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「天野さんは、どの程度だと思っているんですか? 鬼道衆が関わっている可能性は」
「そうね……色々な情報を繋ぎ合わせてみると、ひとつの結論に辿りつくわ。
意図的に行われている、恐らく儀式のようなもの。被害者はそのために首を切られ、犠牲になった」
「儀式……ですか」
「あなた達が増上寺の地下で開くのを阻止した門にはダゴンという邪神が封印されていた。
でも、門はひとつだけではなく、封印されているものも一種類だけではない」
「それを鬼道衆が解こうとしている……か。辻褄はあうな」
重々しく唸った醍醐に、コップの水を飲み干した京一が疑問を投げかけた。
「けどよ、今までその門ってヤツが開いたことなんてあんのかよ」
案外ビビった奴が勝手に話を大袈裟にしてるだけじゃねェのか──
京一の指摘を、絵莉は冷静に受け流した。
「あるわ。世界各地に点在する門が開いたという記録が、いくつか残っているの。
近い記録では八年前、南米の小さな村が消えた事件があるわ。
当時その事件はいろいろ論議を呼んでね、
抗体の発見されていない新種のウィルスが異常発生して、
村外への流出を恐れた政府が軍を出動させて焼き払った、なんて説も流れたわ」
それは全くの憶測という訳ではない。
ベトナム戦争ではアメリカ軍が疫病に感染した村をナパーム弾で焼き払った例があり、
その憶測もそういう事実があったからこそ流れたのだろう。
「でも真実は、そこの地下に眠っていた何かが目醒めたのだとしたら。
その何かを再び封印するためだとしたら」
絵莉の話はほとんど性質の悪いおとぎ話に近いものだった──自分達が関わっていなければ。
しかし増上寺の地下に眠るという邪神ダゴンを復活させようとする異形の怪物、
深きものどもを目の当たりにしてしまった龍麻達は、
残念ながら悪夢よりも胸の悪い現実が存在することを知っていた。
「ま、ラーメンは奢ってもらったし、とりあえず行ってみっか」
京一の口調は、食後の散歩に誘うかのような気軽なもので、
龍麻と醍醐は顔を見合わせ、小さく肩をすくめるのだった。
全く前を見ずに店を出た京一は、道の真ん中まで進んだ辺りでいきなり目の前が真っ暗になった。
何者かがぶつかってきたのだ。
油断していたのとぶつかった相手が結構な勢いで走っていたので、
格好悪く弾き飛ばされてしまい、ちょうど京一に続いて店を出てきた龍麻は、
思わぬパスを受けとらされて驚いた。
「っ痛ェ……前見て歩きやがれ!」
自分のことを棚に上げて京一は怒鳴りつける。
ところがぶつかった相手は京一を全く見ていなかった。
「あッ、緋勇クン達! 助かった……」
京一がぶつかったのは、奇しくも桜井小蒔だった。
見ればやや遅れて葵も走ってきており、その顔には小蒔と同様、わずかな怯えが浮かんでいる。
あからさまな安堵の表情を浮かべる小蒔に、龍麻に支えられたまま京一が訊ねた。
「なんだ、どうした。まさか……鬼道衆か!?」
「違う、そうじゃない、けど、もっと、性質が悪い、かも」
「なんだそりゃ」
全速力で走ってきたのか、まだ息を切らせたまま小蒔は手を振って否定する。
首を傾げざるを得ない返事に、龍麻たちは顔を見合わせた。
すると絵莉が、何かに気づいたのか、額に手をかざして向こうを見やる。
「誰か来るわね」
「うぇ……」
心底辟易したように呟いて、小蒔はよろよろと歩く。
半人半魚の異形である深きものどもにさえ臆することがなかった彼女が、
一歩でも遠ざかろうとする存在とはどんなやつなのだろうかと、龍麻はこちらに向かって来る人影を見た。
満面の笑みを湛えて走ってくる男を視界に捉えた時、
一瞬だけだが問答無用で殴り飛ばしてやろうかと思ってしまったほどだった。
それほど男にはいかがわしさが充満していた。
その印象は男が一歩近づいて来るごとに夕立の前の雲のように立ちこめていき、
遂に自分の前に立った時、霧消するどころか雷を伴った雨となっていた。
「HAHAHAHAッ! 待ってくださ〜いッ、Myスウィートハニー!!」
世界にこれほどうさんくさい言語があっただろうか。
男の口から発せられたイメージ通りの軽薄な言葉は、
日本語と英語、双方に対する侮辱といって良かった。
あまりの怪しさは印象をぐるりと一周してしまい、京一もすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。
「なんだこいつ……お前らの知り合いか?」
「ンな訳ないだろッ! 勝手についてきたんだよッ!」
口を尖らせる小蒔の態度からも、どれだけ憤慨しているかが解る。
更に小蒔だけでなく、葵までもがほとほと困ったような顔をしていて、
この男がどれほど迷惑か、充分に想像がついた。
「学校に向かって歩いている途中、急にこの人が話しかけてきて……」
「ただのナンパだと思ったから無視してたんだけどさ、葵を見た途端……」
事情を呑みこんだ龍麻は、葵と小蒔を庇うように立ち、生きた壁となって男の前に立ちはだかった。
うさんくさい笑みを浮かべたままの男は、背は龍麻と同じ、百八十センチを少し超えるくらいか。
しかし胸板が厚いせいか、全体的には一回りほど大きく見える。
更に──認めたくはなかったが、足の長さが決定的に違っていた。
その点については黙殺して、龍麻は激発しないよう自分に言い聞かせながら視線を上へと移動させる。
Tシャツの、なんとも怪しい太陽のプリントが、小馬鹿にしたようにこちらを見ていた。
「Oh!! ナンデ、ソンナトコニカクレ〜ルデスカ」
「緋勇クン、葵を護ってあげてよね」
自分は醍醐の後ろに半分隠れながら、小蒔がけしかける。
龍麻が威圧的な視線を男と合わせると、男はいかにも外人らしい、大げさな仕種で額に手を当てた。
「Oh、NO!! ユー達は誰デースか? どーしてボクとハニーの邪魔するデースか?」
「なにがハニーだ、このクソッたれ!! とっとと去りやがれ、さもねェと」
余程癇に触っているのか、交渉は京一が自発的に引き受けている。
龍麻が止めなかったのは、ほとんど同じことを言うつもりだったからだ。
そして、京一よりもさらに過激に、いつでも手痛い教訓を与えてやれるよう氣を練りはじめた。
「そんなコワーイ顔しないでくださーいネ。ボクの名前、アラン蔵人いいマース。
聖アナスタシア学園高校の三年生ネ」
聞いてもいないのに勝手に名乗ったアランという外人は、いかにも不思議そうに龍麻達を見た。
「ユー達はボクのスウィートハートと一体どういう関係デースか?」
やけに滑らかな発音で怯える葵をスウィートハートなどと呼ぶアランから、龍麻は敵対的な視線を外さない。
すでに充分な警告はしたとばかりに拳を固め、一歩でも足を踏みだしたら殴ってやるつもりで待ち構えた。
「俺達は高校の同級生で、その──フレンドだ。これ以上彼女達につきまとうのは、止めてもらおうか」
醍醐が警告を発すると、アランは大げさに両手を広げてみせた。
「Oh、JESUS!! ボクはただ、彼女と話がしたかっただけデース。
迷惑かけるつもりなかったーネ」
敵意が無いことを示したいのだろうが、胸の太陽が腹立たしい形に口を広げた、
としか龍麻達には映らなかった。
「そんなこと言ったって、あんな風に追いかけてきたら誰だって逃げだすよ」
「No、それは誤解デース。レディたち逃げるから、ボク、追いかけた。
見失いたくなかったデース。やっと会えた、ボクの理想のヒト!
お願いデース、名前、教えてくださーいネッ、プリーズ!」
「プリーズをつければ何でも頼めるなんて甘い考えは捨てるんだな」
ついに龍麻が低い声で告げる。
周りにいた全員が一瞬暑さを忘れたほどそれは冷たく、小蒔などは思わず背筋を伸ばしていた。
「俺達はこれから行くところがある。お前なんかに関わってる時間はないし、
これ以上まだ何か言おうってんなら、痛い目を見ることになるぜ」
龍麻が鬼道衆に関わる調査を邪魔されて苛立っているのだと醍醐は理解した。
つまり龍麻の怒りは本物であり、アランが引き下がらなかった場合、良くない事態が起こることになる。
醍醐は彼自身のために、アランが去ってくれることを願った。
「Oh、ユー達どこへ行きますか? ボクも行くネ。そしたら皆ハッピーよ」
軽率な――少なくとも、この場にいる七人のうち、五人はそう思った――返答は、雷光の如き拳で報われた。
警戒していた醍醐が止める間もなく、半歩踏みこんだ龍麻が、氣によって身体能力を増幅した一撃を、避けるどころか殴られたことさえ判らないであろう鋭さで、アランの腹を狙ったのだ。
手かげんはしているだろうが、面倒なことにならねば良いがという醍醐の危惧は外れた。
龍麻のボディーブローに対して、全く無防備に思われたアランは、龍麻の拳を寸前で受け止めてみせたのだ。
「イキナリ何しますかッ!?」
「お前……何者だ?」
目を瞠ったまま、龍麻はむしろ敵意を増幅させて訊ねる。
氣をこめたパンチを避けるのではなく受け止めるなど、常人にできるものではない――氣を使えるのでなければ。
となれば、葵を偶然見かけたなどというのは嘘で、最初から自分達を狙って接触してきた可能性を龍麻は考えたのだった。
「さっき言いましたネ。ボクはアラン蔵人、メキシコ人のダディと日本人のママのハーフで、日本と江戸川区にある聖アナスタシア学園高校に通っているよ」
「江戸川区だと……!?」
龍麻達がこれから向かおうとしているのも江戸川区だ。
ますます怪しいが、本当だとして、自分からわざわざ言うだろうか。
「Yes.江戸川区、ベリーベリー良いところネ。今、ちょっと良くない事件が起こっているケド」
「あなた……事件のことを知っているの?」
驚愕の表情で絵莉が進みでた。
「知ってマース。ヒト、たくさん死んでるネ。あれは悪魔の仕業、行けばミンナの命も危ないデース」
これまでの軽薄さが仮面であったかのように、アランは真剣な表情だった。
まだ掴まれたままの龍麻の拳に、潰れそうなほどの力が加わる。
手を通して龍麻に伝わってきたのは、凄まじいまでの怒りだった。
言葉よりも雄弁に、アランが事件に対してどのような立場でいるのか、明確に語っている。
あえて手を掴ませたまま、龍麻は告げた。
「俺達は、今からその事件の調査に行く」
「おい、緋勇」
突然の変心に、京一が思わず声を掛ける。
驚いたのは京一や醍醐だけでなく、アランもだった。
「Really……? なぜデスカ……?」
「その事件を起こしている奴らは、邪悪だからだ。そして、おそらく警察には解決できない」
「Evil……yes、yes!」
再びアランの手から、強い氣が伝わってくる。
偽りのない、邪悪を憎む氣だった。
「お前、案内できるか? もしかしたら、そいつらと戦うかもしれねえ」
龍麻がアランの氣を感じ取ったように、アランもまた、龍麻の氣を感じ取ったようだった。
龍麻の手を離したアランは、自分の胸をひとつ叩いて言った。
「わかりマシータ。ユー達やスウィートハートを放ってはおけナイ。
ボクも一緒に行きマース。ボク、強い男。絶対役に立つデース」
「おい、いいのか緋勇。こんな奴連れていって」
不審を隠そうともせず、アランに聞こえるように言う京一に、龍麻は頷いた。
「少なくとも敵じゃなさそうだ。それに、『力』が使えるのなら、足手まといにはならないだろう」
「いいけどよ、面倒はお前が見ろよ」
京一は肩をすくめたものの、龍麻の考えにそれ以上反対はしなかった。
醍醐も同様で、龍麻を見て頷き、アランの同行を承諾した。
「ちょっと待ってよ、ボクにはいまいち話の流れが見えないんだけど」
絵莉の話を聞いていない小蒔がそう言った時、龍麻の顔に悔恨が掠めたのを葵は見た。
なぜそんな顔をしたのかは、龍麻の説明で推測がついた。
「ああ……最近江戸川で物騒な事件が起こってるらしくてな、ちょっと調べてみようって話になったんだ」
「今から?」
「まあ……そうだな。でも、桜井は練習があるんだろ?」
「江戸川の事件ってさ、女の人の首なし死体が見つかってるってやつだよね? それも何体も」
「……ああ」
「それなら、ボクも行くよ」
歯切れの悪い龍麻の意思を貫くような明快さで小蒔は告げた。
彼女の好奇心の強さを知っている龍麻は、観念しつつそれでも翻意させようと最後の努力を試みる。
「前回の増上寺の地下で、気分が悪くなったりしなかったか?」
「別に大丈夫だったよ?」
「そうか……実は美里が少し気分を悪くしてな。
回復はしたんだけど、今回も同じような陰の氣が満ちている可能性があるからな、
二人は今回待機してくれないか」
「イヤ」
「……」
交渉の余地など矢の先端ほどもない返答に、龍麻は鼻白んだ。
「ボクさ、石にされたことあったじゃない。他の女の人達と一緒に。
あのときから、ボクも困ってる人達を助けてあげたいって決心したんだ。
この『力』に意味があるんなら、そのために使えってことじゃないかって」
「だけど、自分が危機に陥ったら意味がないだろう」
「まだ陥るって決まったわけじゃないでしょ?」
「それはそうだが」
渋る龍麻の肩を、京一が叩いた。
「ハハッ、諦めろ緋勇。心までオトコになっちまった小蒔には、どんな説得も通用しねェぜ」
「そういうコト。……って、失礼なコト言うな京一ッ! ボクは心も身体も女の子だっての!」
京一に向かって軽く宙を蹴ってみせた小蒔は、再び龍麻の方に向き直る。
「とにかく、ボクは行くからッ。あ、でも葵は止めたほうがいいかも」
「……いいえ、行くわ」
小蒔一人を行かせる訳にはいかない以上、葵も同行するしかなかった。
それが、龍麻の思惑通りであったとしても。
「仕方ないな。具合が悪くなったらすぐに言えよ」
「大丈夫だって」
紆余曲折あったものの、龍麻達は江戸川区に赴くことになった……と言うのは時期尚早だった。
龍麻の一瞬の隙をついて、アランがその体格に似合わない素早さで葵の前に立ったのだ。
「これでボク達はアミーゴネ。マイスウィートハート、名前、教えてクダサーイ!」
「美里……葵……といいます……」
「Cooooolッ!! アオーイ!! 名前までBeautifulネッ!!」
男達の白けた視線などどこ吹く風で、アランは両手を握り合わせ、肩をくねらせる。
早くも彼を連れて行くことを後悔しはじめた龍麻を、小蒔が横目で見た。
「教えることないのに……葵はお人好しだなぁ」
「だって……なんだか可哀想だもの……」
一方すっかり上機嫌のアランは、事の成り行きを傍観していた京一と醍醐に向き直る。
「アオーイ。ボク、ちゃんと覚えマシータ。ついでにユー達の名前も教えてくださーいネ」
「俺達はついでか……日本語の勉強が足りんな」
「足りないのは勉強じゃなくて、頭の中身だろ。いいかボケ外人、一度しか言わねェからな。
俺の名は蓬莱寺京一。ほうらいじ、きょういちだ」
なんだかんだ言っても名前を教えている、ある意味葵以上にお人好しな京一だったが、
彼の好意は全く報われなかった。
「……アホーダ、キョーチ?」
「京一だ、キョ・ウ・イ・チ!! 名前だけ覚えろ!!」
「Oh、キョーチね。アイシー」
「このクソッたれがァッ!!」
「ノー、クソったれ違う。ボク、アランネ」
「ッの野郎……!!」
駆け出しの漫才コンビのようなやり取りに、怒りで沸騰しかけている京一が、
木刀をアランに突きつけて龍麻に詰め寄った。
「おい緋勇、本当にこんな野郎を連れてくのか?
中途半端に日本語が通じるヤツなんざ、イライラするだけじゃねェか」
「ウン、正直ボクもそう思う……」
京一とアランの全く噛み合わない会話にうっかり口を挟んでしまった小蒔に、
すかさずアランが身を乗り出した。
「Oh、そういえばユーの名前を聞いてないデース」
「え!? いいよ、ボクは」
「プリーズ!!!!」
「わ、わかったよッ、小蒔だよ、桜井小蒔」
怒号に近い雄叫びに、小蒔の肩がびくりと震える。
それを見た醍醐の肩まで微かに震え、いよいよ真神最強の三人の噴火の刻が近づいたようだった。
もちろんそんな事など露知らないアランは、更に絵莉にまで名を訊ねている。
「コマーキ! Cuteな名前ネ。後ろのレディはなんていいマースか?」
「あら、わたしも? わたしは天野絵莉よ」
「エリー。Wonderfulネ」
「女の名前だけはちゃんと覚えやがるんだな」
皮肉たっぷりの京一の台詞も、アランは全く聞いていなかった。
小蒔や絵莉に対する時とは明らかに異なるおざなりな態度で、龍麻と醍醐にも話しかけてくる。
「あとは……ユーとユーね」
自分よりも龍麻の暴走を止める為に怒りを抑えなければならない苦労人の元番長は、
アランの質問に答える気があるかどうか、一応現番長を見てみた。
への字に張りついたまま動こうとしない口に、ため息をついて彼の分も自己紹介した。
「俺が醍醐で……こいつが緋勇だ」
「ダイゴに、ヒユー……覚えマシータ」
全く誠意の感じられないアランの態度に、醍醐は不器用に肩をすくめた。
「だ、そうだ、京一」
「だとよ、良かったな、緋勇」
京一の嫌味に龍麻は無反応だった。
友人たちが何か良からぬものを感じて、龍麻をこれ以上刺激しないよう目配せしあう。
だが、アミーゴではあっても友人ではない男は、彼らの目配せになど気づきもしなかった。
「お願いデース、葵をボクにくださーいッ!!」
口を顔の半分までも開けた笑顔で葵に求婚したアランに、龍麻は再び無反応だった。
娘の彼氏に結婚を切り出された父親でも、ここまでの態度は取らないだろうという、
天変地異を予感させずにおかない、極めて危険な無反応だった。
「Oh、ヒユー、どうしてそんな顔するデースか。もしかしてユーも葵が好きデースか?
でもッ、ユーよりボクの方が葵のコトもっと好きデース。メニーメニー、愛してマース!」
風船は割れた。
ただし、音を立てずに。
騒ぎたてるアランに気を取られ、龍麻の一番近くにいた京一でさえもいつ動いたか判らぬほどの疾さで、
龍麻の右拳はアランの顎の五ミリ下に添えられていた。
今度はアランも反応できず、わずかに顔を上向かせたまま、眼球だけを下げて龍麻を見た。
「いい加減にしろ」
直前まで騒がしかった雑音の、一切が消え失せた中に、龍麻の声が低く響く。
「俺達はお前にナンパをさせるために一緒に行くわけじゃねえし、見ての通りお前の強さが必要でもねえ。
これ以上美里と桜井にまとわりつこうっていうなら、その顎を喋れないくらい粉々に砕いたっていいんだぜ」
不良高校生程度なら震えあがるほどの恫喝だった。
さすがのラテン系アメリカ人もこれは効いたらしく、両手を上げて降参のジェスチャーを示した。
「OK、でもわかって欲しいネ。ボクは世界一葵を愛してマース。ボクといれば、葵も絶対Happyネ!!」
全く悪びれるところのないアランに、小蒔がこめかみを押さえた。
「なんか、京一が二人いるみたいで頭痛くなってきた」
「こんなクソ外人と一緒にすんなッ!」
しみじみと言う小蒔に、京一が激昂する。
いくらなんでもこんなのと一緒にされては沽券に関わるというものだった。
「さァ、葵、ボクと一緒にスウィートホームへレッツゴー!!」
どこまでもふざけているようにしか見えないアランに、龍麻が深く息を吐きだす。
再び深刻な危険を感知した醍醐は、番長という肩書に似合わず、喧嘩を回避するために尽力した。
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