た機会を、龍麻は逃さなかった。
斜めに振り下ろされた九角の刀が戻るより疾く、手刀を撃ちこむ。
狙い違わず手首に叩きつけた手刀は、九角の手から業物を弾き落とした。
「ちッ──」
 九角が舌打ちする刹那に、龍麻は更に半歩踏み込んでいた。
身体を庇う九角の腕をくぐり抜け、腹に重い一撃を放つ。
さっき九角の手首に撃った一打で氣を放ってしまった為に、拳のみの力で九角を殴りぬいた。
九角は大きくよろめいたが、すぐに反撃してくる。
「──ッ!!」
 胃が悲鳴をあげる。
身体を抉られるかというほどの九角の剛拳に、龍麻は全身の力で耐えねばならなかった。
拳を固める余裕などなく、倒れないようにするのがやっとだ。
そこに九角が強烈な右フックを見舞う。
身体を沈めてそれを躱そうとした龍麻だったが、膝が言うことを聞かなかった。
頬に熱いものを感じ、目の前が暗転する。
龍麻は自分の頭が参道の石畳に激突する鈍い音を、どこか遠くに聞いた。
「龍麻ッ!」
 友人の声が遥か遠くから聞こえる。
だが、それは倒れた龍麻を助ける力にはならなかった。
 意識が遠のき、心地良い睡魔が瞼を重くする。
それを押しのける力さえなく、完全に閉じられようとした龍麻の瞳に、本堂が映った。
そして龍麻は、その中にいる、見えるはずのない葵の姿をしかと見た。
「あお……い……ッ」
 無意識の呟きが、途切れかけていた意識を呼び戻す。
殺気を感じ、とっさに身体を横転させると、腹のあった場所を九角の蹴りが通りすぎた。
それを見届ける暇さえなく、両手をついて身体を跳ね起こす。
優位を疑わない九角が矢継ぎ早に拳を繰り出したが、
そのいずれもを躱し、あるいは受け止め、龍麻は氣を練った。
 止めをさせないことに苛立ったのか、九角の攻撃に小さな隙が生まれる。
常人では見抜くことさえ難しい、動作の間にある一瞬の停滞に、
龍麻は己の右腕に全ての氣を乗せて叩きこんだ。
 氣が、心臓を撃ち抜く。
龍麻に劣らない膨大な陰氣によって防御してもなお、
その威力は九角の身体を大きく吹き飛ばすほどのものだった。



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