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 快楽地獄とも言うべき、半日を通じての煩悶から葵が解放されたのは、旅館に到着した、
初秋の京都はもう紫色に染まりつつある、逢魔が時と呼ばれる刻限だった。
「はーッ、やっと着いたね」
「まったくだ、歩きづめでヘトヘトだぜ」
 珍しく京一が小蒔に同調している。
醍醐は鍛えているからか、それほど疲れてはいないようだが、それ以外にも二人には疲れる理由があったようだ。
「京一はオネーチャン見つけるとすぐフラフラ追いかけて、ボク達の倍は歩いたからだろ」
「お前だって食いモン屋見かけたら手当たり次第に寄ってたじゃねェかッ」
「あれは……だってスポンサーがいるから、ついしょうがないだろッ」
 小蒔が責任を転嫁するかのように龍麻を見る。
龍麻は転校してからの慣例通り、仲間の食事に関してはほとんどの分を負担していた。
とはいえ、修学旅行中まではさすがに対象外のつもりだったのだが、
小蒔に巧妙に言いくるめられてなし崩し的に奢る羽目になってしまったのだ。
 そして、同じ恩恵に預かったはずの、京一が龍麻を見る視線は非好意的なものだった。
「けッ、お前がノらねェせいでニ対ニならッておねェちゃんを三組も逃したんだぞッ、ちったァ反省しやがれッ。
そんなオトコ女に愛想振りまいたって意味ねェッてのによ」
「なんだとォ」
 泣いたカラスが笑うより早く仲違いを始める二人に、龍麻達は苦笑いするしかない。
仲違いは深刻なものではないと解っているので、誰も仲裁する者はなく、
龍麻達は二人を置いて旅館へと入っていった。
「あッ、こらッ、待ちやがれッ! クソッ、なんて薄情なヤツらだ」
「もうッ、京一のせいだぞッ」
 取り残された京一と小蒔は、この期に及んでなお言い争いを続けながら龍麻達を追いかけるのだった。
 旅館に入るとまず、葵はクラスメートが全員揃っているか確認する。
クラス委員長としての役目だが、龍麻と小蒔が手伝ってくれたので問題なく終わった。
全員居ることをマリアに報告し終えると、女優としてでも充分にやっていけそうな美貌の教師は、
目に見えて安堵し、葵を苦笑させた。
教え子の苦笑に気づいたマリアは自分も同じ表情を作る。
言葉こそ交わさなかったが、等しく朝の騒動を思い浮かべているのは間違いなかった。
「大変だと思うけど、頑張ってね。ワタシも頼りにしているわ」
 敬愛する教師に励まされて、今日の労苦も忘れる葵だった。
 百人を優に超える生徒が、一部屋に集まっている。
それだけでも大騒ぎなのに、食事の時間ということで、部屋の中は養鶏場のような騒ぎだった。
教師達はとうに管理を諦め、隣の同僚と簡単な報告を交わしながら、食事が始まるのを待っている。
全員が着席し、怒号に近い「いただきます」が行われると、あとはアルコールのない宴会だった。
 その中でも何本か貧乏くじを引かされる人間がいて、食事そっちのけで皆のおかわりをよそわされている。
大体が炊飯器の側にうっかり座ってしまった者や、クラスのお調子者がする中、
葵の属する三年C組はそのどちらでもない龍麻が担当していた。
「おかわりッ!」
「悪ィ、俺もだ」
「エヘヘッ、緋勇くんあたしもッ!」
 矢継ぎ早にに差し出される茶碗を嫌な顔もせず受け取り、定食屋がスカウトに来そうな見事な盛りつけで返すので、
クラスは盛り上がり、それが他のクラスにも伝播して、意味不明の騒ぎになったほどだった。
それが一段落ついたのは炊飯器の飯があらかたなくなった頃で、
ようやく自分の食事を始める龍麻に、爪楊枝を咥えた京一が言った。
「けッ、お前もとんだお人好しだな」
「そんな大した事でもないだろう」
 京一は返事の代わりに爪楊枝を上下に振った。
そこに満足げにお茶を啜りながら小蒔が加わる。
「やー、でもさ、緋勇クンよそうの上手だよね。なんかご飯がつやつや光って美味しそうだもん」
「思いっきりお代わりしてたもんなお前。それも大盛りで」
 京一のイヤミは痛いところを突いたようで、小蒔が置いた湯呑みはやや乱暴な音がした。
「うッ……イイだろ別にッ。今日はいっぱい歩いたんだしッ。ね、醍醐クン」
 同じく大盛りをお代わりした醍醐に小蒔が応援を求めると、小蒔の倍近くはありそうな巨漢は悠然と頷いた。
「ああ、そうだな」
「けッ、いつも茶碗じゃなくて丼で食ってるような奴の同意なんざ意味ねェッてんだ」
 それは事実ではなく、悪意が篭っていたが、皆納得してしまったので、京一に誰も反論できなかった。
 食事が終わると次は入浴だ。
その前に少しだけ隙間の時間があり、律儀に部屋に戻って風呂の支度をする者や、
売店でおみやげを物色する者など、三々五々に動き回り、食堂から出るのも容易ではない。
しかもその流れは廊下からロビーに至るまで、こぼれた液体のように続いていて、大混雑していた。
 葵が龍麻に呼び止められたのは、その大混雑の渦中、食堂を出た直後だ。
しまった、と思ったときにはすでに遅く、小蒔ははぐれてしまっていて、
京一と醍醐もおらず、隙を突かれた形で連れだされてしまった。
 生徒達でごった返すロビーを過ぎ、旅館の奥へと龍麻は進む。
勝手知ったるかのように迷いなく歩く龍麻に、葵は口を挟む余裕もなかった。
 階を移動した薄暗がりで、龍麻が向き直る。
このいかにもという場所で抱いた葵の危惧は当たり、龍麻は大胆にも葵を抱き寄せてきた。
右腕で腰を、左手で手首を掴まれ、葵は息を呑む。
心臓が坂を駆け下りたかのように激しく鳴り始めた。
「ここは俺達の泊まる旧館と、一般客の泊まる新館を繋ぐ通路で、ほとんど人通りはないはずだ」
「でも、こんなところで……」
 人が来ないというのはただの願望でしかないのではないか。
そう言おうとしても、葵は口を動かせなかった。
朝からずっと愛撫された肉体は、芯に疼きが残っている感覚が収まらない。
もし龍麻が何もしなければ、どこかで自慰をしたかもしれないほどだった。
その疼きが手首を掴まれたことで増幅し、危険な逢瀬を拒めなくさせているのだ。
 葵の葛藤を見透かしたように、龍麻は右手を葵の顎に添え、ゆっくりと上向かせる。
彼の意のままに目を合わせた葵は、双つの暗黒を見た。
暗がりにあってなお視認できる、深い闇。
その暗黒を凝視する時、葵は心に彼女自身も知らなかった領域があることに気づかされるのだ。
龍麻の唇が重なったとき、それは龍麻が近づいたのか、それとも自分から求めたのか、葵には判らなかった。
「……」
 長い口づけが終わったとき、周りの闇が一層深まったように感じられた。
それは龍麻の瞳が周囲に溶け出したようでもあり、
誰にも見られたくないという葵の願望が生みだした錯覚に過ぎないのかもしれない。
 口づけを交わしている間に、龍麻は葵の足の間に自分の右足を挟ませ、
自由な右手をセーラー服の内側に侵入させて背中を撫でている。
その動きは不快なものではなく、そして、股間に押しつけられた右足が、
一日かけて燻らされた官能を焚きつけようとしていた。
「……」
 無音の吐息は、だがその熱で龍麻に気取られたようで、股間に押しつける足の圧力が増す。
「お前も興奮してるみたいだな」
 葵が反論するより早く、掴まれている手首が引かれ、上半身も彼に密着させられた。
どくん、と鳴った心臓が、否定の気持ちを薄れさせていく。
蛇のように巻きついた龍麻の右腕が、その音を聞いたかのように左の乳房に伸びた。
「ああ……」
 それが果実をもぐ盗賊の手だと判っていても、今の葵には払いのけられなかった。
 朝からずっと触られて、身体に刻みこまれていた官能は、熾火のごとくたやすく燃えあがる。
場所も時も状況も、なにもかもが正しくないというのに、葵の肉体は一秒ごとに熱を高めていた。
割って入られた足の間が、握られている手首が、下着の上から弄ばれている胸が、溶けだしそうなほどに熱い。
衝き動かされるままに彼の足に股間を擦りつけると、気道を灼くほどの呼気が唇を干した。
はしたないと思いつつ潤いを求めて舐めようとすると、龍麻の口に塞がれる。
「っ……ふ……」
 重ねられた唇の快さに力が抜け、葵は崩れ落ちかけた。
背後に壁がなければ倒れていただろう。
「そんなにイイのか?」
 煽られて頬が熱くなったが、恥ずかしさよりも欲望が勝った。
「意地悪を……言わないで……」
 口にした渇望が、自身を灼くのを感じる。
心の天秤に乗せられた邪悪な重りは、まだ小さなものでありながら、
時折葵も予想しない傾きをすることがあり、そんな時、葵は知らない自分に遭遇するのだ。
「もっとじっくりしたいが、あんまり時間もないからな」
 低く告げた龍麻が、パンストと下着を片足だけ脱がせる。
何をされるのか判っていながら、緩慢に立ち尽くす葵の、
暗がりにうっすらと浮かぶ生白い足を抱えると、猛り立つ己の肉槍を葵の腟内へと埋めた。
「んうっ……!」
 龍麻の熱に灼かれて葵の背中が大きく反り返る。
圧しだされるように発してしまった喘ぎに、慌てて手で口を押さえるが、
深く埋まった銛はその熱と脈動で葵を苛んだ。
「一日中焦らしたからな、たまらないだろう?」
 嘲るような囁きにも、頭を振って否定することさえできない。
龍麻の言うとおり、何度も昂らされたまま放置されていたとはいえ、全く律することができない自分が悔しかった。
 龍麻がゆっくりと腰を引き、打ちつける。
強くも激しくもない、単に始まりを告げる抽送に、葵は身震いしてしまった。
龍麻のものに生気を吸い取られたかのようにぐったりと彼にもたれかかる。
誰かに見られれば破滅だというのに、それが些末なこととしか思えないほど、
身体に満ちる肉の悦びに酔いしれた。
 龍麻が再度腰を引く。
内壁をこそがれて欠落感さえ覚えた葵の心は、押し挿ってきた屹立に圧され、かき混ぜられた。
「ううっ……」
 抑えようのない吐息が漏れる。
腹に収まった熱と硬さは、残っていた多少の嫌悪など吹き飛ばしてしまうものだった。
片足なので龍麻にしがみつかなければならないという状況に不本意さを感じていたはずが、
積極的にそうしたいと思っている。
かろうじて踏みとどまりはしたが、その分、龍麻に好き勝手されてしまい、それを嫌だとも思わなくなっていた。
前に回った龍麻の手がブラジャーをずらし上げ、直に乳房を掴む。
大きく熱い掌が貼りつき、美しい半球を乱暴に潰し、揉みしだいた。
「ひ、緋勇……くん……」
 痛みこそないが、荒々しい動きが葵を翻弄する。
足下がおぼつかなくなって自由な左手を龍麻の背中に回し、彼の肩に頭を乗せて身体を支えた。
「はッ、あッ、待って……んっ……!」
 息が続かず掠れた声で懇願するが、胎の深くに怒張を突きこまれると自分のものとも思えない、
警報器のような甲高い喘ぎが漏れてしまい、誰かを呼び寄せないかと慌てて口を押さえる始末だった。
「もう少し愉しみたかったが、このまま続けてるとヤバそうだな」
 赤面する葵から、龍麻は己を引き抜いてしまう。
まさかここで中断するのかという葵の危惧を表情で読み取ったのか、龍麻は喉の奥で小さく笑った。
「後ろを向いて壁に手をつけよ」
 もはや葵に否やはない。
言われたとおりに向きを変えると、すぐに淫茎が肉を押し分けて挿ってきた。
「ああっ……」
 新たな刺激にたまらず嬌声を吐くと、龍麻にたしなめられた。
「いくら人気がないからって、もう少し抑えろよ」
 嘲るのではなく、本気で心配しているらしい声色に、葵の頬は灼熱する。
とはいえ肉の疼きはもう限界近くに迫っており、龍麻に数度背後から突かれると、
喘いでしまうのを堪えることができなかった。
「しょうがねえな」
 閉じようとした口から、いななきとも咳ともつかない、耳をふさぎたくなる滑稽な声を葵が漏らすと、
背後から苦笑が聞こえ、口が塞がれる。
さらに口の中に指が押しこまれ、葵は面くらった。
「噛んでいいぜ」
 噛めと言われて容易に噛めるものではなく、かといって噛まないように口を開けていると涎がたれてしまう。
何より他人の指を咥えるなど初めてで、激しい羞恥に葵は襲われていた。
それは龍麻の指が口の中を無遠慮にまさぐることでいや増し、
左手首を後ろ手に掴まれたまま背後から犯されることでさらに増していた。
「うっ……う、ふ……ぅ……」
 閉じられない口から獣じみた喘ぎが垂れる。
無様な、耳を塞ぎたくなる自分の声に、思わず龍麻の指を強く噛んでしまう。
従うと決断したのは自分とはいえ、凌辱と変わらないこんな行為に。
高校生活最後の思い出となるだろう修学旅行で、人目を忍び、闇に紛れてするこんな行為に。
「うぅ、うぅっ」
 興奮している。
自由を奪われ、声も奪われ、劣情の象徴に挿し貫かれて、葵は否定できないほど感じていた。
龍麻に対する好意などなく、ただ彼に手首を掴まれたというだけで、
淫らな欲望が血液さながらに体内を循環し、彼を受け容れてしまう。
「うぅ……う、ぐ……」
 くぐもった声が惨めに闇に零れる。
彼に圧迫されている手首の脈が、狂おしく鳴っている。
そして、後ろから突き挿されている秘部が、聞くに堪えない粘着質の音を奏でている。
それらは決して重ならないまま、けれども奇妙にひとつの旋律となって葵の鼓膜を嬲った。
「っふ……う……う……」
 上と下から。
 前と後から。
体内に挿れられた肉の棒に、葵は哭いた。
激しく腟奥を突かれ、優しく口腔を掻き回され、混乱と快楽の渦に呑まれていく。
「うぅっ……んっ、ふぐっ」
 突き上げられる息苦しさで闇雲に舌を動かし、暴れる指を噛んで押さえつける。
自分の身体がどうなっているのかも判らなくなり、知らぬ間に涙が零れていた。
その最中でも腹の中で繰り返される律動は止まず、次第にそれが葵の全てになっていく。
「んッ……!」
 抗いようのない波が押し寄せる。
身体の中心から起こったそれが、龍麻に掴まれている手首に到達した時、濁った悲鳴と共に葵は果てた。
「うぅッ……!!」
 頭が白み、その空白に快感が塗りこめられていく。
快感は身体の制御を奪い、葵はその場に崩折れかけた。
自分のものかも判らないくらいに脱力した身体を、龍麻が支える。
力強い男の腕を疎ましく思いながらも、どこかで安らぎめいたものも覚える葵だった。
 時間を置いて戻るという龍麻と別れ、旧館にひとり戻ってきた葵を、小蒔が呼び止めた。
「あッ、葵、どこ行ってたの?」
 悪意のない親友の質問に、葵はすぐに答えられなかった。
服装は整えたはずだが、おかしなところがないか気にしつつ、偽りの答えを用意する。
「え、ええ、少し具合が悪くなってしまったから休んでいたの」
「えッ、大丈夫?」
「ええ、今は良くなったわ。それより、何かあったの?」
「ううん、そろそろボク達のお風呂の時間だからさ、葵どこ行ったのかなって、そんだけ。
でも本当に大丈夫なの? 少し顔が赤いみたいだけど」
 観察眼の鋭い親友を、少し疎ましく思ってしまう自分に自己嫌悪しながら、葵は嘘を重ねた。
「暖かくしていたから、そのせいだと思うわ。
それより、お風呂の時間はそれほど長くないから、早く行きましょう」
「うんッ、そうだね」
 どうやら話題を逸らせたことに胸を撫でおろしながら、葵は小蒔と部屋に戻った。
 龍麻との行為で身体がまだ火照っている。
浸っていたくもある奇妙な気だるさを、早く洗い流したかった。
 温泉は女子生徒でごった返している。
ニクラスずつ入るように指示されていても四十人近くの人間が一度に入るのであり、
風情には欠けるが、露天風呂ということもあって、生徒達は異様なテンションとなっていた。
少し出遅れた葵と小蒔は、身体を洗う場所を確保するのに苦労したものの、
どうにか済ませると、二人揃って湯に浸かった。
「はーッ、いいお湯だねぇ」
 しみじみと小蒔が言う。
その雰囲気は頭に乗せたタオルと相まって、女子高生というより中年男性を思わせ、
つい葵が口元をほころばせると、当人が肩を並べてきた。
「春から色々あったけどさ、こうやってのんびりできるようになって良かったよね」
「そうね」
 葵が控えめに答えたのは、小蒔の感想に全面的には同意できなかったからだ。
それも、原因は葵にある――龍麻に従うという決断を下したからであり、
その点において葵はのんびりなど全くしていないからだった。
現に今しがたも逢瀬を済ませてきたばかり――逢瀬などという趣のあるものではないが、
とにかく、時と場所を選ばない彼の劣情に、葵の心は休まる時がない。
たが、今この時は、気のおけない親友との一時を過ごしてよいはずだ。
葵は気分を切り替えることにした。
「今日は楽しかったわね、色々見て回れて」
「うんッ、ホントに面白かったよね。自由時間に行きたいトコ全部回れたし、緋勇クンの段取りが良かったからかな」
「……そうね」
 間を置きつつも、葵は認めないわけにはいかなかった。
葵達の班が遅れることなく旅館に到着できたのは、
ともすれば観光客の女性や他校の女子生徒にかまけてはぐれそうになる京一を巧みに誘導してロスを回避し、
移動手段や進む方向など、効率良く皆を案内してくれた龍麻の功績が大だったのだ。
それなのに葵が全面的に彼を称賛できないのは、無論彼の別の一面のためだ。
少し隙を見せればすぐに欲望を剥きだしにする男を、どうして褒めることができようか。
 龍麻への称賛をためらうような葵の態度をどう解釈したのか、小蒔は身体を寄せて葵の耳元に囁いた。
「緋勇クンのコト、どう思ってるの?」
「えッ!? ど、どうって」
 あまりにも突然、かつ急所を貫く質問に、葵は普段ならまず使わない、
洋食に添えられたパセリのように意味のない応答をするしかなかった。
その反応を勘違いしたらしく、小蒔が意味ありげに笑う。
「おッ、その様子じゃまんざらでもないって感じ? 葵にもついに春が来るのかな?」
 来たのは春ではなく冬だ、と事情を知らないとはいえ能天気なことを言う親友に、
真実を教えてやりたい衝動に駆られた葵は、自制する代わりに涌いた感情の何分の一かを放出した。
「そんなことを言って、小蒔こそどうなの?」
「緋勇クン!? そうだね、悪い人じゃないよね。
もうちょっとだけ面白みがあったらいいかなって思うときもあるけど」
 どうやら龍麻への恋愛感情はないらしく、葵は安心すると同時に、少し牽制しておきたくなる。
「でも、怪我をさせられたじゃない」
「あれは、緋勇クンがかばってくれなかったらもっと大ケガしてたから。
ああ、そうだ、それもあるね。もうちょっと信頼してくれてもいいかな」
「信頼?」
「緋勇クンさ、ボク達皆にケガさせないつもりで戦ってると思うんだ。
そんなの覚悟の上で戦ってるのにね」
 覚悟と現実は違う。
風変わりな転校生と共に訪れた災厄は、後に思い出として語り合うような、
都合の良いものではなく、一歩、いや、半歩間違えれば死んでいてもおかしくない、
普通の高校生が経験する必要のない、経験するべきではないものだった。
仲間達は全員、大きな怪我をすることもなくここまで来られた。
だがそれは大いなる幸運が故であり、実力を誇るのは思い上がりだと葵は信じている。
たとえ親友の意見であっても、そこだけは同意できないのだ。
 一方で龍麻は皆を怪我させないつもりで戦っているというのは認めざるをえないが、
それも彼が転校してこなければ、そもそも巻きこまれなかったはずで、
迷惑にこそ思えど感謝する謂れはない、はずなのに。
 そんな龍麻に、葵は身を委ねている。
彼がどれほど強引だとしても、最終的に彼を受け容れたのは葵であるし、
彼との行為に快楽を得てしまっているのも確かだ。
そして彼との関係を親友に告げることができない自分が、褒めるにせよけなすにせよ、
これ以上彼の話を続けるのは良くないような気がして、葵は乱雑に立ちあがった。
大きな水しぶきの音に、クラスメートの幾人かが振り向く。
龍麻との行為の残滓を見透かされるような気がして、葵はタオルで前を隠した。
「そ、そろそろ上がりましょう。次のクラスの入る時間になってしまうわ」
「あ、うん、そうだね」
 性急さを不思議に思ったようで、小蒔の反応がやや遅れる。
彼女の方を見ないまま、葵は脱衣所へと歩いていった。



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