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黙った二人に代わって、澳継が口を開く。
「それで、お前はその時代で何をやってるんだよ」
「何って、学生だよ。学校に行って勉強するのが仕事だな」
「はあッ!? 勉強!?」
意味が分からない、と澳継は頭を抱える。
「俺達の時代、日本は少なくても十八歳までは男も女も勉強するんだよ」
「馬鹿じゃねェか、そんなに勉強してどうしようってんだよ」
「どうもこうも、勉強しないと仕事に就けないんだって」
「なんて嫌な国になっちまうんだ……」
呆然とする澳継に龍麻と九角は失笑をこらえる。
失笑で口の中をゆすぎつつ、九角が訊ねた。
「そういえば、お前は何歳だ」
「十八歳。九角は俺よりも年上に見えるけど」
「ああ、俺は二十一だ」
二人は気づいていないが、龍麻は満年齢で話しており、九角は数えで話していて、
つまり実際には二人の年齢差は二ということになる。
実際の年齢差以上に風格が違って見えるのは、やはり生きる環境の差だろう。
年齢について語った二人は、期せずしてもう一人を見た。
「お前は何歳だよ。俺より年上には見えないけど」
「じ、じゅう……はちだよ俺も」
「嘘つけ、十六より上には見えないぞ」
「てッ、手前ェッ、ちっとばかし年上だからって何だってんだ、
御屋形様への忠義は俺の方が厚いんだからなッ!」
九角の前で殴りかかるのはさすがに自制しているが、澳継は本気で怒っている。
少しやり過ぎたかもしれないと龍麻は反省し、あとで謝っておこうと思った。
「聞きたい話はまだあるが、先にお前の望みを叶えてやろう」
話が一段落つくと、九角は部下を呼んだ。
「雹を呼んできてくれ」
「え……」
そのためにここにいるのにも関わらず、龍麻は耳を疑った。
「何だ、会いたくはないのか」
「い、いや……そんなことは」
服は着替えた方がいいだろうか。
顔は洗った方がいいだろうか。髪は。
最初に何と声をかければいいか。
一度に幾つもの考えが巡りはじめ、龍麻は自失する。
あたふたと手を動かし、その全てがまったく意味のない動作になっている龍麻を見て、
九角が言った。
「澳継は席を外せ」
「えッ……でも」
「大丈夫だ。見ろ、今のこいつに何ができるとも思えぬ」
本当なら九角自身も男女の逢瀬に立ちいりたくなどないのだが、
鬼道衆というよりも、この村の長としてそういうわけにもいかないのだ。
それに、この狼狽ぶりでは雹に会ったところで袖にされるのが落ちだ。
誰かが手伝ってやる必要があるだろう。
やたらと髪を撫でつけようとして失敗している龍麻を含み笑いで見やりながら、
九角は雹が来るのを待った。
十五分ほどが過ぎたころ、九角が呼んだ人物が姿を現した。
「雹にございます、御屋形様」
「入れ」
開く襖を、龍麻は息も忘れて見つめていた。
とうとう彼女に会えた。
加速する鼓動は痛いほどで、数十センチの襖が開くのがあと数秒遅かったなら、
倒れていたかもしれなかった。
「雹……!」
万感の想いが龍麻の声を震わせていた。
涙まで零れそうになるのをこらえ、百年以上の時を超えて再会した想い女に目を凝らした。
雹は一人ではなく、同行者がいた。
明らかに女性ではない体格の人物に、数百分の一秒、龍麻の胸に嫉妬の電流が流れる。
だが、すぐにその人物は男性どころか人間ではないことが判明した。
人の姿をした、巨大な人形。
どのような原理かは解らないが、木製の大きな動く人形の、腕に雹は乗っていた。
肩まで伸びた濡れるような髪は、額で綺麗に切りそろえられている。
鋭く切れあがった目に、牡丹の色をした唇。
間違いようもない、龍麻が想った雹その人だった。
限界を超えてわずかに伝った涙を龍麻は拭おうともしない。
九角や澳継がいなければ、この場で抱きついていたかもしれなかった。
激情を露にする龍麻と対照的に、雹は氷結寸前の冷たさを醸していた。
主君である九角に挨拶した時だけは幾分和らぐが、
龍麻に向ける眼光は、皮膚を切り裂く刃のごとしだった。
「御屋形様、この者は」
「知らぬか」
「はい」
「お前に会わせろの一点張りでな、見るからに怪しい奴だが澳継が苦戦する程度には腕が立つ。
話を聞いたところ幕府の密偵ではなさそうだが、本当に知らない奴なのだな?」
「見たこともございませぬ」
冷酷極まる雹の返答に、むしろ九角は興味をそそられたように龍麻を見た。
「雹はああ言っているが」
「……この雹は、俺のことを知らないと思う」
百三十年の時を超えて巡りあえた感動は、そのまま同量の重りとなっている。
龍麻は自分のうかつさを呪わずにいられなかった。
龍麻と雹が出会ったのは現代なのだから、過去の彼女が未来の記憶を有しているはずがないし、
そもそも、水角という名の敵だったあの雹は、
恨みの念、陰氣を利用されて摩尼に封じられていたのを、
外法によって仮初めの肉体を得たに過ぎない存在であり、
目の前にいる少女とは同一人物と言って良いかさえ怪しいのだ。
彼女の居る時代にタイムスリップしたというのが、
あまりに自分にとって都合の良い展開だったため、
龍麻は雹と逢いさえすればなんとかなると信じ、それ以外の可能性を全く考慮しなかったのだ。
頂上まであと一歩というところから麓にまで転げおちたような龍麻に目もくれず、
雹は主に対して容赦のない視線を向けた。
「おそれながら、御屋形様はこのような、どこの者とも知れぬ
人間の戯れ言をお信じになられたのですか」
「不思議な道具を持っていてな、嵐王に見せたがこの時代の道具ではないと言った」
嵐王という人間はこの集団において一定の信用を得ているらしく、
雹は小さく鼻を鳴らしたものの、それ以上の疑いを口にはしなかった。
ただし龍麻を見る眼差しは限りなく敵に対するそれで、およそ友好的とはいいがたい。
一方は消沈して、一方は冷徹なまま、黙りこくった二人に、九角が提案した。
「で、どうする、緋勇。人の恋路に口を出すなど野暮はしたくないが、
お前には事情があるからな。元の時代に帰ることはできないのか」
九角の声に龍麻は我に返った。
考えるより早く決意が口を衝いた。
「俺を、ここに置いてもらえませんか」
「ほう……鬼の仲間になるというのか?」
「江戸の人々を苦しめるのは、やりたくない。でも、今は騒ぎを起こしていないという話だから」
「ならば、人手も必要ないということになるな」
九角の指摘は正鵠を射ていて、龍麻はうつむいてしまった。
その龍麻を見て、雹が勝ち誇った顔をする。
その雹を見た九角が、静かに告げた。
「好きにするがいい。部屋も幾つかは空いていたはずだ」
「御屋形様!」
「嵐王がこの者と話をしたいと言っていてな、約束してしまったのだ」
「ですが」
「狼藉を働こうとしたらすぐに斬る。それでは不満か」
不満であるのがありありと顔に出ていたが、当主に逆らうのは良しとしないのだろう。
雹は目を細めると慇懃に頭を下げた。
「御意。用件が以上でしたら、退がってよろしいでしょうか。
ガンリュウの手入れもせねばならぬゆえ」
「ああ、御苦労だった」
微かなきしみ音を発して向きを変えたガンリュウに乗った雹は、
全くふり返ることなく去っていった。
雹が完全に立ち去ってから、龍麻が顔を上げる。
「ありがとうございます……御屋形様」
龍麻としては最大限の謝意を伝えたつもりだったが、九角はいきなり笑いだした。
「お前はまだ鬼道衆には入っていないのだからな、九角でいい。
慣れぬ言い方をして舌を噛まれても困るからな」
笑いを収めた九角は、声を低めて言った。
「実は、少し調べて欲しいことがあってな」
そう前置きして、九角は語り始めた。
「以前俺達が江戸に騒ぎを起こしていたのは確かだ。
だが、俺達が関係していない騒ぎが春頃から起き始めた。
俺は断じて命令を下していないし、部下達も知らぬと言っている。
ただの騒ぎなら構わぬが、奴等は俺達の名を騙っていた」
龍麻は黙って話を聞いていた。
鬼道衆の長の言うことに耳を傾けるというのは奇妙な気分ではあるが、
九角の話し方は整然としており、声にも統率力が感じられる。
「考えられるのは、単純に罪を俺達に押しつけて自分たちは逃れたいからか、
あるいは鬼道衆の悪名を高めることで幕府に俺達を潰させようとするかだ。
どちらにしても放ってはおけないのでな」
「俺が龍閃組に居たというのは?」
「ああ、澳継に聞いている」
「彼らに素性を話したとき、彼らの長に――女性でしたが、
鬼道衆について調べて欲しいと言われました。
といっても、街を歩き回って噂話を拾う程度のことですが」
「うむ、それで」
「その時に、『今は奴等もおとなしくしているから、こちらも人数を減らしている』と。
龍閃組がどんな組織なのか知りませんが、潰そうとする動きは無いようにも思います。
それに、俺が内藤新宿に出ていた二ヶ月ほど、確かに鬼道衆の噂は聞きませんでした」
「なるほどな。で、調査だが、俺の部下には少し難儀な仕事でな。
澳継にやらせているが、奴一人ではなかなか手が回りきらんようだ」
「そういうことなら、ご命令に従います」
「龍閃組と戦うことになるかもしれぬぞ」
「雹に会うのが、俺の一番の目的ですから」
頷いた九角は、やや遠くを見つめた。
「あれは人間に対して心を閉ざしている。それを開かせるのは、容易なことではないぞ」
「俺の時代で逢った雹は、敵同士でした」
「そうだったな。では手並みを見せてもらうとしよう」
こうして龍麻は、鬼道衆の一員として働くことになった。
変幻流転の運命だが、後悔はない。
百年以上の時を超えて、運命の女性に巡り会うことができたのだから。
彼女の扉は重く、そして氷に閉ざされている。
その扉を、しかし龍麻は必ず溶かすと決意していた。
龍麻が九角の治める村――鬼哭村というそうだ――の一員となってから、一週間が過ぎていた。
村には意外と多くの人が居て、若い夫婦も子供も居た。
それとなく聞いたところでは、幕府に恨みがあったり、権力者に虐げられたりと皆、
なにがしかの理由で江戸に暮らせなくなった者達だという。
だからといって復讐心に煮えたぎっているかというとそうでもなく、
子供達は屈託がなく村の中を遊び回り、大人も新入りである龍麻を邪険にすることなく
迎えいれてくれた。
龍麻も彼らに受けいれてもらえるよう努力を怠らなかった。
農作業を手伝うのはもちろん、子供達に勉強を教えてやり、これが思いのほか喜ばれた。
九角は当主としてかなり開明的で、龍麻が子供達に教えたいと言ったとき、
咎めるどころか奨励したものだった。
「これからは西洋とも渡り合わねばならないのだろう?
ならば彼らに負けぬよう、なるべく多くのことを教えてやってくれ」
何しろ龍麻は現役の受験生なので、教える内容には事欠かない。
教科書こそなかったが、嵐王にいくつかの道具を作ってもらい、
文字の読み書きや計算など、できる範囲で子供達に授業をしてやった。
その嵐王には、夜になると毎晩会っていた。
彼の知識と技術は龍麻の想像以上で、龍麻はときに押されながらも、
百三十年分の進歩と知識を生かして彼の情報を修正してやる。
乾電池の仕組みも嵐王はすぐに理解したが、残念ながら作りだすことまではできず、
これがあれば夜道を歩くのもずいぶんと楽になるだろうにと嘆いていた。
さらに龍麻が自動車や飛行機の話をすると、その原理を知りたがり、
そこまでは説明できない龍麻が謝るとやはり落胆したが、
龍麻のおぼろげな内燃機関の説明には関心を持ったようで、研究を始めてみると言った。
二日目の朝からは、子供達との勉強が終わると、龍麻は古武術の修練をはじめた。
子供達と一緒に、体操代わりに行うだけだったのだが、
調査に行こうと龍麻を呼びに来た澳継が見た途端怒鳴りつけてきた。
「やい手前ェッ! どこでそれを習いやがったッ!」
「どこって、俺の師匠にだよ」
「真似してんじゃねェッ!」
ああそれで、と龍麻は得心がいった。
初めて澳継と闘ったとき、奇妙に動きが噛みあう気がしていたのだ。
澳継とはいわば兄弟弟子、あるいは師弟関係にあたるのだろう。
普通なら兄に、つまり先達である澳継に敬意を払うべきなのだろうが、
毎度毎度突っかかってくる年下の男に、素直に従う気にはなれない。
「真似っていうか、俺の方が強いだろ」
挑発に即座に乗った澳継と、龍麻は死闘を始めた。
流派は同じらしくても、スピードでは澳継が勝り、リーチでは龍麻が勝る。
実戦経験は互角といったところだが、澳継は龍麻の知らない技を持っていた。
思いもかけぬ方向から蹴りを受け、龍麻は後ずさる。
子供達は大はしゃぎで、澳継も勝ち誇った顔をした。
新参が調子に乗るよりも、ここは花を持たせるべきだ。
そんな打算も浮かんだが、すぐに龍麻は、跳躍と共に自らの考えを消し飛ばした。
「ぐッ……!」
疾く、重い拳が澳継の腕にめりこむ。
間髪入れずに龍麻は連打を繰りだした。
「……ッの野郎ッ……!」
だが澳継も負けてはおらず、戦闘は泥仕合の様相を呈してくる。
子供達の歓声の中、両者はなぜ闘っているのかも忘れて拳を振るった。
「いつまで遊んでるんだい、好い加減にしなッ」
何度目かの激突が始まろうとしたところで、威勢の良い女性の声が二人を止める。
本気で殴り合っている男二人に臆する色もなく近づいた女性は、
続けざまに二人の頭を叩いた。
「あんた達ッ、内藤新宿に行くのはどうしたんだいッ。
御屋形様の御命令を果たせないような奴はこの村には要らないんだよッ」
「俺が悪いんじゃねェよッ、こいつが」
「お黙りッ」
口答えした澳継をもう一度叩いた女性は、龍麻の方に向き直った。
「あんたも、しっかりしないと駄目だろうッ。
そんなんじゃ惚れた女を振り向かせるなんて出来やしないよ」
しょげる龍麻を斜めに見た女性は、子供達に言った。
「さあ、あんた達も帰るんだよ」
三々五々散っていった子供達を見送り、女性が改めて二人に説教をはじめた。
「いいかいあんた達、天戒様はあんた達に目をかけてくださっているんだ。
その期待に背くような真似はするんじゃないよ」
女性の名前は桔梗という。
龍麻がこの村に来たときは用事があって村を離れていたそうだが、
九角の片腕であり、彼の気が回らない村の実際面を良く補佐しているという。
龍麻が初めて対面したとき、事情を語ると「頑張んな」と励ましてくれた彼女は、
九角と夫婦なのかというとそうではないらしく、「岡惚れなんだよ」と寂しげに答えたのが、
強く印象を残していた。
年齢は九角と同じくらいにも見えるが、時折見せる仕種や怒ったときの迫力は
龍麻や澳継などの到底及ぶところではなく、
特に新参の龍麻などはひたすらおそれいるしかなかった。
「わ、わかった、わかったよ、なあ龍麻」
「ああ、ちょっと練習に熱が入っただけなんです。これからすぐ内藤新宿に行きます」
「ああ、そうしとくれ」
二人は肩を並べて村を出て行った。
走る寸前の二人が見えなくなるまで見送った桔梗が、
出来の悪い息子に対するようなため息をついたことなど、知る由もなく。
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