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そして、雹である。
このような具合で目の回るような時間を過ごしていた龍麻が、
ようやく彼女が暮らしているという離れを訪れる機会を得たのは、
龍麻が鬼哭村の一員となって一週間目のこの日だった。
朝餉を終えて子供達に勉強を教えるため、中央広場に行こうとしたところ、
村の外れの方に巨大な人影が見えたので、居ても立ってもいられず走ったのだ。
「あ、あの……雹」
彼女の意のままに動く人形――名前はガンリュウというそうだ――の腕に乗り、
何事かを調べていた彼女は、龍麻の呼びかけに全く反応しなかった。
聞こえなかったのかと思い、もう一度、今度はやや大きな声で呼びかける。
それでも雹は無視していたが、龍麻が数歩近寄ると、ようやく振り向いた。
その眼に好意的な光は微塵もなく、引き結ばれた硬質の唇から放たれた言葉にも、
冷気と鋭い刃が込められていた。
「何用じゃ」
「い、いや、用っていうか」
「用がないなら去れ。妾はガンリュウの手入れをせねばならぬ。そなたと話をする暇などない」
言い終える前にはもうガンリュウの方を向いている。
女性にここまで酷薄な応対をされた経験は龍麻になく、挫けそうになるが、
なんとか踏みとどまった。
「何か手伝えることはないか」
「ない」
「……ほら、前に澳継にガンリュウの部品の買い出しを頼んだだろ。今度からは俺が」
「前に澳継に頼んだ分で当分は保つ。それに、澳継の代わりにそなたに頼んで
妾に何か良いことがあるのかえ」
雹の声は温度が下がる一方だ。
彼女は、あるいは一九九八年に逢った彼女よりも冷たいのではないかと思い、
すぐに比較してしまった自分を龍麻は恥じた。
「そなたが役に立てることなど何もない。それが判ったら早く去れ。邪魔じゃ」
おりしも子供達が呼ぶ声が聞こえ、龍麻は行かねばならない。
「また来る」
「来なくて良いぞ」
聞こえなかったふりをして、龍麻は彼女の許を去った。
秋風が、ひどく肌に染みた。
それからも、龍麻はめげずに雹の許を訪れた。
雹に会いに行くのは、わずかな時間の合間にしかできないので、
一日に三十分も取れれば良い方だ。
もどかしくてたまらないのだが、村での役割を放棄するわけにもいかず、
また、行ったところで雹の態度は冷淡を極めているため、そもそも話題が続かない。
それでも、通い続けて二週間が過ぎた頃になると、
まるっきり無視されるという状況は少なくなっていた。
「また来たのか」
こんな言葉でもかけてもらえるだけ以前よりは遥かにましで、龍麻は嬉しそうに頷いた。
それを無表情で眺めた雹が、細い眉を露骨にしかめる。
「うつけか傾きか、百三十年後の日の本というのはそなたの様な者ばかりなのか?
ならば長生きはしとうないの」
「いや、俺みたいな奴は少ない。でないとライバルが多くて大変になっちまう」
「らいばるとは何じゃ、面妖な言葉を使うでない」
「ああ、ごめん。今日もガンリュウは調子良さそうだな」
「そなたに判るものか」
彼女は一人でガンリュウを作りあげたそうで、それに関するプライドは並大抵のものではない。
そして、ガンリュウの話題を出せば、とにかくなにがしかの相手はしてもらえるというのが、
龍麻がやっと見つけた難攻不落の山を登るための小さな手がかりだった。
「もちろん判らないけど、歯車が回る音が滑らかだから」
龍麻が言うと、雹は二パーセントほど感心した表情を見せた。
「そんなことが判るとはな。まあ、門前の小僧も習わぬ経を読むと言うしな」
「凄いよな……俺の時代にもこんな精巧なからくりはない」
「……それは、妾の技が伝わってはおらぬということじゃな?」
龍麻はしまったと思ったが、雹は気にした様子もなかった。
「おそらくは妾で廃れるのじゃろう」
「そんな……」
「妾の一族は皆殺された。妾もガンリュウがいなければ歩くこともままならぬ。
滅ぶはもはや必定じゃ」
彼女が両足の腱を切られていると聞かされたのを龍麻は思いだした。
教えてくれたのは彼女自身だ……ただし、目の前の、ではなく。
「そなたも妾に関わらぬがよい。それが互いのためじゃ」
「少なくとも俺は違う」
龍麻が言うと、雹は辟易したように首を振った。
「ならば勝手にせよ。じゃが、妾の気が変わるなどと思わぬ方がよいぞ」
それきり雹はガンリュウの方を向いてしまった。
悄然として、龍麻は彼女の許を去った。
雹との関係は一向に進展しない龍麻であるが、江戸時代での日々は慌ただしく過ぎていく。
朝は子供達と過ごし、呼びに来る澳継と一戦交えて調査に赴く。
両者の実力は、今のところは龍麻がやや上といったところだった。
「くそッ、もう一戦だッ!」
派手に吹き飛ばされた澳継が、飛ばされた勢いと同じ疾さで突進してくる。
澳継のスピードは龍麻を上回り、当たる打撃も多いのだが、
最終的に地面に転がる回数は龍麻を越えられない。
今朝も三度転がされた澳継は、まだ龍麻を一度しか倒していないため頭に血が上っている。
龍麻はそれに気づいているが、指摘しても聞きいれるはずがないだろうから
結局拳で黙らせるしかないと割りきっていた。
澳継の動きを読み、彼の蹴りを一度受けて反撃に出ようと決めた龍麻が動く。
「ははッ、それじゃ千年かかっても倒せないぞ、風祭」
間合いが詰まり、蹴りの間合いに入った澳継が鋭い蹴りを放とうとした寸前、
横合いから割って入った声が二人の動きを急停止させた。
龍麻が振り向くと、そこにはいつの間に居たのか、子供達に混じって一人の坊主が立っていた。
年齢はやや上だろうか、坊主、と判断したのは男が髪をきれいに剃りあげていたからだ。
ただし男は手におそらく槍と思われる武器を持っており、
でも武蔵坊弁慶も坊主の格好をしていたよな、とやや混乱ぎみに考える龍麻をよそに、
澳継が声を張り上げた。
「九桐じゃねェか。いつ帰ってきやがった」
「昨日の遅くにな。それより、お前の技は邪念が強すぎる。
敵を倒したいという意志は重要だが、闘いの最中は抑制しなければならない」
「う、うるせェッ、俺の氣の使い方に文句つけんじゃねえよッ」
「それでは勝てないと言っている。君もそう思うだろう?」
挨拶もそこそこに武術の指導を始めた男にあっけにとられているところに、
いきなり同意を求められて龍麻は面食らった。
「え? あ、ああ、そうだな。ところで、あんたは誰なんだ?」
男は槍を軽く動かして答えた。
「俺は九桐尚雲。見ての通り坊主だ。君は?」
「俺は緋勇龍麻。えっと……」
「ただの穀潰し野郎だ」
口を挟む澳継に、九桐は楽しげに笑った。
「ただの穀潰し、にしては氣の使い方が上手いな。どこで学んだんだ?」
百三十年後で、と答えるべきか否か、龍麻は迷う。
迷っている間に、澳継がまた割りこんできた。
「なんだよ九桐、俺よりこいつの方が強いってのかよ」
「今のところは、そうだな」
さらに澳継が何か言おうとするのを遮って、九桐は龍麻の前に立った。
「この村は来る者を拒まない。が、若の邪魔をしようとする者は俺が許さない。君はどっちだ?」
「若って九角のことか? なら敵……じゃない。それだけは確かだ」
「龍閃組に居たじゃねェか」
「醍醐と闘ったのはお前も見てただろうが」
劣勢で中断されたからか、澳継の絡み方がうっとうしい。
蹴っとばしてやろうかと苛立つ龍麻に、九桐が目を見開いた。
「龍閃組? それじゃ、蓬莱寺を知っているのか?」
「ああ、醍醐とも京梧とも闘りあったことがあるよ」
「勝ったのか」
「向こうが木刀だったときは一発入れたけど、真剣なら駄目だっただろうな。怖くて」
「ヘッ、ビビッてんじゃねェよ」
「無手で木刀に勝つとは大したものだ。道理で澳継が勝てない訳だな」
またも茶々を入れる澳継を蹴ろうとした間際に尚雲が褒めそやしてくれて、龍麻は溜飲を下げた。
「俺だって蓬莱寺ごとき、いつでもぶッ倒してやらァッ」
「死ぬぞ」
静かな、坊主らしい説諭するような尚雲の一言に、澳継も言葉を失ったようだ。
「ここにせっかくお前よりも上手に氣を扱える人間が居るのだから、
挑むのならせめて習ってから行ったらどうだ」
「なッ、なんで俺がこんな奴に頭を下げないといけないんだッ」
「見たところお前達の技は良く似ている。源流が同じなのかもしれないな」
「詳しいのか?」
少し見ただけで気づくとは、かなりの武芸者だろう。
訊ねる龍麻に尚雲は破顔した。
「それだけが取り柄でね。一応坊主ってことになってはいるが、
念仏を唱えるより穂先の手入れの方が性に合っているみたいでな。
強い奴の評判を聞きつけると、どうしても闘ってみたくなってしまうのさ」
笑いながら頭を撫でる、尚雲の目が一転して剣呑な輝きを宿す。
「だから君とも一度は手合わせをしてもらうつもりだ。できれば近いうちにな」
「……わかったよ」
武術は手段であって目的ではない龍麻は、好んで闘う趣味はない。
しかしこういう手合いはしつこいことも知っているので、一度きりのつもりで仕方なく同意した。
「よし、約束したぞ。それじゃ、悪かったな、続きをしてくれ」
隙のない動作で身を翻し、尚雲は九角の屋敷へと歩き去った。
顔を見合わせた龍麻と澳継は、お互いの顔に敵意が浮かんでいないのを確かめると、
同時にため息をついた。
「なんか面倒くさそうな奴だな」
「あの野郎、坊主だから口が立つんだよな。いっつも俺のこと小馬鹿にしやがってよ」
二人は仲良く歩を揃え、内藤新宿へと赴く。
それはまるで兄弟のようだったと、目撃した村民は語りぐさにするのだった。
調査から戻れば九角と夕餉を食べながら語らい、酒を酌み交わす。
この時は澳継と桔梗も相伴することが多く、龍麻にとっても心地よいひとときだった。
その後は、酔いが回っていなければ嵐王の許に赴く。
親しくなっても仮面を外そうとはしない彼は、よほど偏屈な人間と思われたが、
科学技術に対する知識欲は凄まじく、龍麻も記憶を総動員して彼に未来の知識を授けた。
とはいっても高校生である龍麻に確かな知識があるわけではなく、
また、電気やガソリン、ガスといった動力源の欠乏はいかんともしがたく、
結果的にはこういったものがある、という紹介程度しかできなかったものの、
嵐王はそれでも龍麻が一つ現代の技術を紹介するたび、大げさなくらいに感心したものだった。
「だが、返す返すも惜しいのは、電気というものの作り方が分からぬ点よな。
それが解れば夜も研究に励めるのだが、お主、なんとか思い出せぬか」
嵐王の必死さは痛いほど理解できるだけに、不勉強を反省する龍麻だ。
同時にガスに電気に水道と、スイッチひとつで快適な生活が手に入る現代が
改めてすばらしいと実感もするのだった。
ひときわ冷えこみ、そろそろ冬が到来しようかというある日の朝。
龍麻はいつものように雹に挨拶に赴いた。
ガンリュウの腕に乗って彼の点検をする雹の姿は昨日と同じだったが、
何十もの歯車と糸との組み合わせによって動く彼の動作音は、明らかに異常だった。
「おはよう……あれ、何かおかしいな」
「そなたか……うむ、昨日までは何もなかったのじゃが」
「昨日は冷えたからな……歯車が反ったのかもしれない」
「む、そうじゃな。悪いがそなた、中を見てやってはくれぬか」
発言をした雹はガンリュウを見るのに夢中で、それが龍麻に与えた影響を全く見ていなかった。
初めて彼女に頼み事をされた龍麻は、驚きと喜びを内燃機関のごとく爆発させ、
変換されたエネルギーに全身を漲らせた。
雹の傍に寄り、彼女が示すガンリュウの内部を目で追う。
「どうじゃ」
「……」
龍麻は答えず、息を止めてひとつひとつ歯車を見ていった。
なんとしても雹の頼みを聞き届けるという執念のなせる業か、数分後に龍麻は、
亀裂の入った歯車を見つけだすことができた。
手を入れ、慎重に取り外して抜き取る。
「おお……!」
雹が歓声を上げ、龍麻に笑顔を向けた。
それは笑うことに慣れていない、ぎこちない笑顔だったけれども、
龍麻にはどんな宝石よりも眩しく見えた。
「礼を言うぞ。そなたがおらねば妾一人では直せなんだ」
「そんな、大げさな」
「いや、奥まったところの歯車じゃからな。見つけることができたとしても、妾では手が届かぬ」
「そうか……まあ、役に立てて嬉しいよ。これからも、俺にできることならなんでもするから」
龍麻が見得を切ると、雹は若干ばつが悪そうに言った。
「ならば、早速で悪いが一つ頼まれてくれぬか。この歯車を直す部品が入用じゃ。
内藤新宿で手に入れてきてはくれぬか」
「お安いご用だよ。それじゃ、早速行ってくる」
言うが早いか龍麻は駆けだした。
途中で、これも日課になりつつある、龍麻を呼びに来た澳継とすれ違う。
「お、おい、そんなに急いでどこに行くんだ」
「どこって内藤新宿に決まってるだろッ。ぼやぼやしてると置いてくぞ!」
振り向きもせず走りながら叫ぶ龍麻を、澳継は訳も分からぬまま慌てて追いかける羽目になった。
この一件の後、雹の態度は軟化した。
少なくとも、龍麻が話しかけるまでは居ないものとして振る舞い、
話しかけても露骨に邪険に扱われるようなことはなくなった。
「なんじゃ、また来たのか」
冷たい言い方のように聞こえるが、龍麻は嬉しそうに頷く。
すると雹は面白くもなさそうにガンリュウの方を向き、独り言のように呟いた。
「そう毎日来られても、話すことなどないと言うに」
「それなら、俺の話を聞いてくれ」
龍麻には話したいことがたくさんありすぎた。
一九九八年のこと、一八六六年のこと。
九角や嵐王にも多く話しているが、やはり雹にこそ自分が見聞きしたものを伝えたかった。
「大きな籠のようなもので江戸から京都まで一刻じゃと?
嘘を申すでない、一刻では箱根までも行けぬわ。それに、籠は誰が担ぐのじゃ。
ガンリュウのようなからくり? 妾でもそのように早くは操れぬというに、
後の世には凄腕のからくり師がおるのかえ?」
新幹線について説明すればこうで、
「すかあと? 何じゃそれは。腰から下に巻く布? 腰巻きのことか。
何じゃと、着物を着ずにその格好で出歩く?
嘆かわしや、そなたの時代の女性は慎みというものを知らぬのか」
スカートについて教えればこの反応だ。
微妙にずれている反応が気になるどころか、龍麻はますます雹を好きになった。
雹は両足の腱を切られていることもあって、日中もほとんど外には出ない。
半ば世捨て人であると思われた彼女だが、外界にはそれなりに興味があるようで、
江戸の流行などを龍麻が話すと、時に身を乗りだして聞いていたりする。
そのくせ、興味があるとは思われたくないようで、身を乗りだしすぎていると気づくと、
そ知らぬ顔をして身体を起こしたりするのだ。
そんな時、龍麻は指摘するような愚は犯さなかった。
代わりに、彼女の濡れたような黒髪が宿す光沢がなめらかに移ろうさまを、
彼女と同じそ知らぬ顔で眺めた。
いつか、あの髪に触れてみたいという欲求を、静かに募らせながら。
この日、雹を訪れた龍麻の手には、包みが携えられていた。
「これさ、昨日内藤新宿で買ってきたんだ。最中っていうお菓子で流行ってるらしい。
結構並んだけど、女の子ばっかりでちょっと恥ずかしかったよ」
「ほう」
雹の返事は短かったものの、品の良い好奇心が目元に漂っている。
「別に妾は甘いものはそれほど好きではないのじゃが、
せっかく買ってきたものを無駄にするのももったいない話じゃからな、
茶を淹れるゆえそなたも相伴するがよい」
最中が期待以上の効果をもたらした驚きに、
龍麻は出来の悪いからくり人形のように頷くほかできなかった。
湯を沸かしに行った雹を目で追い、遂に到達した彼女の屋敷の中に、偉大なる一歩を記そうとする。
「何ぼけっと突っ立ってやがる。朝の話は終わったんだろ。行くぞ、龍麻」
後ろから聞こえてきた澳継の声に、龍麻は人にあらざる速度で反応した。
疾さでは龍麻を上回る澳継が、反応すらできずに胸ぐらを掴まれる。
「わッ、な、何しやがる」
「一生の頼みだ、澳継。今日はお前一人で内藤新宿に行ってくれ」
「なッ、何勝手言ってやがる」
「頼む」
龍麻の真剣さは、熊すら退がらせるであろう。
気圧された澳継は、殴りあわない日はない男の頼みを、理由も聞かずに呑んでしまった。
「きょッ、今日だけだぞ」
「ありがとう、恩に着る」
深く頭を下げた龍麻に、勝ち誇るよりも不気味さを感じて後ずさった澳継は、
龍麻が頭を上げないとみると早足で去っていった。
澳継に対する感謝の気持ちは嘘偽りのないものだったが、
顔を上げたとき、龍麻はもう彼のことを忘れていた。
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