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鬼の身体に、何本もの苦無と、それに倍する数の矢が突き立っている。
的確に急所のみを狙って放つ如月と、
大きな的に向かってとにかく矢を射放す小蒔がこの鬼と対峙していたが、
二人とも鬼に有効打を与えられていなかった。
如月の受け継ぐ飛水の技による水の術は水がないこの場所では使えず、
忍びの技では硬い皮膚を貫くことが出来なかったのだ。
小蒔も同様であり、生きている敵には有効である矢も、
痛みを感じない鬼の動きを止めることは出来ず、無駄に矢を消耗しているだけだ。
「如月クン、なんかすっごい忍術とかないの?」
明らかに間違った期待をしている小蒔に、如月は冷たく答えた。
「ない」
「え〜、がま蛙呼び出すとか、分身の術とかさ」
彼女の忍びに対する認識を改めたいという誘惑に如月は駆られた。
もちろんその間にも鬼の攻撃を躱し、苦無で攻撃している。
しかしこのままでは埒が開かないのも確かで、如月は素早く思案をまとめ、彼女に伝えた。
「桜井さん。今から鬼の動きを止める。目を狙えるかい」
「え? うーん、できると思うけど」
「よし、それじゃ頼んだ」
小蒔の返事を待たず、如月は飛ぶ。
空中で鬼の腕を避け、慎重に狙点を定めて苦無を投じた。
「って、ドコ狙ってるのさ」
小蒔が思わず叫んだほど、投じられた武器は大きく鬼の身体から離れた地面に刺さった。
「今だ!」
しかし、如月が当然のように叫んだ為、小蒔は反射的に矢を番え、鬼の目に向けて射る。
巨体の割に俊敏な鬼には簡単に避けられてしまうと思われた矢は、
嘘のように簡単に目に刺さっていた。
「……え?」
「もう片方もだッ!」
怒鳴られながら射た二本目の矢も、吸い込まれるように命中する。
訳が解らず小蒔が標的を見ていると、完全に動きの止まった鬼の上に、如月の影が見えた。
頭の上に乗った如月は、腰に括りつけた刀を抜き放ち、脳天にある角の裏側に刃を突き立てる。
根元まで刀を埋め込んだ如月は、鬼の頭から離れ、宙で小蒔に最後の指示を出した。
「眉間を狙うんだっ!」
今度の反応は素早かった。
如月の語尾が消え去らないうちに、一本目の矢が正確に額の中央に突き立ち、
わずかな間を置いて二本目がその数センチ下に刺さる。
そして矢からは氣の焔が噴き出し、鬼の顔を燃やし始めた。
これまでの苦労が何だったのかというほどあっけなく鬼を斃した小蒔は、
そのきっかけとなった如月の技について尋ねる。
「ね、ね、何したのさっき?」
「影縫い……相手の動きを止める忍術さ」
「あ、それ聞いたコトあるよ! すっごーい、ボク本物の忍術見たんだ!」
苦戦もどこへやら、感激に興奮する小蒔に苦笑した如月は、次の標的を定め、高く跳躍した。
九角の斬撃を躱し、懐に飛びこむ。
学生服を斬り裂かれ、長めの頭髪を何本か犠牲にして得た機会を、龍麻は逃さなかった。
斜めに振り下ろされた九角の刀が戻るより疾く、手刀を撃ちこむ。
狙い違わず手首に叩きつけた手刀は、九角の手から業物を弾き落とした。
「ちッ──」
九角が舌打ちする刹那に、龍麻は更に半歩踏み込んでいた。
身体を庇う九角の腕をくぐり抜け、腹に重い一撃を放つ。
さっき九角の手首に撃った一打で氣を放ってしまった為に、拳のみの力で九角を殴りぬいた。
九角は大きくよろめいたが、すぐに反撃してくる。
「──ッ!!」
胃が悲鳴をあげる。
身体を抉られるかというほどの九角の剛拳に、龍麻は全身の力で耐えねばならなかった。
拳を固める余裕などなく、倒れないようにするのがやっとだ。
そこに九角が強烈な右フックを見舞う。
身体を沈めてそれを躱そうとした龍麻だったが、膝が言うことを聞かなかった。
頬に熱いものを感じ、目の前が暗転する。
龍麻は自分の頭が参道の石畳に激突する鈍い音を、どこか遠くに聞いた。
「龍麻ッ!」
友人の声が遥か遠くから聞こえる。
だが、それは倒れた龍麻を助ける力にはならなかった。
意識が遠のき、心地良い睡魔が瞼を重くする。
誘惑に負けそうになる寸前殺気を感じた龍麻がとっさに身体を横転させると、腹のあった場所を九角の蹴りが通りすぎた。
それを見届ける暇さえなく、両手をついて身体を跳ね起こす。
優位を疑わない九角が矢継ぎ早に拳を繰り出したが、
そのいずれもを躱し、あるいは受け止め、龍麻は氣を練った。
止めをさせないことに苛立ったのか、九角の攻撃に小さな隙が生まれる。
常人では見抜くことさえ難しい、動作の間にある一瞬の停滞に、
龍麻は己の右腕に全ての氣を乗せて叩きこんだ。
氣が、心臓を撃ち抜く。
龍麻に劣らない膨大な陰氣によって防御してもなお、
その威力は九角の身体を大きく吹き飛ばすほどのものだった。
「やった……のか……」
息を呑んで二人の攻防を見守っていた醍醐が、動かない九角を見てようやくそれだけを言う。
九角に対する好悪の念とは別に、圧倒的な闘いに、文字通り呼吸を忘れていたのだ。
「緋勇っ」
肩で息をしている龍麻の名を呼ぶと、倒れた九角を睨みつけていた龍麻が背中越しに小さく手を上げた。
振り向く余裕もないほど消耗しているのだと醍醐が判ったのは、足を引きずりつつ本堂に向かう姿を見たからだ。
龍麻を助けるか迷った醍醐だが、まだ戦っている他の仲間を助けるため一旦踵を返した。
本堂に入った龍麻を出迎えたのは、鬼道衆ではなかった。
「緋勇……君……」
陽の届かぬ場所から、仲間達の死闘を一糸まとわぬ姿で凝視していた葵が、
顔を腫らし、倒れる寸前の龍麻を見て駆け寄る。
「九角に何かされたのか」
「い、いいえ、服を斬られただけ」
裸身を晒していることに気づいた葵が慌てて身体を両手で隠すと、
龍麻が自分の上着を脱いで着せた。
そこに全ての敵を倒した小蒔達がやってくる。
「葵ッ、大丈夫ッ……てうわッ」
男子制服の上着だけを羽織う葵の姿を見た小蒔は、慌てて彼女に続く仲間達を押し留め、
後ろ手で本堂の扉を閉じた。
完全には閉じずに残した隙間から、改めて親友の無事を確かめる。
「葵……怪我はない?」
気遣わしげな小蒔にも、弱々しい微笑で応えただけの葵は、視線を落とすと消えそうな声で言った。
「お願い、緋勇君……それに皆も。私のことはもう……放っておいて」
葵の言葉が聞こえた者で、理解できた者は一人もいなかった。
小蒔などは九角に何か良からぬ法を施されたのではないかと疑ったほどだ。
「葵……どうしちゃったのさ。九角に何かされたの!?」
「私のせいで、たくさんの人が死んでいく……私のこの、呪われた『力』のせいで……」
葵は恐慌に陥っているのか、頑なに拒む。
「私も……きっと今に、この『力』で皆を傷つけてしまう。
だからもう、皆とは一緒に行けない。私のことは……忘れて」
「葵……」
知り合って三年、初めてこれほど感情を露にする葵を見た小蒔は、
どうしたら良いか解らず立ちすくんでいた。
他の仲間達も葵の異様な興奮状態に圧されて、
わずかに開いているだけの扉を葵が閉めようとしても、声すら出せなかった。
ただ一人を除いては。
葵と小蒔の会話に口を挟まなかった龍麻が、閉じつつある扉を止めて逆に開け放つ。
不意を突かれた葵はよろめき、彼に抱きとめられた。
「離して……ッ!」
もがく葵に放たれたのは、音高い平手打ちだった。
頬を押さえて呆然とする葵に、龍麻は低い声で諭す。
「俺はこの『力』で不幸になる人間がこれ以上出ないようにするために戦っている。
そこには当然お前も含まれている……お前は『力』を悪用する気はないんだろう?」
「……でも」
反抗期の子供のように、意味のない反発を続けようとする葵に、龍麻はゆっくりと続けた。
「戦いは避けられないとしても、俺達はこれまで誰もやられていない。
それがお前の『力』のおかげなのは皆解ってる」
「そッ、そうだよ、葵は『力』を悪用なんかしてないし、皆を治してくれたじゃないッ!」
平手打ちをした男とされた女の双方に目を丸くしていた小蒔が、龍麻の説得に慌てて同意した。
「お前に敵が群がっても、俺達が全部蹴散らす。そのうちこんな『力』も消えるだろう。それじゃ駄目か?」
その危険を避けるためにこそ皆と離れる、という理屈を正面から砕かれた葵に、
もはや考えを押し通す気力はなかった。
「わた……し……」
「帰ろう、真神に」
龍麻の声が閉ざしていたはずの心に沁みる。
彼に対する嫌悪も一時忘れ、葵は彼に縋りついた。
「ううっ……あああッ……!」
あふれる膨大な想いは、泣くことによってしか表現することができなかった。
全ての想いを流し尽くした葵は、龍麻の胸から離れる。
新たに生まれてくる想いに、陰はなかった。
ただ仲間達を愛しむ想い。
そっと目許を拭って堂の奥から彼らの所に戻ると、仲間達は笑顔で迎えてくれた。
「オ姉チャンッ!」
涙声のマリィが飛びついてくる。
それを受け止めてやると、同じく目を赤く腫らしながら笑う小蒔に軽く肩を小突かれた。
「……心配したんだからッ」
京一も、醍醐も、他の仲間達も笑っている。
まだ目許に涙を溜めたまま葵が微笑むと、後ろから龍麻がやって来た。
「帰ろう」
だが頷く前に、葵は確かめておかねばならないことがあった。
「九角は……」
「斃した」
龍麻の言葉は短く、聞き間違いようのないものであり、葵は小さく息を呑んだ。
それを誤解したのか、京一が陽気に言ってみせる。
「これで俺達の闘いも終わったってコトさ」
しかし、彼の声に被さるように堂の外から悪しき響きが聞こえてきた。
「まだ……これしきのことで、俺は斃れんぞ」
「九角……ッ」
「来いよ……俺達の闘いは殺るか殺られるかじゃねェと終わらねェ……そうだろ?」
葵は訴えかけるように龍麻を見たが、龍麻の表情は変わらなかった。
彼だけでない、京一も、醍醐も、小蒔も。
彼を斃さねば終わらないという覚悟が、全員の顔に浮かんでいた。
「凄ェ瘴気だな」
堂へと続く階段を最初に降りた京一が、毒素さえ感じさせるほどの氣に眉をしかめる。
続こうとする龍麻を押しのけて外に飛び出した葵は、九角に向かって叫んだ。
「もう止めて、こんな闘いはッ」
返事はなかった。
肌を灼かれるような陰氣の只中に立ち、両手を掲げ、
何物かに向かって呼びかける九角の声が葵の悲痛な叫びを粉々に砕いた。
「来い……この地に漂いし怨念たちよ。俺の中に巣くうおぞましき欲望よ、俺を食らい尽くせッ」
彼の身体に陰氣が凝縮していく。
長身を瞬く間に覆った陰氣は、なおも集まり続け、
九角が鬼道五人衆を変生させた時よりも昏い陰が彼のいた場所を侵食する。
「いと憎き、徳川の地よ。いと恨めしき、我が宿命よ。
我が悲願叶わぬなら、この現世を我に相応しき鬼共の這う地獄に変えるまで。
見るがいい、我が真の『力』を──ッ!!」
その姿は、まさしく鬼そのものだった。
赤黒い肌に鋭い牙、隆々と盛りあがった筋肉、三メートルに届こうかという体躯。
鬼道五人衆が変じたのとは全く違う畏怖を呼び覚まされ、京一達は誰一人として動けなかった。
それは初めて鬼を見る雪乃は無論、魑魅魍魎の類は幾度となく見ている如月でさえ例外でなく、
人の心の奥底にある原初的な恐怖が形となった鬼に、竦みあがっていた。
その中でただ一人、動いた人物がいる。
立ちこめる闇を、龍麻がまとった金色の輝きで払いながら、鬼と化した九角に突進した。
「はあああッ──」
大地を踏みつけた力を打撃に変換し、練った氣を拳に乗せて鬼の腹に撃ちこむ。
ありったけの氣を込めて放った一撃だったが、悪鬼と化した九角には致命傷とならなかった。
無防備になった一瞬、鬼の爪が、横薙ぎに龍麻を払う。
大木ほどもある、筋肉がいびつに盛り上がる腕から繰り出された攻撃は、
龍麻の身体をぼろ屑のように吹き飛ばした。
防御の体勢すら取れずにそれを受けた龍麻は、為す術なく木に叩きつけられる。
したたかに頭と背中を打ち、そのまま根元に倒れ伏した。
「緋勇!」
何かの冗談のように軽々と吹き飛ばされた龍麻が、醍醐の瞳に映る。
「ヒユー!」
友人がやられるのを、アランは助けられなかった。
「緋勇君!」
邪妖の氣に折伏された黄龍を、如月は見る。
「タツマッ!」
マリィがアオイとパパとママの次に好きなお兄ちゃんが、痛がってる。
鬼に倒された龍麻に、四人は震えた。
怒りに。
彼を護りたいという、宿星に。
「うおおお……ッ」
如月と醍醐は、聖獣の『力』が、魂の奥底からひとりでに噴き上がってくるのを感じた。
そしてそれは、近くに感じる別の氣と共に昇華していく。
「What……?」
「身体ガ……熱イ……」
アランとマリィは、初めて感じる己の中の凄まじい『力』に戸惑いを隠せなかった。
もし彼らが一人で覚醒してしまったなら醍醐と同じく暴走してしまったろうが、
彼らの氣は同じ四神の宿星を持つ醍醐と如月の氣によって制御され、
あふれ出す膨大な氣にも自我を失うことはなかった。
四方を守護する聖なる氣が、龍を護る為に覚醒する。
辺りに満ち満ちていた陰氣さえも取りこんだ四神の『力』が、鬼の身体を包み込んだ。
「ぐおおッッ!!」
四色の、淡い輝きが巨大な鬼を覆う。
陰氣を食らうことで鬼と化した九角は、相反する氣に身体を切り刻まれ、苦悶にのた打ち回った。
「う……」
気を失っていた龍麻が身体を起こす。
まだ朦朧とする中、鬼と化した九角を囲む仲間が目に映る。
四人の攻撃は大きなダメージを与えているが、倒すには至らないようだ。
龍麻は大きく息を吸い、九角と決着をつけるべく氣を練った。
「緋勇ッ」
「ダイジョウブデスカ、ヒユー?」
「緋勇君」
「タツマオ兄チャン、良カッタッ」
喜ぶ四人に応えた龍麻は、もう充分に練り上げた氣を更に高める。
質量共に圧倒的な氣が龍麻の身体から発せられ、四人が下がった。
彼らの瞳、否、身体全体を、黄金の光が照らし出した。
荘厳な輝きは、眩いにも関わらず目を開けていられる。
今や彼らだけでなく、等々力不動全体をも照らし出す曙光に、仲間達は等しく勝利を確信した。
感覚が、失せる。
九角を斃そうと氣を練った龍麻は、途中から自分が生み出す以上の氣が流れ込んでいることに気づいた。
制御しようとしてもどうにもならないほど多くの氣に、龍麻は抗うのを止める。
すると流れ込んでくるそれらの中に、仲間達の氣が微かに感じられた。
京一、醍醐、小蒔、如月、アラン、雪乃、雛乃、マリィ、そして、葵。
彼らの想いは膨大な氣の流れの中で自我さえ失いつつあった龍麻を繋ぎとめ、
それに導かれるように氣が収斂していく。
「──ッ!!」
基底と頭頂の前に手をかざし、
己が下に戻ってきた氣を両の掌に乗せ、全てを終わらせる為に鬼に向かって放った。
陰が、陽の中へと取りこまれていく。
陽に呑みこまれた鬼はそこから逃れようとしたが、陽は巨体を包み込んでなお大きさを増し、
遂に鬼の姿を己の中に消し去った。
全ての氣を放った龍麻は、立つだけの力も失くしてしまっていた。
膝が砕け、その場に座りこんでしまいそうになる。
すると、肩が力強く支えられた。
「……っと。見届けるまでは、倒れんじゃねェぞ」
京一の肩を借りてどうにかその場に立つ。
少し乱暴に感じる支え方は、気のせいではなかった。
「ッたく、やられるんならもうちっと早く言えよ」
言い返そうとした龍麻は、こちらを向いていない京一に、彼の真意を理解した気がした。
京一は、龍麻を救えず、その後も醍醐達に見せ場を奪われた自分に怒っているらしいのだ。
だから龍麻が倒れそうになった時、誰よりも早くそれを察知して支えてくれたのだ。
「今度からそうする」
龍麻が小さく笑って答えると、京一は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
龍麻と京一、そして醍醐や他の仲間達の見ている中で、光が消えていく。
「見事……だ……人の『力』、見せて貰ったぞ……」
それと共に色を取り戻していく景色の中心に、人に戻った九角の姿があった。
しかし完全に人の姿に戻った九角の身体からは、なお瘴気が散っている。
陰の氣を取りこむ外法を用いることで鬼と化した九角は、
もはや彼の部下であった鬼道衆の怨念と同じく、陰氣のみで己を成していたのだ。
陰氣が浄化された今、彼に助かる術はない。
だが片膝をつき、龍麻を見る九角の目には、奇妙な安らぎがあった。
「これで……ようやく俺も長き呪縛から解放される。
俺は……ただ欲しかっただけなのだ……我が一族の安息の地が」
遂に身体を支えることもできなくなり、九角は倒れる。
葵が近寄ろうとすると、それを制して九角は続けた。
「お前らも覚えておくがいい。人の世に復讐の念が絶えぬ限り争いが終わることはない。
人の世に陽が照らす限り、陰もまた消えることはないのだ。
努々……忘れるな……陽と陰の闘いに終わりはないことを……」
彼の最期の声は、ほとんど風に散って聞き取れなかったが、
龍麻達は聴覚によらずそれを聴いていた。
倒れた九角の身体が、薄くなっていく。
水岐や佐久間と同様、外法によって変生した身体は塵となって消えた。
「終わった……な……」
醍醐が呟く。
それは九角や佐久間、この闘いで斃れた者達全てに向けられた、鎮魂の呟きだった。
江戸から続く負の情念が引き起こした、現代の東京を恐怖に陥れた一連の事件は、こうして幕を下ろした。
解決の立役者となった少年達は、それを誇るでもなく、ただ元の平穏な生活に戻ることをのみ願う。
それこそが、彼らの『力』の源であった。
「さて……帰るとすっか」
明るい京一の声に皆頷き、それぞれの生活に帰る為に踵を返す。
たった今凄まじい闘いが行われた残滓など一片も残っていない境内に一人たたずんだ葵は、
九角が斃れた場所に向かって静かに手を合わせた。
「こんな格好で電車に乗せる訳にはいかないからな。美里は俺が送っていく」
等々力渓谷を出たところでそう告げた龍麻は、折良く通りかかったタクシーを止めると、
仲間達に挨拶もろくにしないまま去ってしまった。
「なんだあの野郎、良からぬコトでも企んでるんじゃねェだろうな」
祝勝会という名目で、ただでラーメンを食べるチャンスを逃した京一が憎まれ口を叩く。
「緋勇クンに限ってそんなコトはないと思うけど……」
小蒔の擁護も歯切れが悪いのは、龍麻の手並があまりに鮮やかだったからだ。
それに万事に気が回る彼が、葵と同居するマリィを置いていったのも、意図的ではないかと疑ってしまう。
「ノー、ヒユー……抜け駆けは良くない……」
とはいえそこまで心配もしておらず、悲しげに頭を振るアランの可笑しさに、
小蒔はこれ以上真剣に考えるのは止めた。
「くそッ、あの野郎……事の顛末は絶対に聞きだしてやる」
「あッ、ボクにも教えてね」
その時は緋勇クンにラーメンを奢らせるのも悪くない。
そう未来に思いを馳せる小蒔だった。
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