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おおよそ一時間ほども歩いた頃、洞窟は少しずつ幅を広げ、巨大な空間が前方にあることを知らせた。
先頭を歩いていた京一が、後ろを向いて報告する。
「どうやら、終点らしいぜ」
「この氣……間違いないな」
醍醐の言う通り、広間には目視できそうなほど禍々しい陰氣が充満していた。
龍麻達は胸が悪くなるのを感じ、特に葵は今にも倒れそうなほど顔が蒼ざめている。
「大丈夫……じゃなさそうだな。待ってろ、氣を注いでやる」
「平気……だから」
身体に溜まった陰の氣を、陽の氣で中和する。
龍麻の説明によるとそういうことらしいが、確かに効果はあるその治療には副作用があり、
身体が火照ってしまうのだ。
こんな場所で劣情を催したくなどないと我慢しようとする葵に、
龍麻は有無を言わさず彼女の背中に手を添え、氣を注いだ。
「……」
呼吸を繰り返すうち、不快感が消えていく。
同時に、涼しいくらいだったのに、ほんのりと身体が温かくなりはじめた。
警戒心を募らせる葵だったが、冬に厚着を着こんだという以上にはならず、
どこか拍子抜けした感さえ抱く葵だった。
「まだ辛いのか?」
「う、ううん、だいぶ楽になったわ、ありがとう」
怪訝そうな顔を誤解したらしい龍麻の気づかいに、慌てて彼から離れる。
離れ方が性急だったので、親切に対して失礼かとも思ったが、龍麻が気にした様子はなかった。
治療を興味深そうに見ていた京一が、龍麻に話しかける。
「中々便利そうじゃねェか。ソイツは俺にもできんのか?」
「陰と陽の氣を厳密に操れるようになるには、練習が要るな」
「面倒くせェのはお断りだな。絵莉ちゃんを治療してやろうと思ったのによ」
「ふふッ、気持ちはありがたいけど、私は大丈夫よ」
京一の邪念をあっさりとかわした絵莉は、先頭にいる小蒔に近づいた。
「どう、桜井さん、何か見える?」
返事がないのを不審に思った絵莉は、小蒔の眼が見ている方向に視線を合わせ、そして同様に言葉を失った。
「あれは……『門』……!」
呻く絵莉の許に、龍麻達も集まる。
事前の小蒔と絵莉の驚きは、龍麻達の驚きをいささかも減らすことはなかった。
禍々しい門が、威容を誇っていた。
何を隔て、あるいは通そうというのか、十メートル以上もある門が、岸壁に彫られている。
ということは実際に開閉するのではなく、象徴的な意味があるのだろうか。
ここからでははっきりと見えないが、門にはびっしりと文様が刻まれていて、
巨大な門を禍々しく仕立てあげていた。
上から視線を落としていった龍麻は、一番下にあるものを見ても、始めは見過ごしてしまっていた。
あまりに凄絶な光景はかえって非現実感を生みだ出すものらしく、
龍麻がそれに気づいたのは、葵の悲鳴によってだった。
「嫌ぁっ!!」
人の生首が、地面に置かれていた。
地面に描かれた何かの紋様と共に規則性を持って配置されているそれは、
一様に恐怖を張りつかせたまま龍麻達を見ていた。
さりげなく葵の前に立って不快なものをこれ以上見せないようにしながら、
龍麻は軽く目を細めて陰惨な光景を観察した。
女性のものばかり、片手では到底足りない数の頭部が薄気味の悪い正確さで置かれている。
目を細め、最低限しか見ないようにしていても、
生首から放たれる妖気は吐き気を催させるほど身体を蝕んだ。
逃げ出したい衝動を必死に堪える龍麻の耳に、冷静な絵莉の声が響く。
「外法とかやまつるに、かかる生首の入ることにて
──南北朝時代の『増鏡』という書物に記された外法の一部よ。
外法を行うには、生首が必要だと言われているわ」
「増鏡って……そんな内容だったんですか」
古典や日本史で覚えさせられた書物が、そんな内容であったことに龍麻は驚いた。
だが驚き、とにかく何かを話したことで、恐怖は薄れていく。
それでも目を離した瞬間に生首が襲いかかってくるのではという悪寒は消せず、
見たくないものを見なければならないという二律背反にいつまでもつきまとわれなければならないのだった。
「もちろん増鏡は歴史書だから、そんな記述はごくわずかよ。
それに増鏡には古本系と呼ばれるものと、
それをもとに追加の記述をされたと考えられている増補本系というのがあってね、
生首が、って話が出てくるのは増補本系の方だけなのよ」
せっかくの絵莉の講義だったが、半分も頭の中に入っていかなかった。
それどころか今後増鏡と言う名前を聞くとこの光景を思い浮かべてしまいそうで、
あまりありがたくない解説とすら言えるのだった。
京一に醍醐、そして如月も一様に顔をしかめながら辺りを見渡している。
これらの生首は何かの邪悪な儀式──絵莉の言う外法の為に置かれているのは明白で、
となればそれを執り行う人間がいるはずだった。
油断無く気配を探る龍麻達の前方、そして上方から、年老いた声が響く。
「ようこそ、常世の縁へ」
龍麻達は一斉に声のした方を向いた。
門の屋根の上に、先ほど江戸川大橋から飛び降り、ここへ続く穴へと消えた人物がいた。
港区で斃した水角と名乗った女性と同様に面を被り、服装も同じ忍者装束であるが、
こちらは彼女の着ていた濃色ではなく鶯色であり、体格も男性のそれであった。
屋根から飛び降り、恐れる様子もなく龍麻達の前まで来た男は、恭しく名乗った。
「鬼道五人衆がひとり、我が名は風角」
やはり、この男も鬼道衆の一員であり、
幾人もの女性が殺された事件も彼らが引き起こしたものだったのだ。
九割の確信が十割に変わり、一同は風角を睨みつける。
「てめェ──罪も無い人間を大勢殺しやがって」
「くくく……青い事をぬかしよるわ。我らは鬼道を使い、外道に堕ちし者。
幕末の世より甦り、この地を闇に誘わんとする者ぞ」
京一の憤怒を笑殺した風角は、自分が設置した生首を見やり、再び口を開いた。
「餓鬼共……お前らは人の首が持つ意味を知っておるか。
教えてやろう、人間がものを視るのは何処だ。
人間がものを考えるのは何処だ。人間が痛みを感じるのは何処だ。
頭部には、全てが集まっておるではないか」
風角が吐き出しているのは、呪詛だった。
言葉そのものに途方もない毒素が含まれているのに加え、
込められた悪意がそれと化学反応を起こし、触れる者から生気を奪っていく。
歯を食いしばって耐える龍麻達を、風角の呪言が更に弄った。
「鋭利な大気の刃に切断された頭は、肉塊と化した己が身体を見る。
最後の最後の瞬間まで、じわじわとこみ上げる苦痛と死への恐怖に苛まれ続けるのよ。
そうして最後に残るのは切り落とされた頭一杯に詰まった恐怖と雪辱、生への執着、
そして──狂わんばかりに助けを求める懇願の呼び声。
それが『門』の封印を破り、常世から混沌を呼ぶ声となるのだ」
「てめェ、思い通りにさせるかよッ」
哄笑で締めくくった風角を、木刀が薙ぎ払う。
京一の意思そのものを具現化したように、薄い氣の刃が毒に満たされた空間を斬った。
やや距離があった為に風角はこれを容易に躱したが、
空気すら断つが如き斬撃は龍麻達を呪縛から解き放つ効果があった。
邪神の復活を止めるべく氣を練り、それぞれに構え、風角に対峙せんとする。
その時龍麻の頬を、奇妙な風が撫でた。
どこかから吹いてくる風ではない、まるで自分の立っているこの場から起こったような風だった。
生温く、熱く、そして冷たい。
いくつもの性質を同時に備えた、地球上のあらゆる種類の風とは異なる、異界の邪風だった。
「何……この風」
「遅かったようだな。見るがよい、常世から甦りし、荒ぶる神の姿をッ!!」
目の前に現れた光景を、龍麻達は信じられなかった。
巨大な異形が、忽然と宙に浮かんでいた。
厭らしいぬめりで全身をてらてらと光らせているそれは、全体としては腸を連想させる姿をしていた。
しかしその表面には狂気にも近い嫌悪を催させる瘤のようなものがついており、
無節操に生えている二つの口からはだらりと舌が垂れ下がっている。
瘤は時折脈動を行い、この怪物の持つ印象を一層穢らわしいものにしていた。
「コノ風……コノ臭い……やっと、見つけタ……盲目者」
小声でのアランの呟きは、邪風にかき消されて誰にも聞こえなかった。
いかなる禍々しい力なのか、異形の神は切れかけの電灯のように明滅を繰り返している。
「我ヲ呼ブハ、誰ゾ。我ガ目醒メルニハマダ星辰ノ位置ガ悪カロウ。
……ソモ、此度ノ眠リハナント短キカナ。
あすてかノ王ニ弑サレテヨリ千六百余年、
最後ニ贄ヲ食ロウテカラマダ八年トタタヌ。此度ノ贄ハ如何ナル味ゾ」
アランが盲目者と呼ぶ異形の神は、風が音を成し、声になったような喋り方をした。
耳のすぐそばで喋っているようでもあり、遥か遠くから聞こえるようにも感じる。
それも一瞬ごとに強弱を変える風のせいで、きわめて聞き取りにくいのだ。
それでも、断片的にしか捉えられない邪神の言葉は、その端々だけで絵莉に驚愕をもたらした。
「八年……ですって!? まさか」
その数字に絵莉は心当たりがあった。
昼に龍麻達に話した、メキシコで村が消失した事件。
あれが起こったのが、まさしく八年前だったのだ。
彼女の疑問に、アランが答える。
全身でなお足らない怒りを漲らせて。
「八年前……アイツはボクの村に現れた。古いイセキで発掘された祭壇カラ……出てキタ。
ボクから大切なモノを全て奪ったヤツ。ボクを愛してくれたパパ、ママ。
村のトモダチ、生命がたくさんの森、キレイな滝……ミンナ、アイツが奪っていった」
アランの声もまた風にかき消され、全ては聞き取れない。
しかし言っていることよりも彼の全身が、その内容を雄弁に伝えていた。
拳を握り閉め仁王のように肩をいからせるアランが奥歯を噛み鳴らす音が、
この場に発生しているあらゆる音を凌駕して龍麻達の耳に響く。
「アイツが……アイツがァァッ!!」
アランが咆哮する。
元より筋肉のあった彼の身体が、一回りほど膨れ上がったように見えたのは、
彼の身体から立ち上る青い氣によるものだった。
仄かな青い光はゆらめきながら明度を増し、彼を覆い尽くす。
輝きが閃光となり、そして消えた時、アランの手には一丁の銃が握られていた。
「アラン──お前、その銃」
彼の氣が具現化したような、青い銃。
銃身だけでなくグリップまでも染め抜く青は、見る者に神聖な色彩という印象を与える蒼だった。
これも、『力』なのか──
思わせぶりだった彼の秘密を知った龍麻に、アランは語る。
「コレは、風の『力』が宿った霊銃ネ。
この霊銃が、ボクをこの東京に導いてくれた──アイツを斃せと」
そこには初めて会った時の軽薄さは微塵もなく、復讐に己を燃やす一人の修羅がいた。
六発の薬莢を手にしたアランは、ひとつずつ強く握りしめてから銃に装填していく。
氣を弾丸とする、人ならざる存在を撃つ銃だった。
「俺は許さない……貴様を」
「贄ヲ──贄ヲクレ──」
「貴様は、俺が──殺す」
アランが放った銃声が、闘いの合図だった。
風角の合図により彼と同じ服装をした手下が幾人か現れ、包囲の環をせばめてくる。
殺人集団と人知を超えた化物を双眸に捉えながら、京一に臆する色は欠片もない。
木刀を構えた彼は仲間たちの方を向き、不敵に笑った。
「ありゃ素手はヤバそうだな。緋勇と醍醐と美里は忍者共を相手しろ。如月と小蒔は俺とヤツをやるぞ」
「おうッ」
散開した龍麻達は、それぞれの敵と対峙した。
充分に練った氣を、一気に開放する。
基底から
頭頂まで、開いたチャクラが身体に有り余るほどに氣を増幅させ、細胞を燃やしつくさんばかりの勢いで活性化させた。
龍麻と醍醐に対し、鬼道衆の忍者達は扇形に陣形を構えている。
その中央に、一瞬の停滞もなく龍麻は突っこんだ。
自殺行為にしか見えない突撃は、速度において尋常でなく、歴史の陰で人を殺める技術を磨いてきた忍者が、
一介の高校生にたった一撃でなすすべもなく倒される。
龍麻の強さを悟った忍者達は、それでも怯むことなく一斉に襲いかかってきた。
四方に加えて上方からも斬撃が迫る。
腕、下半身、胴体、そして頭。
あらゆる角度からの攻撃をまともに受けたら、龍麻は悲鳴すら上げる暇もなく全身をバラバラにされていただろう。
だが龍麻は、統制された隙のない攻撃を待ち受けずに跳躍すると、
落下してくる忍者をすれ違いざまに叩き落とした。
「ぐェッ……!」
四方のどこかに逃げることは予測していても、上方に避けるとは思っていなかった忍者は、
加速をつけて地面に叩きつけられる。
頭から落ちたとはいえ、それだけでは致命傷にはならなかったが、彼の周りには同士達が殺到していた。
「……!!」
振り抜かれた四本の刃が、不幸な忍者を切り刻む。
寸毫のためらいも抱かずに罪のない人々を殺せる彼らも、無様な同士討ちには狼狽し、
慌てて仲間だったものから刀を抜き、復讐に燃えて龍麻を探した。
この時、龍麻はすでに空中にはなく、輪になっている忍者達の外側に着地している。
彼らが刀を構えて振り向くと、充分に練った氣を拳に撓め、無防備な腹部に撃ちこんだ。
「がはァッ……!!」
単なる打撃ではない、氣による一撃に、鬼道衆の男は雷撃を浴びたように痙攣し、昏倒した。
二人までも仲間を喪い、忍者達はいよいよ猛っていた。
刀を振りかぶり、龍麻に向かって振りおろす。
必殺の間合いであり、忍者達は今度こそ龍麻の両断を確信した。
彼らの未来は、だが、ねじ曲げられる。
刀が龍麻を捉えようとした瞬間、突然横から強烈な力が加えられ、
何が起こったのかも判らぬまま、忍者は吹き飛ばされた。
忍者達は密集していたために巻きこまれ、三人が一塊となって地面に転がる。
ひと目で戦闘不能だとわかるほど、彼らは複雑に絡まりあったまま悶絶していた。
その豪快さに、龍麻は思わず低く口笛を吹いた。
「やるじゃねぇか」
「ようやく『力』の使い方が解ってきたよ」
醍醐のように鍛えた肉体があれば、氣の効果は何倍にも増幅される。
転校してすぐの頃、龍麻は醍醐と勝負したことがあり、その時は龍麻が勝ったが、
今もう一度闘ったらどうなるかはわからないだろう。
それほど凄まじい醍醐の破壊力だった。
六人いた忍者達も、すでに残り一人となっている。
油断なく醍醐と忍者を挟む位置関係に立ち、必勝の態勢で挑もうとした龍麻は、足元に殺気を感じて飛び退いた。
地面に刺さった菱形の物体は、苦無と呼ばれる武器で、忍者が用いるものだ。
構える龍麻に、どこからか判然としない声が聞こえる。
「フン、貴様……確かにいい面構えをしておるな。だが、これ以上九角様の邪魔はさせぬ。
残りの餓鬼共もろとも、あれの餌にしてくれようぞ」
語尾が消え去る前に、龍麻は右に大きく避けた。
それまで何もなかった空間に、突如として手が出現する。
その手には苦無が握られており、黒鉄の鈍い輝きが龍麻を狙った。
初撃で体勢を崩された龍麻は、再び避けるしかない。
風角の狙いは正確で、龍麻に反撃の機会を与えなかった。
ついには龍麻は立っていられなくなり、思いきり横に転がる。
投じられた苦無を躱し、勢いをつけたところで跳ね起きると見せかけて、
腕立て伏せの要領で低く上体だけ起こし、身体を半回転させて足払いを仕掛けた。
反撃は風角も予測してなかったらしく、当たりこそしなかったものの、
追撃はなく、龍麻はなんとか立ちあがることができた。
「フンッ、やるではないか……いつまで続くか見せてもらおう」
風角の態度には余裕がある一方、龍麻は大きな怪我こそ負っていないものの、
これまでのところは劣勢だ。
溜まった唾を吐いた龍麻は、今度は自分から仕掛けた。
大きく踏みこんで蹴りを放ち、さらに拳の連打で攻める。
身体強化された一挙手一投足はプロの格闘家でも捉えきれないほどの疾さだったが、
殺しの業を専門とする風角には掠りもしなかった。
「この程度か、他愛もない」
嘲弄する風角に返す余裕もなく、ひたすらに手数を繰りだす。
それすらも完全に見切られていて、もはや龍麻に勝ち目はないと思われた。
「どうした、それで終いか」
猛攻もついに途切れ、龍麻は息を吐く。
その機を逃さず風角が、手にした苦無を龍麻に突きだした。
かろうじて龍麻は躱したが、瞬時に逆手に持ち替えられた苦無がさらに龍麻を襲う。
死角から背中を狙う必殺の一撃に、龍麻はなす術がない。
その時、風角が大きくバランスを崩した。
「何ッ!?」
勝利を確信していた風角は、一転、予期せぬ事態に距離を離そうとする。
だが、風角が上体を反らし、そのまま後方に逃れようとする前に、
龍麻の右掌が風角の胸に触れた。
「ウオオオ――ッ!!」
溜めた氣が一気に放出される。
一瞬にも満たない時間で風角の全身に浸透した氣は、
強烈な衝撃を肉体に与え、そのまま背中側から抜けていった。
「がはッ……!」
面の下で悶絶の叫びをあげた風角は、ゆっくりと崩れ落ちる。
龍麻が油断無く見守る中、風角はなお立ちあがろうとしていたが、
破壊の氣に貫かれた身体が起きあがることはなかった。
「大丈夫か、緋勇ッ」
駆けつけた醍醐に、龍麻は虚勢を張る余裕もなく頷く。
「なんとかな」
「肝を冷やしたぞ」
「普通に氣を放っても避けられるだろうからな。
あんな面を被ってたら足元は見にくいだろうと思って近づくまで待ったんだ」
今度は演技でなく息を吐いた龍麻は、まだ盲目者が消滅していないのを確かめると、醍醐に促した。
「まだあいつが残ってる……行こうぜ」
「うむッ」
二人は京一達に加勢すべく走った。
盲目者と呼ばれる異形の化物は、まだその禍々しい姿を誇示していた。
アランの銃は命中してはいるが、大きなダメージを与えているわけではないようだ。
如月と京一も絶えず攻撃を続けてはいても、人型をしていない相手にはどこを狙えばよいか、苦戦しているようだった。
小蒔が放った矢が、闇を裂いて飛ぶ。
盲目者の身体中にある瘤のひとつを狙ったものだったが、
一直線に飛んでいた矢は、突然ありえない方向に曲がり、大きく外れてしまった。
龍麻が駆け寄ると、小蒔はわずかに苛立った様子で状況を説明した。
「これで三本射たんだけど、全部今みたいに外れちゃった」
「何か、風を操っているのかもしれねえな」
「そうだね……でもどうしよう、これじゃどうにもならないよ」
「矢を打つのはちょっと待て。怪我はしてないな?」
「うん、平気」
安全なところで待機しているよう命じて、龍麻は京一のところに走った。
「どうだ」
「埒があかねェ。斬ったところですぐに傷が塞がっちまう」
京一は斬撃を見舞うが、確かに一度は盲目者を切り裂きはしても、
ほどなくどこを斬ったも判らないくらい傷は塞がってしまった。
「全力で一気にやるしかなさそうだな」
龍麻は素早く作戦を立てて指示を出す。
「京一はあいつを思いきり切り裂いてくれ。そこに俺がねじこむ」
「よっしゃッ」
「如月と桜井は俺の後に仕掛けてくれ。アランもだ……おい、アランッ!」
龍麻が呼びかけても、アランは全く聞いておらず、夢中で撃ち続けていた。
彼の所に走った龍麻は、彼の胸ぐらを掴むと有無を言わさず頬を張り飛ばした。
「何するネ、ヒユー! 邪魔するならユーも撃つッ!」
「仇を目の前にして抑えられねえのは解るが、落ちつけッ!」
まだ射撃を続けようとするアランの、腕を押さえる。
アランの隆起した筋肉を止めるのは、氣で身体を活性化している龍麻でも容易でなかった。
「今から俺達があいつに穴を開ける。そしたら、特大の氣を込めたお前の弾をぶちこんでやれ。できるか?」
「ユーこそ、できるのか?」
挑発に煽りで返す、というよりも、アランは本当に疑っているようだ。
龍麻としては、やってみせるしかなかった。
「よし、話は決まった。醍醐、すまねえが十五秒稼いでくれ。京一」
「おうッ!」
「任せとけッ!」
盲目者に突撃した醍醐が攻撃を始めた。
拳と蹴りを、まるでサンドバッグにするように乱打で見舞う。
異界の化物にとっては、表面的な打撃などどれほどのダメージもない。
だが、多少なりとも氣の乗った一撃は、盲目者の意識を振り向けさせるには充分で、
上方にある巨大な眼が醍醐を睨んだ。
「矮小ナ存在メ、捻リ潰シテクレル……!」
醍醐の頭上から垂直に風が吹きつける。
突如として起こった風は竜巻といえるほど強く、醍醐の勢いを大きく減じたが、
醍醐は落ちた速度を距離を縮めることで補おうと、さらに盲目者に肉薄して攻撃を続けた。
制服が裂け、切り傷が幾筋も生じる。
盲目者が操る風がもたらす傷は、ひとつひとつは小さなものでも、数が増えれば出血も増える。
しかし醍醐はそれらの傷をものともせず、ひたすらに役目を果たした。
焦れた盲目者が、本腰を入れて醍醐を倒そうとする。
その殺意は離れたところにいる龍麻達にも、そして醍醐当人にも伝わったが、
醍醐は盲目者から離れようとしない。
これまでで最大の乱流が醍醐を襲おうとする寸前、充分に氣を練った京一が飛びだした。
「いくぜッ!!」
上段の構えから一回転し、撓めた氣を乗せた木刀を一気呵成に振り下ろす。
旋を描いた剣の軌跡は、盲目者を大きく切り裂いた。
「グオオッ、小癪ナ人間共メ……!」
たかをくくっていた人間に思わぬ一撃を見舞われ、盲目者は怒りも露に京一に襲いかかる。
渾身の一撃を見舞った京一は、呼吸が整わず動けない。
しかし恐れる色もなく盲目者を待ち受ける京一は、背後に迫る気配に振り向かず怒鳴りつけた。
「いけッ、緋勇ッ、ぶちかませッ!!」
叫びに呼応するように、京一をも上回る氣が膨れあがる。
洞窟が鳴動し、金色の輝きで満ちた。
危険を感じた絵莉は思わずしゃがみこんでしまったが、彼女を除いた若者達は皆、
誰一人として逃げようともせず、異界の敵を睨みつけていた。
彼らに畏敬の念を抱いた絵莉は、せめて彼らの戦いを見届けようと眼を見開いた。
金色で覆われた洞窟の中に、ひときわ強い光が疾る。
直径二メートルほどのそれは、地上から発生しつつ、三メートルほどの高さに放射されていた。
およそ三十秒ほど続いた光輝が薄れていくと、光の到達点である盲目者の体には、大きな穴が穿たれていた。
「オオオ、貴様ラ人間如キガヨクモ……!!」
喰らうだけだった存在に傷を負わされ、盲目者の声が怒りに震える。
だが、人間達は怯えるどころか、さらに攻撃を加えてきた。
京一が開き、龍麻が穿った穴に、如月と小蒔がそれぞれの武器を放つ。
如月が放った一本の苦無は、盲目者に当たる直前に五本に分裂し、それぞれが深く刺さった。
小蒔が射た赤い氣に包まれた矢は、狙いを違えることなく命中した。
人間であれば到底耐えきれないだろう一点への集中攻撃にも、盲目者は深手を負いながらも未だ健在だ。
憤怒の風を巻き起こし、人間達に反撃しようとした盲目者の前に、一人の人間が立った。
青いリボルバーを右手で構えたその男は、微動だにせず撃鉄を起こすと、微塵のためらいもみせずに引き金を引いた。
銃と同じ蒼色をした弾丸が、仲間達が広げた穴の最奥に命中する。
小さな蒼い輝きは、怪物の体内に呑まれて消え去ってしまったかに見えた。
盲目者の身体から、蒼い光がほとばしる。
一度失せ、復活した輝きは、数倍もの強さとなって盲目者を覆った。
同時に、洞窟全体を揺らすような叫びがその場に居る者達の鼓膜を撃った。
「ウオオオオ──門ガ閉ジル……イヤ……ダ、アノ暗闇ニモドルノハ……!」
音程の定まっていない、もしかしたら最初から無いのかもしれない盲目者の声は、
幾重にも反響を繰り返しつつも次第に薄れていく。
やがてその姿と共に反響が消え去った後の洞窟には、そら恐ろしいまでの静寂が満ちていった。
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