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食事を済ませた三人は、寺に戻ってきていた。
あれから三人は蕎麦を食べ、京梧はさらに他の店に行く気満々だったのだが、
出向いた頃合いが遅かったので、店が閉まってしまったのだ。
それでも龍麻は充分に腹が膨れたし、京梧に至っては傍若無人な食べっぷりで
払い主の醍醐と剣呑な雰囲気になり、あわや喧嘩になりかけたのだ。
なぜ俺が、と思いつつ龍麻が仲裁しなかったら、騒ぎになっていたかもしれない。
「坊主が金勘定にうるさいなんて世も末だぜ、ッたく」
「坊主にたかろうとすることこそ末法だとは思わんのか」
まだ言い合う二人を置いて、龍麻は本堂に入った。
ここまで来れば言い争いでも喧嘩でも好きにすればいい。
帰り着く頃にはすっかり真っ暗で、行灯の明かりが頼りなく感じられた。
龍穴から出たのが今頃の時間だったら、もっと大変なことになっていたかもしれない。
江戸時代がいいのか平成の世がいいのかは、龍麻にはまだ分からないが、
灯りについては間違いなく現代の方が便利だろう。
外と同じ暗さの本堂に入ってそんな感想を抱いたところで、
龍麻はデイパックに懐中電灯が入っていたのを思いだした。
旧校舎に潜るときに持っていくデイパックは、京一からは心配性と、
小蒔からは便利屋と笑われるくらいには様々なものを入れてある。
確かにそれらを使用したことはあまりないのだが、今回ばかりはフル活用することになるだろう。
さっそく龍麻は懐中電灯を取りだし、スイッチを入れた。
文明の光は江戸の闇を払うとまでは行かなかったものの、
行灯に較べれば遥かに明るい光が本堂内に点った。
「おッ、なんだそりゃ」
京梧が近づき、醍醐も寄ってくる。
龍麻はやや自慢げに使い方の説明をしてやった。
「おい、見ろよ醍醐、凄ェじゃねェかこいつァ!」
「ふむ、蝋燭を使わずに明かりが灯せるのか。確かに凄いな」
「こんな凄ェ道具、なんで最初ッから出さなかったんだ」
京梧の疑問は龍麻も同感だった。
「すっかり忘れてたんだよ。穴から出てくりゃ見たことない場所だし、
人が居たと思ったら斬りかかってくるし」
しかも京梧が持っていたのがたまたま木刀だっただけで、本当なら真剣で殺し合いだったのだ。
「まァ、済んだことを話してもしょうがねェやな。
それでおめェ、百三十年後の日本ってのはどうなってるんだ。
飯はあんまり美味くなってねェみたいだけどよ」
「そうだな、俺も少し興味がある。江戸の街はどんな風になっているんだ」
「そうだな……」
何を話せばよいか、龍麻は迷った。
覚えている限り、わずか数年後から日本は激動の時代を迎え、
二度の世界大戦を経て全く別の国と言って良いくらいに様変わりする。
それらの全てを話したところで彼らが受けいれるのは難しいだろうし、
うかつなことを言えばまた喧嘩の火種になってしまう。
慎重に吟味してから龍麻は、なるべく静かに告げた。
「とりあえず、日本刀は誰も持っていない」
「何ィッ!! 俺はどうすんだッ」
「百三十年後まで生きてないだろ」
実際は百三十年後どころかあと十年後に廃刀令が出され、
町人が刀を持つことは禁じられるのだが、
その頃までは生きているであろう京梧という火に、わざわざ油を注ぐ必要もない。
「じゃあどうなってんだ、今だって京都にゃ新撰組って物騒なのがいるって話じゃねェか。
そいつらも刀を捨てるってのか?」
「ああ、全員だ。日本刀は少しの例外を除いて持っちゃいけないことになる。
代わりに竹刀を使った剣道ってのがあるな、一応」
「竹刀だあ? あんなモンで人は斬れねェだろ」
「だから、斬っちゃだめなんだって」
笑いを堪えつつ龍麻が言うと、京梧はばったりと後ろに倒れた。
「あァ、一気に興味が失せたぜ……なんでそんなつまんねェ世になっちまうんだ」
「まあ、争いがなくなるのはいいことだと思うがな」
「坊主はそれでいいだろうよ。けッ、今のうちに斬れるだけ斬っとくか」
「お前な……」
たしなめようとして醍醐は、京梧が起きないので放っておくことにしたらしい。
龍麻に向き直り、話の続きをせがんだ。
「他にはどんな変化があるんだ、緋勇」
「いっぱいあるけど、世界の好きな国に行けるようになってるな。
それも、だいたいはその日のうちに」
「どうやってだ?」
「そういう乗り物ができるんだよ。飛行機っていって、空を飛ぶんだ」
「空を!? 鳥のようにか? にわかには信じられんな」
醍醐は唸ったきり黙ってしまった。
彼の驚きように、龍麻も改めて文明の進歩について考えさせられていると、床から京梧の声がする。
「それは誰でも乗れるのか?」
「金はかかるけど、金さえ払えば」
「けッ、いつの時代でも金、金、金かよ」
その点は龍麻も全く同意だった。
肩をすくめて賛意を示すと、醍醐が顎に手を当て、やや上を向いて呟いた。
「世界か……俺は天竺に行ってみたいな」
「仏教の勉強にか?」
「ああ、やはり発祥の地で教えを学んでみたい」
彼の真摯さは尊敬に値するもので、京梧にしたように混ぜっ返す気に龍麻はなれなかった。
だが、京梧はお構いなしに口を挟む。
「まったくご苦労なこった。死ぬまで勉強するつもりかよ」
「死ぬまで勉強したって、仏の真理にはとうてい到達できんさ。
それより京梧、お前はどうなんだ。どこか行きたい国はないのか」
「俺か? 俺は別にねェな。日本で最強になれりゃそれで充分だな」
京梧の顔は行灯の灯りが届かない場所にあって、本気か否かわからない。
暗闇から視線を戻した龍麻は、ふと心づいて訊ねた。
「そういえば、二人はここで何をしてるんだ?」
「ん? ……この寺の住職が亡くなってな。
誰も居ないと荒れるから、頼まれて俺が一時的に身を置いているんだ」
「俺は別に行くあてもねェ風来坊って奴よ。ここに居るのはたまたまだな」
醍醐はあからさまに嘘をついているし、京梧もいやに早口だ。
そもそも百三十年後の世界、この地に立つ高校に通う蓬莱寺京一と醍醐雄矢の血筋と
思われる彼らが、この場所に揃っていたという偶然を信じるのは難しい。
宿命と呼ばれるものにせよ、縁と言われるものにせよ、何らかの意志、
あるいは意図があると考えるのが自然だろう。
けれども、今それを追求するのは得策ではなかった。
彼らを怒らせたところで追い出されるだけだし、
旧校舎に入ってからの一日はあまりに激動で疲れてもいた。
龍麻が大きくあくびをすると、すぐに醍醐が応じた。
「よし、夜も深まったことだし、そろそろ寝るか」
「面倒くせえ、ここで寝ちまおうぜ」
「そういうわけにはいかん。庫裏でないと布団がないしな」
渋々京梧が身を起こし、腹を掻きながら行灯を手にして歩きだす。
醍醐が続き、最後に龍麻が懐中電灯を持って庫裏へと向かった。
庫裏、と言っても本堂と何か違うわけでもなく、ただ布団があるかないかだけだった。
それでも路頭に迷うところだった龍麻にとってはありがたく、
堅い木の床や薄い布団も気にはならない。
寝る支度をととのえる間、龍麻がライトの光を向けてやると、
醍醐は改めて感銘を受けたようだった。
「ふむ、本当に便利だな、その灯りは。懐中電灯と言ったか?」
「ああ、まあ、乾電池が保つ限りは、だけどな」
「乾電池? それはいったい何だ?」
「えっと……電気……つまり、雷の力を蓄えておくもの、かな」
「雷だと!? あんなものをどうやってそんな小さな物に封じこめるのだ!?」
「その……」
実はこの時点で電池は日本に存在する。
イタリアで発明されたボルタ電池がアメリカに伝わり、
それをペリーが二回目の来航の際、当時の征夷大将軍である徳川家定に献上しているのだ。
だが、もちろん民衆がそのような事実を知っているはずもなく、また、
電池そのものが重要であったようで、これを使って何かを動かしたというわけではなかったようだ。
さらにさかのぼること約二十年、一八四九年には佐久間象山がオランダの百科全書を元に
ダニエル電池を製作し、電信実験に用いている。
ただし懐中電灯に用いるような乾電池の発明は逆に約二十年、一八八七年まで待たねばならず、
いずれにしても、龍麻は乾電池の仕組みまで説明できるほど化学に詳しくなかったので、
醍醐の当然の疑問を解消してやることはできなかった。
「お前ら、そんなこたァ朝話せよ。いくら明るくなったって、夜は寝るもんだろうが」
京梧のもっともな言に醍醐はやや残念そうに頷き、龍麻も、
こちらは詳しい追及から逃れて若干救われた気分で、灯りを消して床についた。
常闇に目を開いて、自分の身に生じた異変を龍麻はふり返ってみる。
タイムスリップ――時間を移動する、というのは誰もが一度は空想し、
そして叶わぬ夢と諦める、科学でも魔法でも超能力でも実現はできないはずの絵空事だ。
今日の朝の時点では、決して望んでいたわけではなく、
事前にするかしないか選べたとしてもしなかっただろうが、
とにかく百三十年の時を遡行し、龍麻は江戸時代末期の新宿に来てしまった。
なぜタイムスリップしたかは説明などできないが、
どうして江戸時代末期にタイムスリップしたかは見当がつく。
おそらくはデイパックに入っている摩尼、
数日前はこの珠に封じられた氣が外法によって人の形をとった、
雹という女性が生きていた年代なのだ。
ならば龍麻は彼女を捜すしかない。
何かの拍子で元の時代に戻るとしても、あるいは江戸時代で残りの人生を過ごすのならなおさら、
雹に会わなければ生きていられるものではなかった。
一千万人を超える人間が居る一九九八年の東京よりは少ないとしても、
江戸時代でも百万人は居たらしく、その中から一人の女性を捜しだすなど
砂漠で一粒の砂を探すに等しい。
しかし、真神學園の敷地内であると思われる場所にある古寺にいた
蓬莱寺京梧と醍醐雄慶は雹を探す手がかりの一つである鬼道衆を知っていた。
これは極めて大きな手がかりとなるはずで、彼らが鬼道衆を知っていると答えた瞬間に、
龍麻は必ず雹を見つけだせると確信したのだ。
実際には多くの困難が待ち受けているはずであり、
場合によっては京梧と醍醐の元を去ることになり、しかも円満な形では去れないかも知れない。
それでも龍麻の腹は決まっていた。
彼らには悪いが、自分がこの時代に時を超えて来た理由はたったひとつ、
雹に会うことなのだから。
決意を固めたところで急速に睡魔が襲ってきて、逆らわず目を閉じる。
瞼の裏に思い浮かべた雹の顔が薄れるより先に、龍麻は眠りに落ちていた。
翌日は龍麻はすることがなかった。
京梧は朝飯を食べたらどこかへ出かけてしまったし、
醍醐も用事があるとかで昼食後には出て行った。
残された龍麻はTシャツにジーンズという服装で江戸の街を歩き回るわけにもいかず、
当然ながら金銭も持っていないのでどうしようもない。
龍穴に行ってみようかとも思ったが、昨日の今日で戻ってしまったらと考えると
うかつに行くこともできない。
結局寺の周りを少し散策するくらいしかすることがなかった。
そして、龍麻が江戸時代にやって来てから三日目。
この日は醍醐の上役である、時諏佐百合という女性が来る日だと聞かされていた。
醍醐は微妙に口を濁したが、彼女はこの寺の管理者であり、
醍醐も、昨日から顔を見せていない京梧も彼女の命令で何事かをしているらしい。
この先しばらくこの寺に留まるつもりなら、どうしても彼女の許可は得ないといけないという話で、
他に行く当てもない龍麻は従うしかなかった。
「どんな女性なんだ、その百合って人は」
「どんな……と言われても俺に説明は難しいが、凄い御人だな」
全く参考にならない情報に龍麻は肩をすくめた。
よく考えれば醍醐は坊主なのだから、女性との交流が少ないのかもしれない。
ならば目の前の醍醐はいいとして、あっちの醍醐が奥手なのはどういった理由からだろうか。
髪型を除けば顔立ちも体格も、そして性格も良く似ている二人の醍醐を比較して、
笑みをこぼす龍麻だった。
「それじゃ、俺は何を話せばいい」
この問いに対する答えは明快だった。
「嘘でごまかせる御人じゃない。全てを話した方がいいだろう」
「俺が百三十年後から来たってのもか?」
「ああ。正直言って俺も完全に信じたわけではないが、あの、懐中電灯と言ったか?
あれを見せれば良いと思う」
まさか懐中電灯が身分証明書になるとは、龍麻は再び、今度は苦笑した。
もちろん、怪しい者として警察に――この時代の警察にあたる組織は、何と言っただろうか
――突きだされないよう、利用できるものはなんでも利用して、
自分の居場所を作らなければならない。
そうしなければ、雹を探すこともできないのだから。
時諏佐百合について本堂で話しあう二人の背後で、いきなり戸が開いた。
二人が同時に振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。
彼女が時諏佐百合であることは、素早く立ちあがった醍醐の態度を見ても明らかだった。
時諏佐百合を見て龍麻が抱いた第一印象は、有能な秘書だった。
この時代に秘書などという仕事があるはずはなく、
そもそも龍麻は百三十年後でも有能な秘書を実際には見たことがないので、
この印象は十八歳男子の妄想に近いということになる。
ただ、鋭さと険しさの境界線をぎりぎりで超えていない眼差しと、
強い意志が見える引き締められた口元から、
頭が良い女性だというのはそう間違ってはいないだろう。
醍醐に合わせて龍麻も立ちあがり、目礼する。
百合は小さく頷いたが、先に話しかけたのは醍醐に対してだった。
「ふう……戻ったよ」
「お帰りなさい、先生」
「大事はなかったかい、雄慶」
と言った百合の眼差しは、すでに龍麻に向けられていた。
悪意はないが容赦もない、二十世紀の東京ではあまり見られない鋭さの眼光に、
やましいところはないはずなのに龍麻はたじろいでしまう。
「あんたは見ない顔だねェ。それに服装も変わっているようだけれど」
「俺は緋勇龍麻と言います。服装が変わっているのは、その」
百合はいかにも真面目そうな女性で、いきなりタイムスリップなどという、
この時代では概念さえなさそうな話をして大丈夫だろうかと龍麻が逡巡していると、
醍醐が助け船を出してくれた。
「こいつは龍穴を通って未来から来たと言うんです。
不思議な道具も持っていましたし、怪しいところはありましたが
行くあてがないと言い、鬼道衆の一員でもなさそうなので、ここに泊まらせました」
「そうかい。どうやら立ち話で済む話じゃなさそうだね。
緋勇と言ったね、荷物を置いてくるから、本堂で待っていな」
百合は踵を返し、庫裏へと歩き去った。
後の世から来た、など驚天動地の話であるはずだが、歩調に乱れは全くなく、
颯爽、という言葉がよく似合う、動作の全てが小気味いい。
もしかしたら戯言だと思っているのかもしれない。
だとしたら彼女を説得するのは大変困難になりそうで、龍麻は思わず大きく息を吐いた。
その肩を、醍醐が叩く。
「時諏佐先生は物の分かる御方だ。まあ、そう心配するな」
「ああ、ありがとう」
置かれた手から伝わる既視感に、言葉以上に励まされた気がして、
龍麻は頷き、本堂に入った。
百合が本堂に姿を見せたのは、龍麻が座ってから五分ほどしてからだった。
待った時間としてはごく普通の、これくらいは当然というべきの時間だったが、
すでに龍麻は出鼻を挫かれていた。
原因は、龍麻自身にあった。
時諏佐百合という女性がどの程度の権力者なのかは不明だが、
初対面で礼を失するのは厳に慎むべきだろう。
昨日まではあぐらを掻いていた醍醐がそんな座り方をしたのもあって、
龍麻も正座して彼女を待っていた。
足の痺れというものを甘く見ていた龍麻に、容赦なく痺れが襲ってきたのは、
正座を始めてわずか二分後のことだった。
堅い板張りの床にジーンズという、血行を妨げる条件を二つも揃えた両足は、
まず先端部分からじんじんと麻痺してくる。
第一波は上体を傾けたり足をずらしたりして乗り切った龍麻だが、
ほどなく第二波がやってきた。
第一波以上に強烈な、電撃のような痺れに、龍麻の忍耐は早くも限界を迎える。
己の進退と肉体の危機の双方との戦いは苛烈を極め、
百合がやってきた時には喋ることさえできないほど追いつめられていた。
「さァ、話を聞かせてもらおうか……?」
目の前で顔を赤くして身悶えしている男を、並の男よりはよほど胆力のある百合も、
不気味そうに見ずにはいられなかった。
彼女の視線の温度が下がったのを龍麻は察知したが、
足の痺れは精神力で克服できるような生やさしいものではない。
上を向き、下を向き、拳を握りしめ、身体を揺すり、
どうにか話ができるだけの集中力を得ようと努力する姿は、
どれほど真剣であっても、残念ながら気持ちの悪さが増すばかりで、
百合も座らずに重心をやや後ろに移したほどだった。
「どうしたんだ、緋勇。具合が悪くなったのか」
緊張のあまりに体調を崩したのかと心配する醍醐に、
龍麻は一本の蜘蛛の糸を見る思いだったが、ここは矜恃にかけて耐えなければならない場面だ。
「い、や……大丈夫、だ……」
「そうか? あまり大丈夫でもなさそうだが」
「い、いや……平気、だから……」
せめて事情を語り終えるまでは、と龍麻は百合を見上げる。
気圧されながらも座った百合に、正座をしない現代人は一気に事のあらましを語った。
はじめはうさんくさげに聞いていた百合も、龍穴の名前が出たところで表情を変える。
龍麻が鬼道衆を口にしたところで完全に真剣な表情になり、
全ての話を終えると、目を細め、重たげに呟いた。
「龍穴……そうかい、あれは後の世にも残っているんだね。
それで、どうしてあんたは龍穴に入ったんだい?」
この部分に関してだけ、龍麻は嘘をついた。
雹と摩尼のことを話すのは、鬼道衆を敵としている彼女たちに語るのは危険だろうから。
鬼道衆と戦っていること、彼らに勝つために己を鍛える目的で
龍穴に入ったと龍麻が説明すると、百合は驚きつつも納得した。
「鬼道衆が百三十年も経った後にも存在しているとはね……」
彼らの目的を訊ねられた龍麻は、二日前に醍醐たちにもそうしたように首を振った。
「まだ敵の首領と目的についてはわかっていません。
襲ってくる彼らを撃退するだけで精一杯です」
「奴等はそんな後の時代にも迷惑をかけているんだねェ……どうしようもない奴等だよ」
百合が頭を振る。
未来から過去にやってきたなどという突拍子のない話を彼女が信じたのかどうか、
訊ねるべきか龍麻が迷っていると、彼女が先に口を開いた。
「未来について、ひとつだけ聞かせておくれ。
この寺がある場所は、百三十年後はどんな風になっているんだい?」
その質問は龍麻の意表をつき、考えをまとめるまで十秒ほど必要だった。
「学校っていう、俺くらいの年齢の男女が勉強をする場所になっています。
今だと寺子屋って言うのかな、あれのとても大きなもので」
「そこには何人くらい居るんだい?」
「全校生徒は、えっと……五五十人くらいだったと思いますけど」
「……!!」
百合は大きく眼を見開いたかと思うと、かすかに震え、そして、
何かに耐えるように下を向いた。
龍麻は自分の告げた事実が、どれだけ彼女に感銘を与えたか、想像もつかなかった。
やがて顔を上げた彼女の顔は相変わらず厳しかったが、龍麻を見る眼はいくぶん和らいでいた。
「わかったよ。元の時代に帰る方法を見つけるのが先決だとは思うけれど、
それまでの間はここで寝泊まりして構わないよ。少しだけれど金子もやる。
雄慶、着物を用意してやりな。あんたも薪割りと掃除くらいはできるだろう?」
「それなのですが、先生」
思いもかけぬ好待遇に龍麻が礼を述べるよりも早く、醍醐が口を挟んだ。
「緋勇は不思議な力を持っていまして、なかなかに腕も立つようです。
鬼道衆と戦っているということですし」
百合は考えたが、長い時間のことではなかった。
「……そうだね。あんたはこの江戸にも現在、
鬼道衆が暗躍しているという話は聞いているかい?」
「はい、醍醐から聞きました」
「あたし達はああいう輩から江戸を守るために活動しているんだ。
現在のところ奴らは動きをひそめちゃいるけど、奴等の動向を探り、
何か害を為そうとしているのなら阻止しないとならない。
これも何かの縁だ、あんたにも手伝ってほしい」
「手伝うって……戦うってことですか?」
「いや、悔しいけれどあたし達はまだ、鬼道衆の規模も目的も掴んじゃいない。
だからまずは江戸の街を歩き回って噂を集めて欲しいのさ」
「そういうことなら」
安堵しつつも龍麻には疑問が浮かぶ。
鬼道衆を探るのは良いとして、この二人とおそらく京梧はそれを仕事としているらしい。
二人とも公的な関係の人間ではなさそうだが、何処の馬の骨ともしれない
龍麻にまで給金があるというのだから、謎は深まるばかりだった。
だが、もちろん龍麻に文句はない。
衣食住が得られただけでもありがたいのに、鬼道衆を、
すなわち雹を探す機会まで与えてくれるというのだから、
文句など言ったら罰が当たるというものだ。
「喜んで引き受けさせてもらいます」
「ああ、頼んだよ」
「改めてよろしくな、緋勇」
今日は着物を用意するので、本格的な活動は明日からということになって、話は終わった。
この時点で限界を三回くらい突破していた龍麻は、
四回目の限界が訪れる前に脱出しようと立ちあがった。
しかし、倍ほどにむくんだように感じられる足の裏は、
龍麻の体重を支える力をとうに失っており、接地した途端に主を見捨てて逃げだした。
板の間にぶざまな音が鳴り響く。
端からは何もないところで転んだようにしか見えない龍麻は、
一気に襲ってきた痺れに、身体を起こすこともできなかった。
「どうしたんだい?」
「足が……痺れて……」
顔を見合わせた二人の江戸時代人は、呆れたように二十世紀人を見やった。
「なんだい、日本人はこんなに軟弱になっちまうのかい?
これから日本は大変だってのに、本当に大丈夫なんだろうね?」
一言も返す言葉がない龍麻だった。
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