<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>

(3/5ページ)

「いい部員だな。空手と部を愛してる」
「誉めても何もでんぞ」
 紫暮は再び笑い、龍麻達に座るよう勧め、自分も座った。
「あんな技は初めて受けたが、あれはもしかして勁というやつか?」
「ああ、そうだ」
「そうか……身につけるには相当な修練を積むのだろう? 大したものだな」
 紫暮は興味津々といった風でつい今しがたまで本気で闘っていた男を眺めている。
彼の態度に京一は呆れ、隣の醍醐を肘で突いた。
「おい、お前がもうひとり居やがるぞ」
「む……そ、そうか?」
 氣についてしつこく質問する紫暮と、それに答える龍麻の会話に聞き入っていて
反応が遅れた醍醐の返事が、京一の嫌味を肯定していた。
 すでに龍麻達は紫暮が闇討ちをするような卑劣漢でないと確信している。
だが、実際に怪我人が出ている以上、どうしても言葉で確認する必要があった。
「紫暮……もう一度聞きたい。真神の人間を襲った奴に心当たりは?」
 醍醐の問いかけに、紫暮は背筋を伸ばして答えた。
「少なくとも、俺の知っている限りでは、ない」
「そうか。──紫暮、あんたは立派な武道家だな。
今更だが、礼を欠いたことを謝らせてもらうよ。すまなかった」
「そんなでかい図体で情けない顔をするな。実を言うとな、
醍醐って奴と一度手合わせしてみたかったのさ」
「……物好きな野郎だな」
 京一が呟くと、紫暮は豪快に笑う。
こちらが本来のこの男の表情なのだろう、いかにも武道家らしい、全てを許す笑い方だった。
 笑いを収めた紫暮が、改めて龍麻を眺める。
「しかしお前ほどの男を、今まで噂にも聞いたことがないのは不思議だな」
「あァ……緋勇は転校生なんだ」
 軽く答えた京一に、紫暮は思いのほか真剣な表情で訊ねた。
「転校生? 真神にもか?」
「にも? 他にもいるのか?」
「鎧扇寺ではないが、転校生の噂は良く耳にする」
「まぁ、東京にだって腐る程高校はあるんだ。転校生の二人や三人珍しくもねェだろ」
「ふむ……確かにそうだが、今年に限って多いというのもおかしな話だと思わんか」
「……」
 膝についた手に顎を乗せた京一は、眉をしかめて考え込んだが、やがて両手を上げて降参した。
紫暮も話したこと以上の情報を持っている訳ではなく、この時はこれで話が終わってしまった。
確かにたまたま、という可能性もあるし、もっと大事なことを訊ねなければならなかったからだ。
「さて……俺の方からも聞きたい事があるんだがな」
 そう切り出した紫暮の左手が、さりげなく腹を押さえている。
それに気づいた龍麻は、片手を上げて紫暮を制した。
「美里、『力』を使ってやってくれ」
「――はい」
 唐突に名を呼ばれて葵は驚いた。
人前で『力』を使うことも、もっと言うなら『力』自体使うのが嫌なのだが、この流れでは仕方がない。
紫暮の腹部に手を添え、癒やしの『力』を用いた。
それほどの間もなく治療を終えた葵は、すぐに小蒔の隣に戻る。
すると、紫暮が驚愕の表情で見ていた。
「今のも……緋勇と同じ『力』なのか?」
「あ、あの……」
 答えてしまって良いものかどうか、葵はこの事柄に関しての責任者的な立場にある男に目で訊ねた。
龍麻の答えは明快だった。
「多いかどうかはわからない……けど、ここにいる俺達は全員、
そして──その他にも何人かは知っている」
「そうか……」
「もちろん俺達だって最初から使えた訳じゃない。ある日を境に、急に使えるようになったんだ」
「なるほど……な」
 紫暮は腕を組み、眼を閉じて黙ってしまった。
常識外の出来事に接したのだから当然の反応ともいえるが、
もっと否定なり疑いなりしても良いようにも思われる。
龍麻達が抱いた違和感は、次の話題でさらに増幅された。
「紫暮、今回の事件についてはどの位知っている?」
 醍醐の質問に、紫暮は片方の眼を開けた。
「……真神の空手部員が、襲われて重傷──その位だ」
「そうか。その襲われた部員は──身体を石にされるという症状が出ている」
「石に……」
「信じられんのも無理はないが、事実だ」
 しかし、紫暮の顔に疑念や嘲笑は浮かんでいなかった。
再び両目を閉じ、眉間に深い皺を刻んで何事か考えこんでいる。
「犠牲者をこれ以上増やさない為にも、早く犯人を見つけないといかん。
そして犯人を止められるのは、多分同じ『力』を持つ俺達だけだろう。俺達には時間が無いんだ」
 話し終えた醍醐に、紫暮は重々しく応じた。
「大会前の部員が襲われれば、当然関係者が疑われる。
もし鎧扇寺の部員が襲われていれば、俺も真神を疑ったろうな」
 紫暮の言葉に、龍麻はひとつの可能性に思い至った。
「もしかしたら、犯人はそれを狙って……?」
「その可能性はある……というより恐らくそうだろうな。
俺とあんた達を闘わせ、潰しあうのを狙って一件を仕組んだ」
「ちょっと待てよ。そいつは話が飛躍しすぎじゃねぇか?」
「そうだよね。ボク達は初対面だし、それに、
空手部同士のことにボク達が首を突っこむことまで計算してたってコト?
ちょっと無理があるんじゃないかなぁ。ね、緋勇クン」
 京一と小蒔が口々に反論する。
 この時、議論に参加していない葵は、むしろ親友の意見に反対だった。
 龍麻が真神に来てから、揉め事が飛躍的に増えている。
京一にせよ小蒔にせよ、そういった事に首を突っこみたがる性分ではあるだろうが、
三年生になるまでは、京一はともかく小蒔は、勉強よりも部活動に青春を注ぐ、
ごく普通の活発な女の子だったはずなのだ。
それが、龍麻が転校してきたこの数ヶ月で、さまざまな非常識な事件に関わってきた。
新宿中央公園で日本刀を持った男に出くわした事件や、渋谷で鴉が大量発生した事件。
葵自身も危険な目にあった、夢の中から精神を支配しようとした、嵯峨野麗司の事件。
それらには異能の『力』が関わっており、そして、
同種の『力』を持つ龍麻が転校してきてから発生しているのだ。
龍麻もそれを認め、むしろ積極的にこれらの事件に関わろうとしている。
葵はなんとかして、せめて小蒔だけでも危険な事件に関わらないようにして欲しいのだ。
「だが、現に俺達はこうしてここにいる。紫暮の言う事も可能性がない訳じゃない」
「紫暮か俺達を知っているヤツの仕業ってことも考えられるって訳か」
「そうなると……あの夜、敵は、俺達に発見させようとしたのかも知れないな」
 龍麻達は口早に語り合ったが、どれも推測を出ない。
情報が不足しているのだ。
 それぞれの表情で腕を組んだ龍麻達に、紫暮からごくさりげなく爆弾が投げこまれた。
「……もう一つ、お前らの知らない事がある」
「なんだ」
 答えない紫暮に、短気な京一が声を荒げようとすると、紫暮の身体が薄青く光りはじめた。
それは、どこかで見たことのある光だった。
「おい、こりゃ……」
「──!!」
 淡い輝きは強さを増し、紫暮の身体を包み込む。
その光が完全に紫暮を隠し、やがて消えた時──もう一人の紫暮がそこにいた。
「なっ……」
 高校生にしては肝の座っている龍麻も、これには声が出ない。
京一達も同様で、突如現れた二人目の紫暮を、呆然と眺めていた。
涙が滲むほど擦っても、紫暮は二人のままだ。
ただし良く見れば、左側の紫暮の方がやや輪郭がぼやけているようだった。
 一様に驚いている龍麻達に、紫暮は自らの起こした現象について説明する。
二重存在ドッペルゲンガー……と言うそうだ。正確には違うらしいが、
なにしろこんな事が他の誰かに起こっているとも思えん」
「しかし……凄いな。これ全部『氣』なのか?」
「さぁ……な。俺にも良く解らん。
初めは寝ている時しか現れなかったんだが、今では好きな時に出せるようになりつつある。
そしてこれが出来るようになったのは……ほぼお前らと同じ頃だ」
 男達は鋭く視線を交わした。
 葵は親友を護りたいという一心と、龍麻に対する個人的な嫌悪による偏見から、
龍麻こそが事象の発生源であると確信したが、京一達も、
何より龍麻自身も同じ結論に至ろうとしていた。
「お前と居りゃあ、トコトン退屈しないで済みそうだな」
 そういう言い方で京一は、危険から遠ざかる気が全くないことを表明した。
醍醐も強く頷く。
 二重存在に特に最も興味を持ったのは小蒔で、身を乗り出して指でつついたりしていた。
「……これ、別々に動かせるの?」
「例えば闘っていて蹴りと突きを別々に出したり、挟み撃ちにしようとかは出来るが、
飯と空手を別々にやったり、全く違う所に行ったりは出来ん」
「でもさ、ラーメンとケーキを一緒に食べられるんでしょ。
そしたらすっごいたくさんのものが食べられるよね、いいなぁ」
 一同の中で最も食欲の魔人に支配されている小蒔が、心底うらやましそうに言った。
それを聞いた京一は、こんなうるさいのが二人もいたらたまらねぇ──とは言わず、
より効果的な文句を投げつけた。
「アホかお前は。だったら二倍早く腹が減るだろうが」
「あ、そっか」
「ははは、それは考えたことがなかったが──多分、片方は氣だから駄目だろうな。
それに、これも氣だからな、出していればそれだけ早く疲れる。
そんなに便利なものでもないってことだ」
 紫暮は笑い、もう一人の紫暮を消した。
現れた時と同様、瞬時に居なくなった紫暮に、改めて一同は驚く。
まるで一流の手品師のショーを見ているようだった。
「なるほど……これで俺達と鎧扇寺……いや、紫暮を結ぶ線が出来たって訳か」
 『力』持つ者同士を噛み合わせる──そこにどんな意味があるのかはまだ解らないとしても、
今回の件に関してはこれで説明がつきそうだった。
 太い腕を組んだ紫暮は、ふと心づいて訊ねた。
「それよりも、さっき言っていた時間がない、というのはどういう意味だ?」
「石にされた人間は、徐々に石化が進行していく。
心臓まで石になってしまえば、もう元には戻らない」
「そういうことか。……事実を知ってしまった以上、俺も無関係ではない。
犯人探しを手伝わせてもらおう」
「助かる……が、大会はいいのか?」
 龍麻が慮ったのは、紫暮が全国大会出場の懸かった地区大会を控えた身だということだった。
ところが凄腕の空手家は、そんな龍麻の心配をまたしても豪快に笑い飛ばす。
「強敵のいない大会など、出ても張り合いがないからな」
「言ってくれるな。そういうことなら、よろしく頼む」
 心強い仲間を得た龍麻達は、ひとまず帰る為に立ちあがる。
制服を着込む龍麻をちらりと眺めた醍醐は、最後の疑問を口にした。
「紫暮、ひとつ聞かせてくれ。どうして緋勇との闘いで二重存在を使わなかった?」
「おいおい、部員の前であんなのを使えというのか?
──それに、空手家が身の潔白を証明するのに空手以外のものを使ってどうする」
 そう告げた紫暮の顔には、武道家としての誇りがはっきりと浮かんでいた。
深い感銘を受けて頷く醍醐に、紫暮は今度は破顔一笑した。
「まあ正直なところ、まだ実戦で使えるレベルではないしな。
特にお前らのような奴と闘う時にはかえって逆効果だろう」
「そういうことか」
「何か判ったらすぐに知らせる。そちらでも何かあったらいつでも連絡してくれ」
 道場の入り口まで新しい友人達を見送った紫暮は、急に何かを思い出したように付け加えた。
「そうだ──参考になるかは判らんが、数日前にうちの部員がこの辺りで不審な男を見たと言っていたな」
「不審?」
「うむ。やけに派手な装飾を付けたスキンヘッドの男だそうだ。
見た所俺達と歳は違わないらしいが、この辺りでは見ない顔だったと」
 龍麻達は顔を見合わせるが、もちろん心当たりなどない。
木刀で軽く自分の肩を叩いた京一が、興味はほとんどない、とばかりに首を振った。
「スキンヘッドか……ま、今日びその位珍しくはねぇけどよ。他に何か特徴とかねぇのか?」
「あぁ、あと──左腕に大きな刺青があったとか」
 それも今時の東京では、さして珍しいとはいえないだろう。
そう思った龍麻達だったが、一人、反応を示した男がいた。
「左腕に……刺青? まさか……いや、そんな……」
「おい醍醐、なんか思い当たる事でもあんのかよ」
「いや……昔の知り合いにそんな奴がいたが……」
 醍醐の顔は道場に差す夕陽の中にあって青ざめている。
京一だけでなく、この場にいる全員が続きを待ったが、
醍醐はついにそれ以上口にしなかったので、一行はやや白けてしまい、
その雰囲気に抗えないまま帰ることになった。
「一応、そいつも少し調べてみた方が良さそうだな」
「頼む。それじゃ、俺達は行くよ」
「うむ。この件が片付いたら、また遊びに来い。
特に緋勇、お前とは是非もう一度手合わせしてみたい」
「ヘッ、えらく気にいられちまったな、緋勇。あんなムサ苦しい野郎に、気の毒なこった」
 男子校などに二度と来るつもりはない京一がそう言ったのは、鎧扇寺の門を出てからだった。
薄く笑うだけで肯定も否定もしない龍麻の前に、小蒔が回りこむ。
「でも凄かったよね、緋勇クン。紫暮クンにも一歩も引けを取らなかったんだもん」
「そうだな……あのドッペルゲンガーを使われていたら、負けてたかもしれないな」
「うん……でも良かったね、鎧扇寺学園が関わってなくて」
「ああ」
 龍麻は頷いたが、それは手がかりが振りだしに戻ってしまったことを意味する。
どうやってこの事件の犯人を追うか、改めて考えようとする龍麻の眼に、
彼より深刻に考えている男の姿が写った。
「どうした、醍醐」
「ああ、ちょっと考え事をしていてな」
「ったく、お前はすぐに考えすぎる悪い癖があるからな」
 軽い嘲りの口調で京一に言われても、醍醐は激したりはしなかった。
「解っているさ。……それより緋勇、病院へ寄っていかないか?」
「そうだ……な」
 露骨に逃げられたように感じたのは、醍醐の話術が巧みではなかっただけではないだろう。
彼は明らかに、考え事について触れられたくなかったのだ。
とはいえ、本人が言わないのであればどうしようもない。
 なんとなく無言になったまま、龍麻達は桜ヶ丘中央病院に足を向けたのだった。
 龍麻と醍醐、それに京一にとっては連日の訪問となる、桜ヶ丘中央病院だった。
「うう……今年に入ってもう三回も来ちまった。こりゃ本格的に厄落とししねぇとな。
な、緋勇、そん時ゃつきあえよ」
「厄落としって何をするんだ」
「あ? そりゃお前、心と身体を癒せるおねェちゃんをだな……」
 龍麻の疑問に、京一は心の底からの願望とばかりにしみじみと答えたが、
感銘を受けた人間は一人もいなかった。
「ホンットに京一ってアホなんだね。緋勇クン、こいつの言うことなんか本気にしなくていいからね」
 面々が呆れる中、小蒔に至ってははっきりと京一を罵倒した。
「ぐッ……くそッ、行こうぜ、緋勇」
 劣勢に立たされた京一は、木刀を携えて先に行く。
それは死地に自ら飛びこんでいくのと同義であると、
彼以外の全員が気づき、含み笑いを交わしあった。
 相変わらず人の気配の無い病院の前で、小蒔が至極当然のことを口にする。
「たか子センセーいるかな?」
「その名前を俺の前で口にするんじゃねぇッ!」
「ふーん、そういうコトいうんだ。たか子センセーに京一が来たって教えてあげないと」
「や、止めろッ!」
 いくら閑古鳥が鳴いているとはいえ、病院の前で騒ぐ二人に、
恥ずかしくなった三人は揃って中に入っていった。
 相変わらず人の気配というものが全く無い病院のロビーだった。
患者はおろか、受付の看護婦さえ姿が見当たらない。
病院内で大声を出すのは非常識だと知りつつも、そうせざるを得ない。
「高見沢サン、いないのかな? 高見沢サーン」
「は〜い、今行きま〜す」
「あ、いた」
 何もそこまで、と言うくらい元気のある声で小蒔が呼んだのは、
院長以外に唯一の知り合いである高見沢舞子だった。
いきなり院長を呼ばなかったのは皆、特に京一にとって大いなる救いだったが、
返ってきた声は舞子のものとは違うようだった。
彼女特有の丸みを帯びた、どこかペースを狂わせる声ではなく、
もっと尖った、どちらかと言うと金属質な声で、
良く響く病院内でははっきりとは判らないが、どうも聞き覚えのある声だった。
「いらっしゃいませ〜ッ、ご用はなんですか〜ッ?」
「……」
 京一や小蒔はもちろん、龍麻と葵さえもが目を大きく見開いて驚いている。
眼鏡はかけておらず、髪型も変わっているが、細く、鋭い目は彼らの良く知っているものだった。
「お前、何してんだ……」
「えェ〜? 何のことですか〜? わたしィ〜、見習い看護婦でェ〜」
「何やってんだこのバカアン──ごふッ!」
 この期に及んでなおとぼける看護婦に、自失から我に返った京一が怒声を張り上げる。
その頬に、電光石火の平手打ちが飛び、
哀れな京一は最後まで言いきることもできず、大きくよろめいた。
「しッ!! 黙らっしゃいッ! あたしの仕事を妨害する気?」
「妨害って、お前……うッ」
「声がデカいのよ!」
 再び掌が翻り、京一の身体が今度は反対方向に大きくよろめく。
 真神随一の剣の達人をこうも鮮やかに手玉に取ったのは、
熟練の武道家などではなく、校内新聞の記者だった。
桜ヶ丘中央病院に行ってみる、と言っていたアン子がどこから調達したのか、
看護婦の制服まで着こんで潜入していたのだ。
「今、例の事件について調査中なのよ。何か判ったら明日報告するから」
「俺達は、見舞いに来たんだが」
「残念ね、今、面会謝絶よ。だからわたしもどういう状況か判らないの。
ま、今晩にでも病室に潜入していろいろ調べるから、今は大人しく帰って」
「……」
 喘ぐように呟いた醍醐を軽くあしらったアン子は、龍麻の背を押して病院から追い出す。
その堂々とした潜入っぷりに、一体彼女の適性は何なのだろうか、
そう思わずにはいられない龍麻だった。
「それじゃ〜、まいどありがとうございました〜。
またのお越しをお待ちしておりま〜す」
 ひらひらと手を振って見送るアン子にすっかり毒気を抜かれた龍麻達は、
そのまま帰途に就いたのだった。
 翌日、龍麻が教室に入ると、待ち構えていたように醍醐が近寄ってきた。
「来る途中桜ヶ丘に寄って来たんだがな、
院長先生のおかげで空手部員の容態はかなり良かったよ。
……ただし、石化だけは依然として進行が止まらない」
「やっぱり犯人を捜さないと駄目……か」
「あぁ。なんとかしないとな」
 とは言っても、今のところ手がかりらしいものも、
紫暮の後輩が見たというスキンヘッドの男だけで、紫暮からの連絡を受けないと動きようがない。
龍麻達だけでは、残念ながら手詰まりだった。
 早朝の教室で首を捻る二人の許に、京一がやってくる。
この男にしては、上出来の登校時間だった。
「なんだお前ら、早いじゃねぇか。テニス部の早朝練習でも見にいってたのか?」
 まるで自分がそうして来たかのような予想をする京一に、醍醐は乗ってこなかった。
「いや……桜ヶ丘の連中の話をな」
「朝っぱらから景気の悪ィ話すんなよ。
敵の狙いは失敗したんだ、向こうからまた何か仕掛けてくんだろ」
「その前に、彼らが石になってしまうかもしれん」
 それこそが龍麻達が深刻にならざるを得ない理由だった。
 保って、一両日中。
氣の力で霊的治療を行うたか子の導いたタイムリミットは、あまりに短いものだった。
それを指摘されると、京一も言葉が続かず、小難しい顔をして考え込むしかない。
三人の所に葵が姿を見せたのは、そんなタイミングだった。
 生徒会の雑事を済ませて教室に戻ってきた葵は、龍麻の席に京一と醍醐がいるのを見つけると、
もう少しどこかで時間を潰してきたほうが良かったと思ってしまった。
彼らが集まっている理由は昨日の、真神の生徒が石にされたという事件に決まっている。
葵はそのような事件に関わりたくなかったのだ。
「おう、美里じゃねェか。生徒会長はさすがに早ェな」
 だが、目ざとい京一に見つかってしまい、仕方なく龍麻の隣にある、
自分の机に行くしかなかった。
「おはよう、京一君」
「小蒔は一緒じゃねェのか?」
「ええ、私、今日は生徒会の用事で早く来たから。でも、もう来るんじゃないしら」
「どうだかな。美里と一緒じゃねぇもんだから、案外まだ寝てるんじゃねえのか」
 京一は自分がたまに早く来たものだから、ここぞとばかりにあげつらう。
静かに笑うのみに留める葵の背後から、新たな人影が現れた。
「あ、いたいた。おっはよーッ」
 威勢も良く挨拶したアン子はまだ手に鞄を持っていて、
どうやら自分の教室にも寄らずに直接来たらしかった。
時間も惜しいとばかりに、輪の中に入るなり口を開く。
「そういえば昨日桜井ちゃんから電話で聞いたんだけど、犯人は鎧扇寺じゃなかったんだってね」
「うん」
「なんだ、せっかく犯人が見つかったと思ったのに」
 まるで鎧扇寺が犯人じゃないのはアンタ達のせいだ──と言われたように思ったのか、
それともアン子とは磁石のように常に反発する宿命なのか、京一が声を荒げた。
「それよかお前こそどうだったんだ。潜入は出来たのかよ」
「うッ……それは……」
 途端にアン子の勢いが止まる。
声を詰まらせる彼女を、京一は遠慮なく笑い飛ばした。
「だろうと思ったぜ」
「何よ、笑い事じゃないわよッ。あの後すぐバレちゃって、窓から放り出されたんだからッ。
おかげでまだお尻が痛いんだから。酷い仕打ちよね、緋勇君」
 確かにあの院長なら、女子高生くらい片手で窓から投げ捨てるくらい簡単にやってのけるだろう。
その光景を想像して、龍麻はうっかり笑うところだった。
「それは災難だったな」
「でしょう? まったく、大っきな痣が出来ちゃったわよ。
ルポライターへの道は、か弱い乙女には過酷なのね」
「か弱い乙女、だって?」
 皮肉を存分に効かせた京一の物言いに、アン子は鼻息も荒く反論した。
「フンッ。でも収穫がなかった訳じゃないわ。
今回の事件に関係するかは判らないけど、看護婦同士が話してたのを聞いたのよ」
「何をだよ、勿体ぶらずに言えよ」
「今言うわよ。最近、都内の病院で、死んだ患者の遺体が消えるらしいの」
「消える?」
 思わず口を挟んだ龍麻に頷き、再び語り始めたアン子は、
京一以外と話をしたことで落ち着きを取り戻したらしく、
やや口調がゆっくりとしたものになっていた。
「えぇ。桜ヶ丘では起こってないらしんだけど、新宿近辺の病院は結構被害にあってるみたいね。
目撃者は今のところいなくて、警察もまだ介入していないわ」
「なんでだよ、病院も届けてはいるんだろ」
「無理よ。遺体が盗まれた、なんて信用に関わるでしょ。
なんとか揉み消そうとしてるんでしょうね」
 京一が訊ねるとせっかく取り戻した落ち着きもたちまち手放してしまったアン子だったが、
もたらされた情報の気味悪さに、誰も口を差し挟もうとはしなかった。
朝から死んだだの遺体だの、縁起でもない言葉を羅列され、気が滅入りかけているのだ。
そんな龍麻達の雰囲気を察したのか、アン子は自ら振った話題を強引に打ち切った。
「いずれにせよ、病院の周りをうろつく奴がいたら、注意した方がいいかもね。
あたしの方でも調査してみるけど」
「お前、まだやるつもりかよ」
 呆れる京一に、アン子は鼻息も荒く応じる。
「あったりまえでしょッ。昔の諺でもペンは剣よりも強しって言うでしょッ。
いくらあの院長だって、急所を狙えば……」
「剣を使ってどうすんだよ」
「ごちゃごちゃうるさいわね。これだからデリカシーの無い男は嫌いなのよ」
「嫌いで結構、俺も口うるさい女なんぞ好みじゃねぇからな」
 まだ朝早いというのに二人の舌戦は激しく、主戦場をどんどん離れていく。
 生真面目に石にされた空手部員のことを案じていた醍醐が、体躯にふさわしいため息をついた。
「ま、取材は諦めた方がいいかもな」
「何よ、醍醐君まで。別にあたしは興味本位だけで取材してるんじゃないわ。
現実に起こりつつある怪奇事件の真実を克明に伝えることにより、
平和に溺没しきった社会に警鐘を鳴らすことが、あたしの使命なんだから。
逃げ惑う民間人の中を、命を省みず報道のために進んでいく。
安心して。悪の秘密結社に捕まったとしても、皆の事は喋らないから」
 自己陶酔する彼女を止める者はいない。
そして、真剣に耳を傾ける者も。
「あァ……これぞジャーナリストの鑑ッ。ジャーナリズムのあるべき姿だわッ」
「まぁ、そういう説得はあの院長の前でやってくれ」
 涙さえ滲ませるアン子に、京一の冷静な声が飛ぶ。
この場合、事実を語るだけで充分に効果があるのだから、どんな虚飾も必要ないのだった。
「うッ……い、いいわよ、やってやろうじゃない。今日こそ取材してみせるんだからッ。
それより、そっちこそしっかりしてよねッ」
「言われなくても判ってんだよ。急がなきゃならねぇしな」
 そこまで言ったところで、朝のホームルームの開始を告げる予鈴が鳴った。
気がつけば教室もほとんどが埋まっている。
「っと、もう戻らないと。じゃ、また後でねッ」
 自分が鞄を持ったままなのに気づいた杏子は、勢い良く出口へ向かって駆け出した。
入れ替わるようにマリアが入ってきて、結局何一つ実りのないまま、
放課後まで待たねばならない龍麻達だった。



<<話選択へ
<<前のページへ 次のページへ>>